根暗先生のブロマガ

輪投げを振り返る?

2017/08/12 08:54 投稿

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根暗先生の経験で苦い思いでがあります。

それは精神病院のイベントで、夏祭りの「輪投げ」での事です。

デイケアのメンバーは輪投げコーナーを担当して、祭りを盛り上げます。

地域住民とのふれあいとして、精神病院のお祭りに、近隣住民が招待されました。

小学生くらいの子供達が50人以上はいたかも知れません?

輪投げの道具は、普段リハビリに使う点数表示がある、輪投げセット?

2台並べて進行します。 参加者は5本の輪を投げて、点数が書かれている棒に輪がかかれば点数が加算されて行きます。 全部の輪を投げ終わって総得点に応じて「商品」が貰えます。

準備として、係りの役割を振り分けました。 受付係り、計算係り、商品係り、という感じです。 各台につきそれぞれ配置されます。

受付は事実上、進行役を務めます。 計算係りは点数計算専門。 商品係りは商品を渡す仕事。

受付は、お客様と直に接する役割だ。 その為、係りになるのを拒まれるのだ。

「恥ずかしい」と?

私に受付役を割り振られた。 私は学習障害持ちで「計算ができない」

その事を訴えた。 やるのは良いけど、計算機の用意をして欲しいと頼んだ。

当初は計算係も考えられていなかった。

以前にブログに書いた中国人の研修生のエピソードはこの時の事だ。

輪投げ台の「棒」が固定されずに「グラグラ状態」で固定しないと輪が受けられないと思った。 それで、ガムテで応急修理だ。

この時、会場に輪投げセットを運ぶのに、輪投げセットを玄関に置き忘れる事があった。

輪投げセットを持った人が履物に気を取られていた?との事?で忘れたらしい。

会場で「無い無い」って言っていて、玄関に置いてあった風景を思い出し、玄関に行ったら、輪投げセットが放置されていた。

そして、道具が壊れているのだから・・・不安一杯。

そして、用意された計算機は一個だけだった。

足りないよ?と言ったら「大丈夫だよ、ちゃんと計算するから」

・・・。

祭りが始まり、入院患者、近所の子供達が、輪投げコーナーに集まった。

配られたチケットの都合上、輪投げを消化してから、他の食べ物コーナーに行った方が効率が良いのだ。 祭りの始まりと同時に人が殺到した。

順番にチケットを受け取り参加者に「輪」を渡して投擲?してもらう。

点数が入ると、点数を加算していく。

しかし、私は足し算ができない・・・計算機を持った計算係りを見ると、

離れた場所で、ふざけている?

当てに出来ん! そう思った。

もう一つの輪投げ台の様子を見ると、問題なく普通に進行している?

あっちの受付役は、麻雀の点数計算をスラスラこなす人だから、足し算なんて苦にしない。

困ってしまった。

輪投げの進行を止めて得点計算の方法を何とかしたかった。

せめて足し算出来る人に代わって欲しかった。

計算機を私の手元に置いて欲しかった。

計算係りは無駄話しないで計算して欲しかった。

言えずに

得点計算をいい加減にして、進行した。

子供達は、計算が合わないので「?」となっていた。

それは、わかっていたが・・・。


この時、珍しくビデオカメラが設置されていて、

多分、録画されていた?

カメラを見た時に、

「多分、事情を知らないで、映像見ると誤解されるだろうな?」そう思った。

その時のビデオカメラが何の為に用意されていたのかは知らない。

ただ、何となく嫌だった。

計算が間違っているのは、わかっているのに「嘘のまま進行させるのに心が痛かった」

助け舟は欲しかったし、SOSは出したかった。

傍に病院スタッフはいなかったし、助けを出せるような人は傍にいなかった。

進行する事が辛かった。

祭りが終了して、ホッとしたけど、

年月が経った今でも、当時の事は、思い出すと辛い想い出だ。

「なあなあ」で物事を進めると良くない事を痛感した出来事でもある。

おつ

2017/8/12








結び付けたくないが、この輪投げの後に精神薬が変わったのだ。 注:輪投げの一年後くらいに精神薬が変更になった。 その後、時期的に黒歴史へと移行する。  考えとか意識は今も昔もあまり変わらず、昔は図々しく無かった?だけかも知れません。 親の介護などを経験して、図々しく言わないとイケナイ状況が多くありました。 今は物凄く、厚かましく発言するけど、昔はそれなりにシャイだった。 若いと言えない事が沢山あって、今の若い人を見ると自分の若い頃を思い出します。 若い人の立場を守っていると「言えない事」があって、言えなかった自分も居たなーって思います。 今の若い人が中年以降になって、それなりに苦労を味わった時、根暗先生の考えがわかると思います。 ただ、人は同じでは無いので、到達点は違うと思いますよ。 

ガス料金の未払いによるガスの利用停止をガス会社から言われました。 それは、受け入れるしかないのです。 現状で収入はゼロですし、他にも払えない公共料金もあります。 それでも生活保護は受けたく無いし、障害者年金も要らないのです。 じゃあ、どうやって生きるの?って事は、仕事をして収入を得て生きて行きたいと思っています。 8月はハローワークで3回、求人に応募しましたが駄目でした。 そもそも、中卒、運転免許無し、統合失調症歴、では就職は難しいです。 それでも「医療を受けなければ生活保護は支給しない」考えの盛岡市と生活福祉課ですから、私と考えが食い違うのです。 ニート枠、就職困難者枠、生活困難者枠、無収入者枠、などでの生活保護支給は出来ないとの事です。 どうしても「医療」を受けないと生活保護の受給は出来ないらしいです。 ですが私は「絶対、精神科関係は嫌」なので、生活保護は要らないと思っています。 ゼロ収入で生きていけないなら「それで構わない」のです。 死んだって良いと思っています。 精神科医療を受けていた30年間にハローワークに行ったのは使い方をケースワーカーに教えて貰った時の2回だけであり、事実上無いのです。 ですが、精神科医療から離れて一か月で3回のハローワーク利用です。 あきらかに社会復帰、社会的自立を考えるなら、精神科医療を受けない方が「自立へ向けて活動できている」のです。 それでも「精神科医療へ引き戻したい」人達や考えがあるのでしょう。 まあ、それでも「精神科医療は嫌」なのです。 この事は答えたくない案件ですので以上です。

介護について
そろそろ身の回りの整理しなきゃな?と思った時に、少しは親の介護の事も書こうかな?そう思った。 親の介護は「親の愛情の深さ」が大事だと思う。 私の親が息子の私に掛けた愛情が深かった。から、親である自分に返って来たのだと思う。 その位の愛情を掛けて貰ったし、注いでくれた「親」だった。 私が介護の真似事が出来たのも「罪の意識」かも知れない。 だから威張れるものじゃない。 馬鹿息子が何やっても駄目かも知れないし無駄かも知れないけど、他に親の事をみてくれる人も居なかっただけだったから介護しただけだ。 親が凄かっただけなんだ。 以上

時代の変化
昔は精神障害者の雇用は難しかった。 デイケアというシステムも元々は「就職スキル等の獲得」が目的だった。 その為には「毎日、通う訓練の場所」や「対人スキル獲得」「日中の居場所」等々が考えられていた。 その後、デイケアは「精神病患者の居場所」としての役割が強くなり、「職業訓練の場所」の意味合いは弱くなった。 私がデイケアに通う事を勧められたのは「社会復帰の目的」と「仕事につながる為」だった。 今はデイケアをそういう目的の場所として位置づけられていない。 一応、名目では社会復帰目的ではあるかも知れない? 今と昔では役割が違うのだ。 今は就職を目指すなら作業所を薦めるところが多いと思う。 今の精神科関係の制度を見ると「障害者として型に押し込めたがっている」と感じる。 制度が全て「精神科医療につながるシステム」だからだ。 本当は言いたくない事だが、息苦しい社会だから言いたい。 相談システムも利用できないぞ! だって全部精神科医療につながっているからだ。 警察、消防、救急、病院、保健所、市役所、等々が相談窓口を開設しているが、どれも相談すると精神科医療に問題が丸投げされるシステムだ。 相談員に相談すると内容を測られて、それぞれの「行政」に振り分けられる。 相談員が「事件性や犯罪性」があると判断したら「警察」に問題が送られる。 相談員が「健康や命の問題」だと判断したら「救急や病院」に問題が送られる。 そして「精神的な問題」と判断されれば「精神科」に問題が送られる。 多くの相談窓口は「問題解決の為の窓口では無く」、「問題を把握、振り分ける目的」の場所だ。 だから相談しても「問題解決」にはならない。 問題が解決されると思って相談すると思わぬ方向に向かう。 相談員に相談すると大抵は「私共では判断しかねる」とか「私達は専門家では無いので」とか言い始める。 そして、警察なり精神科につながるシステムになっている。 相談窓口は「案件の振り分け目的」の場所だ。 自殺だって過労死だって借金だって相談窓口に相談すると窓口での解決にはならず、どこかの「行政」に問題が送られるのだ。 社会のシステムがそう出来上がっている。 だから精神病のレッテルが貼られていれば、余程の事件性がない限り、警察に相談しても警察から「精神科受診」を薦められる。 警察に相談した問題が金銭問題であってもレッテルがついてると精神科につながるのだ。 レッテルが貼られていると警察は仕事しないのだ。 相模原事件の後、警察と医療の結び付きを強化しようとしたのは、行政の仕事をやり易くしたいからだ。 患者の為とかでは無い。 もちろん、そういう思惑は表に出さない性質のものだ。 医療を受けると「齟齬が多い」「齟齬が多過ぎる」のだ。 深刻な病気になれば「齟齬の多さ」に怖くなるぞ! とても怖い思いを経験する事になる。 そういう経験談は少しづつ表に出て来てるから、探してみると良い。 正直、部外者が知らない世界を安易に語って欲しくないと思っている。 当人達が辛いのだ。    

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