ハックルベリーに会いに行く

藤本タツキさんの『ルックバック』はマンガ史に残る傑作(2,635字)

2021/07/20 06:00 投稿

コメント:5

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※2021年7月20日8時41分に加筆修正しました。

ジャンプラスで藤本タツキさんの書いたマンガ『ルックバック』を読んだ。すごい作品なので、この作品について思ったことを書いてみたい。


ちなみに、ネタバレありで書きます。このマンガは無料で誰でも読めるので、まずはマンガそのものを読んでからこの文を読まれることをおすすめします。


このマンガには、マンガというもののすごいところが詰まっている。あまりに詰まりすぎていて、奇跡のような作品になっており、マンガ史上に残る傑作といっていいだろう。後代まで語り継がれることになるはずだ。

まず、やはり面白いのが、「作者の藤本さんがマンガが好き」ということだ。マンガを研究し尽くしているので、そのオマージュに溢れている。そういう人の描くものは面白い。人は人の愛に触れると面白く感じるようにできているのだ。

藤本さんは、マンガ愛に溢れている。その偏愛は、細かなテクニックへのこだわりとなって現れる。例えば、2ページ2コマ目にさりげなく魚眼レンズが使われているが、レンズを自由自在に入れ替えられるところはマンガの長所である。レンズを入れ替えても前後のコマから浮くことがない。このテクニックを、マンガの冒頭からいきなり繰り出している。そこのところに、作者の並々ならぬマンガ愛を感じる。

ちなみに、ここでレンズを入れ替えているのは、そのコマで伝えたいことをより効果的に伝えるためだ。魚眼レンズには、「一コマの中にたくさんの人物を描き込める」という利点がある。そのため、「コマ数の省略」ができ、コマ割りにリズム感を生み出すことができる。

実際、この2ページ全体に一つの気持ちいいリズムが流れている。モールス信号的な音にすると、「ツー・ツー・ト・ト・トン・トン」といったところか。

また、このページには映像的、講話的な演出もある。それは、主人公の「藤野ちゃん」が、このページにはまだ登場していないことだ。たった1ページの演出だが、それでこのマンガ全体のトーンが決定される。それは「静か」というトーンだ。そのため、この1ページはきわめて重要な意味を持つのだ。

それから、3ページ。ここも実にすごいところだが、きわめてさりげなく、しかしながら印象的に登場する4コママンガというマンガ中マンガが、外枠であるマンガ全体の終盤への伏線になっている。具体的には「生まれ変わったとしたら?」というifが示唆されている。「もし生まれ変われるなら、あなたはどうするの?」という、問いが提示されている。その問いが、この作品のメインテーマなのだ。

そして、実は問いと同時に「答え」も暗喩されている。それは、「キスをする」というものだ。実際、この作品のラストで、京野は藤野に比喩的な意味でのキスをする。そうして彼女を救うのだが、それがここで早くも予告されているのだ。

しかもそれは、きわめて控えめに、文字通りの「暗喩」として提示される。このマンガには、マンガならではの暗喩に満ちている。それが、読み解きの多様性を可能にしている。マンガには、マンガ特有の暗喩があるが、藤本氏は暗喩が好きなのだろう。このマンガには、暗喩が過剰なまでに多用されており、「暗喩のデパート」と言ってもいいような状況になっている。

ちなみに、先ほど言及した2ページ目2コマ目の真ん中の子は、すでにタイトルが暗喩する「ルックバック(後ろを見る)」をしている。また、同コマの一番上の子は背中を向けているが、これも「ルックバック(背中を見て)」の暗喩だ。

そう。このマンガの暗喩における重要なモチーフの一つに「背中」がある。『ルックバック』というタイトルの「バック」には、やはり多様な意味が込められているのだが、その一つが「背中」なのだ。

このマンガにおいて、「背中で語る」というマンガ特有の暗喩を、過剰なほどに多用している。特にマンガを描くシーンにおいては、通奏低音のように同じアングルの背中の描写が繰り返される。

そんなふうに、背中はベース音として機能する一方、同時に印象的な「フレーズ」ともなっている。このマンガでは、背中がサビのメインのメロディともなっているのだ。
おそらく、藤本氏は「背中フェチ」なのだろう。それは、背中が好きという意味と同時に、「背中を描くことによってマンガに多様な魅力が宿る」ということを知っているということでもある。おそらく、マンガを研究する過程で、背中の描写がマンガそのものにえもいわれぬ魅力を付与することを発見したのだろう。

ぼくの知る限り、マンガ史においてこれほどの「背中フェチ」作者というのはいない。だから、これは藤本氏の魅力的な個性であり、偉大な発明といっていいと思う。
ちなみに、背中フェチは「コマのアフォリズム」としても作用する。マンガにおいて印象的なコマを作ることは文学におけるアフォリズムであり、作品の魅力を高める上ではきわめて重要な戦略なのだが、その戦略における武器として「背中」を用いるというのは、やはりあまり例がないのではないか。

それは、マンガにおいては「目」が最も重視されるために、背中は描かないことが推奨されるからだ。それとともに、背中を描くのはとても難しいということもある。そもそも、背中にフェティッシュを感じるということセンス自体にそれなりのセンスが要求される。だから、それを読者に伝えることはさらに難しくなる。

しかし、このマンガではそれが十全に果たせている。ぼくは、このマンガを読んで、「ああ、ぼく自身にも『背中が好き』という気持ちがあったのだなあ」ということを発見させられた。

その背中フェティッシュが爆発するのが、最終盤の141ページだ。このページでは、主人公藤野の背中がこれでもかというくらい強調されているが、ポイントはお尻だ。いやらしい視点と思われるかも知れないが、女性特有の、そして大人特有の大きなお尻が、その背中の小ささを強調している。お尻がトスを上げて、背中がアタックを決めている。だから、彼女のこのシーンでの服装は、お尻が強調されるパンツルックでなければならなかった。

このマンガは、後世においては一つの「教科書」として機能するようになるだろう。みんな、このマンガを読んで「マンガとは何か?」を勉強するようになるだろう。それほど、日本マンガがこれまで積み上げてきたさまざまなテクニック・魅力が凝縮され、ちりばめられている。ぼくは、時間をかけてこのマンガを読み解き、いろいろ学んでいきたいと思っている。

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岩崎夏海

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コメント

へー。全然知らなかった

No.3 33ヶ月前

ご返答ありがとうございます。
著者贈呈分というのがあるのですね!
パラレルの京本の家に1巻と2巻が
たくさんあるのは応援してるってことですよね。

No.4 33ヶ月前
userPhoto 岩崎夏海
(著者)

>>4
5冊買ってアンケートハガキをそれぞれ名前を変えて5枚分送っていたかも知れませんね。

No.5 33ヶ月前
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