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“観察映画”シリーズ想田和弘監督インタビュー 映画『牡蠣工場』で我々が“発見”するものとは

2016/02/20 13:30 投稿

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ニューヨーク在住の映画作家・想田和弘監督の最新作であり、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法“観察映画”シリーズの第6弾となる映画『牡蠣工場(かきこうば)』が、2月20日(土)よりシアター・イメージフォーラム他で順次公開となる。

これまで選挙活動、精神科クリニック、劇団など、カメラのレンズを通して様々な人間模様を見つめてきた想田監督だが、このたび撮影のテーマに選んだのは、瀬戸内海に面した岡山県牛窓(うしまど)の牡蠣工場だ。

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日本有数の牡蠣の産地である牛窓は、かつて20軒ほどあった牡蠣工場も今では6軒ほどに減り、牡蠣の殻を取り除く“むき子”の仕事も担い手が減る一方である。東北から牛窓に移住してきた漁師や、日本語が不得手な中国人労働者などを通じ、想田監督は今作で何を映し出そうとしたのか。来日していた想田監督にインタビューを行った。

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―― “観察映画”の定義について、改めて監督の言葉で教えていただけるでしょうか。

想田監督:“観察”という言葉には二つの意味を込めていて、ひとつは観察者である僕自身が目の前の現実をよく見て、よく聞いて、そこで得られた発見をもとに映画を作るということ。その時に先入観や予定調和的な要素をなるべく排除することを大切にしています。もうひとつは、観客にもよく見て、よく聞いてもらって、自分なりの解釈をしてもらうということです。そのために、リサーチを行わない、打ち合わせを行わない、台本は書かない、カメラは原則として僕ひとりで回す、ナレーション・説明テロップ・音楽を原則として使わない、などの自分で決めた十戒を守っています。

――裏を返すと、世の中にあるドキュメンタリー作品の多くは、台本に則ったゴールを見据えてカメラを構えているということですよね。

想田監督:僕自身も以前はテレビのドキュメンタリー番組を製作していて、その頃は必ず事前のリサーチを行い、台本を書いて、その通りに撮影していくというのが当たり前でした。効率よく仕事をこなす人間こそが優れたディレクターとされていたんです。

――企画を通さないと撮影がスタートできないですからね。

想田監督:でもその方法だと台本にエンディングまで書かれていて、それと違う内容を撮影して帰るとプロデューサーから怒られることもある。ドキュメンタリーとして変ですよね。組織で仕事をする上では仕方がないことですが、飼いならすことができないのがドキュメンタリーだと思います。ドキュメンタリーは先の見えない冒険だから。それに、ナレーションですべてを説明し、悲しい場面では悲しげな音楽を流して、離乳食のようにすべてをかみ砕いて消化しやすい映像なんて、歯ごたえがあるわけないじゃないですか。観察映画はそういったものに対する反発心から生まれているんです。

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――そんな観察映画の第6弾として、今回はなぜ牡蠣工場を題材に決めたのでしょうか。

想田監督:牛窓は妻の母親の出身地なんです。だから以前から頻繁に遊びには訪れていて、家を借りて夏休みを過ごしたりしていました。目の前が海なので、地元の漁師さんたちと知り合って、だんだんと仲良くなって、漁師さんの生活に興味がわいてきました。いざ映画にしてみようと、2013年11月にカメラを持ってまた牛窓に行ってみたら、漁師さんに「今は牡蠣のシーズンよ」と言われて……。

――リサーチをしない観察映画ならでは、ですね。当然ながら、従業員に3.11の震災を経験した人がいたり、中国人労働者が新たにやって来たり、映画の核となる要素についても後から知ったわけですよね?

想田監督:はい、撮影を始めてから知りました。作業現場を撮影中にふと壁を見たら、「11月9日、中国来る」と書かれたメモを見つけて、そこで初めて中国人労働者がやって来ることを知りました。東北から移住されてきた方にしても、本当に偶然です。その辺りから、“移住者”というのがひとつのキーワードになるんじゃないかと思い始めました。

――ひとつの山場とも言えるシーンを迎えて、その後の展開も気になりつつ映画は幕を閉じてしまったのですが、撮影自体はその後も続けていらっしゃったのでしょうか。

想田監督:工場のオーナーさんから「撮影をストップしてほしい」と言われるシーンがありますよね。あのときは交渉して、中国人の方から直接許可を得てカメラを回していましたが、翌日、最後のシーンを撮った直後に、改めて「そろそろ撮影を止めてほしい」と言われました。だから、撮影できたのは1週間くらいですね。ただ、あの終わり方には納得していて、あそこで映画を終えるのはまったく悪くないと感じています。

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――中国人同士の中国語の会話については当然ながら字幕が付いていませんでしたが、監督ご自身は会話の内容を理解されているのでしょうか。

想田監督:把握しています。何を話していたか気になったので、念のため調べてもらいました。ただ、もの凄く特殊な地域の言葉らしくて、何人か中国人に観てもらっても分からないと言われてしまって……。知り合いを辿って行って何とか内容を把握できましたが、やはりそれは劇中で訳さないという選択をとりました。僕の視点で撮っている映画なので、字幕を付けないほうが忠実だと思いました。話している内容はさておき、映像だけ観ていると何かとんでもなく重要なことを話し合っているように見えますよね。分からないからこそ、そこに垣根が生まれて、疑念がわいてくる。そういった構造も、映画で再現したかったことのひとつです。

――同行されていた奥様との何気ない会話もそのまま収録されていましたが、これはナレーションを使わない観察映画における新しい手法なのでしょうか。

想田監督:妻のシーンを使うつもりはまったくなかったんですよ。ただ、地元の猫の“シロ”のシーンを入れたくて。最初は単に猫が好きだから撮影していたんですけど、だんだんとその存在がメタファーのように思えてきたんです。シロはちゃんと飼い主がいて、自分の家があるのにもかわらず、僕らが借りている家に入ってこようとしますよね。その存在が、中国から日本にやって来る労働者や、もっと言えば日本で生まれ育ったのに今はニューヨークに住んでいる僕自身とも重なって、途中から真剣に撮り始めました。そんなこととは知らない妻は変な猫なで声でシロと話していて、映画で使われると分かって後から怒られました(笑)。

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――そういう経緯だったんですね。伺ったキーワードを念頭にもう一度映画を観賞すると、また新たな発見がありそうな気がします。ちなみに、監督がニューヨークを拠点とされているのはなぜでしょうか。

想田監督:特に理由はないんですよね(笑)。23年前、大学を卒業して、映画を撮りたいとふと思い立って、ニューヨークの映画学校に通い始めたのがきっかけです。映画学校を卒業後、たまたま現地のテレビ番組の製作会社に入ることになり、そのまま居付いてしまったんです。今はその会社からも独立していて、どこに住んでいようが自由なのに、なぜかニューヨークに住み続けている。言ってみれば惰性です。あえて言うなら、日本を観察するのには良い場所かもしれません。ずっと日本に住んでいる人とは別の場所に目がいくし、ちょっとした違和感に気付きやすい。そういう意味では、映画の視点、クオリティに影響を及ぼしているのかもしれません。

――それでは最後に、次回作についての構想はすでにお考えでしょうか。

想田監督:牛窓にはもともと3週間滞在する予定だったので、牡蠣工場での撮影が打ち切りになった後、残りの2週間で86歳の漁師さんなどを撮影しました。そちらを題材にしてまたもう1本別の映画になると思います。ちょうど今、編集の途中です。

――そちらも楽しみにしています。本日は、ありがとうございました!

映画『牡蠣工場』公式サイト:
http://www.kaki-kouba.com/

(c)Laboratory X, Inc.

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