根暗先生のブロマガ

相撲的考えが日本を悪くする?

2017/03/09 09:56 投稿

コメント:2

  • タグ:
  • 相撲
  • 横綱
  • 若者
  • 十両
  • 未来
  • 日本
根暗先生は太っていますか?

そう聞かれたら。 答えは「YES」です。

太っているというより「ガタイが良い」という事らしいです。

ある女学生が先生に言いました「先生ガタイが良いですね!スポーツできそうな体ですね」

結構言われます「スポーツできそう」って、誉め言葉として嬉しいですが、

褒めるところが無いから「そう言うんだ」と思っています。

根暗の「どこを見てスポーツができるって判断してるんだ!」て思います。

つまり「見ていない」のですよ。 適当に「判断」しているのです。

相撲を見ていると疑問が湧きます。

稀勢の里が横綱になった事です。

色々、不思議な事が多く、その精神構造や考え方は「変」なのです。

横綱は強い人がなれる?と認識しますが「稀勢の里は強くないだろ」

そう思うのです。 横綱になってしまったから「頑張ってください」

としか言えないのです。 横綱は「負け越せば即引退」の決まり

があったような気がしますが? 勝負事に「絶対」はないのです。

勝ち続ける事が「当たり前の横綱」なんですよ。 稀勢の里の

能力は疑問なんです。 実力ではなく「人気」で横綱になった。

そう思います。 この思いを「批判」する人達がいるのでは?

話題を変えます。 相撲を見ると「幕内?」???4時頃から

人が集まり始めるのです。 十両を見ている人は「あまりいない」

十両の土俵際で相撲を観戦している人は「十両力士の相撲を見ない」のです。

会場を写すカメラには、相撲をそっちのけで、談笑したり弁当を食べたり、

土俵に背を向けて談笑する姿には「違和感」を感じます。

背を向けているのです。 「未来」に・・・。

十両は弱くて未熟な「若者」が多いですけども「未来の横綱」は必ず存在します。

相撲のシステムは自然に良くできたものなんです。 十両を経験しない

横綱はいないのです。 根暗先生は疑問を持ちます「自分で未来の横綱を見つけたくないのかな?」

じゃあ、なんで十両の観客席にいるの? 変ですよ!それって!

幕内の勝負をテレビで見ます。 4時頃の視聴に向かない時間です。

おお、つえー、こいつ楽しみだなー、そいう存在を見るのは楽しいですよ。

鶴竜、日馬富士、琴欧州、は大関になる前は「見るのが楽しい力士」でした。

相撲の技術は「上手いようには見えない」のも特徴で「一見無茶して勝っている」

ように見えます。 外国人で上手くなく、力づくで勝つ、存在に「反発」するのが

日本人です。 それは「見ていない」からなんですね。 戦力分析をしない。

言い換えれば「良さ」を見ないのです。 相撲の「良い」は「強さにつながる」のです。

良さが武器になるのですから、相手の良さが見えない事は

「相手の武器が見えないのに戦っている状態」です。

外国人力士に必ず言われる事があります「外国人は力がある」「パワーが違う」

それは、わかります。 人種による違いが、あるのもわかりますが、

それを問題にするのは違うんじゃないか? それを言い出したら

相撲のルールを本気で考えなきゃならない。

相撲に体重による階級を持ち込むのか? ナンセンスです!

横綱、鶴竜の相撲は上手いと思いますよ、個人的に。

体格とかパワーが足りなくて苦しい戦いをしている。

鶴竜が「弱い」とか言う人は「相撲を見てない」のです。

稀勢の里はどうなのか? 左の強さが言われるのですが、

確かに左の強さは確かに強いですね。 こういうと「おちょくるのか!」て言われそう

だが、稀勢の里の「左の強さ」ってものを見た事がないんです。

稀勢の里の相撲を見る度に「左の強さなんてないだろ」って思うくらい「負ける」

私の印象では「勝った姿なんて見た事ない」と思えるのです。

色々な要素で判断すると「横綱」の分類になるらしいですが、

十両の相撲を見ない人達が言う「横綱」は「老害」的存在です。

汚いものの塊に見えるのですよ「色々へばりついている」から・・・

良い意味でも日本だし、悪い意味でも日本なんです。

「若者」の「未来」を「若者の戦い方」を見てほしいですね!

土俵に背を向けてる人達は「相撲」を見ないのですね・・・・?

おつ   意味不明なブロマガを書いてしまった(笑)

2017/3/9   2017/5/9に追記記事を書きました。













【ニコニコミュニティ】おじおじ変化を目指す!の生放送




最近は相撲を見るのを止めました。ラジオも聞きたくないです。 理由は「怪我の多さ
」です。 怪我する人を見て喜ぶ趣味はありませんから。 怪我の発生が放送されると「いたたまれなく」なるのです。 辛い想いをしてまで相撲は見たくないですからね! 怪我するから真剣勝負なんだ!って意見は「あ、そう」としかならんです。 大した成績が残せない力士でも「最後まで生き残った人」は真剣勝負に勝った人なんですよ。









追記:これを書かねばならないのは、メディアの話題の取り上げ方に疑問があるからです。 現在の相撲の話題は「稀勢の里」一色です。 「稀勢の里!稀勢の里!」って他の相撲の話題が報じられないのです。 稀勢の里1人で相撲が成り立つならそれでも良いですが、報道されない力士はどうなるの? 私は稀勢の里が嫌いではない。 メディアの扱い方に疑問になる。 稀勢の里の怪我がどうのこうの言うけど・・・怪我する力士は多いですよ。 横綱の怪我は報道する価値があるけど無名の力士の怪我はどうでもいい扱いですよね? 私が嫌なのは「肩書に拘る」事なんです。 他の例を挙げれば世界バレー?の存在です。 個人的に日本で開催される事に疑問を感じていました。 日本での開催が多いので「日本が作った大会なのかな?」そういう誤解もあったのです。 「世界」と銘打っているのに「日本中心」の事に違和感があって「認知が歪んでいる」のでは?と疑ってしまいます。 私は世界的なイベントで話題が偏って伝えられる事が嫌いなのです。 ナショナリズムとかの話ではなく「競技者や競技が好き」だから公平性を大事に思うのです。 競技は公平性があって成立できるのです。 ルールの存在は公平性の確保の意味もあります。 東京オリンピックも日本開催では公平性が崩れる恐れがある。 自国開催で日本人に良い成績が期待されている。 競技の事を考えると日本人ブーストがかかると嫌だなと私は思うし最も嫌う理由だ。 競技者の「本当の実力」が見えなくなるのだ。 日本人競技者が勝っても「ブーストで勝った」となれば実力に疑問譜が出てくる? 勝利の価値が薄くなるのだ。 話題の偏りで「力関係が偏る」危険をどの程度の人が認識しているのだろう? 日本人競技者を応援しても「ブーストで勝てた」とか言われたら嫌なのです。 競技者の実力で勝った事実が欲しいのです。 強い日本として誇れるのです。 どこの国でも自国開催のブーストはあるかもしれません。 ブーストを使ってばかりの日本人競技者って日本人から見ても気持ちよくないのです。 話題の偏りは「日本を悪くする」のです。 「相撲的考え」とタイトルに「相撲」を使ったのは、偏りが顕著に表れているからです。 表現する難しさがありますから一発で語れない事も多いのです。 ブロマガは書き直せる媒体です。 私が日記みたいに日付を入れるのも意味を持たせる為です。 本文に修正を加えたくないのが本音ですが「どうしても」の場合は本文に修正します。 それ以外では「付け足し」の形でブロマガを「成長」させたいと思っています。 ひとつの記事にしつこく「付け足す」事で変化が見えれば面白いよね。 そういう考えです。 情報とは受け取る側の扱いで変わる程度のものなんです。 核ミサイルが発射されて逃げなきゃ命が無いって情報も死にたい人には「どうでもいい情報」なのです。 受け手が情報で何が出来るのか? 多様な営みの人達の事を考えるなら「情報の偏り」はマズイ事だと気づくと思いますよ?・・・

大相撲夏場所・千秋楽を終えて・・・優勝した横綱「白鵬」のインタビューを聞いて私は唸るしかなった。 「病院の検査で25歳と言われた」こんな感じの事を冗談染みた話題としてインタビューに答える白鵬に「流石だな」と思う。 力士の中には「糖尿病」や「痛風」を患う者もいると聞く。 それは「栄養過多」な状態で「体調管理」として「不十分」だ。 勝負事をする力士が「成人病」で「不健康」ではどうしようもないのだ。 白鵬は血管年齢が「25歳」と言われたのだろう。 その話題を出した意味も考えなければと思う。 ただ、私が書いても意味は無いから書かない。 私の好きな力士は誰?の質問に、答えは2つ用意してある。 考えの狭い偏見が多そうな人には「千代の富士」が好きです。と答える。 考えが深い人には「朝青龍」です。と答える。 どちらも好きな力士だから嘘ではない。 朝青龍が好きと言うと「馬鹿にする人」には千代の富士と答えるようにしている。 色々難しい問題が「相撲」には潜んでいるので好き嫌いが言えない状況も多い。 朝青龍の相撲は「楽しい」のだ。 人柄が問題視されるが、「それも含めて楽しい」のだ。 強さも好きだ。 頭の良い相撲をする。 技もスピードもパワーも凄いのが朝青龍だと思っている。 白鵬は朝青龍とは違う気がする。 インタビューでは「礼儀正しい」振る舞いを見せるが・・・かなりの「勝気の強さ」がある人だと思う。 白鵬の強さの秘密を科学的に検証したTV番組を見て「力の使い方」の違いに驚いた。 人には不思議な事がある。 ソフトボールでキャッチボールをしてやたらに重いボールを投げる人がいる。 ボールの重さが違うってどういう事?何で?って不思議だ。 いつキャッチボールしてもその人はいつも「重い球」を投げる。 世の中には同じ物を使っても「違い」がでる。 同じ筆記用具でも書かれる文字は違うし、書かれる文章や絵は違いがある。 そういう事は無数に存在する現象だ。 相撲に話題を戻せば、若手の力士の名前が全然聞こえない。 土着性が薄れた時代に「力士」は必要なのか?多分そっちの根っこが気になる。 「皇室」を軽く見る気配もある。 alphaGoの対局もあった。 いつまでも「相撲」をやってて良いのだろうか? 太った人間の戦いなんて「不健康」だからヤメロと言うのだろうか? 白鵬の余裕の冗談には「警鐘」が含まれている気がするのだ。 さすが「横綱」だね!

   

コメント

kei
No.1 (2017/03/09 19:19)
記事執筆お疲れさまです。

日本人から横綱を、という気持ちはわからないではないです。記事で勝率だけを見ている分にはがんばってるなあとはおもいますし、なってくれれば嬉しいとは私も思います。
そういう気持ちはその世界に関わっているなら尚更強いとは思いますので、そうなるように進めた人たちがいるのは無理も無いとは思うのです。もちろん好きなだけにそれは違うだろうという気持ちもあるのだろうとも。
昨今の相撲人気の衰退もありますし、目玉はほしいでしょうとも。

ここから脱線します……しました。(かいていて長くなってしまいました……すみません。)

私は格闘技は嫌いです。自分でやるのも見るのも。痛々しくて見ていられないのです。
結果だけは他のニュースを見るときに情報として入ってくるので、一般知識程度には知ることもあります。
それでの最初の所見でした。

お好きな方が盛り上がる気持ちもわからないではないのです、私も格闘... 全文表示
(著者)
No.2 (2017/03/09 20:27)
>>1
keiさんコメント嬉しいです! 興味深く読みました。 実は私は格闘技全般興味ないのです。 自分のゲスな部分に「人の好みを手当たり次第に受け入れる」のがあって、相撲は「世間と話を合わせやすい」それだけの理由で見ていました。 自分を偽っていたのです。 格闘技なんて、この世に必要ない!とは思っていても、大衆が好む娯楽は「受け入れる」のです。 それを続けると生きるのは辛くなります。 悪と悪事については「もっと議論が必要な事」だと思っています。 アニメやゲームの製作者側だけが「考えても、あんまり意味ない」と思うからです。 今のサブカルで不満に思うのは「アンケート」なり「意見」を積極的に使わないのです。 都合はあるでしょうが「ファンの声は聞いて欲しい」ですね。 作品に反映されな... 全文表示
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事