星りんのブロマガ

narrowhead兄貴への返信

2018/03/09 22:50 投稿

コメント:13

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  • 正義
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みと兄貴が一旦コメントを撤回したのは私の記事を真剣に読んでくれたという例だが、こういうのはなかなか今のネット上では稀でないか。

なんせ前に書いた通りネットというのは非常に主観的で自己中心的なもので、全世界の情報が自分に向かって服属する視点を楽しむために利用されることがほとんどだから、わざわざネットで他人の視点を理解しようと努力するような人は殊勝で、そういう人に自分の視点を考えてもらえた私は幸福です。

みと兄貴が本当に私の考えを理解してくれたのか、あるいは私が本当に自分の考えを適切に記事に出来ているかは確信が持てないけれども、少なくとも両者の考えがどこかで触れ合ったという実感はある。何度も書いてるが、ブロマガやっててよかったな~と思うのはこういう時です。

しかしまぁ・・・こういう悲しいことはわざわざ言いたくないが、こんな幸福な例は数少ないもので、どれだけ書いても理解されずに(あるいは理解しようともされずに)終わることがほとんどではあると思う。

そう言えばこの点についても前に記事を書いたと思うが、もう記事の数が70以上にもなるとごっちゃごちゃで探すのも億劫になる。自己満足のためのブロマガだしタイトルなんてテキトーでいいだろうという考えは、今になってみるととんでもなく不便な結果をもたらしてくれた。

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正義の「軸」はどこにあるのか?とnarrowhead兄貴が聞いてくれた。

そもそもその正義とは私個人の正義なのか、それとも抽象的な一般大衆的な意味での正義なのか?まぁ後者だとほとんど意味も無いし参考にもならないので前者ということにします。

生きていくうえで周りに合わせるのが馬鹿らしくなったのはいつ頃だろう?と言うと、働き始めて色々な人の人生観に触れ、そしてそれが自分に干渉し始めた頃からじゃないかと思うが、これは話し始めるとキリがないのでやめておく。とにかく「軸」を意識するようになったのは大人になってからだとだけ分かればいいや。ネットを始めたのはもっと前だけど、その頃は正義もへったくれもない動物だったのだと思う(今となっては2chの書き込み.txtも残ってないので、どんな動物だったかは確認できない)

「軸」となる部分は他人に対しても世間に対しても絶対に譲れない一線で、逆に言えばそれらから超然として独立している、自分の価値観の中心にある何かである。

なにをもって善悪を判断しているかと振り返ったらば、結局それは「感情」で、「感情」以外には有りえないと思う。どれだけ説得力のある通説だったとしても・・・たとえ東大教授の世界的に認められた権威ある通説だったとしても、自分がどれだけ考えても自分の感情がどこかに「胡散臭さ」を感じ取ってしまえば、それは自分の正義にもとるものと見做して信じないことにしている。よその権威もなにも知らない。なんであれ自分の感情がそれを認めるかどうか。自分は自分の感情至上主義である。

以前の記事で「感情論こそ正義の根源」だと書いたが、その考えは今も微動だにしていません。

このブロマガで延々と「理屈で正義を語る野郎は嫌いだ」と言っているのはその裏返しで、刑事事件の被害者の前で「法理論」を振りかざす澄ました顔の「専門家」とやらはまさしく私の敵である。そして敵であると淀みなく言い切ってしまえる時、自分の中に正義があると実感できるのです。

そういうことを言ってしまうとつまり、善き感情を持てるようになれば善き正義をを持つことができるわけだが、そう言う時、どこからか飛び出してくる「善き感情なんてどうやって判別するんだ!」という声に動揺しているうちは、「軸」というものは実感できないんじゃないだろうか?

他人の声を無視しないと自分の生きたいようには生きられないし、他人の声の指図に合わせていたら「世間様の常識」や「社訓」は身に付けられても自分に由来する「正義」は育たない。もっと言えば独り言だってつぶやけなくなるし、多分ブロマガもろくに書けなくなってしまうだろうし。

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トリニク兄貴が砂の女を薦めてくれたのでその日のうちに買ってきた。しかし文学的感性に乏しいので満足のいく感想が書けるかどうかは怪しい。可能であれば感想を書きたいが、ブロマガのコメント返信にさえほとんど失敗してるんですがそれは・・・

(了)

コメント

kaz
No.13 (2018/03/11 13:36)
>>11
星りんさん、ご返答ありがとうございます。
真人間や動物というものは、あくまで星りんさんが書かれた人間としての「質」のようなものを自分なりに解釈し分類したものであって、私自身はそのようなものは一切存在しないと思っております。
人はどんなに高尚なものでも野蛮なものでも人に違いありません。自分にとって理解できるかできないかで線引きできるほどの自信も、それを支える経験や知識も十分に自分に備わっているとは思えないからです。
kaz
No.14 (2018/03/11 13:51)
そして星りんさんの返答から新たにお聞きしたいことがあります。
星りんさんは悪を憎み人を憎まないと言いましたが、正義こそが人を人たらしめる要素であるとも言う。
正義が人を形作るとするのであれば、悪もまた人を形作る要素ではないのでしょうか。正義の対義語はもう一つの正義と言うのであれば、私は悪の類義語ももう一つの正義であるように思えるのです。
あなたが正義をもって人を人として認識するのであれば、相手の正義や悪を否定したとき、何をもって相手を人として認識しているのでしょうか。
mlb1221
No.15 (2018/03/11 19:42)
>>12
綺麗にまとまっていて素晴らしい! 自分もこんな風に整理できるようになりたいものです…。

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