ぼくから読者のみなさんに質問したいこと(1,806字)
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先日、「教養論」という連載が終わりました。
「教養論」とは何か?
それは文字通り、教養についてぼくが論じるということでした。
「教養論」に限らず、ぼくがこのメルマガで連載しているものは、どれもこれといった計画があって書いているわけではありません。それについて深く考えたいから書いている、という場合が多いです。
そのため、ほとんどが書きながら何を書くか考えています。書きながら考え、その回の最後になって、次に何を考えたいかということが思い浮かびます。そこで次の回には、それについて書きながら考え、やっぱり最後で次に考えたいことが思い浮かぶ、ということの連続でした。もう考えたいことがなくなったらそこで連載も終了するという感じです。
こういう書き方をしていると、思わぬ気づきが得られます。思わぬアイデアが浮かんでくるのです。例えば「教養論」の中では、「直感」ということについて深く考えられたのが良かった。
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コメント
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ていうか、
小説はたしかに
村上りゅうのブルーと村上はるきね
初期のピンボールとダンスダンスしか
つか、ロビンソンクルーソーは読んだが
てか、
いま、
言いたいことを言わないと
ネットは時差がまだ微妙だから
金曜土曜を読んだから
興味沸いてる自分が
いるのは事実
私は事実が好きです
てか、若輩だから気負いはご愛嬌で
では、おやすみなさい
(ID:21775006)
好きですよ
(ID:17434168)
僭越ながらコメントをさせていただきます。
・『台獣物語』を拝読して。
アニメ化を前提とされていらっしゃるだけあって、映像のスピード感や、場面が変わる時の清潔感といいますか潔さのような物が文章からも感じることができて、とても想像力を刺激されます。これから主要人物も増えてきそうな感じなので、楽しみです。
お話の部分では、「物語」や「シャーマン」を題材とされてるようですので、それらを扱うこの『台獣物語』自体がどういった「物語」性や「シャーマニック」性を読み手である私自身にもたらすのか、その入れ子構造を楽しみながら読んでいます。
大変個人的な感想ですが、普段小説は本を右上から縦に読む習慣がついているのでその先入観のせいか、または、連載形式の小説を読んだことがないせいか、もしくは改行する場所がメールサービス依存のせいなのか、ほんの少しだけつっかかるなにかを感じます。本やアニメになると、『台獣物語』に対する印象や距離感が変わるかもしれません。
・『ニッポンの終わり』の内容を想像して。
岩崎先生の他のビジネス書のような作品の形式でも、もちろん面白そうなのですが、個人的には『ニッポンの終わり』という「小説」を読みたいなと思います。
『エースの系譜』のようなリアリティと哀愁のあるSFがあれば是非読んでみたいです。しかし、小説化するとなるとハッピーエンドの需要とかで先生の予測されている「ニッポンのエンディング」とは違うものになるのも本末転倒でしょうから、簡単にできるお話ではないのでしょうね。
「誰も意識してないけれども実際に起こること」をSFと呼ぶのかどうか恥ずかしながら存じあげませんが、私としては是非『ニッポンの終わり』を岩崎先生の「物語」として読んでみたいなと思います。
長文失礼いたしました。これからもメルマガでたくさんのご教授よろしくお願いいたします。