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僕たちはSyamu_Gameの何を愛したのか?前編

2019/02/13 23:08 投稿

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Syamu_Gameというyoutuberがいた。

正確に言うと、ネット上での活動名義(所謂ハンドルネーム)は単にSyamuで、youtubeで取得したチャンネル及びアカウント名がSyamu_Gameだった。

どういうスタイルのyoutuberだったかというと、ゲーム実況動画をメインに投稿していた人で、だからアカウント名に_Gameが付いている。投稿実況動画数はゆうに1000本を超え、時々は商品レビューやカラオケなど実写系の動画もサブチャンネルで公開していた。最盛期はメインチャンネルで登録者数約3500人、総再生数もウン百万と、泡沫投稿者というには結構な数字を持っていて、吐いて捨てるほどいる実況youtuberのなかでは最底辺よりも中の下ぐらいの位置にまでは上がっていたらしい。

でも、まぁそこはやっぱり承認欲求を求めて蠢く有象無象のひしめき合ったネットの中なのであって、当時のSyamu_Game程度の「数字」を持った人間ぐらいは他にも数限りなくいたわけだから、あっさり埋没して、わざわざこの人を無数の実況者の群塊のなかから取り上げなきゃならなかった理由も、他のコンテンツに振り向ける時間を割いてこの人の挙動を観察する時間に費やさなきゃならなかった筋合いも、本来はなかったはずなんである。

現在の系統に連なるSyamu_Gameというコンテンツを最初に取り上げたのが「月影」というニコニコ動画のユーザーだった。でもそれは、単にイタイyoutuberを仲間内で晒しものにして、本人の目の届かない限られたサークルのなかの笑い話のネタにしようという程度のもので、別段インターネット社会に波風を起こそうとするものでもなかった。

当時、HIKAKINが「音の出るゴミ」扱いされるぐらいyoutuberに対しての(旧2ちゃん文化圏における)「評価というのは押しなべて低かったけれども、その中でもニコニコ動画でネタにされるyoutuberと言えばあの頃は断トツで「たれぞう」で、特に2014年上半期は「たれぞうブーム」真っただ中だったから、Syamu_Gameなどはほとんど見向きもされなかった。

「月影」が最初に投稿(転載)した動画は「ホモと学ぶ大物youtuber」というタイトルで2014年6月12日付でニコニコに転載されたものだったけど、再生数はたった800回ぐらいしかなく、「ホモと学ぶ」と題された割には身内であるホモ(淫夢厨)の間でさえまったく広まる気配のない、まさに界隈の場末にある話題だったんである。

2014年8月11日に後に伝説とまで言われる泉南イオンOFF会ゼロ人が達成され、その翌日に早くも月影によってニコニコ動画に転載されるが、それでもほんのちょっと話題になっただけで勢いはつかず、転載動画もランキングから即座に姿を消してしまった。

この頃のsyamu動画と言えば、それ目当てで見に来る人間はまず皆無で、ほぼほぼ釣り動画の素材ぐらいの扱いしかされておらず、月影の転載したオフゼロ動画がランキング上位にまで食い込むのはようやく2014年11月の中頃に入ってからである。そこからさらにMAD動画が増加するのがさらに半年以上たってから、大々的なブームの到来は2016年に入ってようやっとで、伝説のオフゼロからニコニコで確固たるネットミームコンテンツの評価を得るのにおよそ2年もの月日を要している。

で?なんでそんな変なタイムラグができちゃったの?と疑問に思われるかもしれないが、その考察は次回に譲るとして、目下のところはまず2014年頃のSyamu_Gameがどのようなネタとして扱われていたかをまずは述べておこう。

2014年、つまり発掘したてのころのSyamu_Gameというのは、ずばり、遊ぶためのコンテンツではなくむしろ「叩き」の対象だったのである。

つまりは、「炎上」していたわけだった。

そして付け加えておくと、動画サイトは視聴者が一方的に受け手となって行動の幅が制限されるから、大体は炎上の舞台はtwitterや2chなどのテキストサイトになりやすい。当時はsyamuさんもtwitterアカウントを公開していたし2chで活動していたりしてから、初期のSyamu_Gameは「炎上案件」としてニコニコ動画よりもむしろ2chやtwitterなどの外部サイトでこそ盛り上がっていたのだ。

で、なにが炎上していたかというと、単にレビュー動画が気持ち悪いとかガイジっぽいとか己惚れてるとか、最も大きなものが女性に対する下心丸出しとかその手のとるに足らない低俗なもので、昨今の傷害行為や営業妨害で燃え上がっているケースに比べれば、何とも可愛らしいもんだと言える。今となってはなんとも牧歌的であるが、当時はネット上で異性との出会いを求めるというだけで「不道徳」の誹りから集団的糾弾を免れなかったのだった。

とにもかくにも、当時のSyamu_Gameは嫌悪と憎しみが先行する話題で、今でいう「愛憎半ばした熱心なフォロワー」といった意味合いのファンチはまだ存在せず、ほとんど純粋なアンチで埋め尽くされていた。まずコイツを叩いて潰して引退させることこそが至上の目的であり、コイツをネット上から追い出して二度と活動できなくさせることが、お天道様もにっこり喜ぶハッピーエンドだと衆目一致する認識だったんである。

結局、念願かなって2014年12月にSyamu_Game引退。その後2015年にまだ別名義で小説活動をしていたことが発覚、さらに夏に一瞬復活、この頃にはアンチの多くもファンチとして目覚めと和解(?)したと思えばまたすぐ姿を消して、それ以降は行方知れず(住所は特定されてる)となった。

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「炎上」はコンテンツにならない。愛とまでは言わないが、コンテンツには人を惹きつけてしまうような、憎しみ以外の「なにか」が必要である。

「炎上」とは対象が燃え尽きるまで燃やす破壊的なイベントであって、最終的にはぺんぺん草も残らない焦土と化して終わる。燃えている最中は面白いが、後夜祭が終わって日が明けるとそこには振り返って面白いと思えるものは何ら一切残っていない。まったく虚無的な集団ヒステリーである。

2018年までのSyamu_Gameはそうではなかった。

少なくともこのコンテンツに参加した人々のなかには、繰り返し振り返ってみたくなるような何かをSyamu_Gameに感じている人々が確かにいた。新規の動画がほとんど供給されなくなってから3年も4年も経過しているのにも関わらず、なぜSyamu_Gameはこうも尽きることのない好奇心を湧きあがらせてくるのか?そして、その好奇心とはいったいなんだったのか?

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僕たちがSyamu_Gameと出会ったのは本当に唐突で、まったくの偶然だった。

「明日」がやってくるまでに猶予された無気力な平日の夜の時間を出来る限り脳みそを働かせずに潰したいと思うぐらい毎日にすり減った僕たちは、今を時めくキャピキャピしたユーチューバーなんてものにはまったく疎くて、ヒカキンは知っていててもヒカキンが動画の冒頭でブンブンハローユーチューブなんて言ってることは知らないぐらい流行を追うことに疲れていて、子どものころにあれほど心を奪われたハリウッド映画も今となっては120分という長さが億劫になるほど好奇心が薄れていたから、そんな僕たちの乾いた感受性には何年も前から使い古されたホモビ男優のチープな造りのBB動画ぐらいがちょうど良かった。

そんな時に、何の前もぶれもなく出会ったのが、Syamu_Gameだった。

別に出会いたくはなかった。

もっと言うと、むしろいきなり出てこられて迷惑だった。邪魔だった。



なぜこんな人間の動画が転載されているのだろう?と今なら思うけど、当時は別段気にしなかった。乱射間と呼ばれる嵐がいて、愚にもつかない有象無象の動画を、ただ検索妨害するためだけに嫌がらせとして投稿するような行為がよくあったから。それに人の心を動かさない、何の価値もないゴミ以下の情報がそこらへんにばら撒かれているのがネットなのだと僕らも(ゼロ年代初めの無秩序空間を知っている人なら特に)考えていたから。Syamu_Gameもそういった、存在する価値もないのに存在している数多のネットデブリの一つにすぎないと、その時は思ってた。

でも、動画を見終わる頃には、何となくこの人の話し方になにか引っかかるものがあるなぁと、感じるようになった。

そしてそれから、Syamu_Gameの動画を色々と見るようになった。

当時はまだSyamu_Gameというコンテンツが形を整えていなかったから、本編動画も今ほど人がいなかったしコメントも少なかったので視聴は結構苦痛だったけど、いろんな動画を見るうちに、この人の何が僕たちを引っ張り込んでいるのかが、何となく分かってきた。

ああ、この人は、そもそも人間としてのスペックが欠けているのだ。

確かにSyamu_Gameは己惚れてるし自己中心的だし非常識だし傲慢だし性格も結構悪いしいつも逃げるための言い訳ばっかり探してるんだけど、そういった諸々を掻き分けて人間性の底の部分を確かめてみると、「そもそもマトモな性格を積むだけのスペックがコイツには足りてねえんだよ」という赤裸々な事実が浮かび上がってくる。

そう、いろいろと欠点はあるんだけども、そしてどうしてもそういった欠点に目が向いてしまいがちではあるんだけども、根本的にこの人は人生をうまく生きることができないって重大なハンディキャップを持っていて、全ての欠点がこれを起点にして四方に伸びているという事実を、僕たちは知っておかなきゃいけないんだと思う。

この人は、健常者としてもう一つ必要な何かを神様が積み忘れてしまったのだ。何をやってもどこか一つで絶対に失敗してしまうし、どんな世界線を生きたとしても結局無職に落ち着くしかない、どうしようもない生き辛さを抱え込んだ人なんだ。

だから、Syamu_Gameの持つ様々な人間的な欠点(汚点)には、不快さはあっても厭らしさがない。どうまともにまじめに生きてもそれは彼について回るものであって、それは計画的な犯罪ではけしてないのである。

思い出してみると僕たちが小学生や中学生だった頃、そんな奴がクラスに一人はいたはずだ。

皆とズレていて、皆と同じレベルのことができず、かといって特殊な長所があるわけでもなく、漫画から飛び出てきたような残念なキャラクター。「下には下がいる」理論の最底辺を担ってくれる自己犠牲の塊のような超完璧低スペック人間。10人中10人が安心して見下せる人間。それが、Syamu_Gameの本質だったのだ。

そんでもって僕たちは、子ども心にも、こういう類の同級生の後姿を見て、なんて神様は残酷な人間を作ってしまうのか、コイツの将来はどうなってしまうんだろう、マトモに生きていけるわけがない、どこかで詰むに決まってる、なんて憐憫の情と、それと同じくらいの好奇心を持ったりしていたはずである。

でも、僕たちのそんなほろ苦い好奇心が報われることはなかった。

トゥルーマンショーじゃあるまいし、他人の人生をつぶさに観察することなんかできないし、そいつがこれからどんな風に零落れていくかなんてことを確かめたいが為に友人関係を続けるほど、性根が捻じ曲がっているわけでもない。

所謂「ギリギリ健常者」に当てはまるような同級生の顔は何人が頭に浮かぶけど、アイツらがマトモな職に就けるわけがなくて、なんとか底辺大学には頑張って進学して、そこから運よく大卒資格を得て、そこまでは精々頑張れるだろうけどマトモな企業に就職なんててまず無理に決まってるから、今頃はバイトでフリーターか派遣でその日暮らしか、もっと他にあり得そうなのは社会に適合できない自分に絶望した挙句で親のすねをかじって座敷牢生活かのいずれかだろう・・・

なんてぐらいの想像はつくけども、そこから先はわからない。大人になったであろう彼らが今、どんな顔をしてどんな風に一日を過ごしているかなんてことは、僕たちには知る由もない。せわしない毎日を送る「社会人」な僕たちにとって、彼らの生活はまったく縁遠いものだからである。

***********

そんな失って久しい無邪気な好奇心を、いまさらになって満足させてくれる存在がSyamu_Gameだったのだ。

Syamu_Gameほど、自分の持っている「生き辛さ」を惜しげもなく、包み隠さず、恥も外聞もなく、最も原型に近い形で世間に公開した人間は、寡聞にして知らない。

Syamu_Gameの動画は、Syamu_Gameのような一般人の目に触れない「特殊な生き辛さを抱えた人」がどんな毎日を送っているのかという真実を、視聴者のもとにオーガニックな形で届けてくれる貴重な一次資料なのである。僕たちの隣で僕たちとは別の人生を生きる彼らの日常をつぶさに観察できる、下世話で不謹慎で、だからこそ刺激的な好奇の動画コンテンツ。それが、Syamu_Gameだった。

僕たちは、その深みに嵌っていった。

へぇ~、彼らは、こんな世界を見ていたのか。こんな日々を過ごしていたのか。こんな風に年をとっていくのか、中学生のころから何の進歩を経ずに三十路になるとこんな人間になるのか、あるいは、この手の人間は30年生きてもこの程度が関の山なんだな、まぁ、他人事だから笑えるな、という感じである。

それと共に、個人的に妙な安堵を憶えていたりもした。

確かにまぁ、30歳を超えて無職で自分が人気者の大物youtuberと勘違いしてるなんて、呆れて物も言えないし底抜けに馬鹿々々しいけど、でも、なかなか楽しそうな本人の姿を見ていると、それも悪くないんじゃないかと思えてしまう。ニートが数十万人もいると言われる現代日本を思えば、別段特に悲壮ってわけでもないし、世相を思えば今どき珍しくもない。むしろリビングで呑気にフリーのギャルゲーを実況できるような家庭環境を考えればむしろまだ幸せな部類に入る人間だろうか。

なによりも、あんなsyamuさんでも、のうのうと生きていけるという事実が、なんだかどこまでも長閑で能天気な感じがして、平和ではなかろうか。

syamuさんにもちゃんと収まるべき場所がある。それが貝塚合同宿舎の座敷牢だとしても、彼の日常が、「明日」が約束されている場所がちゃんとある。安心して寝て、安心してメシを食べて、安心してパルムをほお張れる場所が、ちゃんとある。

何の取り柄のない人間にも、涼しい顔をして平穏な毎日を過ごして許される場所が、この世にはちゃんとある。

それがとてつもなく、幸せなことのように思えてならない。

私が前に書いた記事「生きてるけどsyamuさんの人生には先が見えないジャアン…」というコメントがありました。

いやー、ほならね?

僕たちの人生の先は見えてるのかって話でしょ?

いま定職に就いてたり10代20代の学生だったりする僕や貴方たちは、単にsyamuさんが今日明日ぶつかる問題を10年後20年後に先延ばしできるだけに過ぎないのではないか。遅いか早いか、今か先かの違いしかないのであれば、僕や貴方たちとsyamuさんを隔てる壁は、実はそよ風に揺らぐカーテンぐらいの頼りないものなのかもしれないのだ。

そう思うと、僕はsyamuさんの選択が、決して間違ったことだとは考えられない。

いい加減はたらけ無職、と言う人がいる。働かない言い訳にyoutuberを利用するな、と言う人がいる。嫌なことから逃げることしか頭の中にない、なんて酷いことを言う人もいる。

でも、それはどうだろう?

バイトでもなんでもいいからとにかく働いて、日銭を稼いでマトモに真っ当に生きる行為が、本当に正しい選択なのだろうか?

それが「正しい」としても、それは「幸せ」と言えるだろうか?

Syamu_Gameのようなハンディキャップを持った人間が真面目に働いたとしても、真っ当な日々のなかで、むき出しの現実から自分の低スペックさを痛感させられるばかりで、ただただ傷ついて、押し寄せる劣等感に潰されそうになるだけではないのだろうか?

世間様の言う「真面目な人生」を送ったとしても、不幸になるしかない人種は確かにいる。

一日一日、自分は劣等人間なのだと思い知らされながら生きていく毎日が、本当に生きていると言えるのだろうか。

だとすれば、貝塚ネバーランドに引き篭もったsyamuさんの選択は、必ずしも「人生を誤った」とは言い切れないのではなかろうか。

彼のような人には、そうすることが一番幸せなのだとということを一体誰が否定できるのだろう?

syamuさんぐらいになると、貝塚合同宿舎の小さな小さな世界で、己惚れた裸の王様として人生を空費するぐらいが丁度いいのである。それが彼にとっては等身大の人生なのだ。

それで許してあげればよかったじゃないか。

月収1万の何が悪いのだ。syamuさんならそれで十分上出来じゃないか。

100万も200万も、稼ぐ必要はなかったじゃないか。馬鹿な裸の王様が、座敷牢でおままごとをしているだけでよかったじゃないか。外に連れ出す必要だってなかったじゃないか。ただじっと家のなかで過ごしているだけでもよかったじゃないか。

なぜそれで、許してあげられなかったのだ。

許してはならない理由が、本当にあったのだろうか?

(後編に続く)

コメント

星りん (著者)
No.53 (2019/03/17 23:18)
体感では2週間ぐらいしか経ってない気がするんだよなぁ・・・

光陰矢の如しだと思った
ばす
No.55 (2019/03/26 13:42)
人間って本当に嫌いなもの、不快なものは叩くんじゃなくて意識的・無意識的にせよ「無視(無いものとして扱う)」するんですよね
aiueo700とかカツドンがsyamuさんになれなかったのは何故なのか
なぜ延々とコメントでバカにしながらもsyamuさんの動画を見てしまう人がいるのか
この記事でそれが分かりました
ゲスト
No.56 (2019/10/22 01:43)
>なによりも、あんなsyamuさんでも、のうのうと生きていけるという事実が、なんだかどこまでも長閑で能天気な感じがして、平和ではなかろうか。

>syamuさんにもちゃんと収まるべき場所がある。それが貝塚合同宿舎の座敷牢だとしても、彼の日常が、「明日」が約束されている場所がちゃんとある。安心して寝て、安心してメシを食べて、安心してパルムをほお張れる場所が、ちゃんとある。

>何の取り柄のない人間にも、涼しい顔をして平穏な毎日を過ごして許される場所が、この世にはちゃんとある。

>それがとてつもなく、幸せなことのように思えてならない。

これは新約聖書マタイによる福音書の6章25~31節でのイエス・キリストの言葉と通じる部分がありますね。

※マタイによる福音書(口語訳)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#6:25
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