「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16章31節)
ありがちな問題ですが、家族が未信徒のクリスチャンの場合、一番の悩みというか試練は……
自分はイエス様を信じてるから天国へ行けるかもしれないけど信じていない家族は? 地獄へ行くの?(;; ということ。
どうしても家族も天の御国へ一緒に入りたいのでがんばって伝道するけど、そう簡単にはいかないものです。
以前は、「家族が行けないなら自分も地獄でいいや><」と思うこともありました。
たまたま知り合いが「信じなさい、そうすれば……家族も救われますって書いてあるから、安心した」というようなことを言っていました。家族の中で一人だけでもクリスチャンがいれば他のものは仏教徒だろうが一緒に天国へ行けると解釈されたようです。
まあ、できれば私もそう思いたいです^^;
が、そう解釈してしまうと、伝道の意味がなくなってしまいますし、
「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネによる福音書14章6節)
と大いに矛盾します。
「家族も救われます」というのは「信仰の継承」のことなんですね。
自分がイエス様を受け入れたら、家族に福音を宣べつたえ、家族ひとりひとりがイエス様を信じてこそ家族も救われるって意味になります。
現代では信教の自由、思想の自由があるから継承は難しいかもしれません。
でも、なんの疑いもなく代々ずっと仏教徒であった日本の風土や伝統から思えば、その長いルーツのどこかで誰かがクリスチャンになれば、次の世代にバトンを渡せるのでは?
家庭内暴力、会話のない夫婦や親子、お年寄りを邪魔もの扱い、愛されない子供たち、あるいは過保護で甘やかされた子供たちなど、そういった社会的な問題も、クリスチャンファミリーがどんどん増えれば良い方向に変わっていくでしょう。
で、信仰の継承は、もしも……
とりあえず家族に信仰の種をまいたからお祈りだけしてればいいよね、だって、聖書に「わたしのために家族を捨てるものは……」ってあるから丸投げして、家族の団欒より神様を優先すべきだもん! ってこと?
いえいえ、これでは本末転倒。神様は喜ばれないと思います。
もちろんお祈りも大事ですが、自分でするべきことはしなくちゃ。
家族を今以上に大事にすること。
温かい心のこもった言葉、一緒にすごす時間はかけがえのないものです。
今日から1日1回の「温かい一言」(ありがとう・美味しかったよ・お疲れさまなど)から始めてみませんか?
*:・。☆゚・・AMEN 。・:*:・゚'☆。