では、続く第二の方法は何か?
それは、「危険に身を置く」ということです。
どういうことかというと、そもそも美的感覚は自然に根ざしたものなので、自然の一部である我々人間もまた、本質的には美しいもの、ということです。あるいは、美しいものを美しいと感じる美的感覚は、どんな人間も先天的に持っています。
ではなぜ、「美的感覚のあるなし」の差が生まれるか? それは、成長の過程でその能力が鈍ってしまうからです。そのピントが曇ってしまう。おかげで、その曇り具合の量によって、美的感覚にあるなしの差が生じるのです。いわゆる「美的感覚がない人」というのは、生まれて以降の来し方によってピントが曇ってしまった状態にある人――ということができるでしょう。
ですので、美を学ぶには、その本来持っていたはずの感覚を取り戻す――という考え方が適切です。そこにこび
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