世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その29(1,921字)
一九六〇年、『西遊記』でアニメの制作現場に直に触れた手塚治虫は、翌年の一九六一年、マンガ工房を拡張する形で、自前のアニメスタジオを創設する。これが虫プロであった。
虫プロは、創設時はいくつかの実験的なフィルムを単発で作っていたが、一九六三年、日本で初めての三〇分テレビアニメシリーズである、『鉄腕アトム』を制作する。
これが、爆発的なヒットを記録した。視聴率も高かったが、それ以上に社会に与えたインパクトが大きかった。『鉄腕アトム』は、放送当時から現在に至るまで、日本人なら知らない者がいないくらいの、国民的な作品となったのである。
これによって、いくつかの歴史的な流れが生まれた。
まず大きかったのが、「三〇分のアニメを毎週作る」という制作スタイルが確立したことだ。
それまで、アニメ制作には大きな予算と長い時間とが必要とされるということが常識だった。ところが虫プロは、その常識を覆した。少ない予算
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