「久田将義責任編集 ニコ生ナックルズマガジン」
日本で一番危ないWEBマガジンが創刊!
『実 話ナックルズ』『ダークサイドJAPAN』元編集長の久田将義が、インターネットを通して新たな「アウトローメディア」を始めました。その名も「久田将義 責任編集 ニコ生ナックルズマガジン」。編集長の久田氏をはじめ、様々なアウトロー著者陣営がどの既存メディアでも露出できない記事をお届けします。(毎週金曜日に はその週のまとめ記事を配信)
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2/27(水)21:00~
久田将義×吉田豪 延長!居酒屋ナックルズ2月号
藤木TDC 寄稿記事 「日本史」ははたして日本の歴史なのか、というタブー
正式には「日」の下に「舛」の「ノボル(◯)」だが、該当する俗字が文字化けするPCもあろうから、ご本人ご親族にはお詫びしつつ、正字の「昇」を使わせていただこう。今回のテーマは史学界最大の異端者・鹿島昇である。とはいっても何のことかと思われる方もおられようが、まずは歴史とは何か、という話から。
我々が一般に認識している「歴史」という学問は、我々が生きている時代の為政者が認めた形、またはそれが国家にとってもっとも都合の良い枠組みで教育され刷り込まれる。体制が変わると歴史の枠組みが転換してしまうのもよくある話で、日本の場合、戦前戦中までと戦後の歴史認識は部分的に変化しているし、近代になって体制が大変換した中国や北朝鮮は現政権が転覆すれば歴史そのものが完全に書き換えられる可能性が大だ。歴史とはそのように危ういものであるし、古文書などの史料でさえ客観的正当性がどこにあるか分からないのは、日本と周辺国の離島の領有権争いにおける各国の主張をみれば明らかだろう。それだけに古代史における国家の形は、国家体制がかくの通りであると認めたから学として成り立っているだけで、普遍的立脚点ははなはだ危ういものなのだ。そして、その危うさの上に、国家が認めない、主流とはなりえない異論僻説もまた流布し、「稗史」が生まれる。 これを前程に、日本はいつから日本だったのか、と考えてみよう。
日本史の根本史料とされるのは「日本書紀」であり、その成立は奈良時代と言われている。「日本書記」には神代、すなわち紀元前1世紀頃からの記述があるから、日本は神代にすでにその形があったのだと現在の義務教育課程では教えている。では紀元2世紀頃にあったといわれる邪馬台国というのは日本なのか日本ではないのか?という問いに、学校教科書は答えてくれないし、生徒も深くは考えない。一方で中国の史書に現れる「倭国」の記述は3世紀以降であるし、倭国=日本と結びつけていいかの疑問も残る。このような問いに義務教育課程が立ち向かおうとしないのは、日本人が日本人であることに疑いを持たれては困るという為政者側の事情があるからだ。ひとつの認識のほつれをきっかけに、歴史と国家の関係から虚飾がボロボロとはがれ落ちることはある。(といっても、じゃ自分は日本人ではありませんと今さら言いきれるかといえば、それも出来ないが…)
このような、日本はいつから日本なのかという問いに具体的かつ説得力ある仮説を投げかける一人として、筆者は鹿島昇という歴史家を挙げたい。 鹿島昇は1925年横浜生まれの在野史家であり、80年代に出版社・新國民社を設立して多くの歴史書を出版、2001年に物故している。彼の最大の主張は「日本書紀」は古代朝鮮の史書「桓檀古記」の書き写しであり、鹿島自身、古代朝鮮文字で書かれた「桓檀古記」を難渋の末に独力で翻訳し出版している。日本最古の史書が朝鮮史の書き写し?となればやおら色めきたち食ってかかる読者様も多かろうが、私自身も鹿島のすべてを強く支持しているわけではなく、そのような見方もできるであろう、と思っているのみだ。なにしろ歴史には絶対的証拠はないのである。
鹿島昇は「全訳・桓檀古記」のような専門史料から、一般向けの新書まで膨大な書籍を出しているが、もっとも基本的かつ読みやすいのは新國民社から82年に出版された、佐治芳彦・吾郷清彦との座談をまとめた「日本列島史抹殺の謎 教科書改竄」であろう。同書の冒頭では以下のような趣旨が語られている。 「『日本書紀』が歴史を偽造した、つまり偽書であることは、議論の余地がないくらいはっきりしています。そもそも卑弥呼の遣使のことを書いてないし、倭の五王の遣使も書いてない。(略)では『日本書紀』が100%空想の産物かというと、必ずしも送とも言えない。このテキストは、百済史の訳文が中心となっている、すなわち百済史、新羅史、安羅史を合成して大和に存在したように見せかけた合成文書でありあす」
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