ひらめさんの徒然話

No.022 古代ヤマト 埋葬地と祭祀地 ~その7~ 古代吉備の祭祀地と宇佐神宮

2018/01/31 22:00 投稿

  • タグ:
  • 日本古代史
  • 王墓山古墳
  • 吉備
  • 生田神社
  • 廣田神社
  • 岩屋神社
  • 明石
  • 神戸
  • ひらめさん
このブログはなるべく多くの人に読んでもらいたいので、ツイート拡散か、次のボタンをクリックしてランキング投票してください。よろしくお願いします。

原始・古墳時代ランキング
前回までのおさらい

前回から旧吉備国の領域において首長の埋葬地と祭祀地を探しています。

古代ヤマト国の王墓の特徴については、No.001 古代ヤマト 埋葬地と祭祀地 ~その1~ と No.014 古代ヤマト 王墓と夏至の日の出の方角 を参照してください。

前回では旧吉備国の領域の王墓は王墓山古墳もしくは軸線上にある未知の墳墓だろうというところまでで終わりました。(図1)

図1:王墓山古墳付近

今回はその王墓の東方で、かつ、当時の吉備国の支配領域東端となるであろう、当時の祭祀地を探したいと思います。


吉備国の支配領域東端はどこか?

図2、図3に北部九州と畿内の例を示しておきます。

真東、東端という表現を使っていますが、祭祀地の位置はアバウトなものです。

おそらく条件の合う地域周辺の風光明媚な場所になっていると思います。

図2:北部九州の埋葬地と祭祀地

図3:畿内の埋葬地と祭祀地

弥生時代後期の勢力範囲を考えるにあたって、また図4を思い出してみましょう。


図4:弥生時代後期の特徴ある出土物・遺構の分布

このような分布図も最近はいろいろな情報が更新されて見方が変わっているようですが、便利なのでこのまま説明します。

広形銅矛を特徴とする北九州の勢力(本シリーズでは古代ヤマト国と呼んでいます)が広島を中心とする勢力、さらには特殊器台を特徴とする古代吉備国の勢力を吸収して、吉備国の中心を拠点としたというのが、ここまでで想定される状況です。

2世紀末に出雲の銅鐸が消滅し、続いて3世紀中に近畿式銅鐸が消滅、箸墓古墳を画期とする古墳時代に続いていきますが、このあたりのイベントの前後関係はまた後でまとめたいと思います。

図4では吉備の勢力範囲は岡山と姫路の間を境界としています。

図上の各範囲はアバウトなものなので、領域=当時の勢力範囲ではないですが、播磨と紀伊では同じ射楯神への信仰があるなど間違いではないと思います。

ではこの時代の古代ヤマトの東端は岡山平野にあったのでしょうか?

岡山平野の東にあるもの


図5:王墓山古墳の東側

王墓山古墳の東側を探すと真東線上にちょうど通り山という山があったり、旧吉備国と播磨国の境界あたりに日生(ひなせ)という地名があったりと地名探しをしていると想像をかき立てる偶然があって楽しいです。(必然かもしれませんが)

それはさておき、筆者は見込みは得られているので作業をはしょって進めます。

播磨灘を飛び越えて対岸側には明石市そして神戸市があり、軸線上から少し離れて生田神社、廣田神社があります。

この二社は天照大神に関わる神社です。

でも軸線から離れている気もしますし、両社とも神功皇后による創建とされかなり時代が下ります。

ちょっとどのような由来があるのか詳しく見てみましょう。

生田神社(いくたじんじゃ)

祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと)で天照大神の幼名あるいは妹あるいは和魂

元社は三重県鳥羽市の伊射波神社(志摩国一宮)で、神功皇后帰還時神戸付近で嵐に遭った際に天照大神から神託を受けたため創建(神功皇后元年、日本書紀)。

つまり、ここも神功皇后伝承地です。

旧社地は砂山(いさごやま、現布引山、新神戸駅裏の山の上のこと)で延暦18年(西暦799年)の洪水により現在地に移転。

天照大神の別名は大日孁貴(おおひるめのむち)で、和魂(にぎたま)はその神格の穏やかな側面を指すので、穏やかで若々しいアマテラスのこと。

神社の経営を支える人民・農民を「神戸(かんべ)」と言うが、この生田神社の神戸が神戸(こうべ)の地名の由来。

図6:生田神社と旧社地

廣田神社(ひろたじんじゃ)

祭神:天照大神荒魂 (あまてらすおおみかみあらたま、伊勢神宮の荒祭宮と同一神)
脇殿神: 住吉三神、八幡神、建御名方神、高皇産霊尊

生田神社と同様、神功皇后帰還時神戸付近で嵐に遭った際に天照大神から神託を受けたため創建(神功皇后元年、日本書紀)。

ここも神功皇后伝承地です。

旧社地は甲山山麓の高隈原で、現在地は六軒町、五月が丘のあたりとされる。

荒魂はその神格の荒々しく猛々しい側面のこと。

図7:1900年前後の廣田神社周辺
※この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

図8:古地図の集落の位置から現廣田神社末社が旧社地と予想される

廣田神社と生田神社の延長線

これら廣田神社と生田神社の延長線上に明石と宇佐神宮があるのです。

この廣田神社ー宇佐神宮の直線では多少ズレがあって、廣田神社は現社地だとちょうど直線上なので、わかりやすさのため、すいませんがそちらで図示します。

図9:宇佐神宮ー廣田神社の位置関係

海上は等角コースでの測量は無理だと思うのですが、誤差が少ないのか補正する手法があったのでしょうか?

図10:神戸周辺の神社の位置関係

現廣田神社の社殿もちょうど宇佐神宮向きと90度真横を向いています。

社殿の向きについて決まりがあるのか、偶然なのか気になります。

長くなったのであとは次回にしたいと思います。


↓上でボタンを押されなかった方、ご協力お願いします。

原始・古墳時代ランキング

コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事