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「久田将義責任編集 ニコ生タックルズマガジン」

日本で一番危ないWEBマガジンが創刊!
『実 話ナックルズ』『ダークサイドJAPAN』元編集長の久田将義が、インターネットを通して新たな「アウトローメディア」を始めました。その名も「久田将義 責任編集 ニコ生タックルズマガジン」。編集長の久田氏をはじめ、様々なアウトロー著者陣営がどの既存メディアでも露出できない記事をお届けします。(毎週金曜日に はその週のまとめ記事を配信)


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餅田もんじゃ 寄稿記事
『田島さんは帰れない』




 酒を覚えたての頃だ。サークルの飲み会でまんまと飲みすぎ、帰れなくなったことがある。友達の輪からはぐれ、一人になった私は二子玉川駅のホームで吐いた。途中で「このままうずくまっていると変な人だと思われる」と妙な強迫観念にとらわれ、極力普通の足取りでトイレに向かった。しかし吐き気はおさまらず、結果的にきびきび歩きながらマーライオンのように吐き続けることとなった。

 目の焦点を合わさず、吐しゃ物を噴き出しながらもしっかり歩く女。へたなゾンビよりも恐い。前の人並みがささっと分かれて、モーゼのような気分になったのを覚えている。

 この一件で学んだのは、「帰れる」ことは酔っぱらいの世界において1つの最低条件だということだ。なぜならば、その日危うく帰れなかった私は友達、家族に多大な心配をかけ、後日こっぴどく怒られたのである。外で酒を飲むのは自由。酔っぱらうのも自由。だが家には無事帰り着かねばならない。それが最低限の仁義だと思った。

 しかしどうやらそうでもないらしいと知ったのは、社会人になってからのことだ。世の中にはあの時の私同様、帰れない人が結構いる。それは会社員とて同じことだった。
中でも、役員の田島さんという人はすごかった。年の頃は50を回っていたが、圧倒的に帰れていなかった。

 田島さんの人となりを認識したのは、入社してすぐのパーティでのことだ。彼が酒好きだということは見てすぐにわかった。酒と名のつく液体を見る目が違う。眼鏡の端から覗く目尻にいっぱい皺を寄せて、グラスの際からいとおしそうに口をつける。ビールも、カクテルも、ワインも、日本酒も、本当に美味しそうに飲んだ。そして杯を重ねるたび、明らかにおかしくなっていった。まず肩が落ち、次にネクタイが背中にかかって、グラスを持つ手首の角度が面白くなる。同僚皆が揃ったパーティだというのに、酒を誰かに勧められることも、勧めることもなく、彼は一人淡々と酒へ溺れていった。

 最後の社長のスピーチの時だ。

「面白いっ!面白い面白いっ!面白いよーっ!」

 突然かかった声に振り返ると、そこには田島さんが一人優雅に寝そべっていた。床にである。もちろん手にはしっかり白ワインのグラスが握られている。会社の沿革を話しながら無難に締めに入る社長の話は何ひとつ面白くなかったが、田島さんにそんなことは関係ないらしかった。田島さんは、今や床を叩きながらヒエーッヒッヒッヒ!とおとぎ話の魔女のように爆笑している。誰がどこから見ても、社長より田島さんのほうが面白かった。

 その日彼は部下3人の手足によってタクシーの中に押し込められ、なんとか家に帰った。

 そんな第一印象から入ったものだから一体どんな人かと怯えていたのだけれど、お酒のない時の彼は非常に温厚な良い上司だった。頭は切れるし物腰も柔らか。だがお酒が入ると面倒という評判は定着していて、酒の席では皆彼のそばからいなくなる。絡む酔い方をする人ではないのだが、とにかく帰れないので、後々の面倒が大変なのだという。道端で寝る、酒場に泊まることはザラで、夜どこかに置いてきた眼鏡を探しに午前休を取ったこともあるそうだ。(ちなみに眼鏡は皇居の植え込みに落ちていたらしい)

 そんなわけで、田島さんはそこそこに面倒を見てくれる人が現れる全社員参加の飲み会が大好きだ。特に新年会は格別に好きらしく、ある年、彼の発案で鏡開きが行われることになった。会場内に運び込まれる樽酒を、孫を見るようなあたたかい目で見守る田島さん。不穏な気配はすでにあった。蓋が開かれるや否や、田島さんは真っ先に升を手にしてぐいっと酒を流し込む。私もその日はしこたま飲んだので、彼の様子を覚えているのはそこまでだ。

 翌朝、寝坊してギリギリに出社すると、社内は田島さんの話題で持ちきりだった。なんでも田島さんはあの後一人で飲み続け、夜遅く家ではなく会社に戻った。そしてフロア中の電気をつけっぱなしにして机の上で安らかに眠っていた現場を、朝出社した経理の人におさえられたのだという。田島さんは帰れないどころか、出社してしまったのだ。

 結果として、彼はその時担当していた職務の一部から解かれることになった。その原因が例の一件であることは明白だったが、社内では誰もそのことを口にしない。しかし慣例から、そういった人事異動があるときは社員の前で挨拶をしなければならないのだった。彼が一体何をどう説明するのか、皆大いに注目した。そしてその朝礼の日。全社員の視線が集まる中、彼が口にした言葉を私は一生忘れないだろう。

「お酒で失敗したので、責任を取ることになりました。すみません」

 田島さんは恥じらうように、はにかみながらそう告げた。そのあまりの率直さ、悲壮感のなさに私は感銘すら覚えた。社歴の長い社員は笑いをこらえて般若のような顔になっていたし、社長に至ってはこらえきれずに笑い出し、不気味になごやかな空気の中で朝礼は終わった。