12月18日公開の映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』に多くの者が熱狂している。だからこそ、遠くない昔、銀河系のそれほど離れていない場所で、『スター・ウォーズ』がどんな作品かということを人々が知らなかった、というのは不思議な気分である。
本誌ヴァラエティは1976年3月24日、ジョージ・ルーカス監督が800万ドルをかけ、チュニジアで米20世紀フォックスのSFファンタジー映画を撮影開始した、と記事にした。アレック・ギネスは「顎髭を生やした砂漠のスパイ」を演じることが決まっていた。オビ=ワンがそんな説明にためらっていたかもしれない頃、その記事では、「若手俳優が演じる未発表の3つの重要な役を含め、キャストは比較的無名である」と書かれていた。
数週間後の4月7日、「宇宙のアドベンチャーコメディ」で、23歳のマーク・ハミルがルーク・スターキラー(後に役名は変わるが)として映画デビューを飾る、と記事は伝えた。そして5月10日、ハリソン・フォードがハン・ソロ役として発表された。彼は「タフなジェームズ・ディーンのように宇宙海賊船のパイロット」を演じるとされた。
1977年1月、フォックスは、同年に公開を予定している19作品もの映画を大々的に宣伝する24ページの折り込み広告を出稿した。ルーカス監督の映画は、「ロマンティックな宇宙ファンタジー」と称された。映画の折り込み広告のうち全面広告は『ジュリア』、『愛と喝采の日々』、『結婚しない女』、『Mr.ビリオン』、『パトカー・ハイウェイ』、『The World’s Greatest Lover(原題)』などのような記憶に残らない作品を含んでいた。
翌年、『スター・ウォーズ』が公開された。より正確に言うと、爆発的な人気となった。その映画は、1977年5月25日、34の劇場でデビューを飾った(2日後にはさらに9つの劇場が加わった)。戦没者追悼記念日の週末を挟んだ公開6日間の記録は、255万6718ドルだった。これは当時では驚異的な数字だった。
本誌ヴァラエティは6月10日、「映画の直接経費は1000万ドル。フォックスに利益の60%、ルーカスに40%(彼はそこから他の人に経費を支払った)が分配された。損益分岐点は2200万ドル〜2500万ドルの辺りだと推定される」と伝えた。繰り返すが、当時は『スター・ウォーズ』が利益を得るかどうかを疑問に感じていた、と思うと衝撃である。
この映画は、全年齢に適した映画を示すレイティングG指定ではなく、子どもの鑑賞には保護者の指導を推奨するPG指定が適用された。米映画協会(MPAA)のコード&レイティングを管理するメンバーの間で意見が分かれため、フォックスのプロデューサーが大人の同伴者なしの小さな子どもが鑑賞するといくつかのシーンで怖がるかもしれないと感じたと主張し、PGの指定を要求した。しかし、フォックスの内部関係者者は、10代の間でG指定が「格好悪い」と感じられるかもしれないとも思っている、と本誌ヴァラエティは記事にしている。
利益の40%の稼ぎはさておき、ルーカス監督は続編の製作権と商品化権を保持していた。これはハリウッドの歴史上最も賢明な行動のひとつだ。しかし、彼はその時点ですでに優れた功績を成し遂げていた。ルーカス監督の2番目の作品にあたる、1973年の映画『アメリカン・グラフィティ』だ。この作品は、75万ドルの経費で配給の米ユニバーサルに1億1500万ドルをもたらした。そして、米ディズニーは数十年に渡って商品を生み出し続けていたが、すべてミッキーマウスのようなアニメキャラクターに関する商品だけだった。実写版の映画でキャラクターを商品にするという発想は珍しかった。
11月までに、『スター・ウォーズ』は全米で前代未聞の王者となった。1億8700万ドルの興行収入のうち1億2000万ドルはレンタル(すなわち、スタジオへ戻された)だった。その記録は、スティーヴン・スピルバーグ監督が手掛けた1975年の映画『JAWS/ジョーズ』を上回ったため、12月にスピルバーグ監督はルーカス監督と『スター・ウォーズ』を賞賛する広告を出した。
『スター・ウォーズ』はアカデミー賞の10部門にノミネートし、主要部門以外の6つのカテゴリーで受賞した。これはジョン・ウィリアムズの作曲賞を含み、サウンドデザイナーの巨匠ベン・バートにも映画の中で「エイリアン、不思議な生物、ロボットの声を創作したこと」で、特別業績賞が与えられた。しかしながら、作品賞、監督賞、脚本賞は全て、ウディ・アレン監督の映画『アニー・ホール』が受賞した。
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