デヴィッド・ボウイの死後、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーと、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーが、ボウイとの関係で受けた影響について思いを語った。
2人のコメントは、米ローリング・ストーン誌が近日発売するボウイへのトリビュート号に掲載される。
ボウイと長年の友人だったミック・ジャガーは、音楽を共有し、互いに独創的なアイデアを交換し合うオープンな関係を思い返した。
ジャガーは、「ボウイは私の家にふらっと訪れて、彼の楽曲を演奏してくれた」 「『ジーン・ジニー』の違うミックスのバージョンを演奏してくれて、それがとてもストーンズっぽい仕上がりになっていたのを覚えている。ボウイがアーティストとして発展していくのを見るのが楽しかった。ボウイは私と本当にたくさんの物事を共有してくれたので、私もボウイと何かをシェアすることをいとわなかった。相互協力の関係にあった」と、語った。
ジャガーは、ボウイの1983年のシングル曲『レッツ・ダンス』がリリースされた当時、この楽曲がいかにニューヨークのダンスクラブシーンに強烈な影響を与えたのかを思い返し、大好きな1曲だと強く語った。
「ボウイは、どんなジャンルにも精通するカメレオンのような才能があり、音楽や歌詞の面で常に独特な要素を持っていた」と、ジャガーは述べた。
ジャガーは、『ダンシング・イン・ザ・ストリート』でコラボレーションしたことが、ボウイとのお気に入りの思い出だと明かした。そして、この楽曲のレコーディングとミュージックビデオの撮影の両方をわずか1日でこなしたことを思い返した。
ボウイが健康上の理由でツアーを行わなくなった2004年頃に、2人は交流を持たなくなった。
「長いこと話せていなかった誰かがいなくなるのは本当に寂しい。これをしておけば良かった、あれをしておけば良かった、と思う。だが、そういうものだ。人生では奇妙なことが起こる」と、ジャガーは締めくくった。
ナイン・インチ・ネイルズのボーカル、トレント・レズナーもまた、人生のあらゆる局面で共感を抱いたボウイの晩年のアルバムを1枚づつ挙げながら、レズナーの音楽キャリアにおけるボウイの影響力を思い返した。
2人の関係の一部として、アルコールやドラッグの問題と共に闘ったことがあるレズナーは、「ボウイの音楽は、私自身を理解し、自分が何者であるかを探る大きな手助けとなった。何が可能で、エンターテイナーがなすべき役割は何か、そしてそこにルールはないのだ、という多大なインスピレーションをボウイは与えてくれた」と、語った。
レズナーは、ボウイが与えてくれた影響は、アルコールやドラッグ依存に打ち勝つ闘いでの手助けとなった、と語った。
「私たち2人は幾度となく孤独を感じる時があり、そんな時にボウイは小言を言うけど口やかましくはなく、“分かるだろう、もっとよりよい道がある。だから、絶望に陥ったり、死んだり、底辺の状態で人生を終える必要はない”、というような忘れることのない知恵の塊を授けてくれた」と、レズナーは述べた。
2人でともに行うジョイント・ツアーの提案をボウイがレズナーに持ち掛けた際、レズナーは、彼のアイドルであるボウイと直に接し、より親しくなった。
レズナーは、「わあ、自分は、どこかで読んだ恐れ知らずを直に目撃している」 「“最も重要な影響を受けたミュージシャンのボウイが隣でステージに立っていて、私がベッドルームで書いた楽曲を歌っている”、と我を忘れて考えていた」と、『アウトサイダーズ』ツアーの初期のリハーサルを振り返った。
レズナーは、「指導者であり父親のような、常に自分を気にかけてくれる人物を失ったような気分だ。バーが安っぽくなり続け、愚かさが充満したこの世界で、ボウイは、優雅で卓越した妥協のないビジョンがあると気付かせてくれる」と、締めくくった。
ボウイは、18か月にわたる癌との闘病の末、1月10日(現地時間)にこの世を去った。ボウイの死後から数週間、ボウイの音楽を求める声は劇的に高まっている。ボウイが亡くなった翌日、忠実なファンによって、ボウイのミュージックビデオが5100万回以上も再生され、グループ以外のアーティストとしては、音楽ビデオ専門サイトVEVO(ヴィーヴォ)のデイリー再生回数の記録を更新した。最新アルバム『ブラックスター』は、ボウイの死後、衝撃的な1055%という売り上げ増を記録した。
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