原発取材を始めたのは事故から半年経った去年の夏だった。作業員たちと接触を始めた時。
彼らは現在も福島第一原発(通称1F)に入り、あてのない復旧作業をしている。いわゆる原発の街での子たちである。警戒区域の相双地区生まれの彼らの自宅は、既に住める状況でなく家族もバラバラだ。まだ二十代の彼らの本音は『原発アウトロー青春白書』(ミリオン出版)にまとめてある。
事故から早くも二年弱。今も、そのいわき市や福島県相双地区に住んでいた20~40歳代の作業員たちと連絡を取っている。しかし、事故取材がままならないのも事実。悶々とした気持ちを抱いている。
この事故を論じるとき、「僕たちにとって」と「福島の人たちにとって」と両方から論じる事になるのだが、そこで必ず感情論が入ってくる。これに気をつけなければならない。そういう僕も他人の事を言えない。どうしても「福島の人にとって」を考えると、事故をネタにするような言論や記事を見ると怒りという感情が湧いてくるが、これはプロの書き手に対してだけで、ツイッターで一般の方に罵倒されてもそれは仕方ないと思う。
「福島の人にとって」とはどういう意味か。
12月末にジャーナリスト青木理さんとの共著『僕たちの時代』(毎日新聞社刊)を上梓した。http://books.mainichi.co.jp/2012/11/post-9dd5.html
そこでも青木さんと原発問題と3.11以降のメディアの問題について論じている。ここではあえて名前を出すが、とは言うものの彼自身の事はどうでもいいので仮に「上杉的現象」としておく。彼の事故直後の言論や原発事故の記事についてはもう論じるまでもないだろう。既に僕(ら)は一つの「現象」として冷静に捉えている。しかし、当初僕は感情的になっていた。「福島
の人たち」を思うのなら、あり得ない記事や言論を駆使していた「現象」に対してだ。「同じ出版業界にいる人間として」、到底受け入れる事が出来なかった。
なぜか。
僕はこの取材を通じて改めて痛感したが、書く側にとって必要なのは「当事者性」なのだという事だ。
この、当事者性が難しい。取材全般に言える点だ。事故、事件の被害者の身になって、つまり「当事者」の身になって考え、記事を書く。しかし、現実には当事者そのものにははなれない。
だけど、なるだけ当事者の心情に近づこうとする気持ちが取材者にとって重要なのではないか。
では福島第一原発事故についてもう一度、考えてみる。
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