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【寝言シリーズ】教える

2013/09/24 05:35 投稿

コメント:2

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何かを後輩に教えた。自分の技術を人に教える。と、安易に「教える」という言葉を使ったり思ったりしているが、果たして本当に教えられているのだろうか。もしくは、教えてやったなど自己満足で高慢な自分になってはいないだろうか。教えるとは、わかりやすく説明し相手に悟らせ実行できるまで、つまり、身心に納得できるまで導くことを意味する。教える能力・指導力は天性のものがあるが、そんな天才も努力(社会の中で高める事)をしなければ「教える」能力を醸成できない。よく難しい言葉を使いあたかも教えているつもりの人もいるが、それは成長の過程であり、「教うるは学ぶの半ば」ともあり、他の為に人に教えることが最終の答えを悟らせるものである。辞典の「教える」にはその部分が見落とされているように思う。「教えるとは、わかりやすい言葉で他の人へ伝え悟らす知恵や方法・表現を見つけていく行為も含まれており、最終的な真理を自らが学ぶための道程である」という事を付け加えたい。つまり「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」とあるように、教えられる側も「先生のこの表現がわかりません」と質問する事は、教える人の成長を助成しているという一面があるということだ。教えている側に指導者としての素質があるならば質問に対し”ありがとう”と喜ぶだろう。また、指導者を目指すならば次の偉大な指導者の言葉を肝に銘じ教えて頂きたい。「人を見て法を説け」人に説明や助言をする立場なら相手の人柄や能力をよく考えて、その人に会った言い方をすべきである。そんな先生に出会ったことがねぇ~wwwと思っている人もいるかもしれない。これからそんな人に出会うかも。いやいや、素直じゃなかったからかな。

コメント

のりちゅん
No.1 (2013/09/24 05:48)
「教える」って難しいよね。
あたしバカだから難しいことはわかんないけど、他人に「教える」中で、自分に「学び」がなければそれは教えたことにならないと思うんよね。
だから、「教える」=「学び」って思うのね。
そこで自分への「学び」が得られなかったら、「教える」じゃなくて、「自分の知識のあてつけ」になると思う。
「教える」って一言で言っても、相手にどう伝えたらわかりやすいかって考えたりするのも「学び」だけど、それよりも伝えた後の相手の反応を見て、「こうすればよかった」「ああ言えばよかった」って感じてそこから変わろうと努力していくことが、自分の「学び」だと思う。

あ~・・なんかくっさいこと言っとるな(´・ω・`)
(著者)
No.3 (2013/09/24 13:35)
>>1
コメントありがとうございます。なるほどなーと思いました!いいねボタンがあれば押したいw
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