根暗先生のブロマガ

漫画「フラジャイル病理医岸京一郎の所見」についてイロイロ想う事。

2017/07/21 12:21 投稿

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根暗先生は漫画レビューに力を注いでいた時期がある。

若い頃の富野由悠季監督が自分に課した修行「コンテ1000本切り」を真似て

漫画レビューを書いた。

漫画のレビューを期限までに100本うpするのを目標にレビュー作品を探していた。

私が利用する電子書籍サイトのレビューを見て回った。 私のフォローする人が

この漫画をレビューしていた。 この人のレビューは信頼できるので、

レビュー内容を読んで、読んでみたくなった。 読んだ後は勿論レビューする目的で購入。

1巻から9巻まで読み終えた(2017/7/21現在)

9巻のレビューは書こうと思わない。 今は本のレビューはやりたくない。
 
この部分はどうしても、何かを言わなきゃいけないな?そう感じた。 病気治療で子供の頃に長く入院すると「年上の大人達の中で生きる処世術」が身に付いてしまう。 まさに「大人の望むいい子」をやってしまう。 そして、医者の病室での振る舞いについて語られます。 患者は医者の立場を考えて「何も言わない」事が多い。 医療従事者が患者を観察するように、患者も医療従事者を観察しているんです。 嘘は見抜かれますよ。 

密林?に書かれている、この漫画のレビューを(恐らく医者?多分医療関係の人?)幾つか読んで思ったのは「漫画に書かれている薬品名や数値を本当に書いて良い情報か?」「個人情報保護問題と不正医療問題」になってしまう程スキャンダラスな問題だと思うけど? 薬品名と使用量が・・・・て事は考えないのかな? 漫画レビューの内容の一部は「人に施す事を忘れてる?」かの内容もある。 

敢えてボカシて書く事も必要だけど。

実写ドラマ化もされたので、漫画の価値が下がってしまった感もあります。

画像を貼り付けて、場面場面で伝えたい事が山ほどある作品だ。

何点か画像を準備したけど、スマホのスクショは使えない?

思い切って二枚だけ貼ってみた。 

この場面のセリフの意味がわかる人は「人の死」を「受け止めた人」だと思います。

凄く苦しい想いをして、死んだ人が一番穏やかな顔しているんですよ。

そういう「死」を自分の中で受け止めた時、自分の生き方が変わるのも当然ですよ。

2017/7/21  短い内容で申し訳ない。

一時期、私は病院職員と同じスケジュールで生活していました。 朝は看護師達と一緒に職員用送迎バスに乗って病院に行きます。 私は日中はデイケアに参加します。 看護師達が勤務終了まで待って帰りのバスに乗って自宅に帰ります。 時間的には看護師達と同じく活動していました。 当時のデイケアはPM3時で終わります。 デイケアのメンバー(患者)は全員帰っていなくなります。 3時以降の時間は、作業療法士の仕事の様子を見守っていました。 部屋にあるテレビを見ながら、様子を伺います。 患者の我々が知らない事がいっぱいありました。 デイケアでの一日の記録をカルテみたいなものに書いて行きます。 当時は手書きで書いてます。 辞書を傍らに置いて、記録しています。 職員全員で記録を書くのです。 中には、漢字も満足に書けない職員も記録を書いています。 その時間はデイケアの様子をひとつも書き忘れないよう、慎重に書きます。 疑問に感じた事は同僚に問いかけます。 「あれって、どういう意味だったんだろう?多分、本人は~~」と色々、職員同士話し合います。 その場の職員は全員、話しに参加しています。 漢字が書けない職員が、言葉少なにボソッと発言します。 とても素人発言ですが、人生を長く生きた男性の意見として、説得力があるのです。 その言葉をフックに各々の職員が自分達の思考に戻ります。その様子は頭の中で「何かを確かめる」感じに見えます。 そういう作業を毎日繰り返してるのです。 そのカルテが信頼できる貴重な情報となるのです。 記録はきっかり同じ時間に終わります。 そこから翌日以降の準備が始まります。 翌日に必要な道具があれば準備します。 大きな模造紙にPOP調の文章を書いて行きます。 驚くのは下書き無しで、油性マジックを使いフリーハンドで書いていきます。 その早さも凄いものです。 流石プロ! そう思います。 その大判サイズの模造紙を2,3枚は平気で書き上げます。 他の職員は、それぞれの仕事をしている。 患者が帰った後にレクで使う畑に出かけて作物の手入れをしてるなんて? 選定したり草取りしたり、肥料を与えたり、まるで本当の農家みたい? 育ち過ぎたキュウリで漬物を作ったり、キュウリは収穫時期を逃すと種が多くなって価値が無くなる。 必要な物品購入に出かけたりもする。 そういう買い物にも私は連れていかれた。 ようは、目の届くところに置いておいた方が良いと判断してるのだろう。 買い物で病院の領収証の書き方を教わった。 病院のお金で、物を買う?事の大変さを知った。 場所柄、会議が開かれる事もある。 そういう時は部外者の私は立ち入り禁止です。 その間は病院の敷地内をウロウロします。 私は、そういう時間の中、多少、お手伝いしました。 患者さんが行う「軽作業」は大抵、私がテスト作業をします。 私が出来ない作業は、他の人も出来ない難しいものだろう? そういう基準みたいなものがあったのです。 基盤にハンダで配線づけする作業はラジコンでハンダの扱いに馴染んだ私でも難しくて出来ない作業でした。 その作業は受注しませんでした。 果物の保護ネットの作業は病院内で最も大勢がやった作業です。 袋詰めの机上上の理屈はあったのですが、効率の良いやり方は誰も知らない状態でした。 私が試しに袋詰め作業を担当しました。 最初は袋に穴を開けたり、詰め方が汚かったり、出来上がったもののサイズがバラバラだったりしました。 ネットに輪ゴムを通し折りたたむ作業は大人数が輪になって作業できた。 みんなひとつの輪になって、作業しながら会話する。 最初は職員が振っていましたが、慣れたら、作業が始まると会話が自然と始まります。 会話に参加しなくても良くて会話を聞くだけでも良いのです。 聞くだけでも、他の人の考えや価値観が知る事ができます。 後々に、会話を聞いてた人が「あの時ね実は・・・」て意外な意見も聞けたりします。 デイケアの準備作業中に色んな発見がありました。 一番学んだのは「決めつけない」事かな? ただ、基本的に人には善意で接する事の大切さは痛感した事です。 どちらかが邪心を持つと、良い関係は築けません。 数年前看護学生と会話しましたが「生活保護」に否定的でした。 今のネットで飛び交う内容を鵜呑みにすれば生活保護に悪い印象を持って看護学生をやるのもわかる話です。 同じように教育の現場でも生徒がいない学校の時間があると思います。 野球の部活でボールを追いかけて来たら「先生達が集まって勉強してる?」って風景は不思議に思うそうです。(笑) 学生は「俺達が帰った後に先生達も勉強してるんだな?」って当たり前に気付くのです。 ・・・・ 当時の私は看護師が仕事を終えて送迎バスに乗って帰るのと同じように病院から家に帰るのです。 今の規則、規範に縛られた社会の弊害は私が、イレギュラーな存在だったから、体験出来た事かも知れませんね。   2017/7/25






     

















































人には見えない部分があるのです。 人が生きていく情報量は途轍もなく膨大です。 

私も話し方は面白味が無く冷たさを感じる話し方ですが、一部の真面目な女性は「真面目な話題」とか「重大な話題」とか「専門的な話題」の話し方は聴き辛い。

真面目な話題を話そうとすると、暗くて低い平板な話し方をする女性がいるのだけども「聞いて貰えない」話し方なんです。 内容は興味があるのに聞けないのです。

一度、自分の話し方を録音してご自身で聞いてみてください。 これは、実は全部の人に経験して欲しい事なんです。 ニコ生を見てると、放送主の「話し方が変だ」とか「キモイ話し方だ」とコメントが見かけますが、多くの人が「まともに話せない人」です。 うーん、説明は難しいけど、放送に乗せて人気が出る話し方の人は稀です。 普段の生活の話し方のまま、放送やメディアで話すと「評価が低い」のです。 場数を踏めのアドバイスは「場数を重ねて鍛えて」やっと聞ける話し方になるのです。

アナウンサーのようには話せないのです。 自分の話し方を突き付けられると、ショック受ける事間違いなしです。

※最近(物凄く)気になる事?
街中を歩いて気になるのは「病気だろうか?」と思う人を街で見かけるのです。 薬の副作用で太っている人?服装が乱れてる30歳位の人?いい大人なのに子供っぽい服装?程度の差はありますけど精神科歴が長い自分が見ると「どこかで、病気的、要素を持っている人」と判断するのです。 注:薬の副作用の肥満と栄養などの代謝系の肥満とでは肥満でも「体形の違い」があるのです。 うつの話題が多くなり始めた頃から、体形が「?」の人を街で見かける事が多くなった。 クレッチマーとかの考えもあるので、うーん、体形とかでも判断するの?

もしかしたら、レッテルを貼ってしまえば「誰だってメンヘラに見える」ものです。 はっきり言って今、ラジオで放送大学を聞いていますが、話し方だけでいえば「メンヘラ感」が漂ってくるのです。 内容云々では無く、一瞬のイメージが「もさっ」としています。 最初の一文字とか二文字の音で「印象は決まる」のです。 私の経験では、多くの若者は最初の話し方の印象で相手の価値を決めてしまう印象があります。 安倍総理は政治家の中でも「割と聞きやすい」話し方です。 菅前総理、野田前総理は聞いた印象は「綺麗な話し方では無い」のです。 小泉前総理は聞きやすいイメージがありますよね? とても音の印象の影響が強くなった現代だな?と思っています。 ヘッドホン派が増えたからかな?

情報という概念の違い?
情報の概念が変われば情報の扱いも変わるはずです。 過去に読んだ漫画に「攻殻機動隊」士郎正宗著があります。 その中で「大きなデーターを抱え込んでも意味は無く情報にアクセスできる「鍵」の多さが重要で鍵が多い方が変化に対応し易く災害などにも強い」みたいな考えが欄外に綴られている。 図書館とかは知を集中させる事に利点があった。 ネットでは逆に分散させた方が良いと考える。 知識の源の価値が安くなったらどうだろう? オリジナルと同じコピーが大量に作れるなら。 今はオリジナルを守ろうとする人達が多い。 著作権とかもそうかも知れない。 オリジナルって何だ? 漫画であれば、生原稿?初版本?商業化作品全部?二次製作は?アニメ化は?評論や評価は?感想は?・・・私的には「初めて触れた情報がオリジナル」。そういう事だ。 ベートーベンだろうがカントだろうが岡田斗司夫だって知らなきゃ同じ事だ。 偉大な知識、有益な教え、触れなきゃ、知らなきゃ、意味の無い、価値が無い物だ。 オリジナルを守る為にガードが固くなり過ぎて、知識に触れる事が無くなり、知識が伝わらないのであれば、「無」と同じでしょ? 特命リサーチ200X年のある回でデーターの扱いを皮肉交じりに伝えていた。 「人類が滅んだ後に残った情報は石に刻んだ文字だけだった」注:私の記憶ですので曖昧な事です。



私にもグループホーム入所の話が十代の頃にありました。 見学時にひとつの質問をしました。 「友達呼んで良いんですか?」と、そしたら答えは「駄目」だそうです。 この答えを聞いてグループホームは遠慮しました。 その後、デイケアに来ている患者さん同士の会話から「病院とグループホームの往復の毎日」である事を知りました。 メリットを強調して社会的意義がある事だから使わなきゃ損?みたいな思想がウンザリします。 グループホームに入所したら「鎖につながれた状態」と言えるのです。 グループホームでは集団生活を理由に深夜に起きている事も許されませんから、ほぼ自由は無いと思います。 コンビニに買い物も制限されるらしいですから・・・? ホゲェ?(´-`*)

7/3 ラジオNIKKEI第1「薬学の時間」を聞いてましたけど・・・説明の中に「新薬は従来薬より0.7倍の薬価で販売できる」みたいな説明があって「?」となった。 製造とか開発に対して0.7倍の値が付くの? うーん、それ一律にですか? 薬を作るコストが高くても、低くても、ですか? 計算が複雑になりますね? 低いコストのものでも0.7倍の値が必ずつくなら・・・成分が同じ、或いは似た成分?または一部成分の流用?みたいな事でコストを抑えて「新薬として出せば?」って、悪だくみが出来てしまいますね? 他にも気になったのは、ジェネリックを薦めていますが「何で新薬を薦めるの?」「従来薬にも良いものがあるのに、なんで?」「値段的にも従来薬が安い事もあるのに」なんですよ? そしてこの手の話題に決定的な事が欠けているのです。 「新薬開発段階で開発途中の薬を飲んだ人の感想が全く無い」のです。 放送や文献とかでも、データー、データーと大切さが言われてますが、数値とかばっかなんですね? 観察とかはあるにせよ「新薬を飲んだ人が、どう感じている?」かは無いのですか? アンケートとかはやるかも知れませんが、あんまり「病気に効いてる」とかの飲んだ感想は無いんですね? (´・ω・`)




2017年8月6日(日)、【原爆の日】にニコニコ放送で広島市 平和記念式典 生中継、をTSで見ながら、何となく引き出しを整理していた。 出て来たのは、東日本大震災時に呼びかけられた「被災地にラジオを送ろう」の地元放送局からのお礼の葉書だ。 この葉書を受け取ったのは災害が起きてから一年後だが、とても復興とは呼べない状態なかでの葉書だった。 この葉書を出すのも、かなりの負担になったのではないか?と当時心配した。 ラジオで情報手段が無くて困っている人達に乾電池で動くラジオを寄付してください。みたいな事を放送で呼びかけていました。 たまたま手元に携帯ラジオが余っていたので寄付したのです。 心残りは、新品の乾電池を入れて寄付してください。との指示に対して、使っていた時の古い乾電池のまま寄付してしまったのです。 乾電池はどの位持ったのだろう?と怖かった。 一か月位の使用は楽に出来る事は、毎日使っていたラジオなのでわかるが、その先がどうなんだろ?と不安だった。 乾電池は品不足で容易に買えるものでは無かったのだ。 【原爆の日】にこの葉書を見つけるのは「何なんだろう?」と思う。 被爆72年経ったそうだ。 喜びと悲しみそれぞれの時間は等しく過ぎてゆくものでは無い。 「どちらが長い?」かは、みんな知っている事だと思う。 ネガティブな感情に支配される暇があったら「少しでも前に進みたいな?」そう思う・・・ (´・ω・`)   




 

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