ここまで見てきたように、植木等と赤塚不二夫は、同じ流れを汲みながら、微妙に違う。
植木等は、真面目なことを考えるのはやめて、人生を楽しみましょう――というものだ。
一方の赤塚は、真面目なことを考えることも、そうでないことも、どっちも楽しみましょう――というものだ。赤塚の方が、視点がさらに一段階メタなのである。
実際、植木は裏では真面目な人間であったらしい。一方の赤塚は、裏でも不真面目だった。
赤塚は、どこまでも不真面目に不真面目をやった。植木は1926年の生まれで、赤塚は1935年の生まれだ。約10年の差があるが、これが大きかった。同じ虚無主義でも、解決の仕方が違ったのだ。
赤塚は、植木的な実存主義に影響を受けながらも、そこにさらにメタ的な視点を加え、全てを受け入れる「容認主義」を提唱した。つまり、真面目に考えることも否定しなかった。
これが、受験勉強をはじめとして窮屈な学校生活に苦しみな
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