ついに来た……来てしまった。このときが。
金曜日、午後七時二〇分過ぎ。
大多数の人にとっては、何の変哲もない日のはずだった。冬の寒さが厳しくなるにつれ、町をゆく人も車も、どこか忙しなくなり始めているが。
愛知県岡崎市の北端に位置するサービスエリア、『NEOPASA岡崎』には、そんなうわついた気配が漂っていた。新東名高速を利用する旅行者や長距離ドライバーだけでなく、一般道からは地元民も多く訪れ、この時間でも結構なにぎわいを見せている。
そうした週末の喧騒(けんそう)の中心、吹き抜けになった小広場の片隅。二階のルーフガーデンへと続く回り階段の下に小さな特設ブースがあって、二兎春花(にと はるか)はそこにいた。マイクスタンドが置かれたテーブルの前に腰を下ろして、小さくなっていた。
(ど、どっ……どどど、どうしよう!? まーかん、どらやばい……!)
内心、焦りまくっている。
もうすぐ七時半になる。そうしたら、いよいよ始まってしまう。乾坤一擲(けんこんいってき)、天王山、関ヶ原の戦い……自分がメインパーソナリティを務めるラジオ放送の、第一回が。
春花は十七歳、地元の高校に通う、ごく普通の放送部員だ、校内放送の経験くらいはあるが、ラジオのパーソナリティはもちろん初めてのこと。電波放送としてはNEOPASA岡崎内限定のミニFM局に過ぎないとはいえ、ネットラジオとのサイマル放送となっており、そちらは当然、全国に配信される。
いきなり全国デビューということで、心臓も痛いし、手汗がすごいのだった。
「……はるかっち。もしかして、緊張しとる?」
そう声をかけてきたのは、ブースの隅でもくもくとPA機器をいじっていた、メガネの小柄な少女だった。
萬歳智加(ばんざい ちか)。放送部の技術担当で、春花のクラスメイトでもある。
「しとるっ! しとるよぉ! どうしよかねぇっ、ちーちゃん……!」
ワラにもすがる思いで身を乗り出してみれば、
「うぅん……まぁ、頑張りん」
数秒間、春花に向けられていたメガネ越しの視線は、次の瞬間には機器類へと戻されてしまった。
「え……えぇ、そんだけっ!?」
もう返事はない。やっぱりワラはワラだった。
機械いじり以外にはあまり興味を示そうとしない、智加のストイックな性格は、春花もわかっていたつもりだったが、珍しくタイミングがよかったから期待してしまった。悪気がないこともわかっている。
そのとき、智加の隣に腰を下ろし、手元の構成台本に目を落としていた娘が顔を上げた。
「春花、落ち着いて。大丈夫だから」
「まいちゃん……!」
ハスキーボイスで諭されると、それだけで緊張が和らぐ気がした。
桜泉真維(おおいずみ まい)。放送部では台本の執筆を担当している。学年は春花や智加と同じだが大人びた雰囲気をまとっていて、とても同い年とは思えない。クラスメイトからもさん付けで呼ばれることが多く、本人は密かに悩んでいるとか。
広くもないブース内にいるのは、この三人だけ。ちなみに三人とも制服姿である。
「どうせあと五分で始まっちゃうんだから、今さらジタバタしても無駄よ。もう覚悟を決めるしかないでしょ」
「正確には、あと四分二〇秒」
智加が淡々と口を挟む。
「それ全然落ち着けないよぉ!」
うろたえる春花へと、真維は冷静に続けた。
「いつも通りやればいいだけよ。お昼の放送と同じ。ね?」
「うぅ、そうだけど、でもぉ~……」
「春花、入部したばかりのとき言ったじゃない? 自分の言葉で、誰かが楽しんでくれるのが嬉しい、いつかもっと、たくさんの人に聞いてもらいたいって……」
真維は凛(りん)とした眼差しで春花を見つめ、
「その『いつか』が、今なのよ」
「はうぅっ!?」
春花は、雷鳴に打たれたかのようにのけぞった。
そうだ……たくさんの人を、楽しませる放送をすること。それは自分のみならず、三人にとってのかけがえのない夢だ。そして今日は、その夢の第一歩にすぎない。こんなところで怖気づくわけにはいかない。だって、まだ始まってすらいないのだから……
夢の途中で、夢を疑いたくはない。
「う……うん、わかったよ、まいちゃん、ちーちゃん! 私……やるよっ!」
春花の両目が燃え上がった。勇気が凛々湧いて出て、緊張を塗りつぶしていく。こういう春花のノセられやすい性格は、クラスメイトや友だちにはよく「チョロい」と形容されていた。
真維は満足げに頷(うなず)くと、手元の時計に目を落とした。
「その調子、その調子。ノッてきたところで、一分前よ。スタンバイ」
「ひえぇっ!?」
「オッケー」
春花と智加は口々に返すと、互いのマイクに集中する。
今やブースの周囲には、かなりの数の見物客が集まっていた。ウェブでの告知を見てやってきた人たちに加えて、何かイベントをやっているようだからと、好奇心で立ち止まっている通行人も多い様子だ。
永遠のような一分が瞬く間に過ぎ去って、七時半になった。
智加が自作のジングルを流し始め、真維が三本指を立てた。3、2、1……三人、一斉に息を吸い込む。
タイトルコールは三人そろってやると、決めてあった。
「「「ガールズラジオ、チーム岡崎っ!!」」」
重なり合う三つの声。
いざ発されてみれば、智加と真維の声にも緊張の色があって、一番目立つのは春花の声だった。本番となれば、それまでの弱気がウソのように、誰よりも楽しく喋り出す。それが二兎春花の特性だ。
ジングルが流れ、フェードアウトしていく途中に、春花は再び息を吸い込む。
「改めましてこんばんは! いやー、とうとう始まっちゃいましたね、ガルラジ岡崎! メインパーソナリティの、二兎春花と申します。今日のところは是非、顔と名前だけでも覚えてってくださいね……あ、ラジオだから顔は無理? じゃあ声! 声だけでも!」
でたらめに朗らかで、底抜けに楽しそうで、異様なまでに明るい春花の声が、ささやかな電波を震わせ、広大なネットの海へと放たれていった。
ガールズラジオ・プロジェクト。
それは地方創生、地域振興を題目に掲げ、幾つかの企業と自治体が協力のもとに立ち上げた、ラジオ放送企画。
中部地方を中心とした高速道路のサービスエリア、パーキングエリアの中から五か所を選んでラジオ局とし、地域情報や様々な番組を発信していく、というものだ。そのうちの目玉企画こそが、各地域ごとに募集をかけ、合格した地元の素人女子たちに番組を作らせてみようという番組、ガールズラジオである。
有り体に言ってしまえば「手伝いもしたるし、ケツも持ったるで、まー自由にやってみりゃええが」ということだ。
金曜午後七時半からのゴールデンタイム、それぞれ別の場所で五組の素人女子たちが番組を放送し、ポイントを競い合う。一位になれば広域ラジオの放送権が与えられるが、デッドラインを下回った組は解体され、メンバー入れ替えとなる……
しかし、そんな諸々の事情は、春花(はるか)にはあまり関係がない様子だった。
「──あー、疲れたー……でも、楽しかったーっ!」
開始直前の緊張した様子など、もう忘れた顔で大きく伸びをした。思いっきりパーソナリティをやりきって、ご満悦といったところだ。
NEOPASA岡崎の、一般道から出入りできる駐車場にて、三人は迎えを待っていた。この辺りは山深いとまではいかないが緑が多く、夜ともなれば暗い。健全な女子高生を出歩かせるのはよくないということで、局側が送迎してくれることになっている。
こうこうと灯るNEOPASA岡崎の灯りや、新東名高速道路の電灯が、闇の海に浮かぶ浮島のように見える。ひと頃の穏やかな秋の気配はもう感じられず、山間を吹きすさぶ冷たい風が、制服のスカートを揺らしていく。冬の夜は寒いが、春花の身体はまだ火照っている。
「はるかっち、かなり暴走しとったねぇ」
「うん?」
責めるふうでもなく言う智加に、春花は目を向けた。
「段取り、スッとんどったよ。三回くらい」
「えっ!? ほんとぉ?」
「ほんとだよ。ねえ、真維(まい)さん?」
話を振られて、真維は苦笑しながら返す。
「私と智加(ちか)ちゃん、結構慌ててたんだけど。気付いてなかった?」
「ジェットコースターみたいだったよね……」
真維と智加は部活動では裏方だが、ガルラジではパーソナリティとして、たまに春花と掛け合いもする。だからこそ、春花の喋りの無軌道ぶりを、いつもより間近で味わう羽目になったわけだ。
「えーっ、ごめん、ふたりとも! 私、夢中だったから……!」
眉毛を下げる春花に、真維は片手を振って見せ、
「別にいいよ。いつものことだし」
智加が軽く肩を竦(すく)める。
「真維さん、はるかっちに甘いよねぇ。台本無視されとるのに」
「それを言うなら智加ちゃんだって、用意したトラック使えなかったでしょ。つまらなくなってたら、怒ってたかもしれないけど……春花ならまあ、別にいいかなって思う」
「まあねぇ」
生ぬるい微笑みを浮かべて、軽く頷(うなず)き合うふたり。
「うーっ、ほんと、ごめんねぇ……!」
春花が平謝りしているうちに、ヘッドライトを振りまきながら、一台の車が駐車場に滑り込んできた。三人の前で停車する。
運転席に座っているのは、スーツ姿の男だった。年齢は、春花たちの父親と同じくらいか、もう少し下くらいの印象。名前は丸石といって、プロジェクトに参画する企業の社員とのこと。春花たちのマネージャーのようなことをしてくれている。
「お待たせしました、どうぞ」
運転席のウインドウが開き、渋めの声が三人を促した。
「お疲れさまです、丸石(まるいし)さん!」
後部座席へと乗り込みながら、春花が明るく言うのに、バックミラー越しの視線が返る。
「お疲れさまです。初日の手ごたえはどうでしたか?」
春花は満面の笑みで、
「バッチリだがね!」
「来てくれたお客さんたちも、笑ってくれてましたよ」
言葉を受けて、真維が言う。
智加が乗り込んでドアを閉めると、車は走り出した。駐車場を出て、市街地へと向かう坂道を下っていく。
「それはよかった」
丸石が返すのに、智加が口を開く。
「まるさんは、聞いてみてどうでした?」
「私ですか?」
その質問が、さも意外なことであったかのように、丸石は眉根を寄せた。
「そうそう! 丸石さんも、楽しんでくれましたか?」
春花が、助手席と運転席の間から顔を覗かせて言う。
丸石は言葉を選ぶように、数秒沈黙してから、
「そうですね……楽しかったと思います。でも……」
「でも?」
真維が相槌(あいづち)を打つのに、丸石は申し訳なさそうに続けた。
「何と言いますか、私はあまり面白味のない人間みたいでね。そういうセンスがないんです。仕事ばっかりで……あまり参考になるような意見は、言えないと思いますよ」
「そんなコトないですよぉ!」
春花はあっけらかんと言った。脊髄反射的な会話スキルは、丸石とは対照的だ。
「丸石さんが面白くないとか、ないと思います。それに、楽しかったよって言ってもらえるだけで、次もがんばろうって気持ちになるんです」
「そういうものですか」
丸石は戸惑った様子だったが、やがてかすかに微笑み、
「それなら、まあ……楽しかったですよ。来週もよろしくお願いします」
記念すべき初回の放送から、一夜明けた土曜日。春花(はるか)まだ夢を見ているような気分で学校に向かった。県内の進学校には土曜が休みのところもあるようだが、あいにく春花たちの学校はそうではない。
(私たちのこと、評判になってたらどうしよう? えへへ……!)
と、内心ソワソワしていた春花だったが、クラスの様子はいつも通りだった。
「──ねぇ、ちーちゃん……私たちの放送、ダメだったんかねぇ? やっぱり私がアドリブ入れすぎたのが、よくなかったのかなぁ……」
朝のHR前。智加(ちか)の席までどんより曇った顔を見せに行くと、智加はいぶかしげだった。
「えっ、何? いきなり……」
「だって、私たちの放送、全然話題になってないよ~?」
「当たり前でしょ。まだ一日も経っとらんが」
「そうだけどさ~」
「それに、再生数はそんなに悪くないよ。落ち込む理由ないがね」
春花は目を丸くした。
「え、そうなの!?」
「はるかっち、見てないの?」
「え、あっ、うん。昨日は帰ってすぐ寝ちゃって……そうだったんだ? よかった~、えへへっ!」
「立ち直りはやっ」
放課後には、放送部の部活動がある。三人で自分たちの放送を聴いて、反省会をしようという話になっていた。
呆れ顔の智加を残して座席に戻り、ひたすらソワソワしながら放課後を待った。半日の授業はほとんど記憶に残らないまま過ぎていき、あまりに上の空だったので途中先生に注意されたりしつつ、放課後になると放送部へと急いだ。
放送部は、防音壁に囲まれた放送室と、細長い部室に分かれており、放送がないときは大体三人は部室にいる。
「──あれ? ふたりとも早いわね」
やってきた真維(まい)が言うのに、智加は肩を竦(すく)めた。
「はるかっちが走るんだもん」
「まいちゃん、早く聞こまい! 早く早く~!」
「うん、下校の放送やってからね」
放送部員としての仕事はしなければいけない。
「はーい……」
春花はしぶしぶ放送室に入り、
「下校時刻になりました~、早く帰ってね~」
気もそぞろにアナウンスをして、素早く部室に戻ってきた。
真維の私物のタブレットで、ガルラジのアプリにアクセス、番組を再生する……
『──ガールズラジオ、チーム岡崎っ!!』
「わぁ……!」
スピーカーから流れてくる自分の声を聞くのは妙にくすぐったいし、何を喋ったかよく覚えていないので、自分じゃないみたいだったが、それでもすごく興奮した。
「おっ、再生数、すごい勢いで伸びてるね」
智加が冷静に言う。
「いち、じゅう、ひゃく、せん……えっ!? す、すごい!」
こんなにたくさんの人が聞いてくれている、その事実が一番の興奮で、春花はプルプルと水浴びした後の子犬のように震えた。
(あーっ、興奮しすぎて、今夜は絶対眠れんよぉ~!)
──ハッと気が付けば、日曜の昼過ぎだった。完全に寝坊だ。そういえば最近は、緊張しすぎてあまり寝られていなかったので、考えてみれば当然である。
「おかーさん、なんで起こしてくれんかったの!?」
ドタドタドタッ! けたたましい足音と共に階段を駆け下り、台所の母親に恨み節。アウターに袖を通しながら洗面所へと向かい、せわしなく身支度を整え始める。
智加(ちか)と真維(まい)と、引き続き反省会と来週の企画会議を兼ねた打ち合わせをしようと約束していたのに、完全に遅刻だった。
「起こしたがね。あんたが二度寝したんだらー」
昼食の準備をしているらしい母親の、悪びれない声が返ってきた。
「それじゃ、起こしたうちに入らんて!」
春花(はるか)がなおも言い募ると、リビングのソファーに座ってテレビを見ていた父親が口を開いた。パジャマ姿で、いかにも休日のお父さんといった風情である。
「お母さんに責任転嫁したらかんでしょ。もう高校生なんだから、自分で起きな」
「お父さん、すぐそうやってお母さんの味方するもんな~」
春花は文句たらたらで洗面所を出ると、玄関に向かった。靴を履いているとき、母親が声を掛けてきた。
「あんた、お昼は?」
「いらんー」
「ホットドックなのに?」
「えぇーっ!?」
ホットドックは春花の好物だ。というか、食べ物で嫌いなものはないと言っていい。一番好きなのは豆腐。
「帰ってきたら食べるから、とっといて!」
「冷めたらまずくなってまうがね」
「いいからとっといてっ!」
「はいはい。行ってらっしゃい」
父の声が重なる。
「あんま遅くならんうちに帰りゃーよ」
「わかっとるよ、行ってきます!」
適当に返して家を飛び出し、父の愛車が幅を利かせている駐車場の隅、控え目に置かれている自転車にまたがった。
走り始めてすぐ、じんわりと汗がにじんできた。中部地方は湿気が多いので、冬ともなれば凍みこむような寒さだが、健康優良元気印の春花には、この程度はなんでもない。
白い息を吐き吐き、市街地を一〇分ほど走り、目的地へと到着した。
『カフェテリアばんざい』。
正気の沙汰とは思えないほど安くてボリュームのあるモーニングを出す喫茶店。地元民から憩いの場として愛されており、名前からわかるとおり智加の父が経営している。
路地の隅に自転車を停め、短い石段を駆け上がってドアを開くと、ドアベルがカランカランと牧歌的な音を立てた。
シックな装いの調度品や観葉植物が並ぶ店内には、落ち着いた空気が漂っている。毎朝、モーニングの時間帯はサラリーマンたちで満席になるが、今は客の影もまばらだ。
「おじさん、こんにちは!」
カウンターの向こうに立つエプロン姿の中年男へと挨拶をした。智加の父だ。
「いらっしゃい。真維ちゃん、もう来とーよ」
おじさんが言うが早いか、奥まった四人掛けの席から、智加の声が飛んできた。
「はるかっち、おそーい」
「ごめんごめん!」
慌ててそちらに向かおうとしたとき、
「春花ちゃん、放送聴いたよ」
おじさんの言葉を音頭にして、客たちが口々に言った。
「ああ、面白かったよ。なんていうか、華やかでよかった」「そうそう、若いセンスを感じたよな」「応援しとるでねー」
みんな近所のおじさんたちで、春花とも顔見知りだ。
「あはは、ありがとうございまーす!」
ちょっといい気分になって、スキップしながら奥の席へと向かう。
「おはよう春花。よく寝てたみたいね」
智加の対面に座り、タブレットを見ていた真維が、微笑んで言う。その柔和な雰囲気につられて、春花も自然と笑顔になる。
「そりゃもう、グッスリ!」
「グッスリじゃないが、たわけ」
智加はピリ辛な口調でツッコミを入れると、今まで片手でゲームをプレイしていたスマホをポケットにしまった。メガネの奥からの視線が、ぐさりと春花を刺す。
「はるかっち、最近遅刻多いよ。悪いと思っとらんでしょー?」
「そ、そんなことないって! 昨日は疲れちゃって……」
「ほんとぉ? まぁ、いいけど」
オロオロしている春花に、智加はため息をついて席を立った。そのままカウンターに向かい、父親の背後を通り過ぎて冷蔵庫を開くと、ラップのかかった皿を取り出して戻ってきた。春花の目の前に置く。山盛りのサンドイッチだ。タマゴ、野菜、ハム……
「はい。わたしが作ったから、味は保証せんよ」
「えっ、食べていいの?」
春花は最早、よだれを垂らしそうだ。
「何も食べとらんのでしょ? 食べやええが」
「わーい! ちーちゃんありがとう、大好き!」
抱き着こうとしてくる春花を両手で押し返しながら、智加は真維へと言う。
「真維さんも、よかったらどうぞ。もともとお昼ごはんのつもりだったし」
「ありがと。それじゃあ、食べながら始めましょう」
春花は智加の隣に陣取ると、至福の表情でサンドイッチを食べ始めた。いや、食べるというより、詰め込むといった方が正確かもしれない。
真維は気にする風もなく、タブレットをテーブルに置き、ふたりにも画面が見えるようにした。映し出されているのは、ガルラジ公式サイトのランキングページだった。
ちなみにカフェテリアばんざいは、智加の熱烈な要望により、全席電源&無線LAN完備の、理想的なネット環境を実現している。常連たちの評判もいい。
「結果、出てる。ランキングの」
「むぐっ!? もぐもぐっ、もがが!」
「食べてから喋りん……」
リスのように、頬にサンドイッチを溜め込んだ春花に、智加は呆れ顔。
真維は言葉を続ける。
「五組とも、滑り出しはなかなか順調みたい。まあ、プロモにはかなり力を入れてるみたいだから、妥当と言えば妥当ね。その中で私たちは、三位」
「んぐっ……三位!? めちゃんこすごいじゃん!」
はしゃぐ春花に、真維は真剣な表情で首を振った。
「全然、安心できる順位じゃないわ。僅差だから、いつ追い抜かれてもおかしくない。それに、もっと問題なこともあってね……」
智加が言葉を継ぐ。
「富士川のこと?」
「そう」
ふたりのツーカーな会話に入れずに、春花は首を傾げた。
「ふじかわさん? 誰?」
「人の名前じゃないって。ガルラジのチーム。今、ぶっちぎりで一位なんだ」
智加の説明に、真維が補足を入れる。
「静岡県の、富士川にあるサービスエリアを拠点にする三人でね。番組聴いてみたんだけど、メインパーソナリティの子がとにかく上手いのよ。あか抜けてるって言うか」
「ほえ~?」
智加は眉間にしわを寄せ、
「わたしも聴いたよ。音がよかった……あれは相当いい機材使ってるな。まあ、選曲のセンスも悪くなかったけど」
「ほえ~」
「台本は正直、大したもんじゃないと思うわ。ネタも普通だったし。でも……だからこそメインの子の上手さが目立ってたのよね」
「ほえ~……」
自分だけ聴いていないので、間の抜けた相槌を打つしかない春花だったが、どうにか話についていこうと思って口を開いた。
「でもそれって、何が問題なの?」
智加と真維が顔を見合わせた。
「はるかっちって、たまに大物っぽいよね」
「わかる」
「え? どうしたの急に……ほめても何も出んよ~、うふふっ」
戸惑いながらも、まんざらでもない様子の春花に、智加が真顔で返す。
「いや、どっちかというと皮肉」
「ええっ!?」
真維は悩ましげに息を吐いた。
「強力なライバル出現、ってことよ。まあ、あんまり意識してもいけないとは思うけど」
「わたしは機材がいじれたら、それでいーわ」
「そう言わないで、智加ちゃんも気合い入れてね。ハードルが上がっちゃったから、これまで以上に攻めていかないと」
「はいはい」
ふたりの会話に、春花はうんうんと頷いた。
「なるほど~、わかった! 私、もっとみんなに楽しんでもらえるようにがんばるね!」
胸の前、両手をぎゅっと握り締め、フンフンと鼻息荒く言う。普段はおっとり下がった眉毛も、珍しくキリッと吊り上げられている。
顔に『やる気!』とわかりやすく書いてありそうなその様子に、真維は笑った。春花を動物にたとえるなら、犬以外思い付かない。
「その意気よ、春花。私も頑張って台本書くわ」
春花と真維が話している間に、智加はタブレットの画面に指を滑らせ、ランキングからくだんの動画をクリックした。
「ほら、はるかっちも。富士川の番組、聴きやあ」
「あ、うん、聴く聴く!」
再生ボタンが押され、番組が始まった。タブレットの画面には、パーソナリティ紹介の静止画が映し出されている。
メインパーソナリティであろう女の子が椅子に腰かけ、テーブルの上で両手を組んでいる。セーラー服をかっちりと着こなし、よく言えば真面目、悪く言えば融通の利かなそうな印象がある。異様な姿勢のよさと、整った顔立ちが余計にそう感じさせるようだ。その左右に、気の弱そうな小柄な少女と、逆に気の強そうなOL風の女性が立っている。
テーブルにはマイクスタンドが置いてあり、背後は一面のガラス張りになっていて、オープンカフェテラスらしき風景が見えた。
春花たちのものとは違う都会的なジングルが流れており、やがてフェードアウトしていくと、メインパーソナリティのものとおぼしき女の子の声が聞こえてきた。
『こんにちは。お昼になりました。ニュースの時間です』
『あ、アユチさんっ!? 違う、違う! ニュースじゃなくて!』
すかさず画面外から、焦り丸出しの小声が飛んできた。声の様子からして、恐らく気弱そうな少女の方だろう。
『おっと、ごめんなさい。お昼ではなかったです。もう夜でした』
『そっちじゃなくて! ガルラジ、ガルラジ……!』
『おっとっと、すみません、私、アユチスズと申します。高校二年生、いわゆるJK。ガールズラジオチーム富士川の、メインパーソナリティです。うっかりうっかり。騙すつもりはなかったんです……まあ許せ』
わざとなのか、それとも素なのか、過剰なほどに生真面目な口調で語られる言葉には、独特の面白みがあった。
春花は静止画に見入っていた。内容が楽しいからとか、何かを学び取ろうとしているとか、そういう表情ではない。口をぽかんと開けて、唖然とした様子だ。
智加が気づかわし気に声を掛けた。
「……はるかっち? どうしたん?」
春花は固まったままの顔を智加へと向けて呟いた。
「すずちゃんだ……」
「え?」
タブレットに映っている、中央の女の子を指差して言葉を続けた。段々と興奮してきて、頬に赤みが差し、目は潤んでキラキラしている。
「この子、すずちゃんだよ! 私の中学の同級生の、年魚市(あゆち)すずちゃん! 静岡に引っ越してったんだけど……うわ~っ、どら懐かしい!」
今をときめくチーム富士川のメインパーソナリティが、春花(はるか)の中学校のクラスメイトだったという事実は、確かに劇的な偶然ではあった。しかし、それでやることが変わるわけではない。いつかコラボでもすることになったら、面白いことになるかもしれない。
その後は、三人で頭をひねって来週のネタ出しをした。とはいっても、春花は思い付いたことを言うだけで台本にするのは真維(まい)だし、演出を考えるのは智加(ちか)だ。学校のお昼の放送を考えるときと同じ。
「……うん、まあこんなところね」
テーブルに置かれた大皿が空になって随分経ってから、真維がそう言った。ほとんど春花が食べてしまった。
真維の前に広げられたアナログなメモ帳には、今日話したネタがびっしりと書き込まれている。よくこれをまとめられるものだと、春花はいつも感心する。
「えーっ、もうおしまい?」
春花は名残惜しげに言った。話し足りない。
「ようけ話しとったが。もう夕方だし」
智加が窓の外を見ながら言うのに、春花はあっと口に手を当てた。
「いか~ん! お父さんに、早く帰れって言われとった……ごめん、私帰るね!」
慌てて立ち上がる春花に、真維が声を掛ける。
「明日原稿書くけど、ネタが足りなかったら連絡するかも」
「うん、わかった」
「はるかっち」
智加が真面目な顔で言った。
「昔の友達だからって、負けてもいいとか考えてない?」
春花は両手を振った。
「ないない! すずちゃんとは、そういうんじゃないから……ただのクラスメイト」
「ほんとぉ? 怪しいなぁ」
「ホントだって! じゃあね、ちーちゃん!」
カフェテリアばんざいを出て、自転車をとばして家に帰ってみれば、風呂から出たばかりでバスタオル姿の父親と、廊下でばったり出くわした。台所からは、母親が夕食を作っている雰囲気が漂ってきている。
「きゃあー、春花のえっち」
父親がフラットなテンションで言うのに、春花は顔をしかめる。父親の裸体を見るのは好きではない。特に、胸の痛々しい古傷は。
「バスタオルで歩き回らんでよ」
「別に歩き回っとらんが。春花、今帰りか? ちょっと遅かったんじゃないか? 女の子なんだから気~つけなかんよ」
「はいはい」
適当にあしらって、二階の自室へと向かった。
休日、顔を合わせると小言の多い父親のことを、うっとおしいと思わないでもなかった。智加の父親は理解があって、ちょっと羨ましくなるときもある。
『──アユチって、年の魚の市と書くんですが、珍しい苗字みたいです。私の家族以外、見たことがないんですよ。そして、私は一人っ子……いけない、このままでは年魚市の一族が途絶えてしまう。お婿さん急募!』
部屋着に着替え、ベッドに寝ころびながら、スマホでチーム富士川の放送を聴きなおし始める。
年魚市(あゆち)すず。
クラスメイト? 友達? それとも……親友? それは言い過ぎ。彼女との関係はどうにも不思議なもので、なんと呼ぶべきかわからない。
そもそも友達って、どういうもの?
智加や真維は友達だ。気が合うし、休日もよく一緒だし。
長い時間一緒に居ることが友達の定義だとすれば、春花とすずは友達じゃなかった。クラスで顔を合わせ、たまに言葉を交わすだけで、放課後に遊んだりもしなかった。
ただ、奇妙に深いところで、わかり合っていたように思う。少なくとも春花はそう感じたことがあった。すずは真面目すぎて、春花は能天気すぎて、どちらもクラスから少しだけ浮いていたから。
『──私、ラジオパーソナリティーになりたいんです』
春花の記憶の中。現在よりもっと幼い顔立ちのすずが、はにかみながらそう言った。あれはいつだったか。クラス委員の用事で、居残りをしていたとき。
『誰にも言ったこと、ないですけど』
『すごいね! 応援する!』
春花が食い気味にそう返したとき、すずが意外そうな顔をしたのが印象的だった。
『応援? なぜですか?』
『え? だって、そんなにしっかり夢を持ってるなんて、すごいが! 将来のこと、ちゃんと考えてるってことだもん!』
『……そうなんですかね』
それはすずのための言葉ではなくて、ただ憧れを口にしただけだった。何も考えずに生きていた春花には、真っすぐ夢を語るすずが、ただ眩(まぶ)しく見えたから。今なら何か、もっと違うことが言える気がする……
(……いや、あんまり変わらないかな!)
高校生になった今でも、能天気なのは変わらない。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。ほんのちょっと、自分を客観的に見られるようにはなってきたと思うけど。
『──それでは次の曲、いってみましょう……え? 準備ができてない? なら仕方がありませんね。私が小粋なジョークで場を繋(つな)ぎます』
『いや、言ってませんから! それ年魚市さんが喋りたいだけですよね!?』
イキイキとしたすずの声を聴きながら、春花は自然と微笑んでいた。
(ほんとよかったねぇ……すずちゃん)
すずが誰にも言えなかった夢を、堂々と言えるようになったのは、自分のことのようにうれしかった。
──ブイーッ! ブイーッ!
「んきゃっ!?」
しんみりしていたところに、スマホが突然ブルったので、春花はびくっとした。
番号通知は……『丸石さん』。
仕事の連絡だろうか? 慌てて出た。
「もしもしっ! どうしました!?」
『あ……どうも、こんばんは。その……すごいテンションですね』
春花の勢いに、電波の向こうで若干引いたような気配があった。
「すみません、いつもこんなもんです!」
『そうなんですか? はは……それで、ええと。今、大丈夫ですか?』
「はい! 今ガルラジ聴いてて! チーム富士川の」
『ああ、そうでしたか……だったら丁度よかったかな』
「丁度いいって?」
『その富士川の担当から、連絡があったんです。パーソナリティーの年魚市すずさんが、二兎さんの連絡先を知りたいそうで』
春花の胸が高鳴った。今しがた思い返していた過去の中の出来事が、いきなり現実のものとなったのだ。過去が今に追いついた、不思議なときめきだった。そして、すずが自分を覚えていてくれたことも、胸に温かいものを生んでくれる。
「ほんとですか!?」
『ええ、中学校のお知り合いだとか……この番号をお教えしてもいいですか? 個人情報関連はなにかとデリケートなので、一応お聞きしてからと思いまして』
「もちろん、いいです! バンバン教えちゃってください!」
『いえ、バンバンは……まあ、わかりました。お伝えしておきます。では』
「あっ! 丸石さん、待ったって!」
要件が済んで、すぐにも通話を切りそうな空気を察して、春花は慌てて呼び止めた。まだ長いとは言えない付き合いだが、無駄だと思うことをしない人なのはわかってきた。
『はい?』
「あの、ちょっと聞きたくて……私たちの放送、面白くなかったですか?」
『え? それは……』
「丸石さん昨日、自分にはセンスが無いって言ってたけど。ラジオを聴くのに、センスって要らないと思うんです」
沈黙が返る。真面目だからだ。春花にはわかる。
「センスなんて言って誰かを切り捨てたりしたら、楽しい内容にならないと思うんです。丸石さんが楽しくないと思った部分があるなら、教えて欲しいんです」
『……』
「それが多分、今の私たちに足りないものだと思うから」
長い沈黙があった。
春花が辛抱強く待ち続けていると、やがて小さな吐息が聞こえた。
『……面白かったですよ。それは本当に、そう思いました』
春花は黙って続きを促す。
『でも……これはごく個人的な話なので、お話するか昨日も迷ったんですが』
「もし、お聞きしてもいいなら、教えてください」
『娘がね、いるんですよ。東京に、貴女たちと同じくらいの』
「へえぇ! どんな子なんですか?」
楽しくなってきた。お喋りは楽しい。東京の女子高生って、どんな感じだろう? 食べ物が違う? 何が流行ってるんだろう?
『それがね……よくわからないんですよ』
「え、わからないんですか?」
『ええ。貴女たちくらいの年頃の女の子は、私にはよくわかりません。反抗期の頃は、まだわかりやすかったと思うんですが。今は……わからないです』
「そうなんですか……」
『私が単身赴任でこっちにきて、どう思ってるのかな? 皆さんの放送を聴いていると、あの子のことを思い出してしまって、どうにも複雑な気持ちになるんです。大切な家族だとは思うけど、血のつながりが何もかも教えてくれるわけじゃない』
それは真摯な告白だった。まるで、本当の娘に語り掛けているような。
春花は目の前に丸石がいるかのように、笑顔を浮かべた。
「なるほど……うん、わかりました!」
『えっ……何かわかったんですか?』
「はい、わかりました。ありがとうございます、とても参考になりました」
『はあ』
「まるさん、来週の放送、きっと聴いてくださいね?」
またしばらく沈黙があってから、再び落ち着いた声がした。
『……こんな私でも、楽しいラジオを作る協力ができたなら、よかったです。それでは』
丸石との通話が切れた。春花はすぐに、真維にコールした。
「あ、もしもし? まいちゃん、もう台本書いちゃった?」
『これからやろうとしてたとこ。どうしたの?』
不思議そうな真維へと、春花は興奮気味に言った。
「あのね、来週の放送、やりたいネタがあるんだ!」
「──ねえ春花、昨日言ってた、ネタの話だけど……」
月曜日の昼休み、部室でお弁当を広げているとき、真維(まい)が真剣な表情で切り出した。放送部員はお昼の放送があるので、昼食は大体部室で食べるのだ。
「うん! ひょっとして、もう台本書けた?」
春花(はるか)が身を乗り出してくるのに、真維はひとつ息を吐き、
「いえ、まだ手をつけてないの。昨日一晩考えたんだけど、やっぱりネタとしてはちょっと地味すぎると思うわ」
「えーっ、そうかなあ……」
ふたりの会話に、購買で買ってきた惣菜(そうざい)パンのビニールを開けながら、智加(ちか)が口を挟んでくる。
「何の話?」
「春花がね、今週の放送は『家族』をテーマにしてみようって言うのよ。私も一度は、やってみるって返事したんだけど」
真維の返答に、智加は合点のいった顔で、
「なるほどね、そりゃ難しいよ」
「えーっ、なんでなんで?」
口を挟んでくる春花に、智加は淡々と言った。
「家族なんて、パッとしないから。ネタぎれ感があるし、お説教くさいし……それに、明るくて楽しい話にはならないんじゃないかな」
智加の口調に、かすかな熱がこもった。
「世の中、フツーの家族ばっかじゃないよ。色々、複雑な事情の人もいる。リスナーさんが嫌な気持ちになるかも」
「それは……そうかもしんないけど」
春花はしゅんとした。面白くなると思っていたのに、理論立ててそう言われると、全然ダメなアイディアだと思えてきた。
「わかったよ、ふたりが反対なら、やめる」
「……いいえ。反対とは言ってないわ」
真維が言った。
「え?」
「リスナーさんは離れるかもしれない。春花は、それでもやる覚悟がある? 私はもう一度、それが聞きたかっただけ」
「か、覚悟……!?」
ごくり、と喉を鳴らす春花に、智加が惣菜パンをかじりながら言った。
「そんなに堅苦しい話じゃないって。はるかっちが、本当にやりたいのかどうかってこと。ただの思い付きなら、やめた方がいいと思うけど」
春花はぎゅっと拳を握り、しばらく考えた。リスナーのことを、まるで考えていないわけではない。ただ、きっと一緒に楽しんでもらえると思ったから、提案したのだ。
やがて、うつむかせていた顔を上げた。
「……私、やっぱりやりたい。家族って、楽しいばっかりじゃないのはわかるよ。でもみんな家族はいるんだから、きっと共感してもらえると思う。私、話してみたいの……まいちゃん、ちーちゃん、やらせてくれる?」
真維は苦笑し、智加は肩を竦めた。
「春花がそういうなら、やるしかないわね。なるべく面白いホンにはするから、今日と明日、時間ちょうだい」
「わたしも、楽曲リスト考え直さないと」
「ご、ごめんね、ふたりとも……!」
への字眉毛の春花に、ふたりは笑って言った。
「「いつものことでしょ」」
本当に、頼もしい仲間だ。真維も智加も。春花が懸命な気持ちを、つたない言葉にすると、それを形にしてくれる。ふたりは友達と言うより、戦友なのかもしれない。
三人にとって、慌ただしい一週間になった。春花にとっても、いつもより短い時間で段取りを覚えなければいけなかったし。時間は瞬く間に過ぎていった。
結局のところ、年魚市すずから連絡は来なかった。
まだ耳に馴染まないジングルが流れ始め、三人は息を吸い込む。
「「「ガールズラジオ、チーム岡崎っ!!!」」」
重なり合う三つの声。少しだけ緊張した、でも先週よりはこなれた声。この年頃の女の子の順応力をナメてはいけない。
NEOPASA岡崎、金曜の午後七時三〇分。心なしか先週より人が多い気がする。気のせいじゃないといいな、と思う。
ジングルがフェードアウトしていく。春花(はるか)だけが再び息を吸い込む。
「改めましてこんばんは! ガルラジ岡崎の時間です! ひゅーひゅー! メインパーソナリティの、二兎(にと)春花でーす! もう覚えてくれました?」
でたらめに朗らかで、底抜けに楽しそうで、ひたすら明るい春花の声。
「今日のガルラジ岡崎は、なんと、家族の特集ですっ! 私みたいなワカゾーのみんなっ、普段お父さんやお母さんに言えないコトとか、あるよね? 私もお父さんのこと、ちょっとうざいかなって思うときもあるけど、でも大好きなんだ!」
春花の唇は、先週よりもトルクを上げていた。やりたいことを見付けたら、誰よりも熱く語り出す、それが二兎春花の特性だ。
家族──年齢も世代も違うのに、毎日会って話をする、身近な存在。色々な問題を抱えながらも、物理的に、あるいは精神的に、影響を受け合う人たちについて。
教訓を与えたいわけではなく、啓蒙したいわけでもない。そんな高尚な話じゃない。春花はただ、お喋りがしたいだけだ。
「まあ、そんな感じでやっていきたいと思います。オンエア楽曲も懐メロで揃えたから、楽しみにしててね! それじゃあ、いってみようっ!」
……何を喋ったか、よく覚えていない。まあ春花にとって、それはいつものことだが。
放送時間はあっという間に終わってしまって、まるでタイムマシンで、少しだけ未来に来たみたいだった。今、先週と同じように駐車場で三人、迎えを待っている。冬の冷たい夜風が火照った身体には心地いい。
「──は~……」
春花は満足げに、白い息を吐いた。興奮しすぎて、もっと喋りたくてしょうがない。一回の放送じゃ短すぎる。オールナイトでやりたい。
「はるかっち、また暴走しとったねえ」
智加(ちか)がやれやれと言った。
「うそっ!? また段取りトバしちゃった? ごめ~ん!」
春花が真剣に両手を合わせれば、智加は片手を振った。
「いいよ。あんなに楽しそうに喋ってたら、邪魔できん……それに、全体的に先週よりよかったと思う」
「え、ほんと!?」
「うん。なんかよかったよ。うまく言えんけど……」
「やったー! ありがとねぇ、ちーちゃん!」
「もうっ、いちいち抱きつかんでよ」
じゃれ合うふたりを横目に、真維(まい)は微笑んでいる。姉とか母親が、妹か娘を見るような表情。こういう大人びたところが、彼女が同級生に見られないところなのだろう。
「私もよかったと思うよ。テーマを聞いたときは、再生数伸びないだろうなーって、正直思ったけどね」
「ええっ!?」
「でも、これならいけるかもね。普通ってことは、いい言い方をするなら、みんなにわかりやすいってことだから。春花のやりたかったこと、少しわかったわ」
「ううっ……ありがとおぉ、まいちゃーん!」
「うぷっ! ちょっと、春花……!」
春花の抱き着き攻撃が、真維へと標的を変えた。
そうこうするうちに、ヘッドライトがまばゆく照射された。今夜はまるで、スポットライトのようにも思える。
「……お待たせしました」
丸石(まるいし)は車から降りてくると、春花の前に立った。草食動物を思わせる、穏やかな瞳を受けとめて、春花は前のめりになって言った。
「お疲れさまです、丸石さん どうでしたかっ!?」
丸石は口元をわずかに持ち上げ、
「楽しかったです。とても楽しかった」
はっきりと丸石が言えば、三人は顔を見合わせて笑うのだった。秘密基地でいたずらの成果を話し合う、子供たちのような無邪気さで。
原作・多宇部貞人氏による小説「ガールズ ラジオ デイズ」
ガルラジのネットラジオ番組だけではわからない、彼女たちの日常が明らかになる!?
多宇部貞人 @taubesadato
<代表作>
シロクロネクロ(電撃文庫、全4巻) / 断罪のレガリア(電撃文庫、全2巻) / 封神裁判(電撃文庫、全2巻) 他
金曜日、午後七時二〇分過ぎ。
大多数の人にとっては、何の変哲もない日のはずだった。冬の寒さが厳しくなるにつれ、町をゆく人も車も、どこか忙しなくなり始めているが。
愛知県岡崎市の北端に位置するサービスエリア、『NEOPASA岡崎』には、そんなうわついた気配が漂っていた。新東名高速を利用する旅行者や長距離ドライバーだけでなく、一般道からは地元民も多く訪れ、この時間でも結構なにぎわいを見せている。
そうした週末の喧騒(けんそう)の中心、吹き抜けになった小広場の片隅。二階のルーフガーデンへと続く回り階段の下に小さな特設ブースがあって、二兎春花(にと はるか)はそこにいた。マイクスタンドが置かれたテーブルの前に腰を下ろして、小さくなっていた。
(ど、どっ……どどど、どうしよう!? まーかん、どらやばい……!)
内心、焦りまくっている。
もうすぐ七時半になる。そうしたら、いよいよ始まってしまう。乾坤一擲(けんこんいってき)、天王山、関ヶ原の戦い……自分がメインパーソナリティを務めるラジオ放送の、第一回が。
春花は十七歳、地元の高校に通う、ごく普通の放送部員だ、校内放送の経験くらいはあるが、ラジオのパーソナリティはもちろん初めてのこと。電波放送としてはNEOPASA岡崎内限定のミニFM局に過ぎないとはいえ、ネットラジオとのサイマル放送となっており、そちらは当然、全国に配信される。
いきなり全国デビューということで、心臓も痛いし、手汗がすごいのだった。
「……はるかっち。もしかして、緊張しとる?」
そう声をかけてきたのは、ブースの隅でもくもくとPA機器をいじっていた、メガネの小柄な少女だった。
萬歳智加(ばんざい ちか)。放送部の技術担当で、春花のクラスメイトでもある。
「しとるっ! しとるよぉ! どうしよかねぇっ、ちーちゃん……!」
ワラにもすがる思いで身を乗り出してみれば、
「うぅん……まぁ、頑張りん」
数秒間、春花に向けられていたメガネ越しの視線は、次の瞬間には機器類へと戻されてしまった。
「え……えぇ、そんだけっ!?」
もう返事はない。やっぱりワラはワラだった。
機械いじり以外にはあまり興味を示そうとしない、智加のストイックな性格は、春花もわかっていたつもりだったが、珍しくタイミングがよかったから期待してしまった。悪気がないこともわかっている。
そのとき、智加の隣に腰を下ろし、手元の構成台本に目を落としていた娘が顔を上げた。
「春花、落ち着いて。大丈夫だから」
「まいちゃん……!」
ハスキーボイスで諭されると、それだけで緊張が和らぐ気がした。
桜泉真維(おおいずみ まい)。放送部では台本の執筆を担当している。学年は春花や智加と同じだが大人びた雰囲気をまとっていて、とても同い年とは思えない。クラスメイトからもさん付けで呼ばれることが多く、本人は密かに悩んでいるとか。
広くもないブース内にいるのは、この三人だけ。ちなみに三人とも制服姿である。
「どうせあと五分で始まっちゃうんだから、今さらジタバタしても無駄よ。もう覚悟を決めるしかないでしょ」
「正確には、あと四分二〇秒」
智加が淡々と口を挟む。
「それ全然落ち着けないよぉ!」
うろたえる春花へと、真維は冷静に続けた。
「いつも通りやればいいだけよ。お昼の放送と同じ。ね?」
「うぅ、そうだけど、でもぉ~……」
「春花、入部したばかりのとき言ったじゃない? 自分の言葉で、誰かが楽しんでくれるのが嬉しい、いつかもっと、たくさんの人に聞いてもらいたいって……」
真維は凛(りん)とした眼差しで春花を見つめ、
「その『いつか』が、今なのよ」
「はうぅっ!?」
春花は、雷鳴に打たれたかのようにのけぞった。
そうだ……たくさんの人を、楽しませる放送をすること。それは自分のみならず、三人にとってのかけがえのない夢だ。そして今日は、その夢の第一歩にすぎない。こんなところで怖気づくわけにはいかない。だって、まだ始まってすらいないのだから……
夢の途中で、夢を疑いたくはない。
「う……うん、わかったよ、まいちゃん、ちーちゃん! 私……やるよっ!」
春花の両目が燃え上がった。勇気が凛々湧いて出て、緊張を塗りつぶしていく。こういう春花のノセられやすい性格は、クラスメイトや友だちにはよく「チョロい」と形容されていた。
真維は満足げに頷(うなず)くと、手元の時計に目を落とした。
「その調子、その調子。ノッてきたところで、一分前よ。スタンバイ」
「ひえぇっ!?」
「オッケー」
春花と智加は口々に返すと、互いのマイクに集中する。
今やブースの周囲には、かなりの数の見物客が集まっていた。ウェブでの告知を見てやってきた人たちに加えて、何かイベントをやっているようだからと、好奇心で立ち止まっている通行人も多い様子だ。
永遠のような一分が瞬く間に過ぎ去って、七時半になった。
智加が自作のジングルを流し始め、真維が三本指を立てた。3、2、1……三人、一斉に息を吸い込む。
タイトルコールは三人そろってやると、決めてあった。
「「「ガールズラジオ、チーム岡崎っ!!」」」
重なり合う三つの声。
いざ発されてみれば、智加と真維の声にも緊張の色があって、一番目立つのは春花の声だった。本番となれば、それまでの弱気がウソのように、誰よりも楽しく喋り出す。それが二兎春花の特性だ。
ジングルが流れ、フェードアウトしていく途中に、春花は再び息を吸い込む。
「改めましてこんばんは! いやー、とうとう始まっちゃいましたね、ガルラジ岡崎! メインパーソナリティの、二兎春花と申します。今日のところは是非、顔と名前だけでも覚えてってくださいね……あ、ラジオだから顔は無理? じゃあ声! 声だけでも!」
でたらめに朗らかで、底抜けに楽しそうで、異様なまでに明るい春花の声が、ささやかな電波を震わせ、広大なネットの海へと放たれていった。
ガールズラジオ・プロジェクト。
それは地方創生、地域振興を題目に掲げ、幾つかの企業と自治体が協力のもとに立ち上げた、ラジオ放送企画。
中部地方を中心とした高速道路のサービスエリア、パーキングエリアの中から五か所を選んでラジオ局とし、地域情報や様々な番組を発信していく、というものだ。そのうちの目玉企画こそが、各地域ごとに募集をかけ、合格した地元の素人女子たちに番組を作らせてみようという番組、ガールズラジオである。
有り体に言ってしまえば「手伝いもしたるし、ケツも持ったるで、まー自由にやってみりゃええが」ということだ。
金曜午後七時半からのゴールデンタイム、それぞれ別の場所で五組の素人女子たちが番組を放送し、ポイントを競い合う。一位になれば広域ラジオの放送権が与えられるが、デッドラインを下回った組は解体され、メンバー入れ替えとなる……
しかし、そんな諸々の事情は、春花(はるか)にはあまり関係がない様子だった。
「──あー、疲れたー……でも、楽しかったーっ!」
開始直前の緊張した様子など、もう忘れた顔で大きく伸びをした。思いっきりパーソナリティをやりきって、ご満悦といったところだ。
NEOPASA岡崎の、一般道から出入りできる駐車場にて、三人は迎えを待っていた。この辺りは山深いとまではいかないが緑が多く、夜ともなれば暗い。健全な女子高生を出歩かせるのはよくないということで、局側が送迎してくれることになっている。
こうこうと灯るNEOPASA岡崎の灯りや、新東名高速道路の電灯が、闇の海に浮かぶ浮島のように見える。ひと頃の穏やかな秋の気配はもう感じられず、山間を吹きすさぶ冷たい風が、制服のスカートを揺らしていく。冬の夜は寒いが、春花の身体はまだ火照っている。
「はるかっち、かなり暴走しとったねぇ」
「うん?」
責めるふうでもなく言う智加に、春花は目を向けた。
「段取り、スッとんどったよ。三回くらい」
「えっ!? ほんとぉ?」
「ほんとだよ。ねえ、真維(まい)さん?」
話を振られて、真維は苦笑しながら返す。
「私と智加(ちか)ちゃん、結構慌ててたんだけど。気付いてなかった?」
「ジェットコースターみたいだったよね……」
真維と智加は部活動では裏方だが、ガルラジではパーソナリティとして、たまに春花と掛け合いもする。だからこそ、春花の喋りの無軌道ぶりを、いつもより間近で味わう羽目になったわけだ。
「えーっ、ごめん、ふたりとも! 私、夢中だったから……!」
眉毛を下げる春花に、真維は片手を振って見せ、
「別にいいよ。いつものことだし」
智加が軽く肩を竦(すく)める。
「真維さん、はるかっちに甘いよねぇ。台本無視されとるのに」
「それを言うなら智加ちゃんだって、用意したトラック使えなかったでしょ。つまらなくなってたら、怒ってたかもしれないけど……春花ならまあ、別にいいかなって思う」
「まあねぇ」
生ぬるい微笑みを浮かべて、軽く頷(うなず)き合うふたり。
「うーっ、ほんと、ごめんねぇ……!」
春花が平謝りしているうちに、ヘッドライトを振りまきながら、一台の車が駐車場に滑り込んできた。三人の前で停車する。
運転席に座っているのは、スーツ姿の男だった。年齢は、春花たちの父親と同じくらいか、もう少し下くらいの印象。名前は丸石といって、プロジェクトに参画する企業の社員とのこと。春花たちのマネージャーのようなことをしてくれている。
「お待たせしました、どうぞ」
運転席のウインドウが開き、渋めの声が三人を促した。
「お疲れさまです、丸石(まるいし)さん!」
後部座席へと乗り込みながら、春花が明るく言うのに、バックミラー越しの視線が返る。
「お疲れさまです。初日の手ごたえはどうでしたか?」
春花は満面の笑みで、
「バッチリだがね!」
「来てくれたお客さんたちも、笑ってくれてましたよ」
言葉を受けて、真維が言う。
智加が乗り込んでドアを閉めると、車は走り出した。駐車場を出て、市街地へと向かう坂道を下っていく。
「それはよかった」
丸石が返すのに、智加が口を開く。
「まるさんは、聞いてみてどうでした?」
「私ですか?」
その質問が、さも意外なことであったかのように、丸石は眉根を寄せた。
「そうそう! 丸石さんも、楽しんでくれましたか?」
春花が、助手席と運転席の間から顔を覗かせて言う。
丸石は言葉を選ぶように、数秒沈黙してから、
「そうですね……楽しかったと思います。でも……」
「でも?」
真維が相槌(あいづち)を打つのに、丸石は申し訳なさそうに続けた。
「何と言いますか、私はあまり面白味のない人間みたいでね。そういうセンスがないんです。仕事ばっかりで……あまり参考になるような意見は、言えないと思いますよ」
「そんなコトないですよぉ!」
春花はあっけらかんと言った。脊髄反射的な会話スキルは、丸石とは対照的だ。
「丸石さんが面白くないとか、ないと思います。それに、楽しかったよって言ってもらえるだけで、次もがんばろうって気持ちになるんです」
「そういうものですか」
丸石は戸惑った様子だったが、やがてかすかに微笑み、
「それなら、まあ……楽しかったですよ。来週もよろしくお願いします」
記念すべき初回の放送から、一夜明けた土曜日。春花(はるか)まだ夢を見ているような気分で学校に向かった。県内の進学校には土曜が休みのところもあるようだが、あいにく春花たちの学校はそうではない。
(私たちのこと、評判になってたらどうしよう? えへへ……!)
と、内心ソワソワしていた春花だったが、クラスの様子はいつも通りだった。
「──ねぇ、ちーちゃん……私たちの放送、ダメだったんかねぇ? やっぱり私がアドリブ入れすぎたのが、よくなかったのかなぁ……」
朝のHR前。智加(ちか)の席までどんより曇った顔を見せに行くと、智加はいぶかしげだった。
「えっ、何? いきなり……」
「だって、私たちの放送、全然話題になってないよ~?」
「当たり前でしょ。まだ一日も経っとらんが」
「そうだけどさ~」
「それに、再生数はそんなに悪くないよ。落ち込む理由ないがね」
春花は目を丸くした。
「え、そうなの!?」
「はるかっち、見てないの?」
「え、あっ、うん。昨日は帰ってすぐ寝ちゃって……そうだったんだ? よかった~、えへへっ!」
「立ち直りはやっ」
放課後には、放送部の部活動がある。三人で自分たちの放送を聴いて、反省会をしようという話になっていた。
呆れ顔の智加を残して座席に戻り、ひたすらソワソワしながら放課後を待った。半日の授業はほとんど記憶に残らないまま過ぎていき、あまりに上の空だったので途中先生に注意されたりしつつ、放課後になると放送部へと急いだ。
放送部は、防音壁に囲まれた放送室と、細長い部室に分かれており、放送がないときは大体三人は部室にいる。
「──あれ? ふたりとも早いわね」
やってきた真維(まい)が言うのに、智加は肩を竦(すく)めた。
「はるかっちが走るんだもん」
「まいちゃん、早く聞こまい! 早く早く~!」
「うん、下校の放送やってからね」
放送部員としての仕事はしなければいけない。
「はーい……」
春花はしぶしぶ放送室に入り、
「下校時刻になりました~、早く帰ってね~」
気もそぞろにアナウンスをして、素早く部室に戻ってきた。
真維の私物のタブレットで、ガルラジのアプリにアクセス、番組を再生する……
『──ガールズラジオ、チーム岡崎っ!!』
「わぁ……!」
スピーカーから流れてくる自分の声を聞くのは妙にくすぐったいし、何を喋ったかよく覚えていないので、自分じゃないみたいだったが、それでもすごく興奮した。
「おっ、再生数、すごい勢いで伸びてるね」
智加が冷静に言う。
「いち、じゅう、ひゃく、せん……えっ!? す、すごい!」
こんなにたくさんの人が聞いてくれている、その事実が一番の興奮で、春花はプルプルと水浴びした後の子犬のように震えた。
(あーっ、興奮しすぎて、今夜は絶対眠れんよぉ~!)
──ハッと気が付けば、日曜の昼過ぎだった。完全に寝坊だ。そういえば最近は、緊張しすぎてあまり寝られていなかったので、考えてみれば当然である。
「おかーさん、なんで起こしてくれんかったの!?」
ドタドタドタッ! けたたましい足音と共に階段を駆け下り、台所の母親に恨み節。アウターに袖を通しながら洗面所へと向かい、せわしなく身支度を整え始める。
智加(ちか)と真維(まい)と、引き続き反省会と来週の企画会議を兼ねた打ち合わせをしようと約束していたのに、完全に遅刻だった。
「起こしたがね。あんたが二度寝したんだらー」
昼食の準備をしているらしい母親の、悪びれない声が返ってきた。
「それじゃ、起こしたうちに入らんて!」
春花(はるか)がなおも言い募ると、リビングのソファーに座ってテレビを見ていた父親が口を開いた。パジャマ姿で、いかにも休日のお父さんといった風情である。
「お母さんに責任転嫁したらかんでしょ。もう高校生なんだから、自分で起きな」
「お父さん、すぐそうやってお母さんの味方するもんな~」
春花は文句たらたらで洗面所を出ると、玄関に向かった。靴を履いているとき、母親が声を掛けてきた。
「あんた、お昼は?」
「いらんー」
「ホットドックなのに?」
「えぇーっ!?」
ホットドックは春花の好物だ。というか、食べ物で嫌いなものはないと言っていい。一番好きなのは豆腐。
「帰ってきたら食べるから、とっといて!」
「冷めたらまずくなってまうがね」
「いいからとっといてっ!」
「はいはい。行ってらっしゃい」
父の声が重なる。
「あんま遅くならんうちに帰りゃーよ」
「わかっとるよ、行ってきます!」
適当に返して家を飛び出し、父の愛車が幅を利かせている駐車場の隅、控え目に置かれている自転車にまたがった。
走り始めてすぐ、じんわりと汗がにじんできた。中部地方は湿気が多いので、冬ともなれば凍みこむような寒さだが、健康優良元気印の春花には、この程度はなんでもない。
白い息を吐き吐き、市街地を一〇分ほど走り、目的地へと到着した。
『カフェテリアばんざい』。
正気の沙汰とは思えないほど安くてボリュームのあるモーニングを出す喫茶店。地元民から憩いの場として愛されており、名前からわかるとおり智加の父が経営している。
路地の隅に自転車を停め、短い石段を駆け上がってドアを開くと、ドアベルがカランカランと牧歌的な音を立てた。
シックな装いの調度品や観葉植物が並ぶ店内には、落ち着いた空気が漂っている。毎朝、モーニングの時間帯はサラリーマンたちで満席になるが、今は客の影もまばらだ。
「おじさん、こんにちは!」
カウンターの向こうに立つエプロン姿の中年男へと挨拶をした。智加の父だ。
「いらっしゃい。真維ちゃん、もう来とーよ」
おじさんが言うが早いか、奥まった四人掛けの席から、智加の声が飛んできた。
「はるかっち、おそーい」
「ごめんごめん!」
慌ててそちらに向かおうとしたとき、
「春花ちゃん、放送聴いたよ」
おじさんの言葉を音頭にして、客たちが口々に言った。
「ああ、面白かったよ。なんていうか、華やかでよかった」「そうそう、若いセンスを感じたよな」「応援しとるでねー」
みんな近所のおじさんたちで、春花とも顔見知りだ。
「あはは、ありがとうございまーす!」
ちょっといい気分になって、スキップしながら奥の席へと向かう。
「おはよう春花。よく寝てたみたいね」
智加の対面に座り、タブレットを見ていた真維が、微笑んで言う。その柔和な雰囲気につられて、春花も自然と笑顔になる。
「そりゃもう、グッスリ!」
「グッスリじゃないが、たわけ」
智加はピリ辛な口調でツッコミを入れると、今まで片手でゲームをプレイしていたスマホをポケットにしまった。メガネの奥からの視線が、ぐさりと春花を刺す。
「はるかっち、最近遅刻多いよ。悪いと思っとらんでしょー?」
「そ、そんなことないって! 昨日は疲れちゃって……」
「ほんとぉ? まぁ、いいけど」
オロオロしている春花に、智加はため息をついて席を立った。そのままカウンターに向かい、父親の背後を通り過ぎて冷蔵庫を開くと、ラップのかかった皿を取り出して戻ってきた。春花の目の前に置く。山盛りのサンドイッチだ。タマゴ、野菜、ハム……
「はい。わたしが作ったから、味は保証せんよ」
「えっ、食べていいの?」
春花は最早、よだれを垂らしそうだ。
「何も食べとらんのでしょ? 食べやええが」
「わーい! ちーちゃんありがとう、大好き!」
抱き着こうとしてくる春花を両手で押し返しながら、智加は真維へと言う。
「真維さんも、よかったらどうぞ。もともとお昼ごはんのつもりだったし」
「ありがと。それじゃあ、食べながら始めましょう」
春花は智加の隣に陣取ると、至福の表情でサンドイッチを食べ始めた。いや、食べるというより、詰め込むといった方が正確かもしれない。
真維は気にする風もなく、タブレットをテーブルに置き、ふたりにも画面が見えるようにした。映し出されているのは、ガルラジ公式サイトのランキングページだった。
ちなみにカフェテリアばんざいは、智加の熱烈な要望により、全席電源&無線LAN完備の、理想的なネット環境を実現している。常連たちの評判もいい。
「結果、出てる。ランキングの」
「むぐっ!? もぐもぐっ、もがが!」
「食べてから喋りん……」
リスのように、頬にサンドイッチを溜め込んだ春花に、智加は呆れ顔。
真維は言葉を続ける。
「五組とも、滑り出しはなかなか順調みたい。まあ、プロモにはかなり力を入れてるみたいだから、妥当と言えば妥当ね。その中で私たちは、三位」
「んぐっ……三位!? めちゃんこすごいじゃん!」
はしゃぐ春花に、真維は真剣な表情で首を振った。
「全然、安心できる順位じゃないわ。僅差だから、いつ追い抜かれてもおかしくない。それに、もっと問題なこともあってね……」
智加が言葉を継ぐ。
「富士川のこと?」
「そう」
ふたりのツーカーな会話に入れずに、春花は首を傾げた。
「ふじかわさん? 誰?」
「人の名前じゃないって。ガルラジのチーム。今、ぶっちぎりで一位なんだ」
智加の説明に、真維が補足を入れる。
「静岡県の、富士川にあるサービスエリアを拠点にする三人でね。番組聴いてみたんだけど、メインパーソナリティの子がとにかく上手いのよ。あか抜けてるって言うか」
「ほえ~?」
智加は眉間にしわを寄せ、
「わたしも聴いたよ。音がよかった……あれは相当いい機材使ってるな。まあ、選曲のセンスも悪くなかったけど」
「ほえ~」
「台本は正直、大したもんじゃないと思うわ。ネタも普通だったし。でも……だからこそメインの子の上手さが目立ってたのよね」
「ほえ~……」
自分だけ聴いていないので、間の抜けた相槌を打つしかない春花だったが、どうにか話についていこうと思って口を開いた。
「でもそれって、何が問題なの?」
智加と真維が顔を見合わせた。
「はるかっちって、たまに大物っぽいよね」
「わかる」
「え? どうしたの急に……ほめても何も出んよ~、うふふっ」
戸惑いながらも、まんざらでもない様子の春花に、智加が真顔で返す。
「いや、どっちかというと皮肉」
「ええっ!?」
真維は悩ましげに息を吐いた。
「強力なライバル出現、ってことよ。まあ、あんまり意識してもいけないとは思うけど」
「わたしは機材がいじれたら、それでいーわ」
「そう言わないで、智加ちゃんも気合い入れてね。ハードルが上がっちゃったから、これまで以上に攻めていかないと」
「はいはい」
ふたりの会話に、春花はうんうんと頷いた。
「なるほど~、わかった! 私、もっとみんなに楽しんでもらえるようにがんばるね!」
胸の前、両手をぎゅっと握り締め、フンフンと鼻息荒く言う。普段はおっとり下がった眉毛も、珍しくキリッと吊り上げられている。
顔に『やる気!』とわかりやすく書いてありそうなその様子に、真維は笑った。春花を動物にたとえるなら、犬以外思い付かない。
「その意気よ、春花。私も頑張って台本書くわ」
春花と真維が話している間に、智加はタブレットの画面に指を滑らせ、ランキングからくだんの動画をクリックした。
「ほら、はるかっちも。富士川の番組、聴きやあ」
「あ、うん、聴く聴く!」
再生ボタンが押され、番組が始まった。タブレットの画面には、パーソナリティ紹介の静止画が映し出されている。
メインパーソナリティであろう女の子が椅子に腰かけ、テーブルの上で両手を組んでいる。セーラー服をかっちりと着こなし、よく言えば真面目、悪く言えば融通の利かなそうな印象がある。異様な姿勢のよさと、整った顔立ちが余計にそう感じさせるようだ。その左右に、気の弱そうな小柄な少女と、逆に気の強そうなOL風の女性が立っている。
テーブルにはマイクスタンドが置いてあり、背後は一面のガラス張りになっていて、オープンカフェテラスらしき風景が見えた。
春花たちのものとは違う都会的なジングルが流れており、やがてフェードアウトしていくと、メインパーソナリティのものとおぼしき女の子の声が聞こえてきた。
『こんにちは。お昼になりました。ニュースの時間です』
『あ、アユチさんっ!? 違う、違う! ニュースじゃなくて!』
すかさず画面外から、焦り丸出しの小声が飛んできた。声の様子からして、恐らく気弱そうな少女の方だろう。
『おっと、ごめんなさい。お昼ではなかったです。もう夜でした』
『そっちじゃなくて! ガルラジ、ガルラジ……!』
『おっとっと、すみません、私、アユチスズと申します。高校二年生、いわゆるJK。ガールズラジオチーム富士川の、メインパーソナリティです。うっかりうっかり。騙すつもりはなかったんです……まあ許せ』
わざとなのか、それとも素なのか、過剰なほどに生真面目な口調で語られる言葉には、独特の面白みがあった。
春花は静止画に見入っていた。内容が楽しいからとか、何かを学び取ろうとしているとか、そういう表情ではない。口をぽかんと開けて、唖然とした様子だ。
智加が気づかわし気に声を掛けた。
「……はるかっち? どうしたん?」
春花は固まったままの顔を智加へと向けて呟いた。
「すずちゃんだ……」
「え?」
タブレットに映っている、中央の女の子を指差して言葉を続けた。段々と興奮してきて、頬に赤みが差し、目は潤んでキラキラしている。
「この子、すずちゃんだよ! 私の中学の同級生の、年魚市(あゆち)すずちゃん! 静岡に引っ越してったんだけど……うわ~っ、どら懐かしい!」
今をときめくチーム富士川のメインパーソナリティが、春花(はるか)の中学校のクラスメイトだったという事実は、確かに劇的な偶然ではあった。しかし、それでやることが変わるわけではない。いつかコラボでもすることになったら、面白いことになるかもしれない。
その後は、三人で頭をひねって来週のネタ出しをした。とはいっても、春花は思い付いたことを言うだけで台本にするのは真維(まい)だし、演出を考えるのは智加(ちか)だ。学校のお昼の放送を考えるときと同じ。
「……うん、まあこんなところね」
テーブルに置かれた大皿が空になって随分経ってから、真維がそう言った。ほとんど春花が食べてしまった。
真維の前に広げられたアナログなメモ帳には、今日話したネタがびっしりと書き込まれている。よくこれをまとめられるものだと、春花はいつも感心する。
「えーっ、もうおしまい?」
春花は名残惜しげに言った。話し足りない。
「ようけ話しとったが。もう夕方だし」
智加が窓の外を見ながら言うのに、春花はあっと口に手を当てた。
「いか~ん! お父さんに、早く帰れって言われとった……ごめん、私帰るね!」
慌てて立ち上がる春花に、真維が声を掛ける。
「明日原稿書くけど、ネタが足りなかったら連絡するかも」
「うん、わかった」
「はるかっち」
智加が真面目な顔で言った。
「昔の友達だからって、負けてもいいとか考えてない?」
春花は両手を振った。
「ないない! すずちゃんとは、そういうんじゃないから……ただのクラスメイト」
「ほんとぉ? 怪しいなぁ」
「ホントだって! じゃあね、ちーちゃん!」
カフェテリアばんざいを出て、自転車をとばして家に帰ってみれば、風呂から出たばかりでバスタオル姿の父親と、廊下でばったり出くわした。台所からは、母親が夕食を作っている雰囲気が漂ってきている。
「きゃあー、春花のえっち」
父親がフラットなテンションで言うのに、春花は顔をしかめる。父親の裸体を見るのは好きではない。特に、胸の痛々しい古傷は。
「バスタオルで歩き回らんでよ」
「別に歩き回っとらんが。春花、今帰りか? ちょっと遅かったんじゃないか? 女の子なんだから気~つけなかんよ」
「はいはい」
適当にあしらって、二階の自室へと向かった。
休日、顔を合わせると小言の多い父親のことを、うっとおしいと思わないでもなかった。智加の父親は理解があって、ちょっと羨ましくなるときもある。
『──アユチって、年の魚の市と書くんですが、珍しい苗字みたいです。私の家族以外、見たことがないんですよ。そして、私は一人っ子……いけない、このままでは年魚市の一族が途絶えてしまう。お婿さん急募!』
部屋着に着替え、ベッドに寝ころびながら、スマホでチーム富士川の放送を聴きなおし始める。
年魚市(あゆち)すず。
クラスメイト? 友達? それとも……親友? それは言い過ぎ。彼女との関係はどうにも不思議なもので、なんと呼ぶべきかわからない。
そもそも友達って、どういうもの?
智加や真維は友達だ。気が合うし、休日もよく一緒だし。
長い時間一緒に居ることが友達の定義だとすれば、春花とすずは友達じゃなかった。クラスで顔を合わせ、たまに言葉を交わすだけで、放課後に遊んだりもしなかった。
ただ、奇妙に深いところで、わかり合っていたように思う。少なくとも春花はそう感じたことがあった。すずは真面目すぎて、春花は能天気すぎて、どちらもクラスから少しだけ浮いていたから。
『──私、ラジオパーソナリティーになりたいんです』
春花の記憶の中。現在よりもっと幼い顔立ちのすずが、はにかみながらそう言った。あれはいつだったか。クラス委員の用事で、居残りをしていたとき。
『誰にも言ったこと、ないですけど』
『すごいね! 応援する!』
春花が食い気味にそう返したとき、すずが意外そうな顔をしたのが印象的だった。
『応援? なぜですか?』
『え? だって、そんなにしっかり夢を持ってるなんて、すごいが! 将来のこと、ちゃんと考えてるってことだもん!』
『……そうなんですかね』
それはすずのための言葉ではなくて、ただ憧れを口にしただけだった。何も考えずに生きていた春花には、真っすぐ夢を語るすずが、ただ眩(まぶ)しく見えたから。今なら何か、もっと違うことが言える気がする……
(……いや、あんまり変わらないかな!)
高校生になった今でも、能天気なのは変わらない。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。ほんのちょっと、自分を客観的に見られるようにはなってきたと思うけど。
『──それでは次の曲、いってみましょう……え? 準備ができてない? なら仕方がありませんね。私が小粋なジョークで場を繋(つな)ぎます』
『いや、言ってませんから! それ年魚市さんが喋りたいだけですよね!?』
イキイキとしたすずの声を聴きながら、春花は自然と微笑んでいた。
(ほんとよかったねぇ……すずちゃん)
すずが誰にも言えなかった夢を、堂々と言えるようになったのは、自分のことのようにうれしかった。
──ブイーッ! ブイーッ!
「んきゃっ!?」
しんみりしていたところに、スマホが突然ブルったので、春花はびくっとした。
番号通知は……『丸石さん』。
仕事の連絡だろうか? 慌てて出た。
「もしもしっ! どうしました!?」
『あ……どうも、こんばんは。その……すごいテンションですね』
春花の勢いに、電波の向こうで若干引いたような気配があった。
「すみません、いつもこんなもんです!」
『そうなんですか? はは……それで、ええと。今、大丈夫ですか?』
「はい! 今ガルラジ聴いてて! チーム富士川の」
『ああ、そうでしたか……だったら丁度よかったかな』
「丁度いいって?」
『その富士川の担当から、連絡があったんです。パーソナリティーの年魚市すずさんが、二兎さんの連絡先を知りたいそうで』
春花の胸が高鳴った。今しがた思い返していた過去の中の出来事が、いきなり現実のものとなったのだ。過去が今に追いついた、不思議なときめきだった。そして、すずが自分を覚えていてくれたことも、胸に温かいものを生んでくれる。
「ほんとですか!?」
『ええ、中学校のお知り合いだとか……この番号をお教えしてもいいですか? 個人情報関連はなにかとデリケートなので、一応お聞きしてからと思いまして』
「もちろん、いいです! バンバン教えちゃってください!」
『いえ、バンバンは……まあ、わかりました。お伝えしておきます。では』
「あっ! 丸石さん、待ったって!」
要件が済んで、すぐにも通話を切りそうな空気を察して、春花は慌てて呼び止めた。まだ長いとは言えない付き合いだが、無駄だと思うことをしない人なのはわかってきた。
『はい?』
「あの、ちょっと聞きたくて……私たちの放送、面白くなかったですか?」
『え? それは……』
「丸石さん昨日、自分にはセンスが無いって言ってたけど。ラジオを聴くのに、センスって要らないと思うんです」
沈黙が返る。真面目だからだ。春花にはわかる。
「センスなんて言って誰かを切り捨てたりしたら、楽しい内容にならないと思うんです。丸石さんが楽しくないと思った部分があるなら、教えて欲しいんです」
『……』
「それが多分、今の私たちに足りないものだと思うから」
長い沈黙があった。
春花が辛抱強く待ち続けていると、やがて小さな吐息が聞こえた。
『……面白かったですよ。それは本当に、そう思いました』
春花は黙って続きを促す。
『でも……これはごく個人的な話なので、お話するか昨日も迷ったんですが』
「もし、お聞きしてもいいなら、教えてください」
『娘がね、いるんですよ。東京に、貴女たちと同じくらいの』
「へえぇ! どんな子なんですか?」
楽しくなってきた。お喋りは楽しい。東京の女子高生って、どんな感じだろう? 食べ物が違う? 何が流行ってるんだろう?
『それがね……よくわからないんですよ』
「え、わからないんですか?」
『ええ。貴女たちくらいの年頃の女の子は、私にはよくわかりません。反抗期の頃は、まだわかりやすかったと思うんですが。今は……わからないです』
「そうなんですか……」
『私が単身赴任でこっちにきて、どう思ってるのかな? 皆さんの放送を聴いていると、あの子のことを思い出してしまって、どうにも複雑な気持ちになるんです。大切な家族だとは思うけど、血のつながりが何もかも教えてくれるわけじゃない』
それは真摯な告白だった。まるで、本当の娘に語り掛けているような。
春花は目の前に丸石がいるかのように、笑顔を浮かべた。
「なるほど……うん、わかりました!」
『えっ……何かわかったんですか?』
「はい、わかりました。ありがとうございます、とても参考になりました」
『はあ』
「まるさん、来週の放送、きっと聴いてくださいね?」
またしばらく沈黙があってから、再び落ち着いた声がした。
『……こんな私でも、楽しいラジオを作る協力ができたなら、よかったです。それでは』
丸石との通話が切れた。春花はすぐに、真維にコールした。
「あ、もしもし? まいちゃん、もう台本書いちゃった?」
『これからやろうとしてたとこ。どうしたの?』
不思議そうな真維へと、春花は興奮気味に言った。
「あのね、来週の放送、やりたいネタがあるんだ!」
「──ねえ春花、昨日言ってた、ネタの話だけど……」
月曜日の昼休み、部室でお弁当を広げているとき、真維(まい)が真剣な表情で切り出した。放送部員はお昼の放送があるので、昼食は大体部室で食べるのだ。
「うん! ひょっとして、もう台本書けた?」
春花(はるか)が身を乗り出してくるのに、真維はひとつ息を吐き、
「いえ、まだ手をつけてないの。昨日一晩考えたんだけど、やっぱりネタとしてはちょっと地味すぎると思うわ」
「えーっ、そうかなあ……」
ふたりの会話に、購買で買ってきた惣菜(そうざい)パンのビニールを開けながら、智加(ちか)が口を挟んでくる。
「何の話?」
「春花がね、今週の放送は『家族』をテーマにしてみようって言うのよ。私も一度は、やってみるって返事したんだけど」
真維の返答に、智加は合点のいった顔で、
「なるほどね、そりゃ難しいよ」
「えーっ、なんでなんで?」
口を挟んでくる春花に、智加は淡々と言った。
「家族なんて、パッとしないから。ネタぎれ感があるし、お説教くさいし……それに、明るくて楽しい話にはならないんじゃないかな」
智加の口調に、かすかな熱がこもった。
「世の中、フツーの家族ばっかじゃないよ。色々、複雑な事情の人もいる。リスナーさんが嫌な気持ちになるかも」
「それは……そうかもしんないけど」
春花はしゅんとした。面白くなると思っていたのに、理論立ててそう言われると、全然ダメなアイディアだと思えてきた。
「わかったよ、ふたりが反対なら、やめる」
「……いいえ。反対とは言ってないわ」
真維が言った。
「え?」
「リスナーさんは離れるかもしれない。春花は、それでもやる覚悟がある? 私はもう一度、それが聞きたかっただけ」
「か、覚悟……!?」
ごくり、と喉を鳴らす春花に、智加が惣菜パンをかじりながら言った。
「そんなに堅苦しい話じゃないって。はるかっちが、本当にやりたいのかどうかってこと。ただの思い付きなら、やめた方がいいと思うけど」
春花はぎゅっと拳を握り、しばらく考えた。リスナーのことを、まるで考えていないわけではない。ただ、きっと一緒に楽しんでもらえると思ったから、提案したのだ。
やがて、うつむかせていた顔を上げた。
「……私、やっぱりやりたい。家族って、楽しいばっかりじゃないのはわかるよ。でもみんな家族はいるんだから、きっと共感してもらえると思う。私、話してみたいの……まいちゃん、ちーちゃん、やらせてくれる?」
真維は苦笑し、智加は肩を竦めた。
「春花がそういうなら、やるしかないわね。なるべく面白いホンにはするから、今日と明日、時間ちょうだい」
「わたしも、楽曲リスト考え直さないと」
「ご、ごめんね、ふたりとも……!」
への字眉毛の春花に、ふたりは笑って言った。
「「いつものことでしょ」」
本当に、頼もしい仲間だ。真維も智加も。春花が懸命な気持ちを、つたない言葉にすると、それを形にしてくれる。ふたりは友達と言うより、戦友なのかもしれない。
三人にとって、慌ただしい一週間になった。春花にとっても、いつもより短い時間で段取りを覚えなければいけなかったし。時間は瞬く間に過ぎていった。
結局のところ、年魚市すずから連絡は来なかった。
まだ耳に馴染まないジングルが流れ始め、三人は息を吸い込む。
「「「ガールズラジオ、チーム岡崎っ!!!」」」
重なり合う三つの声。少しだけ緊張した、でも先週よりはこなれた声。この年頃の女の子の順応力をナメてはいけない。
NEOPASA岡崎、金曜の午後七時三〇分。心なしか先週より人が多い気がする。気のせいじゃないといいな、と思う。
ジングルがフェードアウトしていく。春花(はるか)だけが再び息を吸い込む。
「改めましてこんばんは! ガルラジ岡崎の時間です! ひゅーひゅー! メインパーソナリティの、二兎(にと)春花でーす! もう覚えてくれました?」
でたらめに朗らかで、底抜けに楽しそうで、ひたすら明るい春花の声。
「今日のガルラジ岡崎は、なんと、家族の特集ですっ! 私みたいなワカゾーのみんなっ、普段お父さんやお母さんに言えないコトとか、あるよね? 私もお父さんのこと、ちょっとうざいかなって思うときもあるけど、でも大好きなんだ!」
春花の唇は、先週よりもトルクを上げていた。やりたいことを見付けたら、誰よりも熱く語り出す、それが二兎春花の特性だ。
家族──年齢も世代も違うのに、毎日会って話をする、身近な存在。色々な問題を抱えながらも、物理的に、あるいは精神的に、影響を受け合う人たちについて。
教訓を与えたいわけではなく、啓蒙したいわけでもない。そんな高尚な話じゃない。春花はただ、お喋りがしたいだけだ。
「まあ、そんな感じでやっていきたいと思います。オンエア楽曲も懐メロで揃えたから、楽しみにしててね! それじゃあ、いってみようっ!」
……何を喋ったか、よく覚えていない。まあ春花にとって、それはいつものことだが。
放送時間はあっという間に終わってしまって、まるでタイムマシンで、少しだけ未来に来たみたいだった。今、先週と同じように駐車場で三人、迎えを待っている。冬の冷たい夜風が火照った身体には心地いい。
「──は~……」
春花は満足げに、白い息を吐いた。興奮しすぎて、もっと喋りたくてしょうがない。一回の放送じゃ短すぎる。オールナイトでやりたい。
「はるかっち、また暴走しとったねえ」
智加(ちか)がやれやれと言った。
「うそっ!? また段取りトバしちゃった? ごめ~ん!」
春花が真剣に両手を合わせれば、智加は片手を振った。
「いいよ。あんなに楽しそうに喋ってたら、邪魔できん……それに、全体的に先週よりよかったと思う」
「え、ほんと!?」
「うん。なんかよかったよ。うまく言えんけど……」
「やったー! ありがとねぇ、ちーちゃん!」
「もうっ、いちいち抱きつかんでよ」
じゃれ合うふたりを横目に、真維(まい)は微笑んでいる。姉とか母親が、妹か娘を見るような表情。こういう大人びたところが、彼女が同級生に見られないところなのだろう。
「私もよかったと思うよ。テーマを聞いたときは、再生数伸びないだろうなーって、正直思ったけどね」
「ええっ!?」
「でも、これならいけるかもね。普通ってことは、いい言い方をするなら、みんなにわかりやすいってことだから。春花のやりたかったこと、少しわかったわ」
「ううっ……ありがとおぉ、まいちゃーん!」
「うぷっ! ちょっと、春花……!」
春花の抱き着き攻撃が、真維へと標的を変えた。
そうこうするうちに、ヘッドライトがまばゆく照射された。今夜はまるで、スポットライトのようにも思える。
「……お待たせしました」
丸石(まるいし)は車から降りてくると、春花の前に立った。草食動物を思わせる、穏やかな瞳を受けとめて、春花は前のめりになって言った。
「お疲れさまです、丸石さん どうでしたかっ!?」
丸石は口元をわずかに持ち上げ、
「楽しかったです。とても楽しかった」
はっきりと丸石が言えば、三人は顔を見合わせて笑うのだった。秘密基地でいたずらの成果を話し合う、子供たちのような無邪気さで。
原作・多宇部貞人氏による小説「ガールズ ラジオ デイズ」
ガルラジのネットラジオ番組だけではわからない、彼女たちの日常が明らかになる!?
多宇部貞人 @taubesadato
<代表作>
シロクロネクロ(電撃文庫、全4巻) / 断罪のレガリア(電撃文庫、全2巻) / 封神裁判(電撃文庫、全2巻) 他
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