転寝しながら見る世界

批判精神・覇権主義グローバリズム想像力1

2014/04/09 10:20 投稿

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<批判精神について>

先般安部総理の政策を批判する事は左翼的だと言う主張が自称保守の間で浸透しているようだ。安倍氏は決してグローバリストではない、あれはグローバリズムからの圧力をかわそうという戦略なのだ、等という主張すらある(某保守番組
批判≠否定の意味も分からないのだろうか?批判精神の無い知性など存在して良いのか?とむしろ聞きたい。
あらゆる事柄について思惟し、分別し、材料を揃え、洞察し、客観し、論理を見出してこそ批判と言う物は成り立つ。つまり知性の全般的活動があってこそ批判が批判足りうるのである。これはどのような分野でも同じで、仏教ではそれを法戦と言う。
直感や希望や主観に基づいた願望に傾倒する事は知性の放棄であり、それは最も忌むべき妥協なのである。

さてコミュにおいて我々は批判を展開する。我々とは放送権限をもつメンバーである。
私は言葉が拙くても迷走しても自ら思考し、分別しようとする知性には放送権限を与えて悔いない。どこかで拾ってきた主張や論理だけの主張は要らない。自ら調べ、知的にアクティブな事が放送権限を持っていただく唯一の基準だ。
そう言う人は結果的に批判精神を持つ人に多い。世論や風潮や流れに乗る人にはご遠慮いただいている。
世論には3つある。
大きな世論。
主義主張を同じくする者の世論。
否定的な世論。
である。例えば私は保守だと自称するネトウヨだが、主義主張が似ていても迎合は拒否する。あくまでも私の保守は上記のち的活動に基づいた民族自決の保守であり、それに反する現象には例え同士が反論しようと同士を批判する。

その結果私は現総理の政策に批判を述べるのである。


<材料・人間の本質、優劣による階級固定>

ある国際的金融資本のコンサルタントである学者が言った。
「グローバル企業の世界統治こそが世界に将来的平和をもたらすのだ」と。これは嘘でもなんでもない。クリントン元大統領の指導教員であり、ハーバード大学、プリンストン大学、ジョージタウン大学の外交政治歴史学者であるキャロル・キグリー教授の実際の言葉だ。彼はいわゆる米国エスタブリッシュメントである。
エスタブリッシュメント、の意味は支配階級だと言う事はなんとなくご存知の方も多いだろう。
私は米国民そのものを批判したいのではない。しかし米国には支配者の倫理などない。彼等には如何に人々をコントロールするかの哲学だけがあるのだ。そうした教育を有名な教育機関の著名な学者が著名な選ばれた?学生に対して行っている。

哲学者のラッセルは優生保護主義者であった。
劣悪な遺伝子は淘汰されるべきらしい。それは同じ白人にも適用される。世界中でナチスは今も否定され、悪の権化だと言われる。同じ思想のラッセルやチャーチルは何故許されるのだろう?
一見何の関連もグローバリズムとは無いと思われるかもしれない。しかし実は深い部分でキグリー教授やバートランド・ラッセルやウィンストン・チャーチル、そして現代で言えばレーガン、クリントン、ブッシュに継承されるエスタブリッシュメントの思想はグローバリズムの根幹に関わっていると、結論付けざるをえない。
資源は優れた者の専有すべきものであり、劣悪な人種、遺伝子、凡庸な庶民はそれらを活用するための生きた道具でしかない、と言う思考だ。ラッセルはとんでもないクソ哲学者と言う他無いがそれを置いておこう。

日本人のエスタブリッシュメントとて例外ではない。
私は左翼的に人間が平等であるべきだ、等というつもりはない。むしろ人間は不平等である事を認めている。自分の中にも知性無き人間を侮蔑する増上慢が存在する。自分自身も劣悪な人間だという自覚が共存する。しかし同様に知性すら環境がもたらすのだ、と言う最近の脳の研究も認めている。知能を向上させる多くのファクトは環境であり、遺伝ではないと言うものだ。遺伝による優劣はたかが知れていて、知能形成の大部分、多くの部分を形成していくのは環境だ。劣悪な知性を形作るのは劣悪な環境なのだ。すると優性主義者の欺瞞は自ずとあらわになる。ラッセルやバーナード・ショーやチャーチルetcは運に恵まれただけなのだ、あるいはだけなのではあるまいか?
しかし運に恵まれただけだと言う自覚を欠いたエスタブリッシュメントは常に存在する。時にそれは暴走し民族を虐殺する事すら珍しくない。

残念な事に、こうした勘違いは圧倒的に恵まれた者に現れやすい欺瞞である。
氏素性・財産・資産が運の良い君を作っただけなのに君はそれをもって他の多くの凡人の上位にあるのだと錯覚する。それはかつて共産主義が行った人民統治だ。
残念な事に、現代日本人にも同じ事が言える。東大を出た君は名もない大学を出た彼より自らが優秀だと思う。事実、優秀と呼ばれる教育機関を出た者がそうでないものより豊富な知識や知性を持つのは当然の事だ。だからと言って君自身が特別なわけではない。君はたまたまある環境に生まれ、ある境涯に立っているのだ。
君の仕事はその優秀な知性を誰かをけなす為に用いる事ではない。君のあるべきは君に与えられた知性を活用する事でしかない。

この事を深く理解しなければ本当の公平さ、は理解されない。人間はどうしようも無く生まれるのだ。誰一人親を選んで、環境を選んで、資産を見て、家の大きさを見て生まれてくる者はいない。たまたま運が良かった君がたまたま恵まれなかった彼を蔑む材料など無い。君がわざわざ指摘してバカにして良い事ではない。
勿論例外は存在する。恵まれない子供が優秀な人間?に成長する事は確率的に低くても存在するのだ。しかし、上記したエスタブリッシュメントにはこの事は理解されない。そして彼等はむしろそのような例外を嫌悪する、のは誰しも理解するだろう。実は此の例外こそが人類の多様性と言う希望の大きな材料であるにもかかわらず、だ。

つづく

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