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【松本人志】枝分かれしやがて一致する思考の森【しんぼるR100】

2014/09/28 19:24 投稿

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  • 松本人志
  • しんぼる
  • R100
  • 思想



ほぼ毎日放送中という事でですね、どうぞみなさんよろしくお願いしますよと
言っておきますね。

さあさあ。

昨日とある人とお笑いの話(デフォ)となりーの、
松っちゃんの話になりーので。
そこで今まで知らなかった話を聞けたりしましたもんで、
あれ・・・おかしいぞ・・
なんだかな・・・怖いな・・・・
ぐらいの、稲川さんバリのじわじわくる感じで、
自分の中の松っちゃん像が更新されたような気がしたんです。

とりあえず最近の日課となっている大喜利のお題作りをサクっとビシっと済ませて、
R100としんぼるを観直してみることにしました。
何か今までとは違う発見があるかもしれない とね。


【R100】
まあおさらいとして大まかなストーリーですが、
妻が意識不明で何年も寝たきりとなっている男が、
そのような「受身」の苦しみから解放されるために、
「更なる受身」の世界へと足を踏み入れる。
受身でいることは苦しみでしかないが、更なる受身は多幸感を与えてくれる。
ようするに、 SMですわ。
果たして究極の受身の世界は何を救い、何を破壊するのか。

みたいな所で終わっていればよかったんですが、

という物語自体が全て100歳にもなる老監督の作った出来損ないの映画の話で、
途中その試写会で映画への批判を繰り広げるスタッフがでてきたり、急激な路線変更、それ自体が少し痛い老人であるということの暗示なんだろうけども、そんな老監督が作る映画ですからという前提での不条理が炸裂し、最後は老人自己満足END。

R100つまらん派の言い分としては、
・女王様のお仕置きが普通すぎでつまらん
・自分で自分の映画を批判するという聴衆からの逃げ
この辺が大きな批判の柱となるんじゃないだろうか。

特に二つ目の自己批判要素。これが大ブーイングだったんだろう。

思想的に解釈するなら、究極のSとMの関係は自己の内面で完結するものである
みたいなことなんだろう。
ようはノリ突っ込みこそ究極のSMであると。

ディスリワードの切り札的フレーズ「お前の中ではな!」的な。
そういう皮肉も効いているんだろう。

なんでもかんでも二元論で語りやがってと。
そういう皮肉もあるんだろう。

まあどんな意図があろうがなかろうが、
最終的にこの映画を観る者に、散々「松本の映画は面白くない」と言われた事への当て付けじゃねえかと、感じさせた時点で松本の負けなんじゃないか。

これが「つまらん派」言い分だと考えられる。


公開からだいぶ時間も経ち、今観直してみると、
面白い要素も目立つ。

松本扮する警察官への被害届提出のシーン。
「自分で望んで変態プレイしてくれと入会したが常識を超えた変態プレイだったので警察に訴える?そもそも変態プレイ自体が常識の範囲外やけどな!!」

という流れ。これは面白かった。
確かにwwwとも思ったし。

「リング上でのレスラーの暴力は暴力ではない」
というフレーズも好きだ。
これは完全に松っちゃんの思想だと思う。
なるほどこのスタンスでお笑いやってきたんだなと、
変に納得した。

とりあえず。
今観直してみると、そこまで酷い映画でもなかった。

【しんぼる】
宗教という大げさなくくりで考えずとも、日頃様々な場面で人は神に手を合わせる。
神とはありがたい存在。尊い存在。神とせず天皇としてもいい。法王としてもいい。
人は無条件で「神とは」の答えに荘厳な神聖を見出す。

会ったこともないのに。

主人公の神ちゃんが神として成長していく物語がしんぼるである。

しんぼるも散々酷評されてきたが、俺は最初から松本映画の最高傑作だと思ってきた。
「世界の全ての現象には偶然性が内包されている」
という数学的な神の定義というテーマも盛り込まれながら、
仏像にありがたがって手を合わせてるが、その向こう側、神なんてもんはこんなもんやで?
ちんちんいじった結果の偶然の産物やで?

だとしても手を合わせるならそれこそ信念。勝手にせえやと。

そういう皮肉もビシっと効いていた。
非常に思想的な映画だ。

故に様々は応用が利く。

無償の愛とは何か というテーマにもたどり着けるし
神=松本自身とすれば、
自身の思惑とは関係なく様々な影響を社会に与えながら、
頂点に登りつめた松本自身の未来とは というテーマにもたどり着ける。

最後にその答えを聴衆に投げかける終わり方もよかった。
全く逃げとは感じない構成力のおかげだろう。

俺の好きなシーンは寿司を食べるシーン。
あの食べ方。「・・・うん。・・・うんうんうん・・。うん・・・・」
醤油がないとやはりまずい。アレでも待てよ意外にイケる?んなことあるかいや。マズいわ。・・あでも食えんこともないな。ていうかなんでこんなに新鮮やねん。お、甘い。うまいうまいうまい。・・・・うまいかぁ?

映画としてもコメディとしても成立してるし面白かった。
それは公開時も今も変わらぬ感想だった。



昨日のお笑い仲間の四方山話。
その上で二つの映画を観直して新たに気づいたこと。

松本は未だ、自己否定をし続けている ということ。

松本ほど天才とか才能とかの言葉を独占してきた芸人さんはいないだろうが、
その実、実は松本は自身の才能に常に懐疑的。自身の人間性や内面に常に懐疑的。

松本のお笑いとは自己否定のお笑いなのではないか。
その危機感と「んなことあるかい!これ以上どう成功せえっちゅうねん!」
という自己肯定との織り成す矛盾。
二つの自己がぶつかり噴煙を巻き起こし、
そのモヤモヤした煙こそ松本イズムなのではないか。
それが何かは松本自身よくわかっていない。

まさに究極のSとMが自身の内面に渦巻いている。

もしかすると大日本人もさや侍も、
もう一度観直してみるとそのような要素があるかもしれない。

だとすればそれは大きなテーマにもなりえる。
そういうスタンスの映画監督として成功しえる。
チャップリンやキューブリックにもなりえる。


そんなことを感じました。

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