「久田将義責任編集 ニコ生ナックルズマガジン」
日本で一番危ないWEBマガジンが創刊!
『実 話ナックルズ』『ダークサイドJAPAN』元編集長の久田将義が、インターネットを通して新たな「アウトローメディア」を始めました。その名も「久田将義 責任編集 ニコ生ナックルズマガジン」。編集長の久田氏をはじめ、様々なアウトロー著者陣営がどの既存メディアでも露出できない記事をお届けします。(毎週金曜日に はその週のまとめ記事を配信)
【写真追加】3月31日・在特会の新大久保デモに行ってきた
3月29日の深夜から朝方4時半近くまで行われた『ニコ生論壇 人狼ゲーム』に参加した疲れが取れないままhttp://live.nicovideo.jp/watch/lv129727470 日曜(昨日)に行われた新大久の在特会のデモ取材に行ってきた。知り合いと待ち合わせをしていたのだが、どうやらはぐれたらしく、仕方ないので大久保通りをぐるぐる歩いてみた。既に、赤い風船を持っている人たちがちらほら。
そのうちの一人に話しかけて大体のデモのコースを聞いておいた。在特会は大久保公園に集合していると言う。どうせなら、久しぶりに(8月15日以来)見に行っているか、という事で待ち合わせは諦めて大久保公園に行ってみた。
途中、ジャーナリスの安田浩一さんに偶然会ったのでご挨拶をする。
在特会とは彼らが出始めた頃に、ネット上でだが絡んでいる。僕が『実話ナックルズ』編集長時代だ。ユーチューブで在特会のセミナーらしき風景がUPされていた。元日本兵のご老人が「アジアは一つにならないと。中国も韓国も」というような趣旨を言ったら若造(と言っても三十代半ば?)らしき人間たちが詰め寄り「おじいさん、頭山満知ってる?」などとタメ口で話しかけているのを見て、僕は度を失いそうなほど怒りにからた。その他の動画、京都の朝鮮小学校で罵声(余りにも酷いので書きたくもない)を浴びせている光景も見たが、キレそうになるので止めた。
弱者いじめを見ると、綺麗事でなく反射的に「もうダメ」である。その場に自分がいたらと思うと、変な話だが空恐ろしくなる(こんな性格でよく編集長が6,7年近く務まってきたものだ)。
冷静になり、これは右翼にインタビューしてどう思うかを記事にする事にした。知り合ってから十五年近くなる一水会木村三浩代表に在日三世ライター李策君にインタビューしてもらった。大日本朱光会阿形会長には僕がインタビューした。
その後、『実話ナックルズ』のブログにちらほらと自ら「在特会シンパ」という人の書き込みが増え始めた。しつこいのである人間にロックオンして、やり取りを始めた。が、議論にならない。僕はヘイトスピーチに絞って質問を続けているのだが、それには答えずにいる。論争というのは、よくありがちだが、A、B、Cというテーマを混ぜてしまいかみ合わない場合が多々ある(Aに絞るならAのテーマで徹底的にしないと負ける。が、論破したからと言って真実が勝った側にあるとは限らないがそれは別の機会に)。
結局、業を煮やした僕が「分かりました。僕は本名も連絡先も全て晒している。あなたは晒さなくてもいい。ただ、誰も邪魔が入らない所で、男同士一対一で、顔を突き合わせて会いませんか」と持ちかけた。すると全く、書き込みがなくなってしまった。その他にもネット右翼だか在特会らしき人の書き込みもあったのだが、支離滅裂になってきた。
当時の部下に「ネット上ってこんなものですよ」と言われ矛を収めた。僕にはまだ、編集長の仕事があるので(芸能、事件、都市伝説などなど)消えてしまった彼らを追う暇はなかった。
そこからたまに在特会の動きは眺めていたのだが、原発や関東連合などの取材で動けなかった。しかし僕は編集者として現場に行く事を信条としているので、まして大久保とあらば近いので足を向ける事にした。
午後1時半頃。大久保公園には「チラホラ」と人がいた。「アレ? 少なくない?」が第一印象だ。もしかして、在特会ではないのかと思ったが日の丸を掲げている人々がいる。まだデモ開始まで三十分あるからかなと思い、スタートを待つ事にした。
約二時過ぎ。主催者の人間がメガフォンを持ってスピーチをし出した。僕の目当ては会長の桜井氏だったが、どうやら同日に日比谷でもデモを行っており、そちらに行っていると後ほど聞いた。
桜井氏の事は僕は、前述した四、五年くらい前から取材対象として興味を持っており、彼の本名、私書箱の住所のほか、メンバー数名の氏名、住所など把握していた。
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