続・俺様の暇時間つぶし列伝

思想腐敗のプロセスと主流派リベラルの敗北

2017/10/03 16:39 投稿

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どうも、思想弱者のハスキーです。

昨日、というか今日のブロマガは、「私は思想弱者になりました」というものでした。

で、一晩じっくり考えた結果。

なんで私はここまで思想弱者と化したのか。

それにある程度結論が出たので、書きます。



これは昨日のブロマガにもちょっと書いたわけですが。

働いていると、人間は思考や思想を捨てざるを得ない状況に追い込まれるのは、どうやら事実のようです。

まあ、「働く」の過多にもよると思いますが。

私や、私の友人のように、人生をかけて働くような状況に追い込まれると、とてもではないが思想は育たなくなる。



んですが。



では、思想は捨てたのかと言われれば。

私は捨ててないようにも思うわけです。

昨日のブロマガにも書きましたが。

会社の思想をトレースするにとどまっている、と。

これが何を意味するかなんですよ。



会社の思想とは何によって形成されているのか。

それは、手段であり、手法であると感じ取りました。


つまり具体的に言えば、

「昔こうやったら成功したから、この方法論は正しいはずである」

「昔こうやったら失敗したから、この方法論は間違いである」

という、これだけ。

あらゆる思想、つまり何を正しいと考え、何を間違っていると考えているかが、手法が正しかったかどうかがすべてを握っているわけです。

まあ、私の居た会社自体が、思想弱者だったといわれればそれまでかもしれませんが。



つまり何が言いたいかといえば。

この思想に、「現実」が介在する余地はないんです。

経験則のみに左右される思想でしかない。

いうなれば、冬に「温かい格好をしたら気分が良かったから、温かい格好をするという手法は正しいものである」という思想。

ここに、「冬である」とか「気温が低い」とかっていう現実に対する分析は一切介在してないんです。

ただ、温かい格好をしたら気持ちが良かったという経験則のみがあり、そしてそこに根付いた思想が存在する。

この凄まじき危うさ。

だって、現実が変わったところで、対応なんて全くできませんからね。

思想として人間に根付いたものは、そう容易には変容しません。

やばいです。

その思想が、手段に依存している。

現実を見ていない。

これが大変なことなんです。




理想的な思想というものは。

その人間が経験してきたあらゆる現実を写像するような。

鏡のような存在であるべきであって。

「こうしたら成功したからこれが正しい」ではなく。

「この条件下でこうしたら成功した、この条件と成功の間をつなぐものは何か、あるいは手段を選択した自分の思考回路は何によって裏付けられていたか」を論じるものなんです。

現実の解釈と、自分の論理構造の理解が、思想であり哲学であると。


私は思っていたのですが。


会社には、手段思想とも呼ぶべきものしかなかった。

こうすれば成功する、こうして成功し続けてきた、だからこうするのだ、と。



もちろん、それで失敗することもあるんですよ。

でもそういうときにどう処理していたかといえば。

「まあこれで失敗するならしょうがないよね」

だったんですよ。

私の会社は三年以内の離職率が40%を超えるようなとんでもない会社でしたが。

(これで二十年程度続いてる会社だったんですが)

それに対してみんなが言ってることが何だったかといえば。

「やめる人は合わない人だから仕方がないよ」

だったんです。

つまり、放棄。放置。

明らかな問題、離職率40%ってことは、会社の生産能力が本来倍以上確保されていてもおかしくなかったものを、放置してるんです。




でも、そうするしかないんですよね。

だって、思想に現実が反映されてませんから。

「こうすれば成功した、そして今後もそうすれば成功していくはずだ」を信じ切っている人間が集まっている場所で。

「こうすれば成功した、けど今は失敗した」に対する答えは。

「まあしょうがない」以外に出せないんです。

自分たちの思想信条に基づいて行動して、それでも失敗するならしょうがないとあきらめるしかなくなっている。

思想信条を疑うことが、手段と成功体験に裏付けられていてできなくなっている。

現実を再度検証することが、まったくできなくなってしまっているんですね。





さて。

こんな現象、最近どこかで見たな、と。


それが、タイトルにもある「主流派リベラルの敗北」です。

簡単に言えば、民進党の崩壊ですね。



ちょっと前の私であれば

「まあ民進が崩壊するのも、しょうがないよね」

と言っていたでしょう。

彼らは選択できる手段の中で、最善と思うものを選択し。

その結果として崩壊している……と、見えている人が多いと思います。




が、現実は、違うと思う、というのがこのお題で私が言いたいこと。


民進党の前の形である民主党が政権を取ったとき、何が起こったかなんですよ。


「あいつは漢字が読めない」

「あいつは昼飯に高級レストランにいってやがる」

「あいつは夜になるといつも行きつけのバーに行って高い酒のみやがって」


政治に対する批判ではなく、単なる嫉妬。

そしてその嫉妬を拡散する空気によって、民主党は政権を取りました。

「ちょっと一回民主党に変えてみない?具体的な論拠とかないけどさ、あんなリッチな生活してるやつに、国民を理解する力なんかなさそうじゃん?」




これが、民主党、ひいては民進党・共産党という「主流派リベラル」にとっての成功体験として記憶に残ってしまったわけです。



その結果、何が起きているか。


手段思想の醸造です。


「こうすれば成功したんだから、今度もそれで成功するだろう」という、きわめて安易安直な発想が、ここで思想として定着・沈殿してしまっている。

何でもいいからあいつら疑わしいぜ、アイツら気に食わないぜ、気に食わないやつらより、俺たちに任せてみたほうが、なんとなくよさそうじゃね?



森友・加計学園問題は、ここからきていると私は見ています。

つまり、法的根拠は何もない。

何もないにもかかわらず、あれだけ騒ぎ続けている。

政治能力不足であったり、ほかにもたくさん安倍政権を攻撃できるところはあるはずなのに。



本来、特に加計学園問題なんてものは、リベラルにとっては逆に推し進めるべき案件です。

50年以上規制が撤廃されず、ずーっと弱者である地方が大学を作ることができずにいた。

弱者救済・規制撤廃を掲げるリベラルにとっては、推進することこそが思想的正義でしょう。

多少なり手段に問題がありそうに見えていたとしても、むしろそこを「規制を取り払うための手段であり、正当性がむしろ担保される」と評価してもいいはずです。



にもかかわらず「なんとなく怪しい」という手段を見つけてしまったがゆえに。

民進党はおろか、共産党ですらアレに対して問題だと騒ぎ続けている。




今、民進党が解体状態になっている理由はただ一つ。

現実を取り込んだ思想を醸造できなかったから。この一点です。

かつては嫉妬と空気によって勝つことはできたかもしれない。

が、その勝利の先に会ったものは、安穏とした社会でもなんでもなかった。

株価7000円台、超円高という経済縮小でしかなかったんです。



それを身をもって体験した国民と、日本社会。

それに対する分析が、まったくできていなかったのが、この民進党解体という結論を生み出した。

まさに主流派リベラルの敗北は、手段思想によってなされたものと言えるでしょう。




だからこそ、私も含め、思想と醸造しなければならないと強く思うんです。

世界は変わり続けます。保守思想が生まれるのはそのためなんです。

変わり続ける中で、どれだけ変わらずにいられるか。それが保守の思想の根幹です。

まあ私は自分を保守だとは思っていないんですが。



思想腐敗はかくも容易く起こるということを、身をもって経験した社会人一年目・二年目でした、というお話。


良い時期に民進党解体が来てくれたおかげで、政局分析と自分の思想分析が重なりました。

ぜひ、皆様のご意見もお聞かせいただければ幸いです。

民進党はなぜ解体したのか。

会社で働いている人が読んでくれているならば、自分の思想はどこに依拠していると考えられるか。

このあたりを議論してみたいですね。

長々とお読みいただきありがとうございました。

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