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神道と仏教 森林修行(修験道)・頭陀行は大乗仏教ではない

2014/03/05 03:22 投稿

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  • 民俗学


修験道の修行は密教なのか?
上記の山行をさらっと見て欲しい。このような修行を由緒正しきw密教では行わない。
しかし似た事をする仏教は存在する、勿論形式も意味も違うし、厳しさにおいても変態化している(日本において)が上記のあらゆる行と共通の行、本質的に酷似した行を現在もしている仏教宗派が存在する。これはあえて言うが修験道よりも古い時代?から現在に至るまで行ってきた宗派だ。

それは上座部仏教ミャンマー派である。
荒野修行、岩山での瞑想、護摩行、随念行、その他にも各種あるがほとんど、日本において変態化してはいるがタイの上座部ですら共通する行行う派が存在している。
空海、最澄の密教はむしろ修験道の影響を受けている。では修験道とは何かだ。

千日回峰行をご存知だろう。
原初仏教の聖者、尊者は100年(勿論修辞だろう)50年、身体を横たえる事なく頭陀行と言う物を行った、と中部経典長部経典において記されている。仏陀は横になって般涅槃したではないか?仏陀は横になって般涅槃した。
仏陀は決して背中を地には付けない。
マハーカッサパ尊者、はもっと過激な頭陀行の実践者である。横になることすらしない。寝るにも趺坐を組んだままなのだ。アーナンダ、阿難、仏陀の終の従者であり、後の初期仏教の3代目正法継承者も般涅槃するまで頭陀を継続した。そのような修行者の記述は枚挙に暇がない。

初期仏教における修行者(行者)はまさに変態化した日本修験道の行法の祖だ。
このような行は支那(現在の)の密教にも当然なく、かろうじてそれに準ずる正統?宗派は修行時の曹洞宗だけに現存する。
密教で阿字観と呼ばれる行法は上座部においては観行と良い、実際マンダラではないがある種の道具を使用してなされている。

このような類似性は実は困難な仏教研究の課題をもたらす。
上座部は実際は分別説部(だっけ?)だが、スリランカに渡った初期仏教が実は大乗仏教と大きく交わり研究までされたという史実から導かれる。

とにかく、大乗における密教と修験道は≠なのである。
では修験道とはなになのか?勿論、修験道の理論的解釈は密教でなされる。しかし実際の行は密教と≠ではない。どおろか日本の密教が修験道を取り込んでいる。役小角の修験道は実際仏教だったのだろうか?
私はそうは思えない。役小角がしたのは仏教ではあるが、日本の仏教ではない。
日本の修験道には実に奇妙な点があり、それを飛鳥・奈良の仏教は修験道と≠ではない様々な点を持つのだ。

つづく




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