崖っぷち人生

ブルクハルトとクローチェ

2014/05/04 17:33 投稿

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クローチェ 1866-1952  倉科岳志 と ブルクハルトとヨーロッパ像  W(ヴェルナー).ケーギ  坂井直芳 訳


クローチェ 1866-1952

クローチェ 1866-1952



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さて今回は以前から言っていたふたりの人物についての歴史観や思想、そして哲学についてどのようなセンスを持ち合わせていたかについての論文を少々書いていきます。

当初はブルクハルトもクローチェも別々に書評しようと考えていましたが、読み終わったあとにこれはお互いを比較することでブルクハルトとクローチェ、また彼らについて書いた作者であるヴェルナー・ケーギ(翻訳者の坂井直芳含む)と倉科岳志の違いをもあぶりだしていることに気がついたのです。そうなるとこれは別々ではなく、統合して見てみようと思い立ちました。


まずは二人の年齢ですが、ブルクハルトは歴史学の祖とも言うべきランケとほぼ同世代であり、実際にベルリン大学ランケに教わっていたようです。一方クローチェはブルクハルトから30年以上後に生まれた世代になり、ブルクハルトはヨーロッパ興隆と矛盾と一気に吹き出した19世紀の空気のみを生きたのに対して、ブルクハルトはその19世紀の空気の中で育ちながらも20世紀前半という19世紀の価値観がまるで変わってしまう時代を生きることになりました。

そしてブルクハルトはドイツ語圏のスイスバーゼルで生まれましたが、彼の歴史意識はドイツよりもイタリアや果ては世界史の考察に至るまで非常に広い射程をもった歴史・美術家といっていいでしょう。クローチェはイタリア人の美術・歴史・哲学に独自の見解を持ち、特に哲学はブルクハルトが嫌いだったーゲルの歴史哲学を受け継いだ観念論の再構築を試みるなど独自のセンスがありました。

このふたりのおもしろいところはふたりともアカデミズムの主流になることを拒否しながらも、それゆえにアカデミズムの影響を受けているところです。そしてその影響を自ら解釈して、独自の思想に変換できたのです。ブルクハルトはバーゼル大学で一生講義を続けましたが、ランケの死後ベルリン大学から教授に招かれた際にその申し出を蹴るということでアカデミズムに染まり切ることを否定しています。クローチェに至ってはローマ大学の講義に不満をもち、様々な友達との交流のもとで様々な活動を常に大学の外から行いました。

このふたりを対比させると共通するところと、まったく反対の意見が見えてきます。まずは最初の方でも言った、観念論への態度の違いです。ブルクハルトは歴史学ヘーゲル流の観念論弁証論を含めることを拒否しています。彼の歴史・美学への関心は、世界史という縦の時間と横の空間を把握しつつ、その世界史美学のもたらす人間への広がりを強調しているように感じられます。

クローチェは歴史と美学だけではなくさらに経済活動も「善」を追求できる倫理的目標だと考えました。この達成のために使用したのが観念論であることはいうまでもありませんが、そこには自由意思を追求できる状態がなければならない。そして究極的には人文学の総合を試みていたのがクローチェの目的だったのではないかと思えます。


さらにふたりにはそれぞれ郷土愛ともいうべき感情を生まれた場所に感じています。ブルクハルトにとってそれは他でもなくバーゼルというスイスの一都市であり、クローチェにとってはリソルジメントイタリア統合)後のイタリア全域が彼にとっての故郷となっています。この意味でもふたりの共通するところと違いがハッキリ現れています。

ブルクハルトはバーゼルにこだわりながらもイタリアの歴史と諸芸術を始め、あらゆるヨーロッパ的なものを愛していました。ケーギはブルクハルトとスペインフランスオランダ、そして英語世界との関連性を提示しながら、ブルクハルトの世界が単純にバーゼルという1都市とイタリアルネッサンスの歴史と文化だけの学者でないことを強調しています。しかしあえて批評するならブルクハルトのセンスはヨーロッパ的スノッビズムといえますが、それでも後の歴史家ブローデルにつながる歴史の重層性を意識した歴史家だったのではないかと僕には見えるのです。

クローチェはイタリアという国家(世界)がリソルジメントによってようやく1つになったことを重要視していて、どこか一都市への愛情はあったかもしれませんが、本質的にはイタリアというひとつの統合された世界こそを我が故郷と考えていました。イタリアは長いあいだ都市国家がお互いに戦ったり休戦したりすることを繰り返してきた歴史をもっていて、統合されたイタリアという世界は守るべきものとしてクローチェの中にあったのでしょう。しかしこれは反対に裏返すとファシズムとつながる論理であり、実際に彼の仲間たちがファシズムに傾倒していきました。それでもクローチェはファシズムに反抗し続けたのは、ファシズムが人々を自由意思のままに活動できなくしていることを理解していたからです。ここにドイツで生まれた観念論に影響を受けながらも、独特の、あるいはイタリア的な思想としての自由主義があることを示しているのではないか・・・と僕は思いました。


最後に書いておきたいことは、日本ではあまり知られていないブルクハルトとクローチェという素晴らしい歴史・美学哲学に通じた人物の紹介だけでなく、ブルクハルトについて書いたブルクハルトの研究家、ヴェルナー・ケーギとそのケーギの翻訳やホイジンガ、そしてクローチェの著作も翻訳した坂井直芳氏と、クローチェについて大変参考になる研究を行われた倉科岳志氏についても注目して欲しいのです。特に坂井直芳氏はケーギとほとんど歳も変わらないのにその業績がインターネットで検索しても出てきません。倉科岳志氏は若手のイタリア思想・歴史研究家としてとても注目したい人物です。マニアックというかとても細い糸でつながった世界ですが、探そうと思えばいくらでもいろんな世界を探せることはなにも歴史学に限ったことではないことを言ったところで今回は筆を置きます。ありがとうございました。


追記:文章の中でも紹介した坂井直芳氏が結局どういう人物かネットの検索ではわかりませんでした。もしご存知の方はコメント等に書いてくだされば幸いです。推測ですが、坂井氏もブルクハルトのように隠れて住むことができる人間こそが幸いなるものだと考えていた節があります。しかしこういう人物にこそもう一度光を与えて様々な角度から眺めていくことは、人類にとって小さな一歩でも、なにかしらの意義があることではないかと考えています。ぜひともよろしくお願いします。


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