続・俺様の暇時間つぶし列伝

驚愕するほどの思想弱者になった自分

2017/10/03 03:20 投稿

  • タグ:
  • 思想
  • 哲学
久しぶりにブロマガをみて、読んで。

私は驚愕している。

なんと煌びやかで、個性的であることか。

過去の自分。

いや、まあなんというか。

自画自賛といえばそれまでなのですが。


2015年とは、まさに安倍政権の転換期だったようにも思うわけだけど。

その時代に、大学院生として、きわめて暇な人生を送っていた私は。

そして同時に就活生として社会に出るにあたり様々な知識を吸収しようとしていた私は。

なんと煌びやかであることか。

これに驚いたわけでして。


会社で働くということが、どれほど思想を腐らせるか。

いや、思想をする余暇を奪うか。



今私は、「残念ながら」、「幸福にも」無職なわけですが。

無職になってすぐに買った本は、中野剛志の「富国と強兵」でした。

が、いまだその本を読み切らず。



2015年の私だったら、長くても一か月で読んでいたでしょう。

2017年2月に会社を辞めた私は、3月あたりに買ったその本を、いまだ読まずにいる。



何をやっているのかと。

人類として生きていく以上、思想がどれほど大切であるか。

あるいは、人類に影響を与えてきたか。

それをわからないわけでも無かったろうに。何を。



という思い。

と同時に。



会社の中で働き、時間を消費するということの、思想面での無意味さ。


かつて昔、思想や主義をガンガンに戦わせた高校の友人が。

会社に入って一年しないうちに、もはや私と戦うことすらしなくなったのを見て。

私は「ああこの友人は思想を捨てたのだ」と思ったものですが。



それは違った。

思想をする余暇がなかっただけであり。

もしくは、会社にトレースさせられた思想をするだけの暇しかなかったのであり。



事実私もそうだった。

会社の内部における「主流派」の思想しか、取り込むことができないでいた。

いや、発信はできただろう。

けど、インプットが偏れば、当然アウトプットも偏っていくもの。

私の場合環境が特殊だっただろうが、朝五時に家を出て、深夜二時に帰ってくる生活をしていたわけで。


そんな人間に、思想をインプットする余暇などあるはずがない。




思想的にリッチな人間が、多忙を極める会社の中で育つはずがないだろうということを。


いま改めて実感しました。



書きたいことがたくさんあるんだ。

リベラルの敗北の分析とか。

今後日本がどうしていくべきなのかとか。



現実の反射としての思想ではなく、根源的な我々の欲求・目的を完遂できるほどの思想とはなんなのかとか。


そういうことを書いていきたいのにもかかわらず。




今書いているこのブロマガは、私が衰えたことを認識するに至っただけを記したものになるわけで。



さて。


思想弱者を卒業しよう。

そのために、もっとこういう活動をしていこう。

高校時代、倫理の授業で見たあの華やかな世界観。

そこを取り戻しに行こうと思います。

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