今回は、真性引き篭もりhankakueisuuさんのブログ『真性引き篭もり』から転載させていただきました。
■宮本茂に忘れられた僕等は今すぐ、宮本茂を忘れよう。「1997」のファイナルファンタジーと、ダブルミリオンの黒歴史。
宮本茂の発言をまともに取り合う、という行為自体が間違いである。まともに取り合うべきではないし、そもそも読むべきではない。発言者としての宮本茂は全く読むに値しない人物である。それを理由に宮本茂を叩くというのも間違いだ。宮本茂が読むに値しない発言を繰り返すのは、本人の責任ではない。あれは立場上の不幸だ。
宮本茂は不可侵の存在であり、アンタッチャブルな存在だ。何を言っても絶対に非難されない。もちろん、一部の好事家は真面目に揚げ足取りをするだろう。けれども宮本が出てきた時点でメディアは菊タブーよろしくひれ伏すし、信者はそれを崇め奉る。
任天堂は宮本茂の神性を宣伝広告に利用している。現代の任天堂がインターネットで行える最も効率的な宣伝こそが、宮本の露出なのだ。故に、任天堂は新作のゲームを発売する度に宮本を下界に送り出す。アンタッチャブルな宮本様は4gamerのような「下衆な媒体」にまで降臨なされ、有り難いお言葉をうがうがと放つ。聞くに値しないそんな言葉を下衆な媒体の糞メディアどもは検証無しに「ありがたやー」とご静聴して世に放つ。信者は崇めるしアンチは叩く。一般人は皆ひれ伏す。宮本が出現する度に散々繰り返された光景である。
しかし、これは宮本の責任ではない。宮本茂を広告塔に用いる会社の責任である。宮本は悪くない。宮本がどんなおかしな事を言おうと、どんなおかしな考えを持っていようと、宮本は一切悪くない。ゲームを作る人間の評価は、作ったゲームによって成されるべきだ。宮本茂が関わったゲームが面白いか、面白くないか、素晴しいか、素晴しくないか、という点のみが評価されるべきで、宮本茂の発言は全て無視されるべきだ。何故ならば、宮本茂の発言は宮本茂によって生み出されたものではなく、「神性を帯びた不可侵の広告塔」という社内での立場によって生み出されたものだからである。
宮本茂はいくつかの巨大な業績を残した果てに、本人が本来の能力を発揮する事の出来ない、適正を持たないポジションにまで上り詰めてしまった。これは出世の不幸であり、地位の不幸だ。そして歩く宣伝媒体という職業が生み出した不幸だ。故にこれまでそうであったようにこれからも、宮本茂の発言は一切顧みられるべきではない。もちろん、今現在も、なのだけれど。
宮本氏:僕はアクションゲームをもう30年も作ってきたんですが、日本はアクションゲームの人気がだんだんと落ちていった国で、アメリカは育ち続けた国だと、大きく分けて考えているんですね。
アクションゲームって、その難しさを超えられない人にとって触りたくないものになっていくという問題点が、どうしてもつきまとうんです。そしてそれが、ゲーム全般に対する「難しいからイヤ」という拒否反応につながってしまっているところがある。
アメリカの場合は、チャレンジしてくれる人が多いので、最初のハードルを乗り越えて面白味を見付けてくれる人達が大勢いるんですが。
これを目にした時に、そのあまりの酷さに危うくブログを投稿しそうになった。けれども宮本茂は宮本茂なので、その発言を取り上げるのは完全に間違いだし、どうせもっと適切な他の誰かが書くのだろうと筆を折ったのだけれど、少し思うところがあったので書き残しておく。
宮本の主張は次の通り。
「私はアクションゲームを30年作ってきた」
「日本はアクションゲームの人気が落ちて行った国」
「アメリカはアクションゲームの人気が育ち続けた国」
「アメリカはチャレンジしてくれる人が多いので、ハードルを乗り越えて面白みを見付けてくれる人が大勢居るが、日本には大勢居ない。」
「私はアクションゲームを30年作ってきた」
これはマリオブラザーズの事だろう。
では、そのマリオブラザーズがどのくらい売れたかというと、まあ、それなりに売れた。それなりに売れたが、麻雀よりも売れなかった。それなりに売れたが、ゴルフよりも売れなかった。テニスよりも売れなかった。ベースボールよりも売れなかった。バレーボールよりも売れなかった。そんなもんなんですよ。アクションゲームなんてその程度のもの。アクションゲームなんてジャンルは、そうそう売れるジャンルではない。人民はアクションゲームなんてものを求めていない。
「だんだん落ちて行った」なんて事実はなく、元から売れてない。アクションゲームは最初から売れてない。四人麻雀や、F1レース程度にしか売れてない。アクションゲームなんてものは、元来その程度のジャンルだったんです。
アクションゲームには先行の利があった。ファミコンの時点でアクションゲームには歴史が有り、他のジャンルよりもゲームデザインの面で有利だった。また、ハードの性能が低く、他のジャンルで優れたゲームを作る事は難しかった。さらにサードパーティも不在だった。
スーパーマリオブラザーズというゲームは、そんな時代に登場したゲームなのです。これは売れました。確かに売れました。無茶苦茶売れました。傑出したソフトだったので、きちんと売れました。
けれども、スーパーマリオブラザーズには日本もアメリカも関係ありません。日本でも売れたしアメリカでも売れた。スーパーマリオは世界で売れた。問題はその後です。スーマリには続編が存在します。それがスーパーマリオブラザーズ2です。
日本では250万本という凄まじい売り上げを記録したスーパーマリオブラザーズ2は、宮本の言う「チャレンジしてくれる人が多い国」でどれだけ売れたでしょうか?宮本茂が「アクションゲームの人気が育ち続けた国」と言ったアメリカでどれだけ売れたでしょうか?
日本人はハードルを乗り越えてくれない。アメリカ人はハードルを乗り越えて面白みを見付けてくれる。宮本様の有り難いお言葉です。アメリカでスーマリ2がどれだけ売れたか。0本です。0本です。1本も売れていません。なぜならば、そもそもスーマリ2はアメリカで発売されなかったからです。
スーマリ2がアメリカで発売されなかった理由。
それは、「難しいから」です。
一体アメリカのどこがハードルを乗り越えてくれる国なんでしょうか。
皆様ご存じの通り、国外では夢工場ドキドキパニックが、マリオのキャラクターに差し替えられて「スーパーマリオブラザーズ2」という名前で売られました。日本という国は世界で唯一「宮本茂がアホみたいに上げたハードルの糞ゲー」を真面目に購入した国なんです。それも、ディスクシステムというハードウェアごと購入して遊んだ国なんです。250万本も買った国なんです。宮本茂が作った馬鹿げた難易度の糞ゲーに大金を支払い、プレイして裏切られ頭を抱えた国なんです。
宮本茂は前述の発言において、自らが真面目に作った糞難易度の糞ゲーを真面目に購入した人達を罵倒したのです。しかも、ただ罵倒しただけではない。実在しない「ハードルを乗り越えるアメリカ人」を捏造してまで、自社製品のユーザーを罵ったのです。こんなもん、弁護の余地は一切無いです。まあ、宮本茂はいつもこの調子なので、真面目に取り合うのが間違いだと言われればそれまでなのですが。
「ユーザーに責任転嫁して自社製品のユーザーを罵倒」
「"アメリカは~"、"海外は~"と架空の外国を脳内で制作」
「さらに歴史を捏造しての自己正当化」
テンプレートofテンプレート。しかも、なんの為にそんな事をしているかというと、ピクミンの宣伝。自社製品の宣伝の為に自社ユーザーを罵るという、いつかどこかで見たパターン。もうこういうのにはうんざりです。それもこれも、発言者としての適正を全く持たないアンタッチャブルな人物が広告塔をやらされているという、不幸が全て悪いと言えば悪いのであって、宮本茂個人の責任ではありません。宮本茂は小島秀夫やピーター・モリニューのパターンとは違うのです。ですが、だからと言って。
視点を現代のアメリカにうつすと、確かに今のアメリカはアクションゲームが売れているという雰囲気があります。宮本茂の「アメリカはアクションゲームが育ち続けた国」という発言を鵜呑みにして、今アメリカで売れているゲームの元を辿れば、どうしても、”1997”に辿り着いてしまいます。よく言われる通り、過度な1997史観は非常に危険なものです。「無理矢理1997にこじつけてるだけ」という批判は時として正当性を帯びます。それでも、1997がビデオゲームの歴史の中で最も重要な季節の一つであった事は、動かしようのない事実です。
「1997」は和ゲーと洋ゲーの立場が入れ替わるターニングyearとして知られています。また、現在の洋ゲーに繋がる直系の祖先が出尽くし、尚かつ完成した年としても知られています。ウルティマオンライン、The elder scroll 2、Grand Theft Auto、ディアブロ、スタークラフトといったゲームが発売されました。また、「doom以後のFPS」もid、epic、valveの3社により、この時期に出揃っています。
1997については語り尽くされた感がありますし、決して当時の事情に詳しい人間ではないので、今更僕に書ける事はあまりないのですが、「スタークラフト→ウォークラフト3→dota→dota allstars→LoL」という現代への流れもまた、1997に続く道の1つだと言えるでしょう。
さて、問題は日本です。
1997の日本です。
1997という季節に日本では、何が起こったのでしょうか。
日本の1997を象徴するゲームは、ファイナルファンタジー7です。FF7こそが、日本の1997です。FF7を境にして、任天堂が日本のゲームを支配した時代は完全に終了し、プレイステーションの時代が訪れます。けれども、1997というターニングyearに日本で一番売れたゲームはFF7ではありません。
1997に日本で一番売れたゲーム。
それがポケットモンスターです。
ポケットモンスターは1997に売れただけではありません。それから15年もの間、売れに売れました。売れ続けました。ポケットモンスターこそが、我が国の歴史上、最も売れたゲームです。ドラクエも、FFも、ポケモンには遠く及びません。それどころか、15年も先行していたマリオですらもポケモンには敵いません。1997というターニングyearにFF7を打ち負かしたポケモンこそが、我が国のゲーム市場を支配し続けているのです。
このポケモンというゲームを作ったのが、ご存じ田尻智です。
田尻智は「ゲームライターがハリウッドの頂点に立った」という文脈で語られる事が多い人物ですが、他にも見過ごしてはならない重要な事実が存在します。それは、田尻智という人はアクションゲームを作っていた、という事実です。
田尻智はクインティというアクションゲームを作っています。しかもこのクインティ、無茶苦茶ハードルの低いゲームです。宮本茂のスーマリ2などとは比べようもありません。もちろん、スーマリやスーマリ3よりも遙かに簡単なアクションゲームです。クインティというアクションゲームは、チャンレンジでもハードルでもなく、エンジョイでありFUNなのです。そんなユーザーフレンドリーなアクションゲームを作っていた人物が、次に世に送り出したゲームこそがポケットモンスターなのです。
ポケモンって何?
そうなんです。
結局のところ、私達はポケモンを決してぞんざいには扱えないのです。
我が国の1997において最も重要な出来事は、FF7が売れた事でも、ポケモンが売れた事でもありません。FF7よりもポケモンの方が売れたという事実であり、FF7という旧体制の象徴的なゲームソフトを、ポケモンという新機軸が打ち破ったという事実なのです。
ファイナルファンタジー7は、それまでの我が国のゲームの歴史を全て集約し、さらに発展させたゲームでした。「RPGが売れる国」であった我が国の歴史そのものでした。さらにそこに次世代機による華麗なグラフィックと壮大な音楽が加わった、我が国のゲームの未来だったのです。
そのFF7が、僅か5センチメートルの液晶しか持たない、稚拙なグラフィックのモノクロゲームに敗れてしまったのです。我が国の未来になるはずだったビデオゲームは、ポケモンという名の得体の知れない怪物に敗れてしまったのです。ポケモンの登場により、我が国のゲームの歴史は半ばほぼ全てが過去となってしまったのです。
なぜ完全武装のファイナルファンタジー7は敗れたのでしょうか。
なぜ、カラーですらない次元の低いポケモンが勝利したのでしょうか。
ポケットモンスターは、ネットワークゲームです。
「1997」のウルティマオンラインがネットワークゲームであったように、
「1997」のスタークラフトがネットワークゲームであったように、
「1997」のディアブロがネットワークゲームであったように、
「1997」のFPSがネットワークゲームであったように、
「1997」のポケモンもまた、ネットワークゲームだったのです。
RPGの歴史の集大成であり、RPGの到達点であったFF7は、貧弱な音楽と稚拙なグラフィック、さらにはちっぽけな白黒の画面しか持たない、我が国初の成功したネットワークゲームに敗れたのです。
現在のアメリカを支配するのは、「グラフィック」と「ネットワークゲーム」が共存するFPSやTPSです。けれども我が国ではグラフィックとネットワークが共存するゲームは、良いポジションに位置していません。我が国のゲームは「グラフィック」という要素と「ネットワークゲーム」という要素が、FF7とポケモンの1997をきっかけに行き違い、そして行き別れてしまったのです。
アクションゲームはかつて我が国のゲーム市場に君臨していました。けれどもそれは、麻雀やバレーボールがミリオン売れた、RPGもアクションアドベンチャーも存在しない時代の出来事でした。鳥無き島の徒花でしかなかったのです。
同様にRPGというジャンルもまた、ネットワークゲームや3Dアドベンチャーが存在しなかった時代の蝙蝠でしかありませんでした。ハードウェアの性能に縛られながら、ポケモンもバイオも居ない島の小さな空を羽ばたいていたに過ぎなかったのです。
そして遂にハードウェアの性能という制約が取り払われ、プレイステーションという大空に向けて、RPGが遂に羽ばたいたその日には、ネットワークゲームという新しい概念のモンスターがそこに立ちはだかったのです。
ポケモンは我が国の歴史上最も成功したビデオゲームであるだけではなく、最も成功したネットワークゲームです。ハードルの高いアクションゲームはどの国でも売れない。それどころか、ハードルの低いアクションゲームすらも売れない。アクションゲームは売れない。では何が売れるか。アクション以外のゲームが売れるのです。その最右翼こそが、ネットワークゲームなのです。
ハードルの高いモンハンがアクションゲームなのは事実ですが、モンハンがRPGである事を否定するのは不可能ですし、ネットワークゲームである事実を否定することもまた、不可能です。
宮本茂がアクションゲームを作った30年前という時代は、様々なジャンルのゲームが完成するよりも前の時代でした。それどころか、多くのジャンルは生まれてすらいなかったのです。
そんな時代において、250万本も売れてしまったスーマリ2という理不尽な難易度の黒歴史は、最も悲しむべき、最も悲惨な、決して忘れてはならない過去の大きなあやまちなのです。ゲームメーカーはユーザーを虐げてはいけない。ゲームメーカーはユーザーを馬鹿にしてはいけない。ブランドを、自社のハードウェアを売る為の道具として乱雑に扱ってはいけない。メジャーなゲームであろうとするならば、難易度の袋小路に入り込んでしまってはいけない。その教訓こそがスーパーマリオブラザーズ2なのです。
アクションゲームを作っていた田尻智が他のジャンルのゲームを作った。その事実だけでも、アクションというジャンルがハードの制約によって生み出された隙間産業に過ぎなかったことを如実に証明しています。アクションでは万単位だった人が、ネットワークゲームを100万単位で売ったのです。
ゼルダもリンクも、アクションです。
けれども、ゼルダもリンクもRPGです。
そして、アドベンチャーです。冒険です。
ゼルダやリンクやピクミンがアクションであると主張するならば、スト2や聖剣伝説だってアクションですし、テイルズすらも完全にアクションです。スカイリムはアクションですが、アクションが評価されて売れたのではありません。GTAも同じです。ゲームをジャンルで語る事など、何の意味もありません。ゲームを語ろうとするならば、ゲームを語らねばなりません。ジャンルを語るのは間違いです。
そもそも宮本茂はピクミンをアクションゲームだと主張していますが、宮本茂はこんなゲームを30年も作っていません。アクション要素のあるゲームは生き残っていますが、アクションゲームはマリオ以外売れません。FPSはアメリカで売れていますが、FPSを切り捨てて完全に放棄した任天堂の宮本茂に日本人を罵倒する権利はありません。たとえその権利があったとしても、「アメリカは」「一方日本人は」と捏造した歴史を元に、日本人の自社ユーザーを罵倒する事は許されざる行いです。
それでもジャンルという価値観に基づいて歴史をひもとくならば、アクションはハードウェアの性能が低かった時代であればこそ。RPGというジャンルもまた、ネットワークゲームが存在しない時代だったからこそ、天下を取る事が出来たのです。今でもファイナルファンタジーは売れ続けていますが、ユーザーが買っているのはRPGではなく、ファイナルファンタジーです。
結局のところ、振り出しに戻ってしまうのだけれど、宮本茂の発言を相手にするのは間違いです。宮本茂は小島秀夫のようなパターンとは違い、完全に会社の命令で仕方なく、やむにやまれず職務としてにやにや笑ってやがりますし、任天堂という企業のあまりにも強大な支配力を考えると、宮本茂にきちんと問う事の出来ないインタビュアーの無能さを責める事も間違いです。宮本茂はその存在だけであまりにも強大でアンタッチャブルな権力であり、本人も会社もそれを理解しているが故に、宮本茂に新作ゲームの広告塔をさせているのです。
といった不毛すぎるエントリーを書いてしまったのは、有害まとめサイトとして悪名高いtogetterで必死に晒し上げにしている人を見て吐瀉を覚えたからだったと思う。togetterこそが我が国で最も有害なウェブサイトであるという事実だけが記憶として残る、後味の悪い話でした。
転載元:こちらは真性引き篭もりhankakueisuuさんのブログ『真性引き篭もり』からの転載です。
転載いただいた記事は2013年07月24日時点のものです。
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