安倍総理大臣は靖国に行かない。
それはもし、神が在るならば彼の参拝を拒否された結果だろうと思う。
信無き敬礼は侮辱である。
神が在るならば侮辱は当然拒むのである。
安倍総理大臣はことごとくその言に反した。如何に弁護しようとも安倍総理には真は無い。
外交も何も関係ない。総理大臣は日本国民に依って選ばれ、日本国にぬかずく従僕の長なのである。日本の意思は靖国に行き、デフレから脱却し、強い国家を作り、自主独立を確固とすると訴えた安倍晋三を選んだのであり、そのどれ一つとして守ろうとしない彼は詐欺師でしかない。
国民皆保険の輸出?上下水道設置基準の輸出?輸出など求めていない。日本人は日本の金を日本国内で循環させる経済対策を求めたのだ。
世界基準などどうでも良い。
世界で一番でなくても良い。
日本人が満足出来る、民族としての品位を保てる、豊かな心でいられる、そう言う美しさを求めた結果が安倍晋三であったはずなのだ。しかしそもそもの著作「美しい…」は空疎な内容でしかなく、戦後レジームは彼自身が体現する醜い日本人そのものであった。
そういう人間を、神が在るならば、境内に近づけはしない。
彼は鳥居をくぐれないだろう。
神が許しても英霊が許さないからである。
合掌
コメント
コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。