みなさんは「マンスプレイニング」という言葉をご存じだろうか? 恥ずかしながら、ぼくはつい最近まで知らなかった。意味は、ウィキペディアにこんなふうに書いてある。

マンスプレイニング(英語: mansplaining)は、男を意味する「man」(マン)と解説を意味する「explain」(エクスプレイン)をかけ合わせたかばん語。男性の持つ「女性は自分より知らない・わかっていない」という前提の根拠が差別意識にすぎないことを指摘するものだが、一般的には「男性が、女性を見下すあるいは偉そうな感じで何かを解説すること」とされる。

今日は、この「マンスプレイニング」について考えてみたい。


先日、馳浩議員らの一行が、TSUBOMI CAFEという困窮少女をサポートする団体の活動を視察した。そのときに、馳議員や他の議員、あるいはその秘書たちが、パワハラやセクハラを含む加害行為を視察現場でした。それに対し、TSUBOMI CAFEを主宰する仁藤夢乃さんが抗議の声を上げた。それが、ネットで話題になっている。

この仁藤萌乃さんは、ぼくが以前に講演会でご一緒させていただいた田中俊英さんという方と子供を支援する活動を連携されている。田中さんも、困窮する子供を支援するソーシャルワーカーをされていて、ドーナツトークという団体を率いている。

ぼくは、この田中さんの活動にだいぶ刺激を受けている。というのも、以前から「日本の最大の問題は大人たちのモラハラにある。特に、それを加速させる学校制度にある」と考えていたのだが、それによって多くの子供たちが犠牲となっているからだ。多くの子供たちが、モラハラや学校によって困窮を余儀なくされている。田中さんや仁藤さんは、そうした子供たちを助ける活動をしているのだ。

ぼくは、これは非常に重要な仕事だと思っている。なぜなら、子供たちは今、社会で最も理不尽な境遇に置かれていると考えるからだ。それを助けるのは、社会に与える正の影響が大きい。

ぼく自身は、そうした活動は今のところ行っていないが、しかし近い将来したいと考えている。それは、学校をはじめとする教育制度を壊し、イノベーションを起こすようなものにしたいと考えている。「子供を学校に通わせない」と広言しているのはその一環だ。

しかしながら、子供を学校に通わせる親はまだ多いので、モラハラの被害者は減っていない。そのため、被害者になった子供たちを救うという活動が喫緊に求められており、仁藤さんや田中さんはそれをされているのだ。

そして、その仁藤さんが先述した馳議員らの視察でパワハラやセクハラを受けたのだが、その流れでマンスプレイニングの事案も起きた。田中さんは、以前からこのマンスプレイニングを問題視されていて、2018年にも児童支援団体のソーシャルワーカーのマンスプレイニングに批判の声を上げていた。

マンスプレイニングは、男が女を差別することの一形態だが、特徴として「差別している側がそれに気づかない」ということがある。それどころか、差別している側は意識の上では差別を嫌っている。だから、「おまえは差別している」と指摘されても受け入れられないし、それどころかある種のパニックさえ引き起こす。そのため、解決がとても難しい。

ではなぜ、マンスプレイニングをする男性はそれを認められないのか?
それは、彼らの来歴によるところが大きい。

マンスプレイニングをする男性は、主に母親の強い支配下に育った。母親からモラハラされて育った。その意味で、彼らはモラハラ虐待の被害者でもある。

彼らは、子供の時に母親からのモラハラ被害を最小限に食い止めようと考えた。そうして、母親の言うことを全肯定するようになった。そうすれば、母親の加虐が少しはおさまるからだ。

そして、母親がそこで息子にすり込んだ最大の価値観の一つが、「男は女を守らなければダメ」というものだ。「お父さんみたいに、妻に迷惑をかける男になってはダメ」というものである。

つまり、母親が「男は上位の存在で女を守るべきもの」という価値観をナチュラルに、全くの無意識に息子にすり込むのである。だから、息子はそのままナチュラルに「女は弱い存在なので男が守らなければならない」と信じたまま大人になる。そうして、その価値観を前提に女性にマンスプレイニングしてしまうのだ。

しかしながら、多くの女性は「女は弱くなく、従って男に守ってもらわなくてもいい」と考えている。そのため、「きみは弱いからぼくが守ってあげよう」という男性に違和感を通り越した嫌悪感を覚え、「それは差別だ」と拒絶する。

しかしマンスプレイニングをする男は、女は守るものという価値観が差別とは到底結びつかない。なぜなら、それは他ならぬ女性である母親からすり込まれたので、女性差別とは想像もしていなかったからだ。そうしてパニックを引き起こすのである。

これが、マンスプレイニングが抱える根深い問題である。そしてこれも、やっぱりモラハラが引き起こした悲劇なのだ。
だからぼくは、モラハラやそれを生み出す躾を撲滅することを、これからの最大のミッションと位置づけているのだ。