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根暗先生のブロマガ

根暗先生の中のテイルズシリーズ

2017/03/14 23:01 投稿

  • タグ:
  • RPG
  • テイルズ
  • ゲーム
  • OP
  • 歌詞
  • アニメ
根暗先生はシリーズものが好きではない。

アニメもゲームでもシリーズものは「毛嫌い」する。

初テイルズは「ディスティニー」だ。 第一作目。

昔の事だから買った動機は覚えていないが「おもしろそう!」と思った。

完全新作の「テイルズオブディスティニー」の発売初期は「人気」がない状態だと

記憶する。 ソフトを買った時に「苦労した」記憶がなく「なんでみんな買わないの?」

その思い出が強い。 ゲームを起動して、すぐ好きになった。

おもしろいゲームの雰囲気が強烈に感じたからだ。

プレイして面白くて「やめどきに困った」そんな体験はテイルズで初めて経験した。

ディスティニーが好きなのは「物語りが面白く難しくないゲーム」だから。

躓いてまともに遊べないゲームが多い中「不思議と遊べたゲーム」なのだ。

最後までクリアできたのも楽しかった。

英語が読めない私は気になった「ディスティニーってどういう意味?」って、

辞書で調べたら「運命」という事で「物凄く納得した。 ちなみに

テイルズの意味は「物語りとか架空の話」らしいが当時はそこまで調べられなかった。

当然「ディスティニー2」もプレイすのだが、こちらは「難しくて遊べない」

と挫折した。 1と2でこんなに変わってしまうのか? 嫌な物だと思った。

その印象でテイルズシリーズをプレイしなくなったし「RPGは難しい」イメージを

持ってしまった。 それからしばらくはRPGを遊ばなかった。

ニンテンドーDSを所有していた時「テンペスト」が気になった。

無限のトゥェルブRCカー「テンペスト」の印象が良く同じ言葉の

ゲームが気になった。 中古で「450円」で購入。安さの意味はすぐわかった。

つまらない。 私の中の「ワーストRPG」だ。 もう、語りたくない。

現実世界で色々あり「ゲームを勉強」していた。

X BOX360を買ったが、遊ぶゲームがなかった。

テイルズオブヴェスペリアが発売されていたが、常時品切れ状態。

やっと手に入れ遊ぶ。 やっぱテイルズはOPが良い!

凄く好きななった。 歌も良いし絵も良い!見るのが楽しい!

OPだけを繰り返し見るのだ。 ゲームをダビングした程。

主題歌のCDも購入した。

BONNIE PINK


作詞:

BONNIE PINK


作曲:

Burning Chicken・BONNIE PINK



私が好きなのは以下の部分

何を目指して 誰を信じて
誓っては また揺らいだ

君は君らしくあること それはまた孤独とも言う

光は影の影は光の
果てまで付いて行くのだろう
僕が笑って生きていたのなら
鐘を鳴らして君に知らせよう


サブカルを馬鹿にする存在に「憎しみ」を持っていた時期に
心に響いた・・・

朝靄の街を毎日走りながら「意味を変えて口ずさんでいた」

アニメやゲームを信じる!

アニメを信じて自分らしくあることは 孤独だろう!

光は影の影は光の果てまで付いて行くのだろう

僕が笑って何かを知って生きていたのなら

君に知らせよう!


アニメを馬鹿にする奴が大事にするのは聖書や哲学で、

アニメはそれらより劣ると思っている人達に

アニメの良さを伝えるには「サブカル全般を知る必要がある」

いっぱいゲームを遊ぶんだ! そうじゃなきゃ「わからないだろ!」

まず、自分が「サブカル」を知らなきゃどうしようもない!


そういう思いを持って毎日過ごしていた。

ゲーム機もソフトも用意しなきゃ遊べない。

資金を作る為に、タバコを辞めた。 間食も辞めた。

電気代の節約の為、テレビ消し消費電力の少ないラジオを聞いた。

蛍光灯もLEDに変えて消費電力を抑えた。

テレビも省エネ性能ナンバー1を買った。 冷蔵庫も省エネ重視。

洗濯機も省エネを求めた。 徹底して省エネした。

何年かかるかわからないから「とにかく出費は抑えよう」そう思った。

結果、サブカルの方には、あまりお金が回らない状態。

でも、先を見れば・・・。

東日本大震災の時、節電が叫ばれたが「すでに節電生活」だったので

節電はお手の物であり当たり前的に思っていた。 実情はそうではなく

節電方向よりも情報に特化した社会に進んだのは誤算だった。

家電に投資した分、サブカルは遠くなり、情報化で更に遅れた。

追い打ちとして介護や病気も重なり「酷い状態」だった。

もう、それは黒歴史としか呼べない。


去年「憎しみを手放した」事で一気に状況が良くなった。

憎しみがこんなに「人を不幸」にするとは思っていなかった。

人の「負」のパワーはみんなが思うようなものではない。

愛憎そのものなのだ。 それは「知らない方が良い代物」だ。 凄く思う。

ヴェスペリアの話に戻れば。

物語りがおもしろく、メッセージ性も良かった。

ただ、良い物語りでも「ゲームをプレイしないと物語りを知る事ができない」

事に困った。 多くの「サブカル否定派」にゲームをプレイさせるのは

困難だからだ。 ゲームはプレイした人だけが特権として「世界を見れる」

とも言える。 とても良い体験ができるが「知らない人達」に

伝えようもない世界。 答えは出ない。

そうこうしているうちに次のテイルズが登場した。

エクシリアだ。

作品の世界観が自分の感性とは違い過ぎる事に苦悩した。

おもしろかったけど、理解するまで時間がかかった。

エクシリアもOPが良い。

浜崎あゆみの「Progress」の疾走感がムービーと合っていた。

紅白で「Progress」を聴いた時「がっかりした」

浜崎あゆみとProgressで「世間をアッと言わせて欲しかった」

ワンフレーズも聞かないうちに「駄目だ」と思った。

下手! 失礼ながらそう思った。

浜崎あゆみは「録音向き」の歌手だと実感した。 ライブでは「つまらない」

そういう存在もある。 紅白で後に歌う人はライブでの存在が強い。

そう感じた紅白は大晦日の出来事で年の終わりは苦い想いを嚙み締めた。

サブカルの力は信じているが「証明できないと」と思っていた。

エクシリア2は「どうでもよくなっていた」私から見れば「駄作にしか見えない」

のだから。 私は感覚がズレていた後で知る事だ。

シンフォニア ラタトスクの騎士もプレイした。 Wii版だ。

ディスティニーの面影はなく「面倒なシステム」に抵抗感があり序盤でやめた。

自分ができるゲームは無いのか?と疎外感を感じていた。

ニンテンドー3DSで「アビス」をプレイした。

もう私が「殆どゲームを遊べない人」であるのがわかるなら、想像通り

途中まで遊んだ。 自分でもわからないけど「途中で遊べなくなる」のだ。

アビスの他のテイルズと同様OPが良い。

BUMP OF CHICKENの「カルマ」の曲の雰囲気はとても好きだ。

歩く事が出来なくなった母を歯医者に連れって行ったときに

歯医者の待合室で流れていた。

意外な場所で「ゲームの主題歌が聴けて」嬉しかった。

歯医者という苦痛を伴う場で流れる曲には意味とか役割がありそうで、

ゲームの社会的意義がありそうで「癒された」

その頃は、かなり疲弊していたので「歯医者でゲーム主題歌が聴けたのは、かなり支えられた」想いがある。

色々と限界になり「ネトゲに移行」したが、

作品を継続して販売してくれる事は「つながっていられる感」があって

助かった。

随分、酷いものを書いてしまった想いもあるが、

好きなものを貶される事が「憎しみを生む」事があるのだと言いたいのである。

それは「宗教戦争」とも変わらない悲劇を呼ぶかもしれない。

人の想いを軽くみてはいけないのだよ。

私が感じている世間のアニメへの軽さは

聖書を燃やす行為と変わらないと思っている。

無理解の怖さだろう・・・。

2017/3/14





BUMP OF CHICKEN 「カルマ」

ガラス玉ひとつ 落とされた 追いかけてもうひとつ落っこちた
ひとつ分の陽だまりに ひとつだけ残ってる
心臓が始まった時 嫌でも人は場所を取る
奪われない様に 守り続けてる
汚さずに保ってきた手でも 汚れて見えた
記憶を疑う前に 記憶に疑われてる
必ず僕らは出会うだろう 同じ鼓動の音を目印にして
ここに居るよ いつだって呼んでるから
くたびれた理由が 重なって揺れる時
生まれた意味を知る
存在が続く限り 仕方無いから場所を取る
ひとつ分の陽だまりに ふたつはちょっと入れない
ガラス玉ひとつ 落とされた 落ちた時 何か弾き出した
奪い取った場所で 光を浴びた
数えた足跡など 気付けば数字でしか無い
知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間
初めて僕らは出会うだろう 同じ悲鳴の旗を目印にして
忘れないで いつだって呼んでるから
重ねた理由を二人で埋める時
約束が交わされる
鏡なんだ 僕ら互いに
それぞれのカルマを 映す為の
汚れた手と手で 触り合って
形が解る
ここに居るよ 確かに触れるよ
一人分の陽だまりに 僕らは居る
忘れないで いつだって呼んでるから 同じガラス玉の内側の方から
そうさ 必ず僕らは出会うだろう 沈めた理由に十字架を建てる時
約束は果たされる
僕らはひとつになる

元記事 https://music.douban.com/review/5107398/




DEEN 「夢であるように」

答えが見つからないもどかしさで

いつからか空回りしていた

違う誰かの所に行く君を責められるはずもない

なんとなく気づいてた 君の迷い


夢であるように 何度も願ったよ

うつむいたまま囁いた言葉 哀しく繰り返す

激しい雨に 僕の弱い心は強く打たれ

すべての罪を流して欲しかった


期待と不安が降りそそぐこの街で

僕は道を探して

君は隣で地図を見てくれてたね

やわらかな季節を感じながら歩けるような恋だった


夢であるように 瞳を閉じてあの日を想う

風に抱かれて笑っていたふたり

そして朝陽が差す頃 僕の腕の中

眠る君の優しい幻を見ていたい


夢であるように 心の奥で永遠に輝け

君との日々は等身大の僕だった

いつか描いてた未来へ もう一度歩きだそう

たとえすべてを失っても 何かが生まれると信じて

きっとふたりの出逢いも 遠い日の奇跡だったから

元記事
http://1st.geocities.jp/ryoutakunotomodati/kasi3.html


物語りを語るのに「著作権」は邪魔な存在なんですね。 ちょっと作品には悲しい運命です。

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