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なぜ伝道者はお手本になるべき?

2014/12/02 20:30 投稿

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愛・寛容」はクリスチャンだけでなく全ての人が持つべき資質ではないでしょうか?

聖書の教えで一番大事なところは、
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。これが大切な第一の戒めです」(マタイの福音書22章37節)

そして2つめが、
「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよという第二の戒めも、それと同じように大切です」(39節)

これはマルコもこう言ってます。「この2つよりも大事な戒めは他にありません」(マルコの福音書12章30節)

これは律法学者がイエス様に「どの戒めが一番大事か」と質問したときのお答えです。
「一番は?」と聞かれたのに、あえて2つを挙げられました。
なぜ2つだったのでしょうか?
それは、宗教というものは妄信、狂気、不寛容、敵対・・・争いのもとになるから。もしも、一番目の戒めだけを忠実に守ろうとすれば心は頑なになって排他的となる怖れがあります。
神様に従うあまり、目に覆いをかけられまっすぐ走る競走馬のように、周りが見えなくなったりもします。

主の御心はそうではなかったと思います。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」(ヨハネの手紙第一4章20節)

聖書は全体を通して御心を理解し、すべて聖書どおりに行うべきですが、いきなり全部は不可能です。学びの歩みは人それぞれ(・・)b

私が家族に伝道をしているときに母と口論になりました。よくありがちな仏教批判と「イエス様を信じなければ地獄いき」が原因で^^;
すると、母、激おこ・・・
人を不快にさせるのがクリスチャンならば私は絶対クリスチャンにならない!ヽ(`Д´)ノ

人の心の動きには必ずステップがあります。
伝道してるときに相手が見るのは全然知らない神様ではなく、「目の前にいる伝道者」です。

伝道者も含めて誰もが不完全な人間なのですが、最初は、「へぇ、クリスチャンってこういう人なんだぁ」と判断基準にされます。

だからお手本になるよう心がけなければならないのですね。
温かい言葉をもって、相手の気持ちを尊重し、相手の目線に合わせることなのです。
それは決して、自分の品位を貶めることにはなりません。

笑いをとる牧師や伝道者が苦手という人もいます。堅苦しいのが苦手という人もいます。
どちらも良いじゃないですか~(〃ω〃) ねー。
こうしろと押し付ける必要もないでしょう。

けれど。
人を嫌っている人は、嫌いな相手の良いところを見つけることは出来ません。
キリスト教の神様は「愛」です。
つまり、愛と寛容がなければ信仰も成立しないと思うのです。

で・・・・他人は変えられません。
だから、まず自分が変わるのです。
今日から

「また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。」テトス2章7節

*:・。☆゚・・AMEN 。・:*:・゚'☆。


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