最近、人と会うときは意識して与太話をするようにしているのだが、これが思いのほか受ける。思えば、このメルマガでも気がつくと与太話が多くなった。それはおそらく、ぼくの与太話の評判がいいからだろう。ぼくの与太話はなぜかそれなりに受けるのだ。

ちなみに、ぼくがここでいう「与太話」とは、「世の中はこうなっている」ということを、エビデンスを抜きに、しかし説得力をもって語る――ということである。

例えば、このメルマガでも何度か書いたが、日本の教育の不調は90年代に始まったのだが、その遠因はバブル時代の人手不足にあり、自国内に学歴の低いブルーワーカーを生み出す必要性が生じたことから、子供たちをあまり教育しなくなった――という話をすると、いつもたいてい喜ばれる。

ただ、最近は「自動運転」の話をすることも多いのだが、こちらはあまり受けない。「自動運転が実現すると世の中こんな大変なことになりますよ」と言っても、