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さらば、エプスタイン

2014/03/19 17:01 投稿

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  • 才気迸る
  • はいたーん☆(ゝω・)v

 俺は未だ一編も物語を仕上げたことのない自称小説家だった。

 こういう話はどうだ。 ブライアン・エプスタインと、とある小さなバーで酒を飲んだ日の話だ。
 
 その日も、話のネタでも見つけられないかとバーに足を運んだ。 つまらない女、つまらない男、つまらないマスターに、つまらない酒、そういったつまらないものこそが至高だとばかり思っていた。 小説を書くにはうってつけだ、とも思っていた。
 
 そして、いかにも安っぽい身なりをした俺は、自身が思ういっとう気取ったメキシコークを注文し1人で飲んでいた。 カウンターの隅っこでバーのマスターと愉しげに会話をヤッている女の声に耳を傾けながらも、 女の気をこちらに向かせる会話の1つも思いつかないまま時間が経った。

 女はトイレに立った。俺に見向きもしないで眼前を横切っていった。猫の目のような縁取りをした女の脚の曲線美。そいつを眺めながら俺は空になったグラスの側面についた水滴を親指で撫でるようにして拭った。
「綺麗な脚をしているね。豚足を箸でつついて以来だよ。そういった生々しい脚にお目にかかったのは」なんてことを考えていた。気の利いた台詞の1つも思いつかない。

 しばらくして、小奇麗な身なりの男がやってきて、俺の隣に座った。 名前をブライアンといった。 こんなにも空席があるのに、どうして俺の隣に座るんだ、と聞くと。 あまりに無粋だから、とのことだった。 そうして、巷で流行っているロックンロール・バンドの写真を俺に見せ、「こういった感じが今のトレンドだよ。 髪を降ろして、笑顔を振りまいて、会釈もきちんとする。 そして何より、女性を虜にする歌を唄わなきゃいけない。 メキシコークなんてダサいものを飲んでいるようじゃいけない。 カウンターの隅っこにいるパンピーですら君に振り向いてくれないよ」おせっかいのクソったれやろうめ、と思った。 口にはしなかったが、俺の態度で彼も察したのか、かぶりをふっておもむろにマスターに話しかけた。 「マスター、これをかけてくれ。」 彼はニッコリと笑って鞄から1枚のCDを取り出しマスターに渡した。
 
 ビートルズというバンドらしかった。 最高にイカしたバンドだ。 カウンターの隅っこの女もマスターも知っているらしかった。 俺は知らなかった。 こうしよう。 ビートルズに俺の書いた小説を聴かせてやろう。 安物のコンパクトディスクプレーヤーに俺の書いた小説「空っぽのサリー」の原稿を入れて、スタートボタンを押す。 きっとみんな仰け反るだろうよ。 これまで誰も聴いたことのない新しい音が、俺の小説には沢山詰まっている。 愛も夢も希望もカウンターの隅っこに座っている女の洋服も下着も。全部だ。 丸裸だ。 人の世の喜びの一切が詰まっている丸裸の物語だ。 そうして「空っぽのサリー」はコンパクトディスクプレーヤーに、くしゃくしゃに吸いこまれていく。
 
 俺も裸同然だった。 武器も持たず、抗うすべも身を守るすべも知らず、ただ呆然と自身の萎えた竿に右手を添えて「空っぽのサリー」が吸いこまれていく様子を目にしていた。 俺は、空っぽのサリーのことを書きたいんじゃない。 ありもしない女のことなんて考えたくない。 現実に愛する女性のことを書く。

 一切が夢のように感じることがあったとして、 果たしてそれは夢なのか。 現実。 我々は、少なくとも俺は、現実を愛するべきだ。 虚構の中で何を得ても、それは虚構。 「空っぽのサリー」そのもの。 サリーは口紅をもっていない。 下着も穿いていない。 考える頭も持っていないし、表情すら浮かんでこない。 爪先が冷えることもなければ、腹の音が鳴ることもない。 髪の毛を束ねることも、何を着ていくかで迷うこともない。 俺が空想に浸っている内は、なんとかなった。 サリーも生き永らえていた。 だが、サリーは吸いこまれていった。 エプスタインも、こいつはお手上げ、といった感じに吸い込まれていった。これでやっと俺も、からっぽとはおさらばだ。 目をつぶるな。空想に耽っている暇があるならば、それはつまり、暇ってこと。観音開きの目を開けて、俺は、愛に生きる。


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