清原氏は僕とタメ歳なので何となく、気にはなっていた。気になっていたとしても、テレビに出たり話題になったりすると、「あ、そういえばタメ歳だっけ」という程度のものだったが。
「気になっていた」程度だったのが「アレ? この人大丈夫」という風になり、具合が変わっていったのが、バリー・ボンズばりに両耳にダイアピアス、スキンヘッドになってからだった。
はっきり言って違和感を抱いた。その頃には鹿島さん、ご指摘の「番長キャラ」が定着しており、彼としては、打率、打点、ホームランのどの賞が取れず苛立っていたところに『フライデー』が「おう、わいや」から始まる秀逸な記事で清原氏を「番長」へと「プロデュース」していった。清原氏は「フライデー」によって救われた。救われたし、球界での立ち位置も確保できた。それは現役引退後も続いた。飯のタネが出来たとも言える。
もちろん、清原氏がプレイヤーとしてダメだという事ではない。何しろ、PL→西武ドラ一、新人王という、日本プロ野球界を背負って立つであろう逸材であった。何かのインタビューで同期の桑田真澄氏が答えていた。「PLに入った時、凄いやつがいるなと思った。彼には一生、野球で勝てないと思った。彼は世界一のバッターだと信じている」というような事を語っていた記憶がある(媒体を思い出せなくてすみません)。
実際、清原氏と一緒のグラウンドに立ち、プレーをしたら恐らくそのような感想を持つのだろう。PLからプロ野球へ、という時点でアスリートとしては超一流であると言える。
長嶋茂雄、王貞治に並ぶのではと期待されていたし、僕もそういうバッターになるのだろうなと思っていた。
が、そのイメージを覆す出来事が起こった。1989年9月23日ロッテ戦。しつような内角攻めで堪忍袋の緒が切れたのだろう。ロッテ平沼投手のデッドボールに、激高したはいいが、バットをマウンドに向かって投げつけた。これを威勢がいいととらえるか、どうか。
僕は「アレ? この人、殴りあいの喧嘩した事ないんじゃないか?」とふと思った。そして、マウンドに走ってのヒップアタック。平沼投手も一歩も引かず大乱闘。こりシーンはプロ野球乱闘シーンなどをテレビで放映する際、大体流れるほどだ。
プロ野球の乱闘シーンは数多くあれど、バットを投げた選手は初めて見た。肉体と肉体のぶつかりあいが怖かったのだと思った。イコール、喧嘩をした事がないのではと推測した訳である。もっと言えば、「男らしくないな」と「気が小さいのだな」と感じた。
それから年月がたち、さらに違和感を抱いたのがスキンヘッドになってからである。もうその頃には「武闘派」というイメージを武器に球界に君臨していた。
総合格闘技用のトレーニングを始めたのも、大きかっただろう。ステロイドの噂は常にあった。人間、格闘技の練習をやり、筋肉がつき始めると、どうしても「自分は強い」と錯覚してしまいがちである。まして、清原氏は実際、アスリートとしても前述したように一流だし、体格もでかい。強いと錯覚しない方がおかしい。周囲も自分を「コワモテ」と怖がってくれる。「俺、強いんじゃね」と思うだろう。
ファッションも酒の飲み方も豪快になっていく。それはそれで否定しない。プロ野球選手ともなれば、ヤンチャでいい。昭和のプロ野球選手の豪快さを見よ、と言いたい。しかし、タメ歳の清原氏のそれは痛かった。それはおそらく、社会人デビューに由来すると思う。
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