ハッサン@武器商人志望の襤褸雑巾入れ

『14年5月19日更新』収まらなくなったノベゲのシナリオ置き場「初日~

2014/02/18 04:33 投稿

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冒頭

 記録は、記憶とは違う。記号によって記述され、誰が見てもそうであるという客観性を勝ちえた過去と、ある生命の脳や身体に刻まれた、その個体にしか分からない(ともすれば美化され、あるいは忘却の彼方に消えうる危うさを持った)思い出には、はっきりとした違いがある。

 ここで少し、思考実験を試みてみたい。

 世界自身には、記録を残しうる手段があるのか。我々が認識し、相互に共感しあえる事象こそ客観ならば、世界自身がおこす現象こそが、記録であり、記憶であろう。

 仮に、世界自身が意識を持っているとしたら、どうなのだろうか。

彼女は、あの頃、世界そのものだった。「彼女」という呼称すら、未だ当てはめるのは適当ではなかった。けれども、一時の“揺らぎ”が、世界を彼女たらしめ、そして彼女は、ゆっくりと目覚めようとしている。

その記憶を辿るとすれば。

街は、灰色であった。色を持ち始めたのは黒髪、五歳か六歳くらいの小さな女の子が、活発に跳ねまわっている。少女は、道路の方に向かって、何かを追いかけていく。

車が通る、大きくタイヤの擦れるような音がした。少女の母親らしき女性が、少女を抱き上げる。ヒステリックに叱りつけられ、少女はおびえた。けれども、その視線は母親の方ではなく、道路の方に向けられたまま動かない。

「私は知りたい」

それは、少女の胸に去来した想いだったか。誰かが呟いた言葉だったのか。それは今となっては、彼女にしか分からないことだろう。

初日

 

 ヒトミは、今日も書庫を開いていた。

 書庫といっても、前時代のように数百枚の紙に印刷してまとめ上げた本が特定の場所にある訳ではなく、すべてがUCN(アンコンシャス・クラウド・ネットワーク)上に存在するデータである。データならば、置いてあるものは、文学に限らず、音声録や映像なども在り様々だ。

しかし、書庫はほとんどが閉ざされている。誰もが、何もかもを、みることのできるものではない。市民階級によって、閲覧制限がかけられているのだ。ヒトミの階級は、このセクターで最底辺の黒である。そのクリアランスでは、精々、道徳教本か教条的な労働賛歌くらいしか観ることが出来ない。

 けれども、ヒトミは、そういったものを“こじ開ける”のが得意だった。

 ヒトミの目に浮かび上がる無数の暗号の列は、片端から処理されて消えていく。

 神経接続を通して脳から直接信号を送れる情報端末『伝心』を使って、瞬時に回答していく。

(よし、これで終わり)

――規定クリアランスを確認。要請を受領中……。

 緑の制限コードを1分もかからずに解錠できて、ヒトミは満足げだ。

『伝心』との神経接続は今日も良好。当然、頭痛も感じない。

「また書庫にハッキング? いけないんだぁ、そういうのやっちゃ」

 声をかけてきたのは、クラスメートのモエカだ。

ヒトミは、『伝心』から浮かぶウィンドウにタッチして、モエカの『伝心』に映像をリンクさせた。

「分かってるじゃない」

モエカは、机の上の自分の『伝心』が、反応しているのを見て、それを手に取った。

 やたらめったに豪華な劇判がかかり、黒々とした宇宙を背景に長々と旧世界の文字の羅列が、

(映画の説明 スターウォーズ? それよりもよい案があるかもしれない。実際の映画じゃなくて、架空の、暴力が切り離されたお涙ちょうだいのハートフルストーリー。ヒトミ達は絶賛しない。酷評する。外れ映画。他のキャラは好きだったりするかもしれない。)

午後の授業のチャイムが鳴り、端末の画面が切り替わる。

「あーあ、昼休み終わっちゃった。明日、また、続き観れる?」

「えっと、多分、違うのをみると思う。今晩、何観るか、決めてたとこだから」

「愛しのメアリちゃんと一緒に? アツいわねぇ、一度、あってみたいわ。ヒトミがこんなに夢中になるなんて、絶対、可愛い子なんだろうし」

「違うよ、全く、人を同性愛者みたいに言わないでくれるかなぁ。ただの幼馴染だよ」

「ただの幼馴染と一つ屋根の下で同居なんてするの? この間も、隣のクラスの男の子、フったそうじゃない。今年で何人目よ」

「えっと……十人…目…?」

「そんなに? それは、噂になるはずだわ」

「噂?」

「ヒトミが、女の子にしか興味ないんじゃないかって」

「それは、もうすぐ卒業して、このセクターから離れて生活しなくちゃいけなくなるのに、そんな事してる場合じゃないってだけの話だよ。それに私、恋愛とか良くわかんないし」

「カマトトぶっちゃってぇ、でもさぁ、」

次の句をせがもうとするが、優秀な市民は席についてくださいと、端末から音声が流れ始めたのを聞いて

「そろそろ講義ファイル開いてないと、減点くらっちゃうよ」

ヒトミは、質問攻めから逃れることができて、内心ほっとしながら、手際よく図書館への不正アクセス履歴を削除して、講義の準備に移った。そしてチャイムが鳴る。

ギリギリだったね、とモエカが、ヒトミに片眼をウインクさせて、合図を送っているのに困ったような笑顔を向ける。そして授業開始のチャイムと同時に椅子の肘かけから出て拘束具が腰にまわされる。教室の空気がだらけたものから一瞬で機械的で冷たい雰囲気に切り替わる。

条件反射教育を受けている彼女たちは、端末を机の上にある接続機につなげ、めまぐるしく画面から飛び出してくる情報を、頭の中にインプットしながら、目をぐるぐると動かしている。皆、無言のまま、コンピューターがデータをインストールするように、知識を読み込んでいくのだ。授業時間が終わるまでの間、そのまま、ずっとそうしているのである。

そして、放課後のチャイムが鳴り、少女たちは、解凍されたように人間味を取り戻す。

「ねぇねえ、さっきの映画? だっけ? もう一回観たい」

ヒトミが、鞄の中に端末をしまっていると、モエカは話しかけてくる。

「気に入ったの?」

ヒトミが言うと、モエカは、目をキラキラさせながら、頷く。

「でも、残念。さっきサーバーの履歴を消したから、もう一度観ようとすると、デコイのアドレスを作るところから始めなきゃ。それには、時間かかっちゃうし、人も待たせちゃってるから、今日はごめんね」

 断って席を立つ。

「じゃ、せめてさぁ別れるまで一緒にかえるだけでも」

モエカが言い欠けた、その時。

「こんなところに居たのね。この泥棒猫」

高圧的で聞きわけがない声だ。よく手入れされた長い金髪をくるりと巻いて、その相貌に輝く黒い瞳が印象的な子である。

「誰?」

ヒトミがとぼけた調子で言うと

「隣のクラスのソーニャって、奴よ。」

モエカが、耳打ちしてくる。

取り巻きの一人「何? あなた、ソーニャ様の事も知らないの? これだから庶民は」

ソーニャと言われた少女の後ろから、取り巻きが二,三人、一人はしくしくと泣いており、それをもう一人が、どうどうと慰めている。そして、今、発言したのは怒った顔の女の子だ。

ソーニャ「いいのよ、ブシザワ。“黒”なんかに覚えられたところで、ワタクシには関わりのないことだもの」

 ヒトミは、突然やってきた光景にあっけにとられていたが、モエカが

「“青”の皆さまが“黒”のクラスに何の用? 私たち、これから帰るところなんだけれど」

としっかり怒ってくれるのを見て、ああ、私に用事なのかと気がついた。

ソーニャ「鈍いわね、わざわざ、このワタクシが、説明しなくちゃあいけないなんてね。そこの泥棒猫が、サカキ君を誑かしたことに決まってるじゃない」

ソーニャは、ギロリとヒトミを睨みつける。

「サカキって、誰だっけ?」

ヒトミが、本当にうーんと、頭を抱え始めると

「この前、あんたがフった人でしょ。忘れちゃったの?」

モエカに、呆れられてしまう。

「でもさぁ、突然、下駄箱の前にやってきて、好きです、なんて言われてもなぁ、名前なんて覚えられないよ」

ヒトミは、思ったことをそのまま口にしてしまったのだが、それが拙かった。ソーニャの後ろで泣いている子が、わっと、さらに声をあげて泣き出したのだ。

「あなたねぇ、いい加減になさいよ。おかげで、キリシマが、こんなに悲しんでいるじゃない。私の下僕を泣かせた罪は重いわよ」

とソーニャは声をすごませる。

「だから、なんで」

ヒトミが、言いかけるとモエカが、ははーん、と何かを察して

「そのサカキ君のことを、キリシマって子が、好きだったってことじゃない?」

と状況を説明してくれる。キリシマと呼ばれた泣き虫は、またまた、わっと、泣いた。そばで、もう一人の女の子が慰めてくれている。

ブシザワ「そうよ、キリシマとサカキ君は順調だったのよ。そこをあんたが横から入ってきて、サカキ君を誘惑したって言ってるのよ」

「えっ、そうなの?」

とヒトミが言うと

「いや違うでしょ」

とモエカが、訂正してくれる。

「あのとき、初めて会ったって、さっき言ってたでしょ、あんた」

「ああ、そうだね」

とヒトミは困ったように、癖っ毛をいじった。どうも、説明というのは苦手だ。

ソーニャ「なんでよ! “黒”のあなたなんかが、“青”のサカキ君に見初められるはずが、ないじゃない。色仕掛けか、何かでもしたに決まってるわよ! 」

ソーニャは、ヒステリックにわめきだす

「あんた、ヒトミのこの格好見て、モノ言ってるの? 」

とモエカがヒトミのボーイッシュな格好を指さした。ヒトミは、女性だが、男物の支給服を好んで着る。学生身分に政府から支給される男性服は、学生用ジャケットにズボン、彼女の階級は、“黒”であるから、黒を基調とした服装である。ヒトミは、ジャケットの襟をたてなおした。

ソーニャ「それは……、そういう格好が、好きな男性だっているだろうし……。そうよ! あなたが、サカキ君の好みに合わせて、こんな恰好をし始めたに、きまってるわよ」

少し勢いを失くしたが、思いついたら再び火がつき始めた。

けれども

「入学してからずっとこの格好なんだけど」

とヒトミが、その火に水をかけて

「ズボンなんか、履いてるなんて、女子、他に居ないわよねぇ、いくら、学校側に規定がないとはいえ」

となぜか、誇らしげにモエカが言う。

「だーっ、もう知らないわよ。とにかく、あなたがサカキ君を誘惑したから、キリシマが泣いちゃってるのよ! ワタクシの、可愛い、可愛い下僕が。だから、こんな黒の連中のクラスまで、やってきてるんじゃないの。吸いたくも無いわ、あんた達と同じ空気なんか」

いい加減、腹が立ってきたのか、ヒトミは怒って

「さっきから、君たち“黒”とか“青”とか言ってるけど、私たち、まだ階級分けもされてない学生でしょ。しかも、私たちと同じ学校に居る時点でさ。同じくらいのレベルだって、判断されたから、ここに居るんじゃないの?」

 といって、スタスタと鞄を持って、教室を出ていく。その後を

「待ってよぉ、ヒトミ~」

とモエカは、追いかけていった。

「あぁー、もう、傑作。ひさしぶりに、スカッとしたわ。さっすが、ヒトミ王子」

とケラケラと笑いながら、モエカが言った。

「ちょっと、大人げなかったかなぁ」

ヒトミは、申し訳なさそうに、癖っ毛を少しいじっている。

「いいのよ、あいつら親が、あたしらより、ちょっと階級が上だからって、いつも偉そうにしてるじゃない。卒業したら、みんな“赤”か、良かったとしても、その上の“橙”なのにね。卒業した途端に、偉くなれるわけでもないのにさ。良いお灸よ」

「だったとしても、やっぱりさぁ。同じ学校の仲間じゃないか。邪険にするのって、良くないよ」

「それを、あんたが言うの」

モエカが呆れ

「え? なんか言った?」

「別にィ」

モエカはスタスタと先に行く。

「ここの歩道橋、私、右だから。ここでお別れねって、そういえば、時間、大丈夫なの? 人待たせてるって、言ってたけど……」

「あっ、そういえば、そうだった! ごめん、モエカ、また明日ね」

ヒトミは、走って、歩道橋の階段を駆け上がり、真っ直ぐ突っ切っていく。

「階段、気をつけなさいよ~」

ヒトミは、遠ざかる声に手を振って、駆け下りていった。

歩道橋を超えた先の道を、道なりに少し進むと、五番街の、建築様式が整っていない煩雑な街並みが見える。そこにある、広場の噴水前で待ち合わせと、朝、約束していたことを思い出し、向かっていく。

「どこだろ、メアリ」

ヒトミは、キョロキョロと、あたりを見回す。五番街は、大規制のまえに建てられたヒトミ達の住む、セクターの中でもかなり古い地区である。他の地区では、大規制の時にセクター内の都市計画に沿って、一様に簡素なガラス張りの高層建築へと、新たに建て代えられていったそうなのだが、地盤が比較的にもろい層にあったらしく、下手に工事をとり行うと他の地区にも影響を及ぼしかねないと、事前の調査で判明し、あえなく中止になったのだという。ともかく、現在では珍しくなった景色は、二人のお気に入りの場所なのであった。

「あ、良い臭い」

何の気なしに、香ばしい珈琲の匂いに釣られて、喫茶店のテラスの方に目線を移すと、シックで上品なブラウスが良く似合う、白い髪のヒトミより一回り背の低い少女が、優雅に珈琲を楽しんでいた。ヒトミは、小走りで少女の所に向かった。

「待たせちゃって、ごめんね」

ヒトミは、申し訳ないと、手を合わせて謝罪した。

「良いんです。おかげで、良いお店が見つかりましたから」

と言って、メアリは微笑んだ。ヒトミは、カップの中身が、まだあるのを確認したら

「座ってもいいかな。私も飲みたくなってきちゃった」

ヒトミは、椅子を机から引き出して座り、ウェイターらしき男性を呼んだ。

「ご注文は」

「えっと、何がいいかな……。メアリは、何を頼んだの」

ヒトミは、メニューを開いた。ヒトミ達の使っている世界共通語では、書かれていなかったので、チンプンカンプンだ。

「カプチーノ・コン・カカオ」

「じゃ、それで」

「サイズは、いかがいたしますか」

「え、えっと、少ない方で」

ヒトミが言うと

「ショートですか、かしこまりました」

店員は、店の中に入っていった。

「なんだか、こういう店来るの久しぶりだから、緊張しちゃって」

あはは、と乾いた笑い声が出ながら、メアリの方をみる。

「前は、ヒトミの方から行きたいって言ったのに、可笑しな人」

ふふふ、と柔らかな笑みをヒトミに向ける。

「そうだっけ? でも、やっぱり、私よりメアリの方が、こういう店似合うなぁ。なんだか不釣り合いな気がしちゃうよ」

ヒトミは、自分とメアリを見比べる。他の地区では、ガラス張りの高層建築の風景の中に自分のような政府から支給された服を着て、歩いているのがしっくりくると思う。だが、五番街の様な場所だと、旧世界の衣服を着ているのが、やっぱり似合ってしまうのだ。

「でも、ここに居る人たちは、みんなヒトミと同じような服を着ていますよ。気にしすぎです」

「そうかなぁ」

「そうです」

 ヒトミは、不承不承な風に癖っ毛をいじった。

「失礼します。ご注文のカプチーノ・コン・カカオ・ショートでございます」

と割って入ってきたのは、先ほどのウェイターだ。ウェイターは、ヒトミの前に珈琲と伝票を差し出し、また、店の中に入って行った。カップの中から、香ばしさとココアの甘い香りが広がる。

「ああ、この匂いだったのか」

「良い香りですよね」

「そうそう、思わず釣られちゃった。メアリが飲んでるんだもん。

……うん。おいしい、なんだか、少し、甘い味がするね、でも砂糖とは違う」

「それは、ココアが入っているからでしょう。ヒトミは、苦いのは苦手でしたよね」

「そうそう、なるほど、ココアねぇ……。って、これいくらするの!? 思わず、勢いで頼んじゃったけど」

ヒトミは、伏せられていた伝票をチラッと見る。

「げげ、けっこうするなぁ。今日の夕飯はちょっと抑えよう……」

げっそりしながら、残りの珈琲を味わった。

―――――――――。

――――――。

――――。

「じゃあ、行こうか。映画、いつ始まるんだっけ」

「あと少しで開場です。近くですけど急いだ方がいいですね」

と会計を済ませてから二人は映画館に向かう。

(五番街 シアター)

二人は、五番街の中でも、ひときわ古いレンガ建ての建物前までやってきた。そして、その中に入っていく。

扉をあけると、無愛想な顔の老女が、カウンターに座っているのが見えた。老女は、ヒトミをしげしげと見つめると、

「何のようだい。ウチは骨董屋だよ。あんた達が買える様なものは、何も置いてないよ」

と低い声で言う。

「ボニーとクライドに会いに来たの」

とヒトミが怖じけずにいうと、老婆は目を丸くした。

「ずいぶんと若いのに、よくも、まあ、そんな……。良いよ、入んな、つきあたりを右に入った階段を下りたら、そこさ」

老婆は少しだけ、口元の皺を深くして、親指でカウンターの裏を指した。

「ありがとう」

ヒトミが言うと、メアリもそれに合わせて、お辞儀をする。カウンターの裏に通され、薄暗い雑居ビルの隙間に出る。そこを言われた通りに進むと、マンホールのふたが開いているのが見えた。

「ここですね」

「足元、気をつけて。私が先に入るよ」

 マンホールを覗くと、ほんの少しだけ、明かりが見える。降りると、一本の通路になっており、そこを真っ直ぐ行けば劇場である。

「ああ、もう始まってる」

 スクリーンには、もうすでに映像が映し出されていた。別の映画の予告編が流れている。

「どうせなら、前の方に座ろう。ほとんど、貸し切りみたいだけどさ」

「そうですね、そうしましょうか」

と二人は並んで席に座った。

 やがて、スクリーンの映像が切り替わり、旧世界でいうところの銀行泥棒たちが、陽気に暴れまわる物語が始まった。最初は、楽しく強盗をしていた主人公たちであったが、ふとしたことで人を殺してしまい、計画が段々と狂っていく。そして最後は、警官に銃で撃たれて蜂の巣にされてしまう……。

「中々、面白い映画だったね」

「そうでしょう、おすすめなんです」

「まあでも、あの後、留置所でたっぷり、お叱りを受けたんだろうな。全く、ドジを踏むからこうなるのさ」

「ヒトミは、ちゃんとやれるの」

「勿論。私なら、きちんと痕跡は残さないし。まあ、あんなに大きなことはしないんだけどさ」

と言って、癖っ毛を弄る。

「お終いだよ。さっさと帰っとくれ」

後ろを振り返ると、先ほどの老婆が箒をもって、扉の前に来ていた。

今日はありがとうと言って、二人は出ていく。

(五番街)

外に出ると、空はもう暗くなっていた。遅くなるといけないので、五番街の駅から電車に乗って、二人は帰ることにする。

すし詰めの車内に乗って、二人は、最寄りの駅まで戻った。

電車から一気に、人が吐き出され、その合間を競うように人が乗り込んでいく。先頭の方の青以上の階級が乗れる車両は、人がまばらなのに、と人の波に流されながら、ヒトミは思った。

(7番街駅前)

「やっぱり、電車はきついね……。さすがに、放課後に観に行くのは、強行軍過ぎたかなぁ」

とヒトミは、げっそりしながら、メアリに愚痴を言った。

「良いじゃないですか。苦労する価値があったと思いますよ」

けれども、メアリはけろっとしていた。

「なんていうか、私より動じないよね、メアリって。そういうところ尊敬するよ」

「そうですか」

メアリは、とぼけた顔をして少し考えた後、

「ありがとうございます」

と晴れやかな笑顔になった。

(7番街大通り)

大通りは、帰りの人でごった返していた。車道にまで、人があふれかえるほどだ。はぐれないように、メアリとヒトミは手をつなぎ、あるいていく。

「人込み、人込み、人込みだね。五番街が、天国に覚えてくるや」

「あちらは、あんまり人が近寄りたがりませんものね。ヒトミみたいな、アンティーク好きはそういないですし」

「でもさ、最近、そういうのに興味持ってくれる友達できたんだ。モエカって言うんだけど」

「あら、珍しい。あんまり、友人なんて作ろうとしないのに」

「それは、まあ。変な噂、たってるみたいだし……」

ヒトミは語尾を濁した。

「聞こえないです」

「何でもないよ」

「やっぱり、ヒトミは可笑しな人ですね」

後ろに居たから見えなかったが、メアリはきっと笑顔なんだろうとヒトミは思った。

その時である。

タイヤが、切りつけるような音がした。人の流れが急に変わり、メアリをつないでいた手が離れてしまったのに気づいて、ヒトミが振り返ろうとした。だが彼女は、強い何かに撃ちつけられ彼女の視界は、天地が逆さまに反転した。

――あれ、私、空を舞ってる

ふと、そんな、のんきな考えが浮かんだ。けれども、浮遊感を感じたのは、一瞬で、地面に叩きつけられたヒトミは、そのまま意識を失ってしまった。

(回想)

 灰色の景色が見えた。シーソー、ブランコ、滑り台、ジャングルジム、子供たちははしゃぎまわって遊んでいる。それを遠巻きにみながら、黒色の服を着た二人の女性が話をしている。

「来月から、ここ、取り壊しですって」

「子供達をどこで、遊ばせましょうか」

「養育期間が終われば、漸く、仕事に戻れるというのに」

「家で面倒を見ないといけないのは、面倒ね」

 少女が、一人、駆け寄ってくる。

「お母さん、これ見て、これ」

「なんですか、これは」

話しかけられた女性は、面倒くさそうに目線を少女の方に向ける。少女は、手に持った綿毛の生えた植物を見せて、ふっと息を吹きかけた。綿毛が茎から離れて、辺りにふわっと広がった。

女性二人は、ぎょっとして、後ずさった。そして、頭に血を昇らせて

「服についてしまうでしょう! ああ、服が汚れてしまう。今すぐ落とさないと……。なんてことをするの! 」

と言った。

「でも、あの子は喜んでくれたよ? 飛び跳ねて、とりに行こうとするんだ。でも、届きそうにないから、一本あげたんだけど」

少女は、とぼけた顔をした。

「誰ですか。そんな幼年学級にも入っていないとはいえ、清潔であれという市民の義務も分からない子は……。もう! また、ついてしまった」

そういいながら、服についてしまった綿毛を執拗に取り除いていく。

そんなやり取りをしているうちに、隣に居た女性は、いつの間にか離れていた。服についた綿毛を取り終えて、冷静さを取り戻したのか、母親よりは、落ち着いた声で

「あら、やだ。うちの子じゃないかしら。ちょっと、探してきますね」

と言って、立ち去ってしまう。

「恥をかいたじゃないの! あなたは、本当に訳のわからない子ね! もう、早く帰るわよ」

母親は、少女の手を乱暴につかんで公園を出て行った。

少女は、帰り際、公園の遊具の方を見て、手を振った。

「またね、メアリ」

――冷凍治療完了 ファミリーナンバー Ir141421

「ここ、どこ……?」

 目が覚めるとヒトミは、カプセルベッドの中にいた。カプセルのガラスが、ゆっくりと開き、背中のシートが持ち上がり、身体が起き上がった。あたりを見回すと、これと言った明かりも無いのにまっ白な部屋にヒトミが今まで入っていたものと同じカプセルが、環状に並んでいるのが見える。

「お目覚めかね。Ir- 141421」

声と共に、白い部屋にぽっかり横穴が開いたように扉が開かれて、二人組の赤と青い服を着た男性が現れた。赤い服を着た方は、背が高くひょろっとした若い男、もう一人の青い服を着たのは、その男よりは体格が一回りくらい大きく目つきが鋭い中年であった。

「ははぁ、メディカルセンターって、こんなになってるんですねぇ」

と、若い男が物珍しそうに白い部屋中を見回している。

「別に珍しくも無いだろう。ただの治療室だ。それにそんなことをしなくてもいくらでも世話になる機会はあるだろうさ」

「にしたって、学校で習いはしましたけど。こんなところで本当に治るんですねぇ」

「お前はよくそんなことで、赤になれたものだな……」

「いやぁ、適性テストギリギリでしたよ」

髪をポリポリと掻きながら、赤い服を着た部下らしき男は笑っていた。

「それにしても、“黒”と取り調べとはいえ言葉を交わさねばならんとはな……」

青い服を着た男はヒトミの方に目線を戻した。

「今は黒ですけど、どうなるかわかりませんよ。まだ学生ですから」

ヒトミが声をあげると

「えっ。君、女の子だったのか。はー、変わった子もいるもんだなぁ。これ男子制服?」

 つかつかと部下らしき男はヒトミに近づいて無遠慮にヒトミの服の袖口を触った。

「気安く触らないで。」

ヒトミは混乱して、腕を胸の内に抱いた。

「ああ、ゴメンゴメン。人と人の間の距離感が、未だにつかめなくってさ」

 謝罪の弁を述べてはいたが、あっけらかんとした笑顔からは、全く誠意が感じられない。

ヒトミは面を喰らっていたが、ふと言葉を投げかけた。

「で、あなた達、誰? それとここどこ? 」

――――――。

――――。

「僕がアラマキ、でこちらが、上司の」

「エノシマだ。貴様等の様な底辺市民に、名は名乗りたくはなかったがな。まあ、ドジのアラマキに言わせるのも癪だ。ありがたく覚えておけ」

エノシマと名乗った男は、ふんぞり返って、アラマキの横から割って入った。

「僕たちは、ここのセクターの市民監督署の捜査官で、ここは、メディカルセンターのカプセルルーム、ですよね? エノシマさん」

「そうだ。質問には答えたぞ。さあ、こちらの質問に答えてもらおうか。」

「はいはい……。で、じゃあ先ずは、なんでここに君は……えっと、Ir-14……5?」

「Ir-141421だ」

 エノシマは、部下の間違いを訂正するが、

「ヒトミです。ファミリーナンバーなんかで呼ばないで」

ヒトミは、嫌な顔をする。

「じゃあ、ヒトミちゃん。君はなんでここに居るか分かるかい。思い出せる範囲でいいから」

アラマキは、柔和な笑みを浮かべて、ヒトミを落ち着かせようとした。

「えっと……。帰り道に駅から降りて、七番街の大通りを、友達と一緒に手をつないで、歩いていたんです。日も暮れてきていましたから、人がごった返していて、人込みに流されないように、手をつないで歩いていたんですけど……。突然、タイヤが擦り切れる様な音がして、どうしたんだろうって、後ろを振り返ろうとしたら、何かにぶつかって、気が付いたらここに」

 二人はメモを取っていたが、エノシマがアラマキを肘でつついて、話を続けさせるように合図を送った。

「もう、自分で言えばいいじゃないですか」

アラマキは文句を言うが、ヒトミの方に向き直る。

「あぁ、ぶつかった時に何か見えた?」

「えっと、ぶつかった時に宙を舞ったみたいで、その時にチラッと黒くておおきな何かが、見えた様な……」

「それは車じゃなくて?」

「車って、感じはしなかったです。なんて言うか……。筒、みたいなものが、あっちこっちに伸びてて、前に板がついていたような、例えば……そう清掃用ロボット!」

「清掃用ロボットが、人を吹き飛ばせるほどの出力を持つ訳がなかろう。これだから、低能の黒は」

エノシマは怪訝な顔をして頭ごなしに否定する。

「いや、でも、モーターに細工すれば、そのくらいの出力は出せるかもしれないですよ。結構重たいものも回収してるじゃないですか、あのロボット」

アラマキは納得が言った様子だ。それを見たエノシマが不機嫌そうに説明する。

「細工なんていつできるというんだ。あれは、清掃局の無人巡回車がずっと市内を回りながら散布、回収しているものだぞ。それも年中休まず、朝も昼も夜中までだ。局の連中ですら年明けに点検するくらいなのに、いつ、そんなことができるというんだ」

「いや、それだけ管理が行き届いてないってことじゃあないの」

ヒトミは、思わず口をついて指摘してしまった。セクターの情報系統には、並の一般人よりは自信があるつもりだ。

「何? 中央の管理が行き届いていないなどありえないことだぞ。全てがオートメーション化されているし、何か異常があれば、すぐに、中央に知らせられるはずなんだからな」

エノシマがギロリとヒトミを睨んだ。それでも怖じけずにヒトミは

「だったら、ウイルスでも送りこまれて、伝令系統が麻痺してたとか、そんなとこじゃないの」

「はぁ……。これだから賤民は。そのくらい中央は、予測している。そのための、完全防備のファイアーウォールくらい完備しているに決まっているだろう」

「ていうか、なんで私にぶつかったものが何だったにせよ。現場に何か証拠は残っていなかったの」

「質問はこっちがしている。貴様が知る必要などないだろう」

「まあまあ、エノシマさん。落ち着いて、この子だって急に巻き込まれて気づいたらカプセルのなかなんて、気が動転しているに決まっているじゃないですか。

君が言うとおり、現場には血痕と大量の重傷者あとタイヤの跡くらいしか残されていなかった。あの時間は、そもそも歩行者天国だしね。車なんて普通通りはしない。タイヤの跡も、政府登録許可されているどの車種にも該当しなかった。僕らは、被害者の意識が戻ると聞いたからとりあえず来たってわけさ」

「じゃあ、私、その事故に巻き込まれて」

「そうだ。何らかの機械があの大通りで暴走し、多くの人がそれに巻き込まれて、重傷を負って、ここに運ばれた。貴様に至っては、地面に叩きつけられた時の衝撃で、頸骨がぽきりと折れていた。だが安心しろ、セクターの医療技術にかかれば、その程度、すぐに治る怪我だ」

そう言われて、ヒトミは、首をぐるぐると回してみた。首から下は動かなくなるほどの後遺症が残る怪我を負ったにも関わらず、普段と全く変わらないばかりか、むしろ調子良いとすら感じる。

「話には聞いていたけど、ほんとに信じられないな」

「ヒトミちゃんは、今までお世話になったことないの」

「普通に学生やってれば、ここの世話になんか、ならないでしょう」

「まあ、それもそうか。僕も実際、この部屋に入ったのは、初めてだし」

「本来、重傷を負った人間は、治療を終えるといるべき、場所まで送還されて、ふと意識が戻るというのが普通だが、事故が事故なだけに、そういうわけにもいかんのでな。戻れば、常人ならそのままショックで、気絶してしまう恐れがある」

「なるほど、だからここに……。そういえばメアリは、私と一緒に居た友達も、ここに運ばれてるんですか」

「あの場に居た者のほとんどが、ここで治療を受けている。その子もいるかもしれないね。」

「ファミリーナンバーは」

とぶっきらぼうに切り出したのは、エノシマだ。

「え」

「こういう時のものだろう。何のために、個人情報を登録している、と思っているのだ。」

「その子のファミリーナンバーが分かれば、ここのネットワークに、アクセスしてどこに居るか、分かるってこと」

とアラマキは、助け船を出してくれる。

「ええっと……。私、メアリとナンバーで、呼び合ってなかったから……」

「そうか。まあ、探せばいるんじゃないの、事故に遭った百人近くは、まだカプセルの中だし」

「もう、退院しちゃってたり」

「しないな。でなければ、私が貴様なぞに取り調べをする訳がない」

「君が最初に意識を取り戻したってわけ」

「こいつなんぞに、いちいち殊細やか説明してやることはないぞ、アラマキ。今から清掃局の線で洗う。こんなところに長居はしたくはないしな。」

「切り替え早いっすね……。じゃ、話を聞くことになるかもしれないけど。捜査協力、ありがとう」

と二人はその場を去って行った。

「よし、じゃあ探そっか。まずは、責任者の人でも見つけて、どこにメアリがいるか聞いてみよう。もしかしたら、入院してないかもしれないけど」

窮屈なカプセルベッドから起き出して、屈伸、背伸び、飛び跳ねて、身体の調子がいつもどおりなのを確認してからこの階から出ることにする。

「あの人たちって確かここの扉から出たんだよね……」

と彼らが出てきた白い壁に手をつくとモーターの駆動音と共に扉が開いた。中に入るとそこはガラス張りのエレベーターになっており、ヒトミが眠っていた部屋と同じようなものが下からずっと空高くまで同心円状につみあがっているのが見えた。

「なるほど、マジックミラーみたいになっていて中がのぞけるわけか。変なの。で、どこから探そうかな……」

 ヒトミは別の階に行こうとエレベーターのボタンを探した。が、それらしきパネルが見当たらない。

『何階ヘ行カレマスカ』

「わっ、喋った」

 突然、どこからともなく機械で合成された音声が聞こえたので、ヒトミはびっくりした。

『何階ヘ行カレマスカ』

「なんだ、シナプスリンクか」

 生体活動にセンサーが反応し、ヒトミの持っている携帯端末を介して、脳に直接、情報を伝達するシステムだ。こんなハイクラスな設備があるというのは、さすが中央の施設である。

少なくとも、ヒトミは、学校の机くらいにしか、この技術が使われているのを見たことが無かった。

「メアリはどこ」

『ファミリーナンバーヲ入力シテ下サイ』

「またそれか」

『ファミリーナンバーヲ……』

「あーもう! 分かったから!

えっと、ここは何階まであるの?」

『ソレハ貴女ノクリアランスデハ閲覧出来ナイ情報デス』

 ヒトミのクリアランス、つまり階級の持っている権限は、最下位の『黒』である。これでは、ほとんどの情報を知ることは出来ない。

「さすがに、ここでハッキングするのは拙いしなぁ」

 ヒトミは、天井を見上げた。マジックミラー越しに見える石膏の様な真白の塔は、天まで届きそうなほど高かった。ヒトミはため息を吐いた。

「一から探すのは無理そうだな。一階の受付で聞いてみるか」

『カシコマリマシタ』

エレベータールームは三十二階から、一階までをゆっくりと降りていく。

(メディカルセンター ロビー)

一階のロビーにつくと、あの捜査官達が白衣を着た男性に聞き込みを行っていた。

「入院患者との面会などと無理を言って申し訳ありませんな」

「いえいえ、お巡りさんのいうことを聞くというのは市民の義務と昔からきまってますから。それに事情が事情ですし。」

「こんな大事故がセクターで起こるなんて今だって信じられませんよ。こんなに急患が増えてさぞ大変でしょう」

「管理者がいれば後はカプセルがやってくれますから、けが人を運んだあとは楽なものですよ」

「とはいっても、市民、何千万もの命をあなた方が日夜救っているわけですからな。頭が下がります」

「ねえ」

「しかし、噂には聞いていましたけど恐ろしく大きいですよねぇ。ここの施設」

「ねえったら!」

話に夢中になっていた三人がヒトミに気づく、アラマキが、おっヒトミちゃん。と気安く声をかけたが、エノシマはそれを無視して

「なんだ貴様か。今はこのお方と大事な会話中だ。それにここは本来貴様などがいるべき場所ではない。早々に立ち去れ」

「私はメアリを探すんだって言っているじゃないですか」

「もうすぐ家に運ばれるだろう。もし事故に巻き込まれていなかったとしても帰っている。ならば家に帰って待つ方が合理的だ。違うかね」

「安否だけでも気になるじゃないですか。それが友達というものでしょう」

「失礼。そちらの方は」

白衣の男性は突然場の空気がかわったことに戸惑いもせずに紳士的な口調を崩さなかった。

「ええ、この女は薄汚い黒でして。入院患者の中で一番早く意識が戻ったものですから仕方なく我々が事情聴取をおこなったんですがね」

「可愛い子ですよねぇ」

アラマキの呟きをその場の人間は無視して会話が進む。

「ああ! 入院患者の方ですか」

「あの、私、友達を探していて、事故に巻き込まれたかどうかもわからないんですけれど。無事かどうかだけでも確かめたいんです」

「こらっ、この方は貴様等が声をかけてよい方ではないぞ! 」

「そんな規則、このセクターにはなかったはずですけど」

「まあまあ、ヒトミちゃん落ち着いて」

陰険になった空気を変えようとするが、白衣の男性はそれを気にも留めていないようで

「申し遅れました。私はここの院長を務めさせてもらっているヒガンといいます」

と鷹揚な口調で自己紹介をする。

「院長さん!? じゃあ、すっごい偉い人じゃないですか」

 素っ頓狂な答えをヒトミは返してしまったが、

「ええ、すっごい偉い人ですね」

とにこやかに笑ってくれた。そして

「失礼ですがお名前を伺ってもよろしいですか、お嬢さん」

と手を差し出した。ヒトミは、その手を受け取って

「こういう時にどう言ったらいいか分かんないですけど、ヒトミです。第七地区の学生です」

「では、ヒトミさん。そのご友人のファミリーナンバーはご存知ですか」

「いえ……、私たちファミリーナンバーで呼び合うことってなかったですから。でも、珍しい服を着ているんです。白いブラウスにリボンをつけていて……まるで映画に出てくるような」

 アラマキはエノシマにひそひそと

「エイガってなんですか」

耳打ちすれば

「さあな。だがどうせ、下級市民がよくやる、下らん暇つぶしか何かだろう」

とエノシマが踏ん反り返ろうとする。

「映画ですか。私もよくみたものです。今は忙しくて、中々みることは、できませんが」

「上流階級にとっては、このくらい常識ですな。いや、全く。アラマキ貴様も私の部下なのだから、知っておかなくて、どうするのだ。」

エノシマは、けろりと掌を返す。

「ホント、調子良いっすよね……。尊敬しますよ」

「それにしてもなぜ、こいつの様な下級市民が」

「メアリに教えてもらったんだよ。あれを観るとね。ワクワクしたり夜眠れなくなるくらい感動したりするんだ」

「大規制の後、めっきり上映会場も制作も減ってしまいましたから。今じゃあ殆ど見かけませんし。知らないことは珍しいことでもないですよ、五番街なんかじゃあ劇場もまだ残っていたはずですね」

「やはり院長殿は素晴らしい教養をお持ちだ!」

エノシマはこびへつらうことを忘れない。

「そのメアリという方、今あなたが探しているお友達でしょうか」

「そうです。メアリです。私の幼馴染で、ボーっとしてるけど可愛くて、お洒落と映画が大好きな」

「もしかしたら、その方は私の妹かもしれません」

「えっ、メアリのお兄さん?」

「ええ、あの子が小さい頃はよく遊んだものです。しばらく会ってはいませんでしたが。そうか、あなたが……」

ヒガンはそう言って何やらしみじみとしたような表情を浮かべた。

「なぜ、こんな奴が院長殿の妹様と?」

「俺に聞かないでくださいよ」

「メアリと私は学校に入る前からの友達だよ。でも、知らなかった。こんなお兄さんがいたなんて」

「あの子なら大丈夫。安心して下さい。このセンターに入ってきた患者の方はすべて私の耳に入ってきますから。幸いにも事故に巻き込まれなかったんでしょう。」

「じゃあ、家に居るかな」

「待っていると思いますよ。あの子はあなたの事がずいぶんと気に入っているようですから」

「ありがとうございましたっ。いつかまたお礼に伺いますね」

ヒトミは玄関から駈け出して行った。

「気をつけていくんだよーって、聞いてないか」

「無礼な奴だ。それはそれとして院長殿。よいのですか。あれは最下級の黒ですぞ」

エノシマは、ふと湧いた疑問を白衣の男に投げかけようとしたが、とても穏やかな安堵や、充足感で一杯の顔をみてかたまってしまった。

「ああ、失礼。ああやって患者さんが元気に退院していく姿をみるのは、いつになっても良いものだと思いまして。事故の原因が清掃局にあるとのことでしたね」

「え、ええ……。清掃局の方に不正アクセスされていないかを調べていただきたいと」

「事故が人為的に引き起こされたものだと?」

「い、いえいえ。この完璧なる社会において、そのような悪意が存在する訳がないでしょう。しかし、あくまで可能性の問題として」

「最近は、フロンティアの土人たちが、このセクターに侵入してきているって、聞きますしねぇ」

「こっ、こら」

エノシマは慌てて取り繕う。完璧な社会にイレギュラーなど存在してはならない、そもそも存在しないのだ。それが、社会秩序の番人として、適正かどうかはエノシマ本人にも分からないのだが、けれども、この考えを忠実に守ってきたおかげで、今のエノシマの地位はあった。

「このアラマキという男はですね、育成所上がりの新人でして。だから、このような根も葉もない噂を」

「大丈夫です。どんな事故が起ろうが、どんなウイルスがまかれようが、私は全ての命を救います。死など、この社会にあってはならないのですから」

 

 中央にあるメディカルセンターから、セクターの外延に位置するヒトミたちの住む第七地区7番街までは、とても徒歩で行ける距離ではない。ないのだが、ヒトミのクリアランスでは、中央から乗れる交通機関がないので、仕方なく歩いて帰ることになった。旧時代の情緒を残した5番街と違って、無機質な鉄骨とガラス張りの高層建築だらけの街並みは、つまらないと思えたし、何より、話し相手の居ない長々とした道中は、まるでメトロノームの単調なリズムをずっと聞いているように退屈だった。メディカルセンターを出たのは、朝方であったが、彼女が家についたころには夜が更けていた。

「よかった。起きててくれて」 

部屋の蛍光灯の明かりがついていたのは、ヒトミを安心させた。下宿先の寮は、今となっては珍しい、2階建てのアパートメントで、セクターを環状に流れる大水道を見渡せる、丘の上に立っていた。いつもは、鬱陶しがっている長くて急な上り坂も、2日も寝込んでいたヒトミには、ひどく懐かしく感じられた。なによりもメアリに会えるという期待が、疲れた彼女の身体をぐんと押し上げた。

「ただいま、メアリ」

「おかえりなさい」

 ああ、この感じだ。木材のはがれたドアを開けた玄関から、狭い台所から6畳ほどの居間まで見通せて、一本しかついていない蛍光灯に照らされてキラキラと光る銀の髪が揺れるのをみて、ヒトミは帰って来られたと安堵した。

「良い香り……何か作ってた?」

「合成肉と人参のシチューです。そろそろ帰ってくる頃かなって思ったの」

メアリが鍋のふたを開けると、白い湯気とともに、クリームソースの甘い臭いが部屋中に広がった。

「おなか減ってたんだ。朝からずっと、歩きっぱなしでさ。メディカルセンターからここまでって、こんなに遠いのかって」

「でもヒトミが無事で本当によかった。あの時、もうだめかって思ったもの」

 事故の光景が、ヒトミの脳裏によぎる。

群衆、表通りの過剰な灯り、強い衝撃、宙にまって、逆さまになった自分。そして頭蓋がぱっくりと――

「もう、二度とあんなの、ごめんだよ」

ヒトミは苦笑いを浮かべ、目の前の少女に精一杯、笑いかける。こめかみのあたりが、ずきりと痛み始める。

「ええ、本当に。あなたが死んでしまうんじゃないかって、心配で」

 メアリの眼に、涙が、浮かび始める。それを放っておけないのは、ヒトミの性分であったのだが、タールから湧きあがった泡のような粘り気の強い疑問が、それを許さない。

「死んでしまう?」

 ヒトミは、オウム返しで聞き返した。湧きあがったままの、何なのか分からない疑問を、相手に投げかけた。

「そう。でも、そんなこと、ありっこないのにね。このセクターでは」

 うれし涙を浮かべながら、食器にシチューを注いで、食パンを三枚、居間のほうに持っていくメアリの姿が視線の先にあるはずなのに、ヒトミは、暗い闇をみている様な気がしていた。そこに踏み出してはならないと、思いながらも魅入られたようにゆるゆると引きずり込まれてしまう。

「シンデシマウとは、いったい何の事なの。メアリは、私の知らないことを知っている」

――美味しいご飯を食べて、元気になりましょう。きっと、疲れてるのよ。さあ、こっちに来て。座って。

 ヒトミは、温かい手に導かれて、そっと、食卓の前に座らされた。

 そういえば、事故の日に観た映画にも、銃で撃たれた人間をみて、ショックを受けているシーンがあった。目の前で人が傷ついたから、涙を流しているのだと、ヒトミは思って、ショッキングな映像美に、ただ酔いしれていた。けれども、なんだろうか、この違和感は。

――ほら、この前、あなたがやってくれたみたいに、シチューをパンに掬って具をのせて頬張ると、ああ食べてるなぁ! って感じがするって。

 にこにこと笑うメアリは、パンをヒトミに薦める。

耳鳴りが、シチューをスプーンですくう手を震えさせる。プラスチック製の食器は、コココココ……と小刻みに間抜けな音を立てた。

『私は打ちつけられた。温かく、綺麗な赤色が私の全身を包んだ。頭蓋が割れて、脳味噌が飛び散り、タイヤに轢かれた手足は、粘土を伸ばした様な跡ができていた』

――外、寒かったから? そんなに青ざめてどうしたの。お風呂沸かそうか。

 何か、言葉を発さなければいけない気がしていたが、言葉を紡ぐはずの思考は、言いようも知れないどす黒い濁流に丸々と飲み込まれてしまう。結果、喉から出たのは、赤ん坊の出すような、あー、とか、うー、とかいう喃語(なんご)だった。

――そう。食欲がないなら、寝た方がいいかもしれないですね。大丈夫、朝、目が覚めれば、いつも通りだから。さあ、横になって。目を閉じて――

 ベッドに寝かせられ、メアリの手が、ヒトミの眼を閉ざした。部屋の灯りが消えたと分かった時には、濁流が何だったのかすら、分からなくなっていた。そして、彼女の意識は閉じる。

 

彼女の長い一日が終わった。

二日目

 導入

 灰色の景色が見える。行儀よくならんだ子供たちに交じって、少女はいた。彼女以外のほぼ全ては、色を失っていたが、少女は悲しそうに黒髪を揺らしていた。影のない白い部屋に通されて、端末を渡される。端末を受け取った彼らは、やがて、兵隊のように歩み始めていく。彼らには色がなかったが、少女には、それが少し、羨ましく思えた。あんなふうに振る舞えたなら、母さんに捨てられることも無かったんじゃないだろうか。母の眼は、少女に一度も焦点を合わせたことなどなかったというのに。まだ少女は、そんなことを考えていた。

 

「でも、機械は教えてくれなかった」

そう聞こえた気がした。

「やっと、起きてくれた。気分は、どうですか」

 朝は、メアリが起こしてくれる。

 ヒトミは、朝がどうにも苦手であった。元々、血圧が低めなせいでもあったが、起きた時に決まって、頭がくらくらするし足元がおぼつかずに、いつも、ベッドからすぐに起き上がるということができない。

「う……。もう朝? もうちょっと寝ていたいなぁ」

 瞼を擦りながら情報端末の画面をみる。時計の針は午前六時を指そうとしていた。

「げげ、こんなに寝てたのか。規定起床時間ギリギリじゃないか。」

 ヒトミはベッドから起き上がる。

「ヒトミったら、中々、起きてくれないんですから。遅れたりしたら今度は、『精神上ニ問題アリ』って言われて、また入院する嵌めになっちゃいますよ」

「いつもありがと、メアリ。朝ごはん何にする? 昨日作ってくれてたシチュー、残ってる? お腹すいちゃって、たまんないや」

「はい。今、あたためています。」

 ヒトミは、端末を立体表示モードに切り替えて食卓の上に置いた。端末から帯状の光が浮かび上がり、焦点を結んだ。セクターで起こった事件を伝えるニュースが、立体映像になって浮かび上がる。ヒトミはそれを横目でみながら、畳まれてあった制服を広げて袖を通す。

 メアリはというと、エプロンを身につけて、昨日の残りのシチューを温め直していた。申し訳ないことをしたな、とヒトミは癖毛を弄った。

『次のニュースです。先月、末日。一九時頃発生した、七番街大規模事故の続報です。捜査局の発表によりますと……』

「捜査進んだのか。良かった」

 ジャケットの最後のボタンをつけ終え、食卓に座ったヒトミに浮かんだのは、あの事故が生んだ経済的被害がどれほどのものであり、人的資本が治療にかかった時間をどのようにして社会が取り戻すのか、再発はどのようにして防ぐのかという、どこか他人事めいた考えであった。そして、あれ程の事故に遭っても、こうして無事に生活ができるということに感謝をした。

「できました。昨日、食べられなかった分、一杯食べてくださいね」

 メアリが、お盆に載せたトーストとシチューを持ってきてくれた。

「ああ、ありがとう」

 ヒトミは、トーストを皿から取り出して口の中に運んだ。焼けた小麦の香ばしい匂いが、通りの悪い寝ぼけた鼻孔をくすぐった。メアリが隣に座って、いただきますと、言ってから、スプーンに手をかけたとき、画面が捜査局の発表に切り替わった。担当捜査官の顔をみたヒトミは、思わず左の頬が引きつってしまう。

『えぇー。私が、市民監督署捜査局の第七居住区管理課、エノシマ警部である。不幸にも被害に遭われた、善良なる市民の方々、また今回の事故により、セクターの安全性に疑問を持たれている方々、先ずは謝らせてほしい』

 壇上に立ったアラマキは、短く、頭を下げた。

『先日からの調べによると、今回の事故は、清掃局の管制システムが、老朽化していたために、18時57分に、回収コンテナから、五トンの容量を持つ清掃用ロボット、一五台が開け放たれ、標的を誤認したまま直進、加速し続けた結果、起こったものである。管制システムは、一年に一度更新を受けるが、清掃局はこれを疎かにしていた。これは、清掃局の監査を怠った我々捜査局の責任でもある』

「なんだか、すごい事になってきたなぁ」

 シチューの具をトーストに載せながら、ヒトミは、さも他人事のように言った。

「清掃局の人たちって、ゴミを回収して、肥料や鋼材に再利用させるのが、仕事なんですよね。管制システムの保守なんて、できるのかしら」

『詳しい原因究明と責任の追及は、これからもしていくつもりである。が、市民の皆さんもご存じの通り、今回のような大事故は、このセクターが建設されて以来、起こったことなどなかったものである。どのような原因があったにせよ、責任者には、“市民の資格”がなかったのだと、我々も考えている。安心して欲しい、セクターに居る限り、二度とこのような人災は起こらない』

「まあ、でもさ。これで事故が終わってくれるなら、それでいいんだと思うよ」

「そうですね。……ヒトミ、そろそろ時間じゃないですか? 」

「あらら、いっけない」

 ヒトミは慌てて、トーストを畳んで口の中に放り込み、残ったシチューを流し込んだ。メアリは、端末を待機状態に戻して、ヒトミの鞄の中に入れ、彼女が席から立つのを待った。

「よし。今日も張り切ってがんばろう」

 メアリが鞄を手渡した。ヒトミは、いってらっしゃいという声を背に玄関を出た。

(教室前)

ヒトミの通う第七地区三十三科高等学校は、第七地区に住所を持つ三十三科に適性を持った15才から18才の学生が通う学校である。セクターは、中央から同心円状に第一、第二、第三と区分けされており、ヒトミは中央から七番目の地区に住んでいるのだが、フロンティアに接する外延に近いこの地区の設備は、基本的に行き届いていない。さらに、その中でも三十三科というのは、外延地区フロンティア開発の実行隊の卵を育成するカリキュラムである。それはセクターにとっても大切な業務でもあるのだが、環境が劣悪なセクター外の勤務であるために、人気がなく、自然と地位の低い黒や赤の階級が、やる任務になっている。つまり彼女らは、いわゆる落ちこぼれの学生であり、当然、この学校の設備もセクターの中で最低のレベルであった。

そういうわけで、手入れの行き届いていない油っぽいリノリウムの床の上を、上履きがへばりついては、剥がれ、へばりついては、剥がれを繰り返しながら、ヒトミは長い教室までの廊下を歩いていた。学生用の手提げ鞄を持って、迷いなく、スタスタと進むその姿は、一目で女学生であると判別がつかぬほど凛々しい。

それは女子だけでなく、男子からも衆目を集める程、魅力のある姿であったが、当のヒトミ本人は、まるで、それに気づきもしない。

「だーれだっ」

(ヒトミの視界が黒くなる、暗闇、暗転する)

そんな熱視線のただなかにある彼女に、平気で関われるのはメアリか――

「もう、モエカ。どうしたの」

モエカぐらいしかいないだろう。ヒトミは、彼女の手をやんわりと払って、目の前の快活そうな少女に笑みを向ける。

「いや、4日ぶりだから、あたしのこと忘れてないかな? って、心配でつい」

 モエカは、悪戯っぽく、小さな舌をペロッと出して、ウインクをした。

「大丈夫だよ。私、記憶力はいい方だからさ」

「それって冗談で言ってる?」

「えっ、違うの」

「……まあ、いいか。

で、どうだった? 初めての入院は」

「うーん。どうって言われてもなぁ。起きたら、治ってた。いやホントにすごいよ。むしろ事故に遭う前の方が具合が悪かったぐらい」

 ヒトミは、肩をぐるぐると回して、元気になったとアピールした。

「映画の見過ぎよ。目が疲れて、肩がこるのよ」

「ダメだね。こればっかりは止めらんないからさ」

ヒトミが、開けっ放しになっている扉から教室に入ろうとすると、モエカが服の袖を引っ張った。

「ちょっと、あれ」

モエカは、教室の中を見るように、指で合図した。咄嗟に、扉の陰に隠れて様子をうかがうと、何やら相談をしている四人の集団がヒトミの席を取り囲んでいた。金の髪で、気の強そうな子を中心として、取り巻きが3人だ。

「ええっと、だれだっけ」

「あぁ……。ホント、言ったそばから……。あんたが事故にあった日に突っかかってきた奴らよ。ヒトミ……。あんた、大丈夫?」

 モエカは、指でヒトミの額を、コツン、とはじいた。

「痛たっ……。で、なんで隠れてるの? 私たち」

「あんだけ、恥じ掻かせてやったんだから、今度は何されるか、わかったもんじゃないでしょ。滅茶苦茶、喚いてたじゃない、特にあの金髪」

「えー。でも早く、授業の用意したいし。それに、私に用があって、あそこで待ってるんでしょう。行ってあげなきゃ」

「あっ、ちょっと」

(教室内)

「始業時間ギリギリね。さすが劣等たる黒。いっそ遅刻してしまえばいいのに」

 ヒトミが、彼女たちに近づくと、ソーニャは、早速嫌味を言ってきた。他のクラスメイト達は、厄介事には関わりたくないと、こちらに目を合わせないようにしているのだろう。始業前とは思えないほどの妙な静けさが、教室の中にあった。

「わざわざ、待っててくれたんだね。昼休みにでも来てくれればいいのに」

 ヒトミは笑っていた。むき出しの敵意に対して、ヒトミは、ひどく鈍感であった。こうしてあっけらかんとした笑顔を誰に対しても、むけるのである。

「そうよ。ワタクシ達は、待っていたのよ。あなたが退院して、こうして、のこのこと登校してくるのをね」

「ソーニャ様ったら、一昨日からずっと、カリカリしてましたからね」

「ちょっと、そこどいてくれない? 私、まだ端末をつなげてないからさ」

「ダメよ。まだワタクシの話が、終わってないじゃない。それに、あなたみたいな人間が、カリキュラムを受けたところで、大して変わりはしないでしょう」

「……どいて」

 ヒトミはソーニャの脇を通ろうとするが彼女の子分に遮られてしまう。

「もう少し、お話しましょうよ。オ・ウ・ジ・サ・マ? 」

彼女たちは、ようやく嗜虐心が満たされると思ったのか、ここぞとばかりに顔を歪ませている。ちょっと面倒くさいな、と、ヒトミは癖毛を弄った。

「ちょっと、これ拙いよねぇ」

出遅れてしまったモエカは、その様子をドアに隠れたまま、様子を覗っていた。ヒトミの自由奔放な性格は、理解していたつもりだったが、まさかこれほど天然だとは思っていなかった。こうだ、と、思ったら後先考えずに行動する。かと思えば、困ったら、面倒くさがってそこで関わるのを止めてしまう。

「またどこ吹く風で、人の話聞いてないし。頭悪いのに、突っ込んでいこうなんてするからよ」

けれども、そんなヒトミの愚直さに、モエカは魅かれていた。

「ちょっと、ヒトミに何の用だっていうのよ。こんな嫌らしい手つかってさ。この前の報復のつもりなの?」

さすがにヒトミほど、無鉄砲ではないと思いたかったが、友人が理不尽な目にあっているのを黙って、見ていられるほど冷血でもない自覚が、モエカにはあった。気づけば、モエカはソーニャ達に啖呵を切っていたのだ。

「賤民は、賤民らしくワタクシ達の言うことを、聞いておけばいいのに、分を弁えないこの子が悪いのよ」

「なんですって?」

「そもそもね。ワタクシは、この泥棒猫にキリシマへ謝意を示せと言っただけ。あの時、罪を認めさえすれば、わざわざワタクシ達の貴重な時間を、こんな男装趣味の変態に割く必要もなかったわよ」

 ソーニャは、売られた喧嘩は買うぞ、といった風にモエカの側によって、威圧する。他の取り巻きもついてくるので、モエカは場の雰囲気に少し飲まれてしまいそうになるが、勝気な性分が彼女を奮い立せる。

「だから、この子が悪いんじゃないって、この前、あんた達に説明したじゃない。なんならその、サカキだっけ? そいつに、言質取らせてもいいんだよ」

「分かってないのね」

「なにを」

 尤もなモエカの抗議に対して、ソーニャは、嘲笑交じりに答えた。

「この街では、階級が全てモノをいうってことよ。あなた達、黒が、なにいったってワタクシ達がそうだと沙汰すれば、そうなるのよ」

 そう言われて、モエカは、教室の中を見回した。クラスメイト達は、我関せずと言った風に助けようともしない。ちょうど、その時、一人と目が合ったが、卑屈に口元を歪ませてそっぽを向いてしまった。

――別に良い。元より期待などしていない。

「でも、同じ能力しかなかったから、この学校なんでしょう。階級だって、同じくらいになるじゃないの。見当違いはそっちじゃない」

「けれども“今”は、ワタクシ達は、青なのよ。あなたたちにとっては、雲上人と変わらないの。ねえ、どうして高等学校になっても、階級によってクラス分けがなされているか。

あなた知らない訳、ないわよね?」

「……」

「上に立つ者が、模範を示すことで、下々の者達の淀んだ風紀を正す為よ。そしてワタクシ達には、その理想を体現するための指導権限が存在している。ここまで言えば、低能のあなたでも分かるわよね。ワタクシ達が、その気になれば、あなたたちなんてどうにでもできるってこと」

「どうするってのよ」

「さあね。今すぐ、ワタクシ達へ頭を垂れて、今までの無礼を詫びて、キリシマへあの泥棒猫が、相応の礼を尽くせば、許してあげてもいいわ。そうじゃないと、きちんと言うことを聞くいい子にしなくちゃいけないから、更生施設送りにでもしようかしら」

「なんて卑怯者! あんた達は、自分の力じゃ闘えない卑怯者だ。自分が偉いなんて思うなら、正しいことをしているって確信できることしなさいよ」

「しているわよ。だって、あなたたちは、ワタクシ達に逆らったでしょう。いけない事をした下の者を正す事の何がいけないの?」

 モエカは、怒りを通り越して呆れてものが言えなかった。ソーニャ達は、勝手に勝ち誇ったように、うすら寒い笑みを浮かべている。

どうして信念も正義もない人間ばかりが、このセクターで大きな顔をしているのだろう、自分を恥じたりすることが、ないのだろうか。

――なにも知らない癖に。

そう考えるとモエカは、彼女たちが、哀れにさえ思えてきたのであった。

そう考えている間にも、ソーニャたちはなにか的外れな訴えをしていた。

もう頭に血を昇らせてまで反論する気にはならなかった。相手と同じ程度の人間と、自分を安く見積もることはしたくなかったのだ。

 この憐みにも似た感情のおかげで、モエカは少し冷静になって周りを見ることができた。

「そういえば」

「なによ、まだなにか文句でもあるのかしら」

「ヒトミ、どこ行ったの」

 そう言われて、ハッとなりソーニャ達は、ヒトミの席の方に振り返った。その隙に、彼女たちを振り切ると。そこには、にこやかに談笑しているヒトミと背の小さな女の子の姿があった。

「キリシマ? なにをしてるの」

「あ、あの」

 ビクッと身を震わせて、ソーニャの大事な舎弟、キリシマは振り返った。恋敵であるはずのヒトミと、なにを話す事があるのだろう。まさか、またこいつらのように理不尽な脅しをしていたのか、とモエカは彼女を睨みつけた。が、キリシマは、気が小さいのか、おどおどと下を向いてしまう。モエカは、訝しく思い、問いただそうとした時、彼女を守るようにヒトミの声が遮った。

「大丈夫。この子悪い子じゃないよ」

ヒトミは、あっけらかんとした笑顔を浮かべていた。やっぱり、ただのバカなんじゃないか、とモエカは思った。

――――――。

――――。

――。

「なに、あなた? まさか、キリシマにヘンなこと吹き込んでたんじゃないでしょうね」

 ソーニャは、またも怒りの形相をヒトミに向けた。ほかの二人も、それに続こうとする。

「そうよ。キリシマ。大丈夫? 変なことされなかった?」

 先日、ヒトミ達の前でしくしく泣いていたキリシマをなだめていたソーニャの太鼓持ちの一人が、問うたかと思うと、さっとキリシマの側に寄り、肩を寄せて、ヒトミから彼女を守ろうとした。

「話をしてただけだよ。よく考えたらさ、この子の言葉一つも聞けてないなって、思ったからね」

「キリシマは、泣いていたのよ。それに虫も殺せないような優しい子なのに、まともにあなたを責められる訳ないじゃない」

「だから、今、話を聞こうとしていたんじゃないか」

「優しい子だから、あなたみたいななに考えてるか分からない人に、簡単に丸めこまれてしまうかもしれないでしょうに」

 キリシマが彼女たちの袖口を引っ張って注意を引こうとする。

「あっ、あの。話を聞いて」

「こんな奴の言うことなんかに、耳を傾けてはだめよ、キリシマ。下々の者は、私たちを蹴落とすことしか、考えてはいないのだから」

 しかし、ソーニャが、口を挟んでしまう。

「だから、聞きたいだけだって。私は、ほとんど、何にも、知らないんだからさ」

「あら? なら、さっき、笑顔で談笑していたのは、何故かしら。どうせ、私は、関係ありません、サカキ様なんて恐れ多くて、黒の私にとっては、雲上人にも等しい存在です。だなんて嘘言って、キリシマを欺こうとしていたに、決まってるわ」

「あの、話を――」

「あぁーもう! 埒が明かない。サカキなんてひと、私は知らないって言ってるじゃないか。なんならその人、ここに連れてくればいい」

「あなた、自分が何を言ってるか分かってる? 黒が青を呼ぶですって? あり得ないでしょう。勘違いも甚だしいわ」

「話聞けっつってんだろが!! 」

 突然の咆哮に、何が起こったのかと考える間もなく、ヒトミとソーニャの頭は、モエカに鷲掴みにされて、グリンと、キリシマの方へと向いた。

「全く、少しは頭を冷やしなさいっての」

「モエカさん。ありがとう……」

「どういたしまして。で、なんの話をしてたのさ、あんた達」

「そもそもさ」

 ヒトミは、とりあえずこの状況を説明しようとするが、

「あんたは、とりあえず黙ってて。またこの金髪ヒステリー女がうるさくなるでしょう」

と、モエカは遮った。

「金髪ヒステリ―女、ですって!? あなたって、本当」

「はいはい。ソーニャ様も、黙ってておいてくださいねー」

 ソーニャは、モエカの手に口を塞がれて、モガモガと暴れている。ブシザワ達は、なんてことを、と抗議した。それは無視して、モエカは、キリシマにウインクをした。キリシマは、“黒”に場を収められている、という見慣れない光景に、多少、どぎまぎしつつ、一呼吸して、話を切り出した。

「さっき、ヒトミさんが、言おうとしてくれていた事だけど。別に、サカキ君のことは、何とも思っていないんです。ただ、この前、サカキ君が、――してるの見ちゃって」

「なんていったの?」

 キリシマは、直接的な表現を、避けている風であった。まるで忌語を、口にしてしまうのを恐れているようであった。

「2週間くらい前の、放課後、電車に乗っていたんだけど、五番街の駅で、降りる人を見かけて、珍しいなって思って、よくよく見てみたらサカキ君だったんだ」

 だから、段階を踏んだ説明をしようとしているのだ。

「確かに五番街は、特区とはいえ、我々、市民の行動規範からは、あまり立ち入ってはいけない場所では、ありますからね。しかし、キリシマ。見間違いではなくって? 我々、青が、そのような逸脱した行為をするはずが、ありませんわよ」

 ソーニャは、落ち着きを取り戻したのか、はたまた、あまりにも馬鹿げている事を、口にしているのに、白けてしまったのか、キリシマを窘めようとしたが、彼女は、首を横に振った。

「見間違いかなって、最初、思っていたんです。でも次の日も、今度は、駅の構内のトイレから出てきたのを見かけたんです。しかも、彼は女の人の服を、その、着ていたんです」

「言うまでもなく、サカキ君は、男性でしょう? 男性が、その……婦人服を、着るなんてこと」

「つまりヒトミの逆ってことか。変な趣味の人って、どこにでもいるんだねぇ」

 モエカは、ヒトミの肩をポンポンと叩いた。あり得ないと、真っ向から否定してみるが、目の前にある例外を突きつけられて、ソーニャは口ごもってしまう。

「それでこの間、そのサカキ君が、私の所に来たわけだ」

「シンパシーって奴を、感じたのかもね。勝手なもんだわ」

 ようやく合点がついた、と、ヒトミとモエカが言うと

「だから気になってると言えば気になっているんです。サカキ君は、学校じゃ、模範的な優等生だし、その、問題になる事に関わっているなら、注意してあげなきゃって思って……」

「ヒス金に相談した訳だ」

 ヒステリー金髪女、略してヒス金である。

「あなた、まだそんなこと」

 ぞんざいな略し方をされて、ソーニャはじろりとモエカを睨んだ。

けれども、モエカは、けらけらと笑った。

 打てば響くような反応を返してくる。もう、すでにモエカにとって、ソーニャはからかいがいのある悪友のようであった。最初は、戸惑っていたキリシマも慣れてきたのか、その様子を見てクスクスと笑った。

(チャイムの音)

そして、始業五分前のチャイムが鳴る。

「もう時間だし、また昼休みにでも話しましょ。こういう、面白そうなことは、皆で解決しないとね」

そういったモエカは、満面の笑みであった。

「面白そうって、あなたねぇ……」

「ヒトミも、そう思うでしょう?」

「えっ、何」

 ヒトミは、自分が話の中心から外れた途端にマイペースに授業の準備を整え始めていたのだ。

「あんた。まさか、話聞いてなかったの」

 急に話をふられてきょとんとしたヒトミを、モエカは呆れた目で見た。

「これ以上面倒事に関わりたくないよ……」

教育装置のリンクが、完了したと、端末から立体映像が、表示される。ヒトミは、ほっと息をついた。

「そう言わずにさ。五番街のことだって、ヒトミ詳しいじゃない」

 ソーニャは、ヒトミが五番街に行っている

「なんですって? この泥棒……じゃないわね」

 ソーニャは、こほんと咳払い。

「毛むくじゃらも五番街に?」

「毛むくじゃら?」

「泥棒猫から毛むくじゃらにクラスチェンジってわけ。」

 ヒトミは、癖っ毛を弄った。

「五番街というのは、不良の溜まり場なのかしらね。やっぱり、いけないわ。まずは、サカキ君を更生させなければ」

 取り巻きもそれに続く。

「行きましょう。ソーニャ様、授業が始まってしまいます」

「そうね」

 ソーニャ達はそそくさと、教室から出て行った。その背中に向かって

「また昼休みねぇ」

モエカは手を振った。

(厚生省前)

「ああ、早く……。早くしなければ……」

 老婆が、(老婆、といっても、染みと皺だらけの頭皮に白髪のへばり付いた、人間と呼べるのか、どうかすら怪しい。けれども、声の質から、爺ではないと分かる)せかせかと歩いていた。所々、動物の毛皮で取り繕ったボロボロの白衣を染料の匂いのきついストールでくるんだ姿は、清潔を旨とするセクターの、それも、その中枢のなかで、写真の上にキュビズムで描かれた絵画を切り取ってコラージュにした様な異質さがあった。

セクターが拡大するにつれ、必要な都市管理機能も対数的に膨れ上がり、今では、初期の整然とした外観を見ることは出来ない。コンクリートと鉄骨で建てられた、まっ白な石塔が幾重にもそびえ立ち、あの頃、ここからよく見えた空は、厚生省の玄関からは見えない。

『市民、認証コードヲ、オ見セ下サイ。ココカラハ、緑ノ階級以上ノ方以外ハ、オ通シ出来マセン』

 変わったところといえば、ガードロボットの数と装備だろうか。彼女がいた頃は、自動小銃に高感度センサーのついた、暴動鎮圧用兵器と言っても差し支えのないものが、セクター中を二十四時間休まずに、巡回していたものだが、今では、重要省庁の前ですら、電磁棒のついたアームが、頼りなくぶら下がっているものだけだ。老婆は、旧式の認証端末を取り出し、ガードロボットのセンサーへと向けた。

『認証コードヲ確認。ドウゾオ通リ下サイ』

爆破テロが起こったにも関わらず、警戒態勢が強化されていないのだ。偽装されたパスコードでも盲のガードロボットはあっさりと引きさがってしまう。老婆は皺を口元に寄せ、建物の中に入っていった。

 ここは、厚生省市民教条施行府――

 セクターに住まう市民の規範を決め、この閉鎖されたディストピアを、効率よく運営させるための思想を、一人一人に刻み、遵守させることを目的とした中枢省庁の一つ。そして彼女の古巣である。

「ああ、早く。子供たちに真実を」

 老婆は、そう言いながら、人気のない暗闇の中に姿を消した。

(昼休み)

「やっと、終わったぁ。ヒトミ、お昼ごはん一緒に食べよ! 」

 午前の放課が、終わったので、ハッキングツールを起動させて、映画でも見ながらご飯でも食べようと、一息ついていると、モエカが、声をかけてきた。

「そうだね。いいよ。映画でも観ながら、食べよっか」

「ダメ。確かに映画も魅力的だけど、それより面白い事があるでしょ。だから早くご飯済ませなきゃね」

 今朝、女装癖の少年が青のクラスにいることを聞いてからというもの、モエカはずっとこの調子だ。小休憩が来る度に、端末の投影機のレンズの淵をコツコツと鳴らしながらにやついたり、ヒトミにサカキってどんな奴だった? やっぱりカワイイ顔してた? などと聞いたりしては好奇心旺盛な眼をパチクリさせていた。当然、(こういっては何だが、ヒトミはサカキ少年の顔をまるで思い浮かべることが出来なかった。興味のない人間に対してとことん残酷になれるのは、少女の特権である) ヒトミは、覚えていないや、ぼんやりとしか、うーん、と癖毛を伸ばしながら考える振りをしてやり過ごしていたのだ。

 そういう訳でヒトミは本当なら入院中、観られなかった分、面白い映画をこの昼休みにモエカと探そうと、朝、来る時に考えていたのが、ご破算になってしまったので、しゅん、としながらご飯を食べた。購買で買った合成タンパクのスパムとトマトを挟んだサンドイッチだ。

「それにしてもさ」

「ん? なに?」

 モエカは、色々なサプリメントを砕いて混ぜた、ビスケットの様なものを食べている。口の中がパサつくそうで、一つ口に入れるたびに、水稲の中からお茶を汲んでいた。

「なんで、あの人の事に興味あるの? モエカって、権力者とかそういうの嫌いだと思ってた」

「ひほひは、ほーみはいの?」

 お茶を口に含んだまま、話していたので、上手く話せない。ゴクッと口の中をきれいにしてから、もう一度。

「ヒトミは、興味ないの? 今朝は、キリシマちゃんと仲良くしてたじゃない。まあ、他の連中は、いけすかないけどさ。なんだか、構ってちゃん見てるみたいで可愛いじゃない」

「そうかなぁ。……なんだか、私よりモエカの方が、王子様って感じがするよ。男らしいっていうか」

「違う、違う。あたしは、姐御。男どもを引っ張って、こき使うの。だから、やっぱりヒトミが王子様ね。ちょっと、頼りない王子様」

 フフンと、得意げな顔をしてモエカは、最後のビスケットを、口の中に放り込んで、お茶を飲んだ。

――皆、勘違いしてるみたいだけど、私、王子様を目指してるわけじゃないんだけどなぁ。

とヒトミは思ったが、口には、出さないことにした。願掛けじみた事をやっているのだ、と数少ない友人だからといっても知られるのは、やはり気恥かしいものがあったのだ。

「さっ。行きましょう。ぐずぐずしてたら昼休み終わっちゃうって」

彼女たちは教室を出て行く。

(青の教室)

 

ソーニャ達が使っている教室は、ヒトミ達、黒の使っている教室と外見上の差は一切存在しない。そもそも学校に割り振られている予算が殆どない事にも起因している事なのだが、脳に直接カリキュラムの内容を書き込む技術が学習というものを前時代の遺物にした現在、必要なのは生徒たちの神経伝達と完全にリンクする携帯情報端末『伝心』と椅子にセンサーを搭載し身体の成長に合わせて最適なカリキュラムを導き出す学習机『導師』だけであり、年に何度か行われる開発地区での実地演習を除いて、生徒たちの使っている設備は階級を問わず全く同一のものである。

 だからといって、下位の者たちが自分の教室と間違えて入ったりしないのは、学校の中で絶対の権限を青の生徒が持っているからであろう。セクターで第三位の階級である青は、現場の総指揮権や下位の市民の生殺与奪権を持ち、公務を実質的に取り仕切っている階級である。それより上位の者は、省庁の長官を担う紫とさらにその監督官をまとめる最上位の白が数人いるだけで、学生身分の者でその地位についている者は存在していない。つまり、青の階級の嫡子は、学校内で王族の様に振る舞うことすら許されているのだ。

「さてさて、どんな変態なんでしょうか。ショタっ子か? ショタっ子なのか? 」

けれどもそれは、モエカにとってもう風化した風習となっていた。『王族』の住まう部屋の前ですら、このはしゃぎ様だ。ヒトミはげんなりした様子で、とぼとぼとモエカに引きずられるようにしてやってきた。

「どうだったかなぁ。同い年なんだし、別に私たちとそんなに変わらないって。はぁ」

 今頃、今日メアリと観る映画を探していたのになぁ。

ヒトミは、どうにもソーニャ達にあってから自分の生活のリズムが崩されていっている気がしてならなかった。

そう言えば、あの子たちにあってから事故にあって入院して散々な目にあったじゃないか。全く、禄でもないや。

 そんな風な愚痴を口に出さないようにしていると、すぐについてしまった。隣のクラスなんだから当然なのだが。

「どうしたの? 開けないの?」

 モエカはドアに手をかけたまま、ぴたりと止まった。ヒトミは不思議そうに彼女を見た。

「いや、ちょっと。いざやってくるとさ。どんなふうに開け放ったものか気になってね」

「え? どういうこと」

「いやさ、ほら。たのもー! っていうのもおかしいし。神妙にお縄につけい! て言うのもさぁ?」

 モエカは腕を組んでうんうんと唸り始める。高慢ちきな青の教室に自分たちが入るのだ。名乗りを上げて攻め入る覚悟がいるというわけだ。

「両手を頭の後ろに回せ、こうだ! じゃない? 強盗みたいでかっこいいじゃない。ビバ アナーキー!」

 ヒトミも両手を組んで銃を突きつけるポーズをとった。ノリノリだ。

「この紋所が目に入らぬか! とかさ!」

(スライドドアが開く音)

 突然彼女たちの目の前の扉が開き、ヒトミより背の一回りほど背の高い筋肉質の男が現れた。日焼けして赤くなった肌、太目の眉、ごつごつした腕といった肉体労働者のような姿をしているが、快活とはとても言えない、どこか陰気な雰囲気を漂わせている。

「ああ、ごめんね。立ち話に夢中になっちゃってて」

ヒトミは、自分たちが通行の邪魔になってしまっていると扉の端に寄った。

「……ない。……を……」

 男はぶつぶつと何やら呟きながら、のそのそと階段の方へと歩いていった。

「なにあいつ、不気味ぃ。陰キャラって言うの? ああいうの」

 興がそがれてしまったのかモエカは、口をとがらせながら罵詈雑言を吐き始めた。

「まあまあ、じゃ中に入ろうか」

 と再びドアの方に向き直ると。

(再び、ドアの開く音)

「貴方達! サカキ君は、どこに行きまして!?」

 金の髪に碧眼の小柄な少女、ソーニャがドアを蹴破らんとするような勢いで現れた。いつもの仲間もちゃんと三人そろっている。

「行っちゃったっていつ? あたしたち名乗り口上を考えるので忙しいんだけど」

「優先順位が逆になっちゃってるよ。モエカ……」

 ヒトミは、今ようやく、自分たちが脱線しかかっていた事に気がついた。むしろ楽しみにしていた方のモエカが、こんな文句を言うのもなんだか筋が違うような気がしたが、彼女にとってみれば、楽しめるならなんだっていいのだろう。

「今さっきよ、そこにいたなら気づいているでしょ。特にそこの泥棒猫! 」

「泥棒猫じゃないって……。えっ、なんで私が」

「通ったでしょ。サカキ君が」

「あっ、あぁ。そういえば、あんなのだったっけ」

とヒトミはぼんやりと振った男の顔を浮かべたが、やっぱり思い出せない。もしかしたら、顔も見ずに引導を渡してしまったかもしれない。

「本当に顔も覚えてなかったのね……。あれでも一応、青のクラスの王子様なのよ」

ソーニャは、皮肉を口にした。女装癖なんて知らなければ、彼女もまだ彼のためにヒステリーを起こせたのだろうかと、ヒトミは思った。

「えぇ!? 今通った奴が、あのサカキ? 全然ショタくないじゃない! 返して! 乙女の夢を返して!」

モエカの抱いていた、性に倒錯してしまった少年という像が、ごつごつした男が端切れの良いスカートをひらひらさせている姿に切り替わってしまったのだ。モエカは、膝をついてわんわんと喚いた。無理もない。午前中ずっと抱いていた幻想が、今ここで砕かれたのである。

 ヒトミは、乙女だったりお奉行様だったりと忙しい彼女の事は、一旦置いておくことにした。

「その人なら、あっちの階段を下りて行ったよ」

「なんであんなぬめぬめしてるのよぉ。せめて、爽やか君でいてよぉぉ」

「追いかけますわよ。彼に青としての矜持を思い出させてあげなくては」

 尚も喚くモエカを尻目に、ソーニャ達は、さっさと階段を駆け下りていってしまう。キリシマはこちらの方を見た気がしたがそれも一瞬だった。

 教室の目の前で二人は残されてしまった。

「やだよぉ。あんなのあり得ないでしょう……? あり得ないって。存在していいものじゃないって」

「行かないの?」

ヒトミがうずくまったままのモエカに声をかける。

「あり得ないって……」

まだ、うわごとのように口にする。

ヒトミは仕方がないから、肩に手を置いてやる。

「ねぇ、行こうよ。あんなに楽しみにしてたじゃないか」

「ヒトミ……。あんたって図太いのね」

モエカは立ち上がった。

(正面玄関)

(階段からを駆け降りる音)

 階段を下り、遠くなってしまったソーニャ達の足音を追いかけていく。降りた先に正面玄関に面したホール。そこにソーニャ達はいた。

「ちょっとサカキ君! 待ちなさい!」

ヒトミ達が声をかけようとするより先にソーニャの甲高い喚き声が耳に突き刺さった。ヒトミは苦い顔をした。女性のヒステリーを起こした声が苦手なのだ。

 ヒトミ達は、声のする方へ近づいた。

 

「ごきげんよう。ご気分はいかが」

おふざけ半分で話しかけて、空気を台無しにしてしまう。

「ちょっと、今からソーニャ様が聞きだすんだから、あなたは黙っていなさいよ」

「楽しいことって分かち合うべきじゃない? セクターの憲章にもあるんでしょ

市民は全体の満足のために働くべきであるって」

「そんなの屁理屈!」

 やいやいと口喧嘩を始めてしまう。これじゃ、今朝と同じじゃないかとヒトミはため息をついた。

「……なければ……、……を……」

 ヒトミはぶつぶつとナニかを呟き続けている男の方を見た。もしかしたら、初めてまともにこの男を見ているのかもしれない。そのくらい記憶に薄い人物であった。ガチガチと歯を鳴らしながら、心ここにあらず、と言った感じで、目線も定かではない、精神が正常なら利発そうな額といわれていたのだろうが、心労が絶えないのか、眉間には皺が出来ている。

――この前は、こんな病的でアブない人間だったっけ。

癖毛を弄って考えたが、やっぱり記憶になかった。

「ちょっと、聞いていまして? 」

 さすがにソーニャも、異様な雰囲気に気がついたのか、身をたじろかせた。

「……しなければ、……ほうを……」

「大丈夫なの、この人?」

 口喧嘩を始めたモエカ達を放っておいて、ヒトミは、ソーニャに話しかけた。

「さっきから、この調子なのよ。……衛生課に、連れていくべきかしら」

「あの? 大丈夫?」

 ヒトミは、男の顔の前で、手をひらひらとさせた。瞬間、男の眼がヒトミに焦点を合わせ、眼を血走らせ、狂気でその身を何倍にも膨らませ、男は叫ぶ。

「解放だ! 解放だ!」

驚く間もなく、ヒトミは、男に腕を乱暴に掴まれ、身を崩される。口喧嘩に夢中になっていた、他の子たちも、ぎょっとしてこちらを見た。

「痛っ……」

「サカキ君!?」

「い、いくら、黒とはいえ、そのように女性を乱暴に扱うのは――」

「解放だぁ!」

 いいかけたソーニャは、突き飛ばされ、身体を壁に打ち付け、頭を打ってしまい伸びてしまう。

「やっと! やっと!」

「ヒトミを離せよ!」

 他の3人が、おびえきって、声も出せずにいる中、勇敢なモエカは、咄嗟に飛びかかった。だが、男は狂気のただなかにいるにもかかわらず、頭の中は、冷え切っていた。突っ込んできた彼女を、片手でいなし、態勢が崩れた鳩尾に、強力な膝蹴りを一撃。ヒトミは、その間も必死で抵抗していたが、腕を背中にまわされて、手首をめいっぱいひねられて、どうする事も出来ない。

 男は、空いた左手で、支給服の上着の内ポケットから、銀色の取手の付いた筒の様なものを取り出した。そして、震えて、縮こまってしまっている、3人に引き金を引く。

 先端から、閃光が放たれ、ヒトミの眼はくらんだ。人は、急に強烈な光を感じると、前後不覚のめまいに襲われる。慣れていなければ、腕をひねられる痛みよりも、こちらの方がきつい。肉の焼けるような音だけが、ヒトミが感じられた五感の全てであった。

「能なしの木偶人形め!」

ジュッ 

「消えろ!」

ジュッ

「消えたか!?」

ジュッ

「消えた!」

ジュッ

「ハハハハハ! あ? 出ないじゃないか! 消さなきゃいけないのに!」

カチカチカチと引き金を引き続けたが、閃光は出なかった。光線銃のエネルギーが切れたのだ。舌打ちを一回、カートリッジを胸から取り出し入れ替える。

 腕を離されたヒトミは、頭がまだクラクラしていたが、ギュッと閉じていた瞼を開いた。

「なに……これ……?」

 目の前には、恐怖に震えていた3人の姿はなく、代わりに、灰とばらばらの骨が散らかっていた。もう、誰のものか分からなくなった、頭蓋の穴から生焼けの目玉が、ポロリと転がり落ち、ヒトミをみた。

――肉片が、まばらについた骨 腹からぶら下がった腕 散らばった指 埃と灰 肉の焼ける匂い 

煙を、肺に吸い込んだ これは誰“だった”もの? (文字送り遅く)

ヒトミの全身から力が抜け、感覚がなくなっていく。頭が、麻痺したみたいにボーっとする。

「生からの解放を! 甘美なる死を! 祝福だ! 賢人よ! やりました! これで僕は立派な反逆者です!」

「嫌ぁあああ!!」

 男が、歓喜にむせび泣いた瞬間、ヒトミの思考のダムは、決壊してしまった。

――シンデシマウとは一体何なの? 頭蓋から脳味噌が飛び出して 背骨が真っ二つになって 清掃ロボットのタイヤは、五臓をミンチに変え そしてそこから私はどうなったの? 

ひとたび堰きが壊れてしまえば、そこから、昨日から考えないようにしていた、疑問の鉄砲水が勢いよく、飛び出して止まらない。

「次は、あの邪魔な金髪にしよう。ああ、なぜ? なぜ、人殺しはいけないんだ。こんなにも心地よく、こんなにも甘美な、幸せの音が!」

 男は、次の標的に銃を向けた。壁に寄り掛かった、いじらしい金の髪、まだ誰にも触れさせたことのない唇、控えめだがハリのある胸、むき出しの腿、その全てを塵に還るために。

「なんだ?」

「ダメだよ。そういうのは」

 ヒトミは、男の前に立ちふさがった。あんな恐ろしい経験は、人がしていいものじゃない。

恐怖で酩酊した頭でも、これだけは分別がついたのだ。

「なにも、悪い事をしてない人を、傷つけるなんてダメだ」

「ずいぶん、優しい事を言うんだねぇ。……ま、無理もないか。

 じゃあ、キミは殺してもいいよね?」

「何を言ってるの?」

「何って、ハッキングは悪い事じゃないのかい」

 ヒトミの背筋に、冷や汗が伝った。どうして、この男がその事を知っている。

「なぜって、顔をしているねぇ。足も震えているのに。……キミのその好奇心を称えてヒントを教えてあげよう。

君を五番街で見かけたからサ。あそこに行こうなんて、黒は、普通考えるはずがないんだ」

 サカキは、これまでとうって変わって、理性的に喋り始めた。が、その眼は、未だ刹那的な狂気を湛えている。

「どういうこと」

「市民は、普通、思考をロックされている。いけない考えを、なるべくしないように、直接、脳にプログラムされるのサ。この『伝心』を通じてね」

サカキは、内ポケットから、その携帯端末を取り出して、放り投げ、光線銃で撃ちぬいた。彼の生体情報を始めとした、市民生活のデータ、すべてが、粉微塵になって消えたのに、サカキは、眉一つ動かさずやって見せた。

「知ってるよ。そして、私たちがそれを知ることは、市民憲章が許していない。それがどうかしたの?」

「市民にとっては、結構、堪えるはずなんだけどナ。ガッカリだ」

 実際、ヒトミにとっても、衝撃的なことではあった。それでも、気丈に振る舞ったのは、ある一つの考えによる。

――こちらは、武器を持たない女子に、気絶してしまった二人。あの男が持っているのは、おそらく、更生用の光線銃だ。すぐにでも、皆殺しにすることができるのに、この異常者は、それをしない。この男は、ゲームとして、この会話を楽しんでいる。

つまり、少しでも興がそがれることになれば、即刻、あの子たちのようになるというわけだ。

「キミのも、壊してあげようか」

 サカキは、ヒトミに手を伸ばす。が、ヒトミは払いのけた。

「触らないで……!」

「ハハッ! まあ、市民憲章自体、明文化されては、いるものの、生活する分には、知る必要はないからね。キミたちの無意識の中で、働いてくれるんだから。伊達でハッカーやってる訳じゃないんだ、博識だネ」

「お前に褒められたって、嬉しくない」

「あんまりツンケンしてると、眉間にしわができちゃうよ? せっかくの美人が、台無しだ」

 サカキは、わざとらしく首をひねって、コキコキと音を立てた。

「話を元に戻そう。キミは、五番街に出入り、出来ている。黒であるはずのキミが、あの街に出入りできるのは、おかしい。市民憲章であの街に入れるのは、元々、あそこに住んでいた市民と、特権階級だけさ。あとは、身分を偽った犯罪者とかね」

「身分を、偽るような真似はしない。メディカルセンターで治療を受けられた。私は市民だ」

 メディカルセンターで治療を受けるには、個人の遺伝子配列に対応した、ファミリーナンバーが、サーバー上に登録されていなければならない。そして、それは政府にきちんと存在を認識されている、ということである。

「ごめんね。カマをかけてみたんダ。検索システムにもかけてみたよ。Ir141421、キミは確かに市民だった。」

「私の事なんて、別にどうだっていいじゃないか」

「ああ、そうだ。キミがハッキングできる理由。メアリ、だろう?」

「どうしてそれを」

「キミは、自分がどれだけ人気者か、分かってないらしい。黒のクラスの男装の麗人が、メアリという女と、同棲しているのは、人並の付き合いをしているなら、だれでも知っているさ。噂だけだと思っていたが、本当だったんだねぇ」

「メアリは、幼馴染で私のたった一人の親友だ。下劣なお前なんかが、口にしていい名前じゃないッ!」

 ヒトミは、拳を握り男を睨みつけたが、男は、余裕を崩さない。

「おっとぉ、怒らないで。冗談だって。でも、その女に、気に入られたくってキミは、ハッキングに手を出した訳だ。ハハッ」

「なにがおかしいの」

「キミも僕と同類ってことさ。クソッタレな理性を欲望で乗り越えられる。犯罪を犯すのも、ためらわない。だから、この前、告白したのさ。僕の愛をうけとめてってねぇ」

片手で熱烈な投げキッス。

「あの時は、軽くあしらわれちゃったね。普通に、していたのがいけなかったのかナ?」

「誰がお前なんかと」

 印象の薄い男ならともかく、こんなイカれた奴と付き合うのはごめんこうむる。そう思ったのが相手にも伝わったのか、サカキは、喉をククッと鳴らし、獰猛な歯をむき出しにして笑っていった。

「改めて自己紹介をしよう。僕はサカキ、青の学級委員長にして、死の賢者ヴィルスの信奉者。まあ、この学校にもう用はないけどね」

いうだけのことは言った、サカキは銃を突きつけた。

「ヴィルス……」

「今日はここでさよならだ。退院したらまた会おう。Ir141421」

 サカキのレーザー銃から出た閃光は、ヒトミの全身を塵へと変えた。

(回想)

 灰色の景色の中の少女は、幼年学級に上がったらしい。以前は、無邪気に癖っ毛をぴょんぴょんと跳ねさせてものだが、この頃は、それを気にしては、真っ直ぐならないものかと引っ張ったり、抓ったりして弄るようになった。

そして、あまり笑わなくなった。少女は、同い年の幼児が、たくさん集められた部屋に連れてこられた。母親は、施設の管理者に、自分がつく任務が、どれだけ街に栄華をもたらせるのかを自慢げに話した後、彼女に目もくれずに去っていった。その時の、母親の顔を思い出しては夜になると泣いた。その姿を他の子供は、理解できずに気味悪がった。

「どうして、泣いているの?」

 ある夜、少年に話しかけられた。

「お母さんが、お仕事に行っちゃったんだ」

「それが、どうして悲しいの? すごい事なのに」

 少年は、施設の子供たちの人気者だった。喧嘩をしている子たちの間に入って、仲直りさせたり、いじめられている子をかばっては、優しく声をかけていた。だから、今回も、その一環だと思ったのだろう。少女は、安心して、久しぶりに人と話す喜びに、涙を拭った。

「どうしてなんだろう。みんなは、悲しくないのかな」

べそがまじっていたが、これでも、上手く話そうと必死だった。もしかしたら、友達になれるかもしれない、という淡い期待もあったかもしれない。

「だって“名誉”なことは喜ぶべきだよ」

 少年は不思議そうな顔をした。しかしいつものように、理解することすら拒絶されるという風でもなかった。少女は、自分の考えを率直にいってみることにした。

「誰にも、褒められてないのに“メイヨ”なんてヘンだよ」

「皆のためになる事なんだよ。それを精一杯、頑張ることは、僕たち、市民の幸福で義務なんだから」

 市民の義務を果たす事は、名誉なことだ。そして、それは、幸福なのだ。他の皆はそう、口をそろえる。母親に至っては、念仏のように、何度も、何度も口にしていた言葉。

「私がお母さんと、一緒にいられない事は、皆のためになるの?」

「お母さんは、喜んでいたでしょう」

「……うん」

 また、あの時の母の顔が、頭の中に浮かんだ。幸福に満ち足りた、あの顔は、決して自分に向けられることがなかった。

「だから、キミが、おかしいのかもしれない」

「えっ……」

「だって、そうだろう? 皆は、この状況に幸福を感じているのに、キミだけ、そんな悲しいなんて」

 少女が、抱えていた微かな疑問が今目の前で容を持ち始める。少年は、厭らしい笑みを浮かべた。獲物をなぶり殺しにする、喜びに満ちた眼。

「そうだ、キミはおかしい。でなければ母は、キミを可愛がっていた」

「キミは間違ってる。でなければ皆は、キミを気味悪がったりしない」

「キミは欠陥品だ。だってキミは、いつだって独りだから」

 欠陥品、そうなのかもしれない。いつだって、他の子が、なにを言っているか、全く理解できなかったし、楽しい遊びを見つけても、皆はそれを煙たがった。

「貴方は欠陥品」

 青色の少女がいう。

「お前は欠陥品」

 赤色の青年が、

「あなたは欠陥品」

 黒色の淑女が、

「欠陥品が、こんなものを持っていても、仕方がないよね」

 少年は、少女の携帯端末を取り上げた。施設に入る時に持たされたものだ。これを頼りにすれば、立派な市民になれる。皆や、お母さんと一緒になれる未来への唯一の鍵。

だが、彼らはそれを許しはしなかった。

「返して」

と少女は乞うた。

けれども、彼女は皆に取り囲まれ、組み伏せられた。

「更生なさい」

殴られ、

「悪魔め!」

蹴られ、

「汚れた子!」

つばを吐きかけられ――

(メディカルセンター 医務室)

「ちょっと、これ欠陥品じゃないの? ランプ消えたのに、全然起きないじゃない」

 モエカに蹴られて、カプセルは、ガンガン、と悲鳴をあげていた。

「待っていれば、快復すると説明を受けたでしょう! それに病院では、騒がないで。みっともないわよ」

 モエカの乱暴を制止するソーニャの声が聞こえた。

「でも、壊れたものは、こうすれば直るって」

「壊れてないの!」

「えー」

「ほら、意識が戻ったから。もうやめてったら!」

 浮遊感が徐々になくなり、心臓の鼓動が、微かに全身を揺らすのを感じた。精神誘導剤が、徐々に修復された体内で吸収され、意識が現実に戻ってきた証拠だ。

――端末は……? 良かった、在る……。

 ヒトミは、『伝心』が胸の内ポケットに在るのを確認して、小さくため息をついた。患者の意識の回復をセンサーが感知し、カバーが開かれ、ヒトミは、カプセルから起き上がった。

このまっ白で無機質なこの部屋には、見覚えがある。この前の事故の時もそうだった。あの後、メディカルセンターに送られたのだろう。と、ぼんやりした頭で考えていると

「ヒトミ!」

モエカが飛びついてきて、顔をあげ、

「あたしのこと、誰だか、わかるわよね?」

「モエカ! 大丈夫だった?」

「うん……! 怖かった、怖かったよぉ……!」

ヒトミは、泣き始めてしまった彼女の頭を、ポンポン、と叩いてあげた。

「……来てくれたんだ?」

 わんわん泣いている彼女を、抱きながら、金髪の少女に話しかける。目の前にいるのは、何かと突っかかってきた厄介者なのに、ヒトミの胸の中では、今にも熱い間欠泉が噴き出しそうだ。

「ワタクシは、キリシマ達を迎えに来ただけで。あなたは、そのついでよ」

「うれしいよ。本当に」

 よく無事で! そう言いかけて、ヒトミは、あの男がした、惨い仕打ちを思い出す。閃光が全身を焼き、灰となって崩れ落ちていく、あの感覚……。

「あ、貴方まで泣くことないじゃない。……どうせ、どんな怪我をしたって治るんだし」

 そう言われて、ヒトミは、自分が泣いているのに気がついた。

 ソーニャは、呆れたふりをしていたが、大の男に暴力を振るわれたのだ。きっと、怖かったに決まっている。ヒトミには解った。彼女の手が、微かに、震えていたのを見たのだ。

「でもやっぱり、こんな怖い思いをしなくて済んで良かった……!」

 ヒトミは、モエカを抱きしめた。彼女の恐怖からきた身体の震え、再会を喜ぶ互いの涙の温度が伝わってくる。

「……前から思ってたけど、貴方達って変な子ねぇ」

 水を差すようで、悪いけどというような眼。震えた手をもう片方で握りしめて。

「あんただって、そうでしょう? 泥棒猫なんて、今どき使わないって。ね? ヒトミ」

 ぐずりながら、モエカはソーニャをからかうので

「大昔の昼メロでしか、観たことないや」

ヒトミも泣きながら笑って、調子を合わせるのであった。

「ワ、ワタクシの高貴な言葉使いは、庶民には分からなくって当然よ!」

「ホントにィ?」

「たまに怪しい時あるよね」

「嘘! 毎日、御本を読んで勉強してますのに……」

「勉強!?」

「貴族って大変なんだなぁ。お疲れ様」

「貴方達に、同情されるいわれはないわよ!」

 モエカは、涙の痕が出来ていたが、もう普段の調子に戻っていた。ヒトミも、そうしようと思った。まだ、あの感覚は怖かったけれど、なにより、友達を不安にさせたくなかったのだ。

(ヴィルス アジト)

 

「フンフンフーン、フフーン」

 暗い部屋の中で、鼻歌を歌う男の声が聞こえる。スカートをふわりふわりとさせて、スキップアンドジャンプ。大理石で出来た床は、軍靴の底に打たれて、鼻歌に伴奏をつけている。

「やけに上機嫌ですね。Bl282842」

 皺枯れた老婆の声を聞いて、鼻歌が止んだ。サイリウムの薄い蛍光が、ぼんやりと岩の様な肌を浮き出させる。

「……ファミリーナンバーで呼ばないで頂きたいですね。僕は、もうエゴを獲得したのですから」

 男は、苛立たしげに老婆の方をみる。セクターでは珍しい、獣の毛皮を合わせた衣服を身にまとった姿からは、一見して、人間であると判断するのは難しい。いや、彼女はもはや人間ではない何か、なのだと考えることもある。

 その“何か”が男に問うた。

「首尾の方はどうですか」

「上々ですねぇ」

 男は、指を引き金にひっかけて、光線銃くるくる回し、銃口を老婆に向ける。

「バーン」

「ふふっ、楽しそうでなによりです」

 老婆は男の無礼を、まるで実の孫の悪戯を見るかのように微笑んだ。

「でも、これにはそろそろ飽きた。銃殺にゃ、風情って物がありません」

「風情?」

 男は、身体を震わせ、全身でいきり立つ。

「そう! 獲物が狩られると、自覚し! 絶望し! 死の恐怖に怯えきった顔ッ! それこそが、殺人の醍醐味。でも、光線銃では、その顔まで消し炭にしてしまう……」

「玩具を壊してしまっては、もう遊べませんものね」

「えぇ! えぇ! そうですとも! あの時、あの女の、死の恐怖に怯え、きったあの顔ッ!! アレで何度、私は絶頂したことか!!!」

「それは良かった。また一つ、あなたは、己自身を学べたのですね。」

 老婆は、うんうんと感慨深そうに、男の話に頷いた。

「ですが」

老婆は、ポケットから、携帯端末『伝心』を取り出した。端末は、男を認識し、OSを起動させる。

『Good Life! Bl282842 』

それを捉えた男の、

――サカキの眼は、より剥き出しになった。

「あなたは、まだエゴを取り戻してはいない」

「そんな! あの時、確かに破壊したはず……」

 憐れむように老婆は、眼を細める。

そして骨ばった手を突き出して、指を鳴らした。

(パチン)

老婆が、持っていたのは、石ころであった。

少なくとも、サイリウムの灯りに照らされていたのは、ただの石ころであった。

「……ッ!」

「“生き神”を消滅させない限り、あなたは、あなた自身の生を手に入れることは出来ない。」

「クソッ……!」

 サカキは、石ころを老婆の手から取り上げて、放り投げた。

「所詮あなたは、不完全な個体。その証拠に、己が欲望すら、彼女に触れることでしか、認識できなかった」

「でも、唯一の“生き残り”だ」

 サカキは、悔し紛れにそう言った。

「そうですね。確かに、そうだったのかもしれませんね」

「だった? まさか……! ようやく始まるのですか!」

 神経質で、不安定な、彼の眼に期待の灯が燈った。

老婆は、穏やかな笑みで返し、答えた。

「ええ、宣戦布告の時です」

 

(メディカルセンター 中央エレベーター)

 ヒトミ達は、エレベーターに乗った。キリシマ達の治療には、まだ時間がかかるので、今日はもう帰ることにしたのだ。特殊強化ガラスで出来た壁からは、今日も天まで届くほど高い白亜の塔を眺めることが出来た。

「でもよく、病室に入れたね。一般人は、立ち入り禁止なんでしょう?」

 ヒトミは、ふと湧いた疑問を投げてみた。

「えっ、そうだったの? 

玄関の前で、ガードロボットに捕まってたらさ、背の高い男の人が、中に入れてくれて。

えーっと、なんていったっけ? あの人」

 モエカは、喉に引っかかって出てこない何かを出そうと、額に指を当てて唸った。

「院長様でしょ。第一級クリアランス「白」のお一人。

まあ、あなた達みたいな底辺にとっては、雲の上にいる様なお方だから、覚える必要もないんでしょうけど」

「そうそう、そのインチョーサマが、お友達にご面会ですかって聞くからさ」

「ちょっと、なによ。スルーはないでしょ」

 嫌味をさらりと流されて、ソーニャは、不服そうに唇を尖らせる。

「そうですって答えて。キリシマちゃん達は、まだ退院できないけど、ヒトミなら今日だからって」

「えっ? じゃあ、まさか、勘で来たの? “院長さん”に、問い合わせもせずに?」

 ヒトミは、『ヒガンさん』とはあえて言わなかった。知人だと知られると、ソーニャが、どんな癇癪を起こすか分からない。

「いや、せっかくの休日じゃない?」

「うん」

「でもさ、あたしもソーニャもお互い、遊び相手が、入院しちゃったじゃない」

「うん」

「だから、暇な人同士で、お見舞いにいこうって、メール送ったの」

「なるほど」

「いや、なるほどじゃないわよ!」

 モエカの飛躍した返答に、戸惑うこともなくヒトミが頷いたが、ソーニャは納得がいかない様子だった。

「そもそも、あの時、ワタクシは別にいいと断ったでしょう」

「学校じゃ、ヒトミの事まで滅茶苦茶、心配してたくせにぃ。それに、あたしがいなかったら、こんな天気の良い休日に、部屋の中で腐っちゃうとこだったのよ。感謝しなさいよね」

 モエカは、ガラスの天井を指さした。円筒状の空は、どんよりとした曇に覆われていた。

「今日、曇りだね」

「このくらいが、出歩くにはちょうどいいでしょ。あんまり、晴れてると、日焼けしちゃうって」

 モエカは、フフンと胸を張る。

「だいたい、どうして、ワタクシの家が分かったのよ」

「人に聞いて回ったの。簡単簡単♪」

「今日は一日、勉強するつもりでしたのに……」

 ぶつぶつと、ソーニャは、文句を言う。せっかくの休日をモエカに振り回されて消費してしまったのだ。ご愁傷さま、とヒトミは、心の中でソーニャに同情した。

「でも、ラッキーだったね。あのままじゃ、あたしら、更生施設送りだったよ」

 バンバンとモエカは、ソーニャの縮こまった背中を叩きながら、呑気に笑う。

「だから、暇だからっていく場所じゃないと、あれほど言――!」

 ソーニャが怒って喚くと同時に、身体にかかっていたGがくくっと弱まった。ソーニャが、勢い余って、転びそうになった。ヒトミは、さっとその肩をつかんだ。

「あ、ありがと」

「どういたしまして」

『オ待タセシマシタ、一階、デス』

(一階、ロビー)

 アナウンスとともに、エレベーターのドアが開く。ロビーには、誰もいなかった。

「ありゃ、あの人、もういないじゃん。一言、お礼言いたかったのに」

 モエカは、ヒガンの姿が見えないのを残念そうに言った。

「院長様なんだから、お忙しいんでしょう。大丈夫よ、感謝の気持ちは、きっと伝わってるはずよ」

 ソーニャは、何げなく言ったつもりであったが、モエカが、じとっとした目でこちらみているのに気づいた。

「なによ」

「……ソーニャってさ、結構、ロマンチスト? 夢見がちなお年頃なの?」

「別にそんなんじゃないわよ! もう!」

 ソーニャは頬膨らませて、たかたかと歩を速めた。

「まあまあ、落ち着いて……」

 ヒトミは、彼女を宥めようと、一緒に正門を出ていった。

「全く、子供なんだから」

 モエカが、ひとりごちていると

「置いてくよー」

 ヒトミが呼ぶので、駆け足で追いついた。

〈黒背景〉

「そう言えば、二人はどうやってここまで来たの? まさか徒歩で」

 ここから第七地区まで徒歩で半日かかったのを、ヒトミは思い出した。黒のクリアランスでは、中央から出ている交通機関を使えないのだ。

「まさか! 大切な休日なんだから、時間は有効に使わないとね」

 モエカの答えに、ヒトミは、話が見えないと首をかしげる。他に手段なんて、なかったはずだ。そう思っていると、ソーニャが、わざとらしく咳払いをした。

「あなた、まさか、ワタクシの階級を、お忘れになったんじゃなくって?」

 そう言って、ソーニャは、自分の『伝心』を出した。画面には、ソーニャをリーダーとして、キリシマたちが補佐官、平の役職としてモエカ、そしてヒトミの名前があった。

「あぁ、そっか。ソーニャが、監督官になってくれたのか」

「ご名答」

 ソーニャは、得意げに答えた。

 セクターで、第三位の権限を持つ青は、公務の現場を、実質的に執り仕切っている階級である。

つまり、任務に当たる際、下位の階級の者の処遇を決める権利、そして部隊を編成する権利を持っているということだ。

だが、このセクターという街では、階級によっては、使うことのできる公共サービスに制限がかかる。

もし、チームで行動する際に、部下が取り残されて、指揮官だけが現場に入ったとしても、一体なにが出来るだろうか? そのために、青には監督官として、自分が目の届くことならば、部下に自分と同等の権利を与えることができる。

 〈電車〉

そういうわけで、ヒトミ達は中央の駅から出ている、列車に乗ることが出来たという訳である。

 青の階級の列車というだけあって、いつも使っている列車よりも揺れも少なく、何より、すし詰め状態でないのが快適であった。

「ホント、ソーニャ様々だねぇ。あたし一人じゃ、一日使っても来られなかっただろうし」

 モエカは、広い座席を大股開きで、背もたれに寄り掛かり、列車の旅を満喫していた。

「まさか、その為にワタクシを連れてきたのでは……」

「ま、ま、まっ、細かい事は気にしなさんなって」

 モエカは、ソーニャの肩をぽんぽんと叩いた。

他の乗客が、訝しげにこちらを見ているのを見て、金髪の少女監督官は、顔を真っ赤にして、俯いた。

列車の窓から見る景色は、薄暗い、のっぺらぼうの壁から、オフィス街の高層ビル群に切り替わった。列車が駆け足で、高層ビルに近付いては通り過ぎていく。列車が、中央を抜けたのだ。

「今から、どこか行く? 夜まで、まだまだ時間があるし」

モエカは、右にヒトミ、左にソーニャの腕をからませて、きゃっきゃとはしゃいで言った。

「帰るわよ! 早く家に戻って、勉強の遅れを取り戻さなくてはいけないし」

 ソーニャは、もうへとへとだと、言わんばかりの様子で言った。

「なに、言ってんの? そんなことしてたら化石になっちゃうよ。

春は短し、遊べよ乙女ってね! ね? ヒトミも行くでしょ?」

曇り空から、微かに日の光が漏れていた。さっき見たよりも雲が薄くなっていた。まだ日は、昇り切っていない。しかし、何日かは家を空けてしまっているのだ。ヒトミは、メアリが心配しているのではないか、と気になった。

「一回、部屋に帰っていい? メアリに一言伝えておかないと。心配してるだろうし」

「それじゃ、どこで待ってようかなぁ……」

 モエカは、列車の電灯の方をみながら、何やら考えている。

「ワタクシは、別に貴女達と慣れ合う気は、ありませんのよ」

 ソーニャが抗議した。モエカは、尚も唇を尖らせて思索に没頭している。

「多分、聞こえてないよ……」

 ヒトミは、ソーニャに同情した。

「ちょっと、話聞いていまして?」

 むっとしたソーニャは、モエカの肩を揺する。

すると、突然

「そうだ! メアリちゃんも誘って、どこかへ行こうよ!」

 と結論に至った。

「メアリ、人見知りだからなぁ。まあ、一応聞いてみるよ」

「やった!」

「さっきから誰ですの、メアリって?」

 

「ヒトミの彼女」

「貴女って、もしかして……、そっちの人なの?」

「違うよ。幼馴染。それに私は、同性愛者でも何でもないんだってば」

「でも同棲なんて、おっかしいなー。勘ぐっちゃいますよねぇ。ソーニャ氏ぃ」

「なによ、その喋り方……。でも珍しいですわね。同棲なんて」

「そうなの? 幼年学級出て、すぐに一緒に住み始めたからなぁ」

「十年以上一つ屋根の下で生活しているのですか」

「あぁ、そういうことになるね」

「彼女っていうか。もう、それ、姉妹ね」

「家族なことには、間違いないね。親友とも言えるけど」

「あたし達も親友よねー♪」

「そうかな?」

「ワタクシは違いますわよ」

「えっ……」

「じょ、冗談よ」

「まあ、そうだね」

 ヒトミは、興味もなさそうに、ぼそっと肯定した。

「ちょっと、ヒトミ。その反応、割とマジで傷つくから」

〈ヒトミの家〉

 ヒトミの家には、昼前に着いた。

「じゃあ、そこで待ってて。聞いてみるから」

 ヒトミは、二人に階段の前で待っているように言った。

「あらあら、王子様がお出迎えですかぁ? おアツいですわね。ね、ソーニャさん?」

 モエカが茶化す。

「いけない、いけないわよ。女性同士でそういうものは……」

 ソーニャは、なんだか自分の世界の中に入ってしまう。

「だから、そういうのじゃないって」

 ヒトミは、ため息をついて、たかたかと所々錆びた、金属製の階段を登った。

 玄関のドアをノックした。

「メアリ、居る?」

 反応は返ってこない。

「お昼寝してるのかな。ドア、あけるよ」

 ヒトミは、『伝心』を内ポケットから取り出して、ベニヤ板のドアにとりつけられた電子ロックにかざした。電子ロックは、ヒトミのファミリーナンバーを確認して、解除される。ヒトミは、ドアノブを回した。扉が開かれる。

〈ヒトミの部屋〉

「なんだ、やっぱり、寝てたのか……」

 メアリは、すー、すーと、寝息をたてて眠っていた。洗濯物を畳んでいる途中で、眠ってしまったのだろう。彼女の白いブラウスやヒトミのシャツを畳んであった。

「そんなんじゃ、風邪ひいちゃうよ?

……よいしょ、っと」

 ヒトミは、メアリの柔らかい身体をひょいっと持ち上げた。

「メアリ、もしかして痩せた? 軽くなったなぁ」

 ヒトミは、メアリをベッドの上に寝かせてあげる。

「ホントに気持ちよさそうに寝てる」

 メアリは、相当、よく眠っているのか、ヒトミに持ち上げられてもスヤスヤと眠っていた。

「邪魔しちゃ、悪いよね……」

『友達とちょっと遊びに行ってきます。夜には戻るから。心配かけてごめんね ヒトミ』

と書き置きを残して、部屋を出ようとする。

 ヒトミが、ドアノブに手をかけた時、薄いドアの向こうから声が聞こえてきた。

「ちょっと、モエカ! ダメでしょう、勝手に人の部屋覗いちゃ……!」

「えー! だってみたくない? あのヒトミがだよ?」

「確かに、気になるかと言えば、気になりますけど……」

 ヒトミは、遠慮なく、ドアを押し開けた。

「うわわっ」

 ドアにもたれていたモエカは、押しのけられて、尻もちをついた。

「痛た……」

「待っててねって、言ったよね?」

 ヒトミは、表情こそ笑っていたが、怒気を立たせていたのがモエカには、はっきりと見えた。

「言った、言ったよ」

 モエカは、ソーニャの側に隠れた。

「行儀が成ってないわよ。貴女」

 ソーニャが、モエカの手を持って起こしてあげる。

「はいはい。じゃ、出発、出発」

 ヒトミは、モエカの頭を持ち上げてドアから引き離した。

ソーニャと一緒にモエカを引っ張りながら、階段を下りていった。

〈ヒトミのアパート前〉

「で? どこに行くのさ」

「決まってんじゃん」

「ワタクシ、もう帰りたいのですけど」

 ソーニャは、うんざりした顔。

「まだ、昼すぎじゃない」5番街よ!」

 ヒトミの言葉は、モエカに遮られた。ソーニャが額に手を当てて、ため息をついた。

「モエカ、別に“あれ”は、未達成でも良い目的ですのよ?」

「あれ?」

ヒトミが、何のことなのか分からずに聞いた。

「あたし達、一応、チームでしょう?」

「まあ、便宜上? そうなるね」

「だから、目的を達成しましょう!」

「なるほど。わからん」

 モエカの回答は、いつも分かりにくい。

「ヒトミ、貴女、チームを組んだことないの?」

「ないけど」

「実習の時、どうしてたのよ」

「メアリと映画、観てた」

「学校をずる休みしたのね! これは、許されないわ!」

「まあまあ、遠い過去の話は、置いとこうって」

「モエカ、どいて!

この子は反逆者よ!」

「いやいや、メアリが映画見に行きましょうっていうもんだからさ」

 ヒトミは、『伝心』を内ポケットから取り出した。表示されたのは、先ほど、ソーニャが見せた、チーム申請表であった。リーダーをメアリ。補佐官として、ヒトミが登録されていた。

「もしかして、ワタクシのこと、からかってまして?」

「チームじゃなくって、コンビでしょ」

「やっぱり、あなたは反逆者だわ! 磔刑よ! 磔刑に処すわ!」

「ソーニャは真面目だなぁ。

で、なんで、五番街なんかに行くのさ? 映画でも観るの?」

騒ぐソーニャを片手でいなしながら、ヒトミは言った。

「Non! Non! Non!」

 モエカは、フフンと得意げな様子で、人差し指を振った。

「これを見なさい!」

そして、自分の『伝心』と、ヒトミのものをリンクさせた。

チームの達成目標、という欄に、『五番街での連続婦女暴行事件についての調査』と表示されていた。

「連続婦女暴行事件?」

「あんたが、入院してる一週間の間に、50人が病院送りにされたの。この間、七番街の大通りで起きた清掃用ロボット暴走事故の時、――あんた、それで入院したんだっけ――

史上初の人災だ。なんて、言ってた矢先にこれよ。」

 ソーニャの顔に、さっと、暗い影がさした。きっと、あの時のことを、思い出したのだろう。ヒトミは、少しだけ、神妙な面持ちになった。

「まさか、それを調べるっていうの? 私たちが?」

 モエカが、変な気を起こそうとしているのではないかと、ヒトミは心配になった。

「あたし達に無関係って、訳でもないのよ。これが」

 モエカは、『伝心』に事件の公式発表の立体映像を表示させた。立体映像に現れたのは

『私が、市民監督署捜査局の第七居住区管理課、エノシマ警部である』

「また、この人か」

「知ってんの? ヒトミ」

「うん。前の事故の時に、ちょっとね」

『先日から、七番街を中心とした東地区で、10代から20代の婦女子が、危害を加えられる事件が連続的に発生している』

「偉そうにふんぞり返ってさ。まるで、どっかの誰かさんみたいよねぇ」

 モエカが、ソーニャを横目で見た。が、ソーニャは、まだ暗い顔をしている。

「どうしたの?」

ヒトミは、手をソーニャの前で振ってみた。それでも、ソーニャに反応はない。思いつめた顔。だから、ヒトミは、そっと手を握ってあげて、もう一度、どうしたの、と聞いた。

「……お父様なの」

「は?」

 モエカが、口をポカーンと開けた。

「世の中って狭いね」

「この人が、ワタクシのお父様。ファミリーナンバーBl-110210」

 ソーニャは、立体映像のエノシマを食い入るように見つめている。

「そりゃ、なんかごめん」

 モエカは、バツの悪そうに、顔を指でポリポリと掻いた。

「良いのよ。幼年学級に入る頃には、もう、お会いしたこともなかったから。でも、やはりお父様は素晴らしいわ。あんなふうに、立派に職務を果たされていて。ワタクシも見習わなくては」

 そうかなぁ。規則にうるさくて、柔軟な考えが出来ない、あの男のどこが立派なのか、とヒトミは思った。が、ソーニャの切なそうな顔を見て、あえて口には出さない。

『退院をされた被害者の方に、事情聴取によると、犯人は、旧式の反乱分子更生用光線銃を用いていた。とのことで、捜査部としては、犯人はセクター内のどこかの鎮圧用具保管庫から、光線銃を持ち出した、とみている。無論、セクターの幸福を第一に考えている諸君ら、善良なる市民の中から犯人が出るはずはない。犯人は、文明の作法も知らぬセクター外部の蛮族であるに決まっている』

「光線銃って、もしかして」

「そう。ヒトミや、キリシマちゃん達と同じ――」

 サカキか。ヒトミは、あの殺人狂の顔を思い出した。

「まだ捕まってなかったの」

「そそ。だから皆で真犯人をつかまえようって」

「ダメよ。お父様がなんとかしてくれるわ」

「でも、蛮族が犯人なんて見当違いなこと、言ってるよ」

 モエカはもう一度、立体映像を再生させた。

 ソーニャは、苦々しい顔をした。

「だったら、その事を伝えに行こう。市民から犯罪者が出るなんて、きっと見当もつかなかったんだよ」

 ヒトミは、俯くソーニャの肩を叩いた。

「そう……そうね。ワタクシの舎弟達に酷いことをした罪も償ってもらわないと」

「じゃあ、捜査局に行こう。この地区の担当部署に行けば、取り合ってもらえるはずだから」

「そうと決まれば、行きましょう!」

 ソーニャは、他の二人を置いていってしまう。

「じゃあ、私たちもいこうか」

 ヒトミは、モエカに声をかける。モエカは、ジトっとした目でこちらを見ていた。

「……ヒトミさ。結構、神経図太いよね」

「そう? このくらい、普通じゃない」

「この犯罪者」

「褒め言葉として、受け取っておくよ」

 ヒトミは、にっこりとモエカに笑い返した。

〈第七地区 市民監督署 前〉

 市民監督署。セクター市民は、生きていくうえで必要な社会規範や技術を脳に直接、書きこまれることによって、社会に適応する。彼らは、一八年間の“教育期間”を経て、セクターの幸福原則、『市民憲章』に基づいた行動を順守する完璧な市民になる訳である。そこに、間違いはなく、疑う余地はない。では、どうしてこの社会において、前時代で言うところの警察組織が存在しているのであろうか。

答えは簡単である。このセクターという街が、拡大しているからだ。セクターは、高い城壁を超えた外、『フロンティア』と接触しており、そこで未だに文明に触れずに生きる蛮族が、この街の中に侵入してくるのだ。蛮族は、『市民憲章』に順応できず街中で罪を犯してしまう。それを取り締まるのが市民監督署である。監督署は、セクターの各地に支部が存在し、そして、ここは第七地区の支部である。

 その監督署の前でヒトミ達は、固まっていた。

『職業適性ヲ確認――出来マセン』

「全く、セクターってホントに動きづらいとこねぇ」

 モエカは、監督署の前を通せんぼしているガードロボットに悪態をついた。

「まさか、キミのクリアランスでも侵入不可能な場所があるなんてね」

「当然でしょう。ワタクシ達、まだ学生なんですから」

 モエカは、『伝心』でヒトミにプライベートチャットを送った。

M:ハッキングでなんとかなんないの?

H:いや、中に入ったら、服でばれちゃうよ。“黒”が、捜査局なんかに居る訳ないでしょ

M:そこはさ、なんとか。ノリで

H:入院はいいんだけど、施設行きは嫌なの

M:楽しくなりそうだったのにさぁ

H:真面目にやろうよ……

 愚痴るモエカを無視して、ヒトミは回線を切った。

「どうしましたの? 二人して」

 不審に思ったソーニャが、話しかけてくる。

「なんでもないよ。ね、モエカ」

「うん。ナンデモナイヨ」

「それならいいんですけど、どうしましょう」

 ソーニャがこれからの話をしようとした、その時。

「あれ? ヒトミちゃん。なんでこんなところにいるの」

 と、軽薄そうな若い男が入口から出てきた。

「えっと……誰ですっけ?」

「あ、あれ? 俺のこと覚えてないの?」

 ひょろりと背の高いその男は、髪をポリポリと掻いた。ヒトミは、癖っ毛を弄りながら、記憶の中を探ってみた。“赤”、高身長、痩せ型、男性……。

「ほら、この前の事故の時、エノシマ警部と一緒にいた」

「アラシオさん!」

 ヒトミは、やっと思い出した! と目を輝かせたが、目の前の男は、がっかりした様子で

「アラ“マキ”だよ……。俺って、そんなに印象薄いの……?」

 と愚痴る。すると、モエカが何かを企んだ顔で、アラマキに話しかけた。

「お兄さんさぁ。もしかして、捜査局のヒト?」

「そ、そうだけど。何かな?」

 上目遣いのモエカに、少しドギマギする。それを見て、モエカはより、口角を吊り上げた。

「あたし達、最近、起きてる事件の情報について、ちょっと、知ってるんだよねぇ」

「えっ、事件って。連続婦女暴行事件の?」

「そそ」

 肯定をしたものの、モエカは、少し、間を置いた。アラマキは、何かを察して

「なにがお望みだい? みての通り、新米だからさ、おやつ用にとっておいたチョコレートしか手持ちにないけど」

「それは、魅力的。でも今、あたし達さ、チーム組んでて。皆で分けられるモノがいいなぁ」

「チーム? と、するとこの子がリーダーかな」

 アラマキの目が、ソーニャの方に向く。

「えっ、ええ、そうです。ワ、ワタクシが隊長」

「ちょっと待って!」

 言うが早いか、モエカが、ソーニャに

――何か、もらえるかもしれないでしょ。絞れる時に絞っとかないと、いつ絞るのよ

と素早く耳打ちする。

「ああ、ごめん。こういうときは、隊長を通すのが決まりなんだ」

 アラマキが、モエカに断りを入れた。釘を刺されたモエカは、チッと短く舌打ちをした。

彼らは、文面を知っている訳ではないが、市民憲章、第一章「公的なる幸福」の十七節に根拠がある。

『市民は公の利益のために存在するのであり、その正味を決めるのは、最も上位の者である』

また、同章第一節に

『市民とは公のために在り、公とは市民である。何人たりとも、余剰の幸福を求めてはならず、出来る限り多くの市民が幸福であるように努めなければならない』

つまり、この場合に置き換えると。部隊での交渉は、基本的に隊長であるソーニャがやるものであり、また、抜け駆けは禁止ということだ。

ソーニャも、その事は、当然、頭の中に入っていた。けれども、ソーニャは緊張した。急に話を振られて、しかも普段話さない様な就業年齢の男性を前にしたら、よほど図太くない限りは、こうなってしまうのが道理だろう。

「あ、あの、ワタクシ達、事件のことで、その」

「なんで、あたし達より、あがっちゃってんのー?」

 モエカは、ソーニャの姿を見て可笑しそうに笑った。

「いつもみたいに堂々としてればいいのに」

 ヒトミは心にもない事を言う。

「もう! 貴方達、静かにして!」

「大丈夫?」

 アラマキが、心配そうにソーニャに言った。

「大丈夫です! ワタクシを、誰だと思ってるの!?」

 ソーニャが、すごい剣幕で捲し立てたので、アラマキは身をたじろがせた。

 面をくらったアラマキは、ヒトミに言った。

「こ、個性的なお友達だね……」

「あっ、分かっちゃいます? あたし達、親友なんです!」

 モエカが、自慢げに二人の腕を組んで、ブンブンと振った。

「誰が親友ですって!?」

 ソーニャは、やっぱり怒って、

「そうだね」

 ヒトミは、無関心そうに肯定した。

――――――――――――――――。

――――――――。

――――。

「なるほど……。青のクラスの優等生が、意味もなく、光線銃をぶっ放すなんてねぇ」

 説明を受けたアラマキが、興味深そうにソーニャの説明に頷いた。

「ですから、このことをお父……、指揮をとられている、エノシマ警部殿に伝えてほしいのです」

 落ちこぼれとはいっても、やはり“青”は、“青”。話し始めれば、ソーニャは、毅然とした態度で、説明することができた。

「あんなキチガイが市民なんて、ありえないって、ね? ヒトミ」

「そうだね。実際に、人に迷惑かけてるし……。更生施設に入らないとダメかも」

 ヒトミも、『伝心』を弄りながら、その意見に同調した。

「了解しました。このことは、エノシマさんに伝えておきます。ただ……」

「ただ?」

「いや、貴重なご意見ありがとうございます。捜査の参考にさせていただきます」

 アラマキは、敬礼して話を打ち切った。

「話、終わった? じゃあ、報酬の話しましょ? ね、いいでしょ」

 モエカは、目を輝かせながら、ソーニャに交渉をせかした。

「報酬のことは、まだ話せないよ。それに、俺はまだ下っ端だし……。この情報がどれだけ事件の解決に役立つか、上と相談してからになるね」

「そっか、残念」

「そんなに上手くいかないって」

 ヒトミは、やれやれと嘆息する。

「そういえばさ、アラマキさんは、なにしに出てきたのさ」

 頭の切り替わりの早いモエカは、ふと気になったことを聞いてみた。

「やっと休憩もらえたからさ、遅昼でも食べようかと」

 捜査局も今回の事件で忙しくなっているのだろう。アラマキは、ニコニコとしていた。

 『伝心』を弄っていたヒトミは、ふと時刻を見た。その画面を立体表示モードに切り替える。

「大丈夫? 休憩時間」

 ヒトミの『伝心』から、立体映像を映し出された。時計の針は、午後3時を指そうとしていた。それを見た、アラマキはみるみる顔が青ざめていった。

「あぁ! また、エノシマさんにドヤされちゃう」

 アラマキは、とぼとぼと捜査局の中へ帰っていった。小さく丸まった背中が悲しい。

「お仕事、お疲れ様です」

 ヒトミ達は敬礼を返して、彼の背中を見送った。

――――――。

――――。

〈列車〉

 三人は、第七地区を環状に走る列車に乗った。地区は一から一六までの街に分けられて、北から一番街、北北東に二番街と言った風に位置している。ヒトミ達が乗ったのは、七番街の駅だから、第七地区の南南東に位置する駅に乗ったという訳だ。

「結局、とんぼ返りだったね」

 ヒトミは、『伝心』を弄りながら、いった。

「よーし! これから、どこか遊びに行こう!」

 モエカは、まだまだ元気だ。朝から、ずっと歩きっぱなしなのに良くはしゃいでいられるな。と、ヒトミは思った。その隣で、ぐったりと項垂れているソーニャとは、凄い違いだ。

「ソーニャ? 元気ないね。どうしたのさ」

 モエカは背中をバンバンと叩きながら、ソーニャに言った。

「むしろ、どうして、そんなに元気なのよ……」

 げっそりとした様子で、ソーニャは答えた。

「インドア派なの? ソーニャって」

「そうよ。休日は、家で御本を読もうと……」

「さっきから気になってたんだけど、本って、何さ?」

「ああ。そうね、知らないのも無理ないわね……。本というのは、天然の木を加工した紙というものをまとめた旧時代の情報媒体よ」

「へー、珍しい物を持ってるんだ」

 モエカは、ヒトミの腕を揺すって、話しかけてくる。

「ね、ヒトミってそういうの興味ないの?」

「うーん。私はちょっと……。電子端末じゃないと、なんだか使いづらそう」

 ヒトミは、画面をみながら、癖っ毛を弄る。

「まあ、昔はよく読まれていたらしいですわ。ワタクシはどうも、端末との相性が悪いみたいで、データが表示されるスピードが遅いのよ。本で読むのも変わらないし、接続疲れもないから、部屋で読むときはそうしてますの」

「じゃあ、ヒトミとは真逆だね。ヒトミのは滅茶苦茶速いんだよ、ね?」

「うん。まあ、暇なとき、いつも弄ってるせいで慣れてるんだと思う」

 ヒトミは、ハッキングできるくらいにとは、言わなかった。こういう時には、平然としている人間なのだ。

「へぇ。それは、羨まし……。ゴホン」

 ソーニャは、素直な感想をわざとらしい咳払いで誤魔化せたつもりだ。

「さっきから何を見ているのよ? ま、どうせ、ロクでもないものを見ているのでしょうけど」

「ニュースサイトを、ちょっと。今朝まで寝てたからさ。色々大変なことになってるんだって」

『開発支部食糧盗難、組織的な犯行か』『清掃局新人事決定』『バイオプラント老朽化、食料供給減少の見込み』……色々な記事の中に、『集団婦女暴行事件、侵入者の犯行か』という件のものがあった。

ヒトミが記事を見ていると、モエカが画面を覗きこむ。

「ヒトミにしては、真面目な物みてるじゃない」

 モエカは、意外そうに言った。

「まあ、たまにはね」

 ヒトミは、事件のページを開く。

『集団婦女暴行事件、侵入者の犯行か

三日から今日までに、五〇名の善良なる市民が被害に遭った。市民は、メディカルセンターにて治療を受け、続々と回復し生産活動に戻っている。担当捜査官からの取材によると、犯人は一〇代から五〇代の男または、女。凶器に使ったと考えられる拡散式光線銃は、旧時代に起こった悪しき暴徒鎮圧用に使われたものであり、現在は、中央の余剰兵器倉庫に封印されていたはずなのだが、詳細は目下捜査中とのこと。

なぜ、完璧なこのセクターにおいて、このような暴力犯罪が起こったのか。それは、近年、フロンティアの未開拓民たちが、浅ましくもセクターの栄華に預かろうと侵入してくるからである。こうした未開拓民たちは、市民に成りすまし、犯罪に手を染めているのである。

我々、高潔なる市民は、市民憲章の完璧で幸福な理想の体現者である。そのような蛮族の徹底的な排除こそが、今の急務ではないだろうか。』

「要するに、まだ何も分かってないってことね。アホくさ」

 モエカは、読んで損したと、がっかりした。

「まあまあ、私たちの情報で進展するって」

 ヒトミは、記事を閉じ、『伝心』を内ポケットに入れた。

「そうですわ、ワタクシのお父様が指揮をとっているのですもの。安心しなさいな」

 ソーニャは、どこか夢見心地な目をする。

……あんまり安心出来ないかも。と、ヒトミは思った。

――――――。

――――。

――。

「じゃ、どこ遊びに行くか決めよ」

 モエカは、足をバタバタさせた。

「私、パスで。」

 ヒトミが、そっけなくことわると

「じゃあ、ワタクシも」

 ソーニャもそれに続いた。

「もー! 二人とも折角のお休みなのにさ。家にばっかりいると、干物になっちゃうよ? どこか行こうよ~」

 モエカは、ヒトミの腕をとって身体を揺らした。

「干物かぁ。しばらく食べてないなぁ」

 ヒトミは、そんなことはお構いなしに自分の世界に入ってしまっている。

「はぁ、ダメだこりゃ……」

「モエカ、貴女、お家どこなの?」

「もう完全に帰る雰囲気だー!」

「ワタクシも疲れたのよ……。一応、隊長だから、最後まで残らないといけないし。さっさと答えてちょうだい」

「うぅ……。分かったよ。でも、今度はキリシマちゃん達も一緒に遊ぶんだからね!」

「はいはい。」

――――――。

――――。

遊び足りないと駄々をこねるモエカを、ソーニャが、なんとかあやして、電車から降ろした。

来週だからね! 絶対だよ!

モエカが、一々、念を押して手を振るのを見送った後、ソーニャは、列車の座席に座って

「ふぅ……。これで家に帰れるわ……」

 と一息ついた。

「お疲れ様」

「貴女も、ちょっとは手伝いなさいよ……」

「モエカは、ああなると面倒くさいから」

 ヒトミは、癖っ毛を弄った。

 それから、沈黙がややあって、列車の揺れる音だけが聞こえた。

 二人とも、何も話さず、ぐったりとしていた。

「そうそう、貴女」

 ソーニャが、話を切り出した。

「この前はごめんなさい」

「なにさ、突然」

「泥棒猫とか言って。あまり貴女の話も聞かなかったし」

「そんなにしんみりされたらさ。困るよ。ホントは、こっちが、お礼を言わなきゃいけないのに」

「何のこと」

「今、この列車に乗ってる事もそうだけどさ」

「ああ、いいのよ、そんなこと」

「あの時、アイツに襲われた時、助けようとしてくれたじゃない? その事にお礼が言いたくて」

「……結果的に、助かったのは、ワタクシと、モエカでしたけどね。それにしてもどうして、ワタクシ達は助かったのか」

「さあ、私にも、さっぱりわかんないや。飽きちゃったとかじゃない?」

「こんな言い方、不謹慎かもしれませんけど。ワタクシも、貴女やブシザワ達にお礼を」

「なんだか、訳わかんなくなっちゃうね」

 アハハ、とヒトミが笑うと

「ふふ、そうね」

 と、ソーニャも釣られて笑った。そういえば、彼女のこんな風な自然な笑顔を見るのは初めてだな、とヒトミは思った。

「じゃあ、もう、この話は止めにしよ」

「そうしましょうか」

〈マモナク、第七地区七番街。ゴ乗車ノ方ニヲ気ヲツケテ――〉

 列車のアナウンスが車内に流れた。ヒトミは、席から立ち上がった。

「帰り道、気をつけてね」

 ヒトミは手を振った。

「そっちこそ」

 列車のドアが閉まった。

〈第七地区 五番街(背景黒)スプラッタショー〉

 暗い闇の中、女たちが鎖に繋がれて壁に貼り付けにされている。

 赤、緑、青、黄、様々な色の衣服。しかし、皆、一様に恐怖に怯えきっていた。

彼女らの目の前には、山ほどの“動かなくなった人間の身体”。

 地下室の中は、腐臭が漂っていた。

「ひー、ふー、みー、よー、……いやぁ、新記録だね。これは!」

 サカキは、今日の“狩り”の成果を数えて、悦に入っていた。彼の右手に持った脚の長さ程の鉄パイプを、床に擦りつける。耳にとりつけたマイクロフォンから、老婆の声が聞こえた。

――良いですね? 合図するまでは、彼女らには手を出さないで下さい

「えぇ! えぇ! 勿論ですとも!」

 けれども、そういうサカキは、面白そうに、鉄パイプを、女たちに向かって振りおろす。

 ガンッ

鉄パイプが一人の顔面の間近で、壁に当たって音をたてた。

女は、これまでの責めに憔悴しきっており、まるで声も出さない。

「あれぇ? 君達さぁ、もっと怖がってくれないの? もっといい顔してくれないとさ。困るんだよね!」

 サカキは、片手で“人間の身体”の山の中から一体を取り出した。

今度は、その“人間の頭蓋”に向かって、鉄パイプを振りおろす。

 ガンッ

 頭蓋は、衝撃で跳ねはしたが、後は何の変化も見られない。

「意外に頑丈だなぁ。まあ、いいか」

 サカキは、深呼吸した。

「顔が潰れるまで! 何度でも! 叩けばいいだけだよね!」

 サカキは、フルマラソンを走りきったように息を切らし、鉄パイプを放り投げた。

「このくらいやれば、大丈夫かなぁ?」

 サカキは、“冷たくなった人間”の髪を引っ張って、持ち上げた。その頭を自分の方に向けて、うん、良い出来栄えだ。と、自画自賛した。

そしてそれを、女たちの方に、引きずって近づいていく。

ずっ

ずっ

ずっ

 十分に顔が見えるであろう距離まで近づいたサカキは、“作品”を彼女たちの前に立たせた。何度も鉄パイプで叩きつけられた顔は、そこらじゅうの骨が砕けて、血で混ざってドロドロに溶けているように原型が無い。

「見てただろ? 見てたよな? 完成です!

題名は、ズバリ! 『未来のキミ』!

ハイ! 皆! 拍手!」

 サカキが手をたたく音だけが、むなしく地下室に響いた。女たちは、手首を鎖で繋がれているのだから当然である。

「あぁ! もう! どうしてこうも、皆、無感動なんだね! これだから木偶人間は、つまらん!」

 サカキは、ふん、と鼻を鳴らして、“作品”から手を離した。血だまりに落ちて、鈍い音がした。

「賢者様! 準備はまだなのですか! 僕はもう我慢できません!」

 苛立ちが最高潮に達したのか、サカキはマイクロフォンに向かって怒鳴りつけた。

――そろそろ、準備ができます。せっかくの晴れの舞台なのですから、派手に行きましょう。

「聞いたかい? 皆! これから君たちは、刺激的な体験をすることになる!

このセクターで選ばれた、キ・ミ・た・ち・だけが!

一体何百年ぶりなんだろうね! 羨ましいよ!

 まあ、僕はたとえ、“死んでも”嫌だけどさ……

 でも? でもでもでもでも!

 キミたちは喜ぶべきなのさ!

やっと僕らは退屈から解放されるんだから!」

 

〈ヒトミの部屋〉

 ヒトミは、家に帰ってきた。ここから一時間弱かかる駅から歩いてきたので、もう日が暮れかかっていた。夕焼けがまぶしい。

「メアリ、起きてる?」

ドアをノックしたが返事はない。

「まだ寝てるのか。珍しいな」

鍵を開けて部屋の中に入る。

「ただいま」

 部屋の中は、昼ごろに帰ってきた時と全く変わっていなかった。中途半端に畳み終わった洗濯物と、ベッドの上で寝相良く眠っているメアリ。

 窓から差し込む夕焼け色に照らされてキラキラしているメアリの髪を、ヒトミは眺めた。

 そして、ふと、思い出す。

「そういえば、今日の家事当番、私じゃないか」

 ヒトミとメアリは、ルームシェアをしている。幼年学級を出た後、一緒に暮らし始めたから、もう10年以上同じ部屋で暮らしてきたという事になる。その10年間、家事当番は一日ごとに交代制で持ち回ることにしていた。もし休んだ時は、その分、相手の肩代わりをすることになるわけだ。

 事件に会った前の日もその次の日も、メアリが家事をしてくれ、ヒトミは一週間近く、入院して寝込んでいたのだから……

「今日から5連続かぁ……。ゴメン、メアリ」

 ヒトミはため息をついた。

ジャケットをハンガーにかけて、洗面所で顔と手を洗った。

そしてメアリのやり残しの横に座る。

「さて、やるぞ」

 シャツの袖を撒くって、洗濯物を畳み始めた。

――――――――

――――――

――――

「メアリ、起きて。ご飯出来たよ。……有り合わせだけど」

 洗濯物が終わった後、晩御飯の支度をすれば、日も沈む。ヒトミは、机の上にちぎったレタス、合成タンパクの缶詰、トーストで焼いた食パンを並べ、適当に番組をつけた。『伝心』の立体映像には、ニュースキャスターが、神経質そうに原稿を読み上げている姿が映っている。

「メアリ、ご飯冷めちゃうよ」

 メアリは、ヒトミの呼び掛けに応じず、尚もすぅすぅと寝息をたてて眠っている。

「しょうがない、私一人で食べるか」

 ヒトミは諦めて、頂きますと小さく呟いて、手を合わせた。

 立体映像のキャスターと睨めっこしながら、食事に手をつける。

『次のニュースです。本日、開発庁から本年度の外延部開発計画が発表されました』

 開発庁という言葉に、ヒトミは、ピクリと反応した。ヒトミは三十三科の学生である。三十三課というのは、セクターの拡大を目的とした外延部開発、つまり、将来、セクターの外を探索し、市民に害を及ぼすものを排除する任務につく者を育成するためのカリキュラムである。故に、彼女たちは将来、その開発庁の計画に従って行動することになるのだ。

 ヒトミは、食パンを一口齧って皿の上に置いた。壇上に上がった開発庁の長に画面が映り変わる。彼は、咳払いを一つして、カメラの方を見た。

『セクターは、外部の劣悪な環境から市民を守るために建設、発展してまいりました。そして、その拡大こそが我々、開発庁に与えられた職務であり、さらには人類の威光を再び世界に取り戻すことにもつながることは、皆さんもご承知の通りでしょう……。

ですが、セクター外部に巣くう蛮族は、かねてよりセクターの発展に反発をしているのです。これは、文明という人類の威光に対する反逆であります! 

我々は、それらに強い意志を持って対処しなければならない。あの地をはいずり回るだけのサルどもをこの世から駆逐し、文明の光によって解放するのです!』

 長官は、興奮して頭に血が昇ったのか、一瞬立ちくらみをした。付き人の女性が画面に現れて、ボトルの水を差し出した。長官は、それを受け取り、口を開き、がぶ飲みする。彼のたっぷりと口元に生やした髭が濡れて、てらてらと光った。

『失礼。こうして、皆さんの前で発表をするのは、そう数えるほどないものですから。つい、張り切ってしまいました』

 開発庁の任務は重大であるが、戦略的に重要な目標というものがこれと言って存在しない。正確にいえば、セクター外部の詳しい情報は、市民憲章により一般に知らされてはならない決まりなので、“言えない”と言った方が正しいのだが。それゆえに、開発庁の発表もセクターがどの地域を攻略した等という発表を行えず、曖昧なものにとどまってしまうのだ。

『去年度は、包括的な人員の不足のせいもあり、前年度を20%下回る百五十キロ平方に留まりましたが、今年度から探索隊員に新基準の兵装が適応されることもあり、四百キロ平方を拡大することを目標として掲げる次第であります』

セクターの外部、フロンティア。そこは、かつて人類が大きな過ちを犯し、あらゆる文明を退廃させ、そして人間以外の動植物を変質させてしまった土地である。また、そこに住う人類、蛮族と市民は呼んでいるが、彼らもまた汚染された環境に支配され、変質してしまったそうだ。巨大無菌ドームであるセクターに住まう市民にとっては、それらは害でしかない。そこには、意志の疎通を試みる余地など、あり得ないのだ。

そこに向かう探索隊員たちも勿論例外ではない。ヒトミが卒業したあと通う三十三課職能養成所では、何万種類ものワクチンを一年間かけて体内に適応させる。その上で、何千枚もの除菌フィルターのついたガスマスクを口につけ、放射能で変質した猛獣を相手にするための鋼鉄の外装、パワードスーツで身を覆う。ヒトミ達の階級では持つことのできない光線銃も、外ならば撃ち放題だ。外では何を撃とうが構いはしない。多少の倫理からの逸脱も、すべては、人類の栄光を取り戻す為というお題目に飲み込まれてしまう訳だ。

 そして、発表によるとその兵装が強化されるというのである。おそらく、蛮族からの抵抗に煮えを切らした上層部が、彼らを徹底的に“除菌”するために配備を決定したというところだろうとヒトミは推察しているが、本当のところは分からない。もしかしたら、産業省の兵器開発課が予算欲しさに開発庁に圧力をかけたのかもしれない。また、もしかしたら、いつも定員割れを起こす三十三課の生徒だけでは、年々上げねばならない目標に届かないから質を上げるための兵装強化なのかもしれない。

 しかし、そんなことはどちらにせよ、三十三課に通う学生にとっては瑣末な事なのだ。いくら装備を強化したとしても、大けがを負ったり、得体のしれない感染症を患ったりするのが、フロンティアだ。勿論、身体が甚大な損傷を受ければ、『伝心』を通して、医療班に通達が入り、メディカルセンターで治療を受け、一週間もすれば身体は完治しているだろう。けれども、セクターの市民は、清潔であれ、高潔であれという市民憲章の歌い文句を崇拝しきっているのだ。外の“汚れた”空気を吸ってきた人間を彼らが、受け入れはせず、他の市民から、後ろ指を指される生活が始まってしまうのである。

「でも、メアリは一緒にいてくれるよね」

 ヒトミは、後ろのベッドで眠っている幼馴染の垂れ下がった前髪を撫でた。自分がどんな目に遭ったとしても、メアリだけは側に居続けてくれた。そして、これからもそれは変わらないだろうという確信が、ヒトミにはあった。

 ガタン、と大きな何かが倒れる音がした。

次に、女性の悲鳴。音が『伝心』からのものだと、ヒトミは漸く気づいて映像を見る。先ほど演説を一席ぶっていた長官が、頭から血を流して壇上に伏せて倒れていた。

『こ、来ないで……』

 長官の付き人のものと思われる声が聞こえた。画面の外にいる彼女の姿は見えなかったが、恐怖で身動きが取れないというのが、ヒトミには分かった。

「あの時と同じだ……」

 ヒトミの脳裏に銃口におびえるキリシマ達の姿が蘇った。一方的な暴力におびえ、思考も氷漬けになってしまったように働かない。彼女もきっとそんな状態なのだ。画面の向こう側では、今まさにこの凶行に及んだ犯人が彼女に手を出そうとしているのだ。

『い、いや……乱暴しないで……やめ』

 ひゅっ

風切り音と共に、槍のような黒い影が画面を横切った。

『ハハハハハ! 叩いて潰してぶっさして! 万能だな、鉄パイプ!』

狂った歓声を聞いて、ヒトミの瞳孔が開く。カツカツと靴を鳴らして、軍服がカメラの前を通り過ぎる。

『うーん。心臓にクリーンヒット! 我ながら良い腕前だ。……あれ? カメラ、いつまで汚いオッサン映してるんだ? こっち向けこっち!』

 急に映像が歪み、胸を長い棒の様なもので貫かれた女性が、力なく項垂れている姿が映し出された。そして、軍服を着た男がこちらに向かって笑顔を向けた。

『やぁ! 皆! 僕からのサプライズプレゼントは楽しんでもらえた?』

「サカキ……!」

 ヒトミは映像の中の男を、サカキを睨みつけた。

『突然のことで驚いたかもしないけど。本当に申し訳ないね。今日はね。実は僕たちからも発表があるのさ!

それは――』

またも、映像が切り替わる。スタジオのニュースキャスターだ。

『番組の途中ですが、ここで、放送を打ち切らせてもらいます。明日も市民が幸福足らんことを』

 番組の右下に、制作会社のロゴと共に“終”のテロップがでた。

『市民の皆さんの労働が、人類に文明の光を取り戻すのです。皆さんの吸う空気、食べる合成タンパク。それらは皆、市民が幸福なる義務を遵守し――』

何事もなかったかのように、政府の広報番組が始まった。

けれども、ヒトミの心はまだざわついていた。

「うっ」

 突然後ろで声がしたので、ヒトミはぎょっとして振りかえった。

「なに、メアリ、いまごろ起きた――」

 言いかけて、メアリの様子が変だと気づく。メアリは、胸を苦しそうにしてうなされていたのだ。

「どうしたの!? メアリ!」

「だ、誰かが、ワタシの体内(なか)を……。はいずり回って……」

「こういうときって……。どうすれば」

 ヒトミは、前時代の映画で病に倒れた患者を視る為にやっていた事を思い出した。

 つまり、患者の額に手を当てて体温を計ることである。

「……すごい熱」

 映画ならここで薬箱でも出して看病することができるが、今の時代に薬箱なんてものはない。メディカルセンターが全て適切な処理をしてくれる。けれどもヒトミの部屋からでは、遠すぎる。

「ど、どうしよう……!」

 うろたえるヒトミの手に、メアリが触れた。

「ヒトミ……」

「気がついたの!? メアリ」

「そばにいて……お願いします……」

 メアリが、ヒトミの手をぎゅっと握った。

「でも」

 メアリは、首を横に振った。

「ワタシなら大丈夫です。ヒトミが側に居てくれるから」

「メアリ、何言って――」

 ザザッ

ヒトミの視界にノイズの様なものが走る。

「痛っ……」

 それと共に頭蓋を貫通するような激しい頭痛が、ヒトミを襲った。空いた穴から寄生虫が入り込み、脳味噌が喰われていくような痛み。

『あー、あー! ダメじゃないか! せっかくの僕らの大舞台なんだから。あまり、手間をかけさせないでくださいよぉ』

 サカキの声だ。立体映像がまた、凶行の現場を映していることにヒトミは気づいた。

『ああ、そうそう。僕は今、皆さんの伝心から直接脳に向かって、発表をさせてもらってるよ。ちょっと強引にプロテクトを破っちゃったから、頭が痛いと思うけど……。

我慢してね! 大事なことだからさ!』

 サカキは、楽しそうに鉄パイプをぶんぶん振りまわした。滴る血があちらこちらに飛び散って、部屋中が赤黒く汚れていった。

『急遽入院した長官の代わりに、僭越ながら僕が発表させてもらうね。』

わざとらしく咳払いを一つ。

『本年度の予算案は、セクターの拡大なんかのためには使いません。人類は安全圏を拡大している場合じゃない。敵は、内側にある。敵は、僕らの自由意思を奪う、このセクターだ。市民は、人間の尊厳を機械に飼い慣らされている。それじゃだめだ。

 全額、僕らヴィルスのために使わせてもらうよ』

 画面の下に質問文が、テロップで表示される。

――Q,市民憲章、第一章「公的なる幸福」の十七節に反しているのではないでしょうか?

まるで、大規制前に放映されていたという、バラエティ番組じゃないか。

ヒトミは、キリキリと痛む頭でそんなことを考えた。そして、こんな重要な放送で好き勝手なことをしているということは、場だけでなく、電波もサカキたちにジャックされているという事だ。

 『え? 何?

 市民は公の利益のために存在するのであり、その正味を決めるのは、最も上位の者である?

 僕が、このオジサンをぶっ殺したんだから、僕が、一番この場で強いってことでしょう? なら、僕に従うのが道理。市民流でいえばさ、これが一番の幸福なんだ。今は、違和感があるかもしれないけど、すぐに慣れるよ。暴力こそが、原始的で在りつつ、シンプルで美しい論理だって!』

 サカキは、机の上に伏した長官の頭蓋を、鉄パイプで滅茶苦茶にしながら、ぞんざいに答えた。

『次は何?』

――Q,貴方は、誰ですか?

『サカキ。ヴィルスの構成員、サカキさ。くれぐれもファミリーナンバーなんかで呼ばないでくれよ。こんな自由意思をもたない木偶人形とは、思われたくないからね』

 サカキは、もうゲル状になった死体を机ごと蹴り倒す。

 鈍い音と共に血だまりが辺りに広がった。

『うわっ、汚ったねぇ!』

ハハハハ、と合成音声で作られた笑い声が、合いの手みたいに入った。

「ヒトミ……」

 目の前で、苦しそうにしているメアリが、ヒトミの掌をぎゅっと握った。

 ヒトミは、その時、ようやく気付いた。

 私は、さっき振り返ったっけ?

 ヒトミは、後ろの机を振り返った。

 机の上の伝心は、呑気にいつも通りの放送を流している。けれども、サカキの凶行を今、立体映像を通して見ているのは確かだ。

「どういうこと?」

 訳が分からなくなって、湧いた疑問がそのまま言葉が出た。

「……プロテクトが破られたんです」

「メアリ……? 何、言って」

 どうして、メアリがその問いに答えられる?

 メアリは、私の幼馴染で。昔から一緒に住んでいて。私の知らないことを知っていて。でも、今、ベッドで伏せっているこの子は、今日一日中眠りこけていたはずだ。ただでさえ、尋常じゃない事が起こっていて困惑しているのに、どうして、ただの女の子であるはずのメアリが答えられるのだ?

 未だ、サカキの出来の悪いスナッフショーは、視界を覆うように繰り広げられて、刺すような頭痛もあった。

「……メアリは、ヒトミの幼馴染で。昔から一緒に住んでいて。ヒトミの知らないことを知っている。

でも……思い出せる? 出会った時の事。

貴女はワタシのことを知らない。メアリとしてではなく、ワタシの……」

 言いかけたメアリの力がゆるゆると弱まっていく。

「嫌! 何言ってるの? さっきからメアリの言ってること全然分かんないよ」

呼び起こすように、ヒトミはギュッと手を握り直した。

 けれども、メアリの顔色は、どんどん生気を失っていく。鼓動が何も伝わらなくなる。

当然、もう目の前の彼女は、問いに答えることはない。

「嫌……嫌だよ……」

 ヒトミは、愕然としてメアリを見つめた。血の気の失せた肌は、陶磁器のように白く、形の良い唇は、未だに神秘を湛えているようで。

メアリは、人形のように美しい。と、ヒトミはメアリを称した事があったが、本当にこうなってしまうと、皮肉を言っていたようでじんわりと胸が痛んだ。

『やった! みんな喜んで! これで皆がようやく一つになれるッ! こんな狂った街の呪縛から解き放たれる時がきたんだ! さあ、暴力を楽しもう!』

映像の中のサカキは、血だまりの上で上機嫌にタップダンスを踊った。

 タン。タ。タ。タタタン。飛び上がって、また最初から。

 ヒトミを苛んでいた頭痛も、そのテンポに合わせてより強くなっていく。

頭が割れる、そう思った。

 ――こ……で間違…い…な。

その時、頭の中を犯す電波に交じって、かろうじて声が聞こえた。男の声だ。

はっきりとヒトミの部屋に続く、ブリキの階段を踏む音。

 次は、ピーッという玄関の電子ロックの認証音。

 誰!? ヒトミは、叫ぼうとしたが、熱に侵されたように体がだるく、上手く声が出せない。ヒトミは、ベッドの上のメアリの手を握ったまま玄関の方に顔をかろうじて向けた。

 ドアが開かれる。

「ゴメンね。ヒトミちゃん。助けに来るのが遅くなっちゃったよ」

 どこか気の抜けたような声の主は、捜査官のアラマキだった。その後ろに、見慣れない黒服を着た屈強そうな大男が二人。巨木のように立っていた。

「お邪魔しますよっと」

 アラマキは、無造作に脱いだ革靴を直しもせずに、部屋に上がり込んできた。

そして、注射器の様なものを取り出して、ヒトミの腕をとった。

「ちょっと痛いけど我慢してね。これで、喧しい放送も聞こえなくなるはずだから……」

 注射針がチクリとしたが、同時に正常に血液が循環していく温かな感覚が、全身に広がっていく。そして、視神経に投影されていたスプラッタショーの映像も薄らいで、喧しいサカキの声も聞こえなくなった。

「なんなんですか、これ」

 ヒトミは、少し咳き込んで、やっと声が出せるようになった。なぜ、私の部屋に? さっきの放送ジャックは何だったの? メアリを助けて。聞きたい事がいっぱいあったが、とりあえず言葉に出たのは、これだった。

「あぁ、ただの精神薬だよ。ナノマシンが、交感神経と副交感神経の活動バランスを正常に戻してくれる、とかいう優れものさ」

 ヒトミは、そんなものかと肩を回してみた。メディカルセンターのカプセルの中から出てきた時の様な晴れやかな気分だ。

 アラマキは、おもむろにベッドに眠っているメアリの頸動脈に指を当て、脈を計った。瞼をこじ開け、虹彩の動きを探る。反応は、無い。

「やっぱり、システムは、ダウンしたみたいだね」

「メアリに触るな!」

 ヒトミは、アラマキの肩に掴みかかった。

 その瞬間、ゾッとするような嫌な気配を感じ、ヒトミは振り向く。

 黒服たちが、ヒトミに光線銃を突きつけていた。

(いつの間に入ってきていたの)

 アラマキは、いつものようにゆるんだ表情のまま、手をひらひらさせて銃を下げさせた。

「先に帰って、博士に報告しといて。結構、厄介なことになりそうだって」

 それを、黒服たちは、コクリと黙って頷くと、無駄のない足取りで玄関から帰っていった。

「一体、何が起こってるんですか」

「焦んないで。まずは、順を追って説明しないとね。

 キミは、UCNの事は知ってるよね?

 伝心の神経接続を通して、サーバー上にある情報を参照できるネットワークの事」

アラマキは、勝手に腰を床に下ろして話し始めた。

「市民なら、皆知ってるよ。だけど、それとメアリが何の関係がある――」

「まあ、そうだよね。じゃあ、次、市民憲章のことは」

 間髪いれずに次の質問だ。

「市民の規範を示したルールでしょう」

「残念。不正解だ。それじゃ、額面通りに受け取り過ぎ。」

「こんな、前時代的な謎かけをするために来たんですか。そんなのはUCNに思考をリンクさせれば、答えてくれるじゃないか」

「伝心が答えをそのまま導き出してくれる現代だからこそ、疑問を持つことは重要なんだよ。

 そう思わない?

 どうして、博士はキミに皆と同じ条件反射教育なんか受けさせたんだろう」

「さっきから博士、博士っていってるけど、アラマキさんは一体何の用事で来たの? だれの指示で」

「それは、まあ、彼のところに行く途中で話そうか」

――――――。

――――。

――。

ヒトミは、メアリを背負って外にでた。メアリは驚くほど軽く、間違えて羽根布団でも背負っているのではないかと思うほどだった。

「流石、仕事が早いねぇ」

 アパートの前に、10メートルはある黒塗りのリムジンが停まっているのを見て、アラマキは、口笛を吹いた。さっき出て行った黒服の男の片割れが、後部座席のドアを開け、二人を出迎えている。

(この時代に乗用車? 一介の、しかも、黒より一つ上の赤のクリアランスの市民が?)

不可解に思いながらもヒトミは、ゆっくりメアリを背中から降ろし、隣の席に座る。

アラマキは、黒服に助手席を勧められたが、

「せっかく、可愛い娘と一緒なんだから、気を使ってよ」

 と、ちゃっかりヒトミの向かい側の席に座った。

 扉が閉められたのを確認し、黒服は、車を発進させた。エンジンがガソリンを燃やす独特の音、ほぼ全てのインフラが中央の核融合発電所による電力によって賄われているセクターでは、見ることなどないであろうアンティークだ。

ソファが二つ、向かい合うようにしてすえられ、シャンデリアが飾られた豪華な内装。とてもじゃないが、ただの市民には購入できるものではない。そもそも、環境保護規則に引っ掛かるのではないのか。などと、考えを巡らせていると、

「そんなに車が珍しい?」

アラマキが、話を切り出してきた。

「リムジンなんて、映画の中でしか観た事がなかったから。あまり、趣味が良いとは言えないけど」

「これは手厳しいね

……さっき、映像を認証にかけてみた。放送をジャックしたあの少年は、昼間、話してくれた犯人と同じだと分かったよ」

「どうして、あの時、すぐに動いてくれなかったんですか」

「市民が罪を犯すはずがないからさ」

「そんなの詭弁じゃ」

 ヒトミがそう思うのも無理はない。なぜならヒトミ自身が、UCN上のデータを閲覧制限を超えて不正に覗きこんでいるからだ。人殺しのように他人に迷惑をかけている訳ではないが、それでも、法を犯している事に変わりはない。

 戸惑うヒトミを見て、アラマキは、笑みを深めた。

「市民憲章とは」

「……さっきの質問の続きだよ。ヒトミちゃん。市民憲章ってなんだと思う?」

 無意識や意識を記録し続けるUCN、神経接続により無意識化で一体となった市民、市民は罪を犯さないと開き直る警察機構。ヒトミの頭の中でようやく線が繋がり始める。しかし、長年自分を支えてきた根幹が、暗い淵の底に真っ逆さまに落ちてしまうような不安が、突然現れ、口に出してしまうのが恐ろしかった。

「UCNに接続した市民を洗脳するプログラム……?」

「洗脳って、言い方悪いなぁ。不良だね、キミは」

 言葉とは裏腹に、アラマキは如何にも可笑しそうに笑っていた。

一方のヒトミは、予感がいよいよ実体を帯び始めて揺らいでしまった。

「そんな……! じゃあ、どうして……」

「『私は、法を犯せているの』でしょ?」

 更生施設での記憶が、ヒトミの脳裏を過った。体罰という名の虐待、保障の無い投薬実験、そして……。思わず、さっき食べた夕食を吐きそうになるところだった。

「その様子だと、本当なんだね」

「……カマをかけたんですか」

「規範から切り離された思考をもった人間はどう考えるのか。どうして、みんなは自分と違う考えなのか? 市民憲章が余計な自我を取り去ってくれないから、迷ってしまう。生産関係に関わらない一切の欲を排除できないから、文化を愛してしまう。

伝心の遺伝情報が、何よりも信頼できる身分証明になってくれる世の中だ。皆、紋切り型の自我のみを持つという前提で成り立っている街だから、市民は互いを疑わない。疑うという事自体が、プログラムに規定されていないからね。

あまり表だった事をしない限りは、ファミリーナンバーを持った人間を誰も犯罪者だとは夢にも思わないさ。抑えられない欲が、満たされるように設計されている訳じゃない。なら犯すしかない」

「だったら、なんで五番街があるんですか。まさしく旧世界の文化の体現じゃないですか。それを余計と考えるなら、誰も利用していない」

「旧文明の保存こそがセクターの建設目的だからさ。だから一定数の人間は、文化を愛するように作られている」

「つまり、私は、そういう市民だってこと?」

 ヒトミは、期待した。自分もきちんと規定された市民なのだと誰かに認証して欲しかった。

 けれどもアラマキは、首を横に振った。

「残念ながら違うんだ。黒は、完全生産階級だからね。例外なく、そのように育てられる事はない。学校ごとに教育プログラムが分けられているのは、そういう理由でもあるからね。初等科に入学する時点で、すでに市民の将来は決定されているのさ」

「それなら、私は何者だっていうの……?」

 リムジンは、加速を緩めていく。

「その為にここまで来たのさ」

 中央特別区。広大なセクターの中心地。遺伝子の保管庫。メディカルセンターである。

 天まで届く白亜の塔は、夜の闇の中でも存在を誇示するかのように屹立していた。

――――――。

――――。

――。

〈メディカルセンター 執務室〉

「博士。ヒトミちゃん、連れてきましたよ。」

「ああ、有難う。わざわざ仕事を止めさせて、すいませんでした」

 ヒトミは、目を丸くした。待ち人が誰であったかに驚いたのではない。それは、勿論ますますヒトミを混乱させるに十分な事であったが、執務に通された時点で予測はできた。ただの末端の捜査官でしかないはずの赤の制服を着た男が、白衣の医者と任務の話をしている事に驚いたのだ。

「いやいや、これも仕事っすから。それじゃ、ヒトミちゃんまた今度ね」

今日は残業決定だなぁ……

 などと、ぼやきながらアラマキは捜査局へと帰っていく。

 第一級クリアランス“白”の証たる白衣を着た、その青年は、朗らかな笑みを浮かべてヒトミの方に近づく。

「遠い処からご足労願って申し訳ございません。ヒトミさん。お身体の調子はどうですか」

「……はい。おかげ様で」

「このところ入院続きで、映画を観られなくて悔しいでしょう。今朝もご挨拶に伺いたかったのですが、何分用事が立て込んでおりまして」

柔らかな物腰は前と何も変わらないのに、ヒトミは何か違和感の様なものを感じていた。

こちらにどうぞ、とソファをすすめてくれたのだが、ヒトミは曖昧な返事で返すだけで立ち尽くしていた。

「紅茶でも入れてきましょう。今夜は冷え込むそうなので」

最上級の階級に属しているにも関わらず、ヒガンは自分に分け隔てなく接してくれる。むしろ賓客を扱うようだ。けれども、ソファには座らず、湧いた疑問を投げかける。

「メアリがいるのに、なぜそうも関心がないんですか」

 ここならメアリを治してくれる。そう思ってヒトミは、メアリを背負ってきたのだ。今は羽のように軽くなって、意識を失っているけれども、ここなら回復させられる。と。

 なのに、このメアリの兄と名乗ったこの男は、出迎えてからの一時も興味を示さなかった。

「ああ……。何かと思えば、五番街での流行りのファッションかと思いましたよ」

 指摘されて初めて気づいたとでも言うように、ヒガンは、初めてヒトミの背中を見た。

「ヒガンさんは、本当にメアリのお兄さんなの?」

「ええ、私は貴女がメアリと呼ぶ方の兄です。今ならはっきりと断言できます」

「だったら、なんでメアリの事を一番に考えてあげないの? 何よりもお兄さんなら先に心配してあげるものでしょう!?」

 感情をむき出しにして話すヒトミに対して、ヒガンは淡々と語りだす。

「まず、私は医師です。このセクターでただ一つの巨大な生命維持装置の管理者です。機能しなくなれば、多くの人々が生産活動に戻れなくなり、また、人類の復権もそれだけ遅くなるのです。ですから、私が個人を優先する事はあり得ません」

「だったら、なぜ私なんかに時間をとるんですか。市民憲章は、より生産性のある人間を優先するように規定されているはずです」

「それは、後でお話しましょう。きっと混乱してしまいますから。

……もう一つ。確かに、妹は、情報を収集し思考し結論を導き出します。

貴女に話しかければ、様々な表情で回答し、時には嘘もつく事が出来ます。

これは、人工知能にも出来る事ですが、妹のそれは、非常に冗長で、なおかつクレバーだ。まさに人間と同等かそれ以上の知的生命体である事に間違いありません」

「ちょっと何、言ってるの? そんな言い方、まるでメアリが」

 人間じゃないみたいじゃないか。

「こちらの質問に答えて頂けますか? ヒトミさん。

貴女はさっきから、何に触れようとしているんですか」

指摘されて初めて気づく。ヒトミは、今まで質量を求めて彷徨っていた手を見つめた。

「……?」

 質量を支え続けていたはずの腕は、何の痛みも感じない。どころか、背の感触がどんどん薄くなっていく。

――メアリが消えていく!

「メアリ!? メアリは、どこ!」

 ヒトミは、振り返って執務室を見回すが、居ない。さっきまであったはずの気配がまるで感じられない。

「落ち着いてください」

「落ち着ける訳ないでしょう!」

「どうか、落ち着いて。最初から、ここには妹は来ていません。貴女がそう認識していただけです」

 ヒトミは、冷静に考えてみた。

 今朝からメアリの身体は羽のように軽かったし、晩に帰ってきた時も朝の姿勢のままだった。あんなに軽い人間が居るはずがない。けれども、感触はまさしく彼女のものだったし、ふんわりした匂いもそうだった。なにより、メアリはジャックされた時に、一度意識を取り戻し、会話をしている。

「一体、どういうこと……?」

「順を追って話しましょう。どうか、座って下さい。さあ、紅茶が冷めないうちに」

――――――。

――――。

――。

「ヒトミさん。先ほど、市民憲章……いえ、思想教育プログラムのことをアラマキから聞きましたか?」

 ヒガンに勧めに応じて、ヒトミはソファに座った。ふかふかのソファもそうだが、生のレモンスライスが浮かんだ紅茶など、五番街くらいでしかみた事が無い高級品だ。

 彼は、ヒトミの顔をちらと窺ったが、沈黙を肯定と受け取ったのか、そのまま続ける。実際は、生のレモンスライス入りの紅茶の旨さに我を忘れていただけなのだが。

「ご存じの通り、今や市民の誰もが、UCNにアクセスし知的演算処理のバックアップを受けています。その思考の全てをサーバーにリアルタイムで記録し、意識、無意識を問わず完全に再現する事が出来る。前時代では、人力で行われていた煩雑な計算処理や、暗記するなどという活動の大部分をしなくて済むようになりました」

「でも誰もがその恩恵を受けられる訳じゃない。黒のクリアランスが閲覧できる情報なんてたかが知れているし、そもそも神経接続に適応できない人は危険な任務に就くしかない」

 ソーニャ達、青のクラスがヒトミと同じ学校に通っている理由が大体の場合これに当てはまる。市民は、幼年学級に入る時に伝心を渡されるが、適正が低い場合、自動的に出世コースから外れる事になる。勿論、一五年の教育期間が存在するのは、成長するに従って適応する者もいるからなのだが、第二次成長期が終わる頃には、ほぼその市民の人生が決定しているといっても良い。

「しかし、そのままでは、反社会的な思想に対しても同様に働いてしまう。UCNが普及し始めた当時、今では信じられない話ですが、市民の犯罪は後を絶たなかった。ふと相手に対して怒りを感じれば、伝心を通して過去の犯罪者が起こした殺人の手口が瞬時に脳にインストールされてしまう。より人々が生産的になる為のシステムであったはずなのに、秩序を乱す犯罪者育成システムなどと呼ばれるのは皮肉なものでした」

「だから、個々人の思考に制限をかけたりしたっていうこと? そんな事、学校の授業じゃ教わらなかったよ」

「当然です。大規制は思考の支配の秘匿、隠滅の為にあったんですから。残念ながら、人間というのは愚かなものなのです。善性を美徳とする癖に、悪徳ほど甘美なものはないと知っている。だから、その考えごと忘れさせるようにUCNから逆に働きかけさせました」

「じゃあ、その時期に市民憲章が生まれたの?」

「いえ、セクター建設当時から、法自体はありました。といっても明文化はされていませんでしたが、当時は、市民同士の一種の誓約の様なものですね。しかし、その世代を追う毎に法というのは形骸化するものです。そして強制力を持たせるために市民の思考に制限をかけるUCN上のプログラムとなったわけですね」

「前時代の末期のようにあまりに高度に発達した技術をただの人々が管理するのは、あまりにリスクが高い。核爆弾が地球寒冷化の混乱のなか暴発したがために、人類が最終戦争に突入したように。管理できる人間があまりに少数であるのは、非常に危険なのです……

 そして、このセクターは文明の威光を保存するために建設されたのは、ご存じの通りでしょう。環境再生や安定的で実用可能なエネルギー供給、カロリーロスの少ない食糧生産など、荒廃したこの星で我々が暮らしていくには、全てが必要なもの。忘れてはならないものなのです。

 それゆえにUCN上で秩序と繁栄の為の思想を人々に与えなくてはならなかった。そうしなければ不浄な環境に耐えられず、現生人類は滅んでしまう」

「そうかな? セクターの外にも人類はいるらしいじゃないか。皆は蛮族と呼んでいるけれど……。それが本当なら、こんな高度な文明を持たなくたって人間は生きられるんじゃないの」

「このドームの外は、未だに終末戦争時の死の灰が舞い、それを物ともしない獰猛な獣が闊歩する危険な場所です。その環境に彼らは適応している。もう既に貴女方とは違う生命体なのです。

 酷な言い方ですが、そんな場所で貴女は生きられますか? セクターという巨大な文明の享受を受けて生きてきた貴女に」

 ヒトミは、想像する事が出来なかった。知識として、文明の発達する前に人類が狩猟生活を営んでいた事や、ただの切り傷でも、もうその身体は使い物にならなくなった事を知ってはいたが、晩御飯に食べた残り物のサンドイッチさえ御馳走になるくらいしか分からなかった。伝心に脳が繋がれているはずなのに、逸脱した生活様式に関しては何も教えてはくれないらしい。

 紅茶の味が、やけに甘く感じられた。

「話が逸れてしまいましたね。先ほど言ったように、まず手始めにセクターの管理人たちは、市民の脳を神経接続によって繋ぎ、文明を維持するための知識を与えました。これがUCNの始まりです。

 それ以来、市民の意識は、意識無意識を問わず、このセクター内のUCNのコアサーバー上に記録され、市民憲章プログラムによって管理されてきました。重度の身体不全を伴っても、我々に完全に治療が可能なのは、この機能によるところも大きいのです。

 しかし、今から一七年前、ある事件が起こった」

「一体何が」

 ヒガンは、空になった紅茶のカップを机の上に置いて、一息ついた。レモンスライスがぐったりと底に横たわっている。

「話すのは苦手でして、おかわりを入れてもよろしいですか。口を湿らせたいのです」

「あっ、私もお願いします」

 ヒガンは、白磁器のポッドから、ふんわりした湯気の立つ紅茶をカップに注いだ。

ちょうど月も陰ってきた頃だ。普段なら床に就く時間に小難しい話を聞いていられる程、ヒトミの脳は従順ではないらしい。淹れなおしてもらった紅茶に角砂糖を三つ放りこんで口に含む。

「セクターはその日まで、市民の思考を完全に管理し、また、身体を完璧な衛生状態に保つ事が出来ていました。そして、この星に再び人類の威光を取り戻すまでこの体制はずっと続いていくはずでした。ですが、一七年前のその日、セクターのシステムが突然、機能不全に陥ったのです。

幸い、ほんの一瞬の事でしたから、市民には何の被害も出さずに済みました。ですが、それは、市民の中で気づいた者が居なかったということでもあります。事実が発覚することを恐れた当時の七賢人は公表することを控えました。程なくして、七賢人の指揮の下、極秘の調査が始まりました」

「七賢人?」

「七賢人というのは、コアサーバーの管理人の事です。通常、最も重要な職務を司る七省の長から選出され、彼らの遺伝子情報がコアサーバーのプロテクトを解除する鍵として登録されました」

「どうしてそんなことをする必要があるんですか。事実、UCNの仕組みなんて誰も知らなくても、こうしてセクターは上手く機能しているじゃないですか」

「それは、大昔の建設者の方々が決めた事ですから、私にもわかりません。ですが、その調査の結果、コアサーバーに何者かがアクセスし、不正に管理システムのプログラムが書き換えられたという痕跡が見つかったのです」

「何のためにそんな事を」

「動機が明らかになる前に、彼らは躍起になって犯人探しに取り組みました。コアサーバーを解除できるのは七賢人だけ。七人の中に裏切り者が居るという事なのですから、目の前の人間が犯人かもしれないのに動機なんて、いちいち気にしていられませんからね」

「それで、どうなったんですか……?」

「コアサーバーの認証には、過半数の賛同が必要になります。四名以上の血と意識が同時に認証されなければならないのです。当時、七賢人は二つの勢力に分かれていました。当時、開拓の障害になっていた東部蛮族の討伐に人的資本を注ごうとする東伐派と、非労働者などの余剰人口を賄えるだけの食糧増産計画を進め、より文化面での繁栄を取り戻そうとするパン派です。

 結果からいって、少数派であったパン派が市民に対する唯一の懲罰組織である諮問委員会を抱き込んで、多数派であった東伐派に属していた方々が粛清され、市民権を剥奪される事になりました。実質的なアクセス権を持っていた彼らにしか、自分たちの履歴を消す事ができません。それに物理的な接触を用いずにコアサーバーにアクセスする事は不可能ですから、状況証拠は完全にそろっていた訳ですね」

「でも、決定的な物証は出なかったと?」

「そうです。彼らの血液も意識データの痕跡もなかったのです。ですから、諮問委員会はパン派の方々に百年の更生プログラムを課しました。彼らは、今も啓蒙を直接、電気的に脳に流されながら、冷凍カプセルの中で眠っています」

「じゃあ、今のセクターは、諮問委員会の人たちが政治を動かしているの?」

「はい。まあ、彼らは市民憲章を行使するために必要な事以外の人格の一切を切除しているので、人間と呼べるかどうかは分かりかねますが」

「なんだか、話がこんがらがっちゃって訳が分からなくなってきちゃったよ。UCNっていわば、人の思考の集合体でしょう? 一瞬、その機能が停止したからって、別に問題なんてないんじゃないですか」

「その時点では、ほぼ実害はなかったと言って良いでしょう。コアサーバー上の記録が途切れたとはいえ、すぐに最新の意識に更新されたんですから。しかし、その翌日。存在しないはずの意識がUCN上で記録されているのが発見されました」

「存在しないはず? 更生プログラム下にでも置かれていたんですか?」

「いいえ、違います。その時、冷凍カプセルの中に欠員は存在しませんでした」

「じゃあ、セクターの外の人?」

「それも、違います。彼らは侵入してくる事はありましたが、そもそも神経接続を介さずに経済活動を営む事は、このセクターでは不可能です。別のだれかに成りすますなら可能でしょうが……。

 それは、セクターのどの個体の意識にも属さず、遺伝情報も一致せず、にも拘らずUCN上にあるデータを利用し生活を営み、思考を残していたのです。

 七賢人、無きあと、コアサーバーの動きを監視していた諮問委員会は、当然それに気づき、早い段階から、それが何者なのかを調べようとしていました。ですが、UCNが示す“彼女”のある座標を追ってもどこにも姿が無いのです」

「それって、ただのバグなんじゃ……」

「それは、あり得ません。

UCNは思考のネットワークです。市民のリアルタイムでトレースした代替的な思考を有機的に繋げる事によって実現しています。そのデータは、旧時代的なプログラム言語によって書かれている訳ではないのです。管理システムを書き換える事は出来ても、データには触れる事はできません」

「あ、そっか。忘れてた。だから、存在しているはずの人なのか。まるで透明人間だね」

「はい。諮問委員会もそれをバグだと認める訳にもいかず、しかもデータの修正は市民憲章で堅く禁止されていますし、何より修正する鍵は失われてしまった。そのため、彼らは事態を静観する方向に決めたのです。

しかし、その後、市民の中にそれまでみられなかった特異な行動をする個体が生まれ始めた」

「コアサーバーの管理システムが書き換えられちゃったから?」

「そうです。その個体は、市民憲章プログラムの干渉に対し、ある程度の抵抗力を持ち、なおかつ、思考障害を起こさない。セクターが定めた倫理、道徳に対して疑義を唱える一方で、UCNを十分に活用出来るだけの強靭な脳神経を持っている。

 これには諮問委員会も重い腰をあげずには居られませんでした。市民として登録されながらも、犯罪を犯す可能性のあるイレギュラーなど市民憲章が完成してから起こり得なかった事ですから」

「その子たちはどうなったんですか」

「更生施設へと預けられました。

先ほど言ったようにデータを修正する事はできないので、そういった子供は皆、特別に作った施設へと預けられ、旧時代的な方法によって教育し、十分であると確認され次第、社会へと巣立たせる。

表向きの目的はそうでしたが、彼らは老いて冷凍カプセルに入るまでを施設で過ごすはずでした。

しかし、そうはならなかった」

「なぜ? 諮問委員の人たちは、法を執行する以外、能が無いのに、決定を覆せるの」

「当然、不可能なはずでした。

 しかし、施設が運営され始め、少し経った頃、諮問委員達へと“透明人間”から接触があったのです。

『ワタシから 意味を 奪わないで』

 そのプライベートチャットに添付された写真には、施設で戯れる彼らの姿が映っており、そして自分にはコアサーバーを初期化させる用意があると言って、彼らを脅したのです」

「いくらなんでも無茶苦茶すぎるよ。コアサーバーを初期化なんて、それこそ七賢人でもない限り……」

「そう、彼女が事件の犯人だったのです。コアサーバーを初期化できる鍵の所有権を自分に移し、七賢人を支配からしめだした真犯人。

そして、諮問委員はやむを得ず、子供たちを解放する事にしたのです。子によってまちまちでしたが、その子たちの中でも社会に適応出来るものは、流れの中に戻って行きました」

「ヒトミさん。貴女のように」

「そっか……」

 ヒトミは飲み終わった紅茶のカップを机の上に置いた。

「あまり驚かないんですね」

「途中から、段々はっきりと思い出せてきて、ひょっとしたらそうじゃないかって。

それに自分が何者か、なんてもう悩みぬいた問題だから。

でもそっか、今までこうして生活出来ていたのも

全部その人の、メアリのおかげなんだね……」

 ヒトミは、そう言って、物想いに耽った。

 どうして自分には、市民が持って然るべき“良心”や“義務感”というものが無いのか。頭ごなしに悪いというだけで、なぜ悪いのかを説いてくれる人はいなかった。ならば、自分が考えるしかなった。

思い出せるのは、ちょうど今のように悩んでいたという事だ。どうして、皆の言っている事が分からないのか。どうして、母が異様なまでに接触を嫌うのか。

 メアリに出会ったのはその時だった。

『貴女が何者なのか。それはワタシにも分かりません。

でも、他の人よりも自由だという事は分かります。

どうか、貴女はその自由から逃げないで』

ヒトミは、大切なものを扱うようにゆっくりと読み上げた。

「それは?」

「昔、メアリが言ってくれたんだ」

――白いブラウスに陽光を受けてキラキラ光る髪、くりんとした愛らしい目。女の自分でも、かわいいなと素直に思った。小さい私に初めて優しく声をかけてくれて……。

「この記憶も信号なのかな」

「貴女はどう思うのですか」

「……そうだね。メアリがもし身体を持たない透明人間で私の脳に映し出されたものでしかないにしても、あの時に感じたほっとした気持ちは嘘じゃないって信じたい。それにメアリはいつだって優しかったもの。私たちを守ってくれたのだって、自分に危険が及ぶかもしれなかったはずなのに。だから、私はあの子が今までよりももっと大切に思えるよ」





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