石原莞爾と東條英機:その6(1,943字)
石原莞爾は1889年、明治22年に山形県鶴岡市で生まれる。ほんの四半世紀前まで庄内藩の中心地だったところだ。
庄内藩は、幕府の味方につき明治政府に最後まで抵抗したが、趨勢が決すると潔く降参した。そうしてすぐさま武家社会を廃止すると、蚕の養殖に乗り出していち早く成功する。そのため、いわゆる「朝敵」の中でもそれなりに豊かな地域だった。
そういう土地柄は、石原莞爾の性格にも反映されている。判官贔屓で長いものに巻かれる調子のいいやつが大嫌い。きっちりと筋を通すが、しかしけっして頑ななだけではない。大胆な方向転換をも辞さない柔軟さを兼ね備えている。
完爾は三男だが、二人の兄はすでに亡くなっていたので実質的に長男として育った。父は警官でもともとは庄内藩の武士(庄内藩士)の家系だった。母もやはり庄内藩士の家系だったが、親戚には学者も多かった。
完爾は、多分にこの母の血を受け継いだ。幼い頃から抜群に頭が良
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