転寝しながら見る世界

善逝(仏陀)に習う・愛国精神

2014/02/01 15:42 投稿

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Namo tassa bhagavato arahato samma sambuddhassa

日本の現在のある種の(あるいは多くの)宗派は勘違いしているのだと思います。

仏教においては平和などどうでも良い、と断言します。平和とか幸福を目指すのが仏教である、等というのは大きな戯言です。平和も戦争も超越するのがダンマです。


では一人の仏徒は世界とどう関わるべきでしょうか?

マハーヤーナは、テーラワーダは、そして釈尊御自身はどうそれと関わったでしょう?

そこに仏徒としての道が在ります。


愛すべき国家を持つ事は当然の事です。

祖国の民の命を慮るのは当然です。

その為に努力するのは当然です。


善逝はそうされました。

如来はそうされました。

仏陀はそうされました。

世尊はそうされました。

阿羅漢はそうされました。


自らの国を慈しまなければ、世界の平和は無いのです。

自国を真に愛して初めて、他国の事を慮る事ができるのです。

とことん自らを愛する事で、初めて他人を理解できるのです。

自国を真に理解する事で、他国を理解する事ができるのです。


自国を卑下する事や、貶める事や、辱める事を前提とした理解など無いのです。識るべき事を知らなければ、自らに関わる全ての事象に対しての観が無ければ仏徒の覚醒は無いのです。

無自覚で無理解な修行者はタダ飯くらいの無用者でしかないのです。


ありとある知見をすべきなのです。

良い事も、悪い事も、どちらでもない事も理解するのです。

自らも、他も、そのどちらでもない事も識るのです。

怠惰であっては修行者ではあり得ないのです。


何故なら、善逝は、如来は、仏陀は、釈尊は、世尊はそうあったからです。

あらゆる智を持って世界を観られたのです。

そして善逝は、祖国を慮ったのです。当然そうでしょう。それが泡沫であることも当然ご承知の上で、そうされるのです。


我々もそうあらねばなりません。

そのように努力するのが仏徒です。自国を辱めてはなりません。貶めてはなりません。

他に、それを許してはなりません。

同時に、他を貶める事も許されません。


自国を愛するが故に他国を貶めてはいけません。

が、攻撃された時、それを許してもいけません。

全てはバランスです。

バランスを得ない瞑想など無いのと同様に…


合唱


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