・「歌い手」から「インターネットカラオケマンへ」 - Togetter
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『歌い手』が17歳の少女と淫行して捕まったってことでそれはまあ
『歌い手』でも『インターネットカラオケマン』でもなんでもいいんだけどさ、ニコ厨が歌い手厨を嗤い、vipperがニコ厨を嗤い、としあきと「」が壺民を嗤い、リア充が非リアを嗤い、一般人がオタクを嗤うという多重ハニカム構造が出来上がっている。つまりはこれ、『何で自意識、自尊心を保つか』を嗤うことの気持ちよさ、という問題じゃないかな。よく「嫉妬」だとか「嫌儲」だとかいうキーワードが出てくるジャンルではあるけれども、それよりも深いところに「他人の自意識が依って立つモノ」「ソレに依って立っている事自体」を嗤うことの快感があるんじゃないか。
歌い手として自意識を保つ人、就活の成功者として自意識を保つ人、TOEICの高点数者として自意識を保つ人、ジャンルの古参として自意識を保つ人、ファッション変態として自意識を保つ人、特定の国家に属しているという点で自意識を保つ人……男として、女として、若者として、老人として、正社員として、クリエイターとして、ノマドとして、起業家として……アイマスP、ニコマスP、ブロガーとして……自意識を保つ人。そういう人々が互いに嗤い合っている。別に何で自意識を保とうが好きにすりゃあ/好きにさせてやりゃあいいじゃねえかと思うけど、意見は置いておいて、そういう世の中だ。
ニコニコ動画に歌ってみたを投稿することで自意識を保つ人を嗤う。それは「人気者/非人気者」という非対称性とか、「ニコニコで歌ってみたを上げている人を音楽家と呼ぶのは、「好きなBEMANI曲は」と聞かれて「deep clear eyesのLong Mixです」と答えるような感じ」という"ずるさ"とかはあるけれども、「他人の心の拠り所を嗤う楽しさ」を享受しているという根っこの部分で我々は繋がっている。
そうやって投げ合っている石の形を、『10万人の宮崎勤の中の一人』であるところの我々はよく知っているはずだ。「10万人の宮崎勤」発言は都市伝説の線が濃厚らしいけど、いわゆる『一般人』がオタクを嗤うのもまた、お茶の間の皆様が我々に石を投げて遊ぶというエンターテイメントのコンテンツの一つだった。忘れてはいないだろう、投げられた石の形を。忘れてはいないけれども自分が石を投げている姿は見えないだろう、人間、好きなものに熱中している時は自分の姿が見えないものだから。
石を投げるなとは言わない。どうせそういう世の中だ。ただ、投げる前にその石の形と、手触りと、書いてある言葉を確かめてから投げても遅くはないと思う。その方が投げている実感が湧いて楽しいだろう?
あと、17歳のなんて子どもじゃないですか。子どもと付き合って何が楽しいのか理解できないけれど、31歳にもなって性欲が抑えられないってのは、ちょっとだらしないですね。
それにしても、田中辰典さんは、音楽CDを作ってコミックマーケットで売って、それなりの収益を得ていたはずなのに、なんでこんなアホな状況に陥ってしまったのでしょうか。