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作曲家マイケル・ジアッキノは、米ウォルト・ディズニー傘下のピクサー・アニメーション・スタジオによるアニメ映画『インサイド・ヘッド』を含め、2015年に4本の映画で映画音楽を手掛けた。ジアッキノは本紙ヴァラエティに、若い時に感化された創造力ついて語った。

この話題は、2015年12月15日の本紙ヴァラエティに最初に掲載されている。

どこで育ちましたか?

ニュージャージーです。公立学校の教師だった両親に、3人の兄弟と育てられました。

子どもの頃は何になりたかったですか?

1977年の夏、私が9歳だった時に映画『スター・ウォーズ』を観て、「これが私のやりたいことだ」と思いました。「これ」が何を意味するのか分からなかったけれど、スクリーン上にあったものであれば、何でもいいからその一部になりたかった。それから、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』、『E.T.』、『トロン』、『ポルターガイスト』やその他たくさんの映画を観て育ちました。その後、ポケットサイズのカセットレコードを映画館に持ち込み始め、録音して、何度も何度も聞いていました。この時はそう思わなかったけれど、今思い返せばこのテープのおかげで、サウンド、音楽、会話がどのように連携して動くのかを知ることになりました。映像なしでどう動くのかを知ることが出来ました。これこそが、私が最初に映画音楽とサウンドについて学んだ事でした。

どんな音楽を聴いていましたか?

『スター・ウォーズ』を観る前は、ジョン・フィリップ・スーザ、ルイ・プリマ、ベニー・グッドマンやクラシックの音楽が好きでした。私の父が持っていたアルバムで、アナログ盤のレコードでした。父は、ドイツで買ったヘンリー・マンシーニの『ピーター・ガン』のサウンドトラックを持っていました。私が「この音は何?」と父に聞くと、父は「これはサクソフォーンだよ」 「これはサミー・ブテーラだよ、聞いてごらん」と答えてくれました。父は、私に音楽への愛情を伝えました。叔父は電気店を営んでいて、レコード会社RCAがデモレコードを送っていました。そのうちのひとつが、ピーター・ネロの『ダイナグルーブ』のレコードでした。ピーターはとても素晴らしいジャズピアニストで、彼の演奏は派手で力強く、例えば、オーケストラをスコットランド民謡『マイ・ボニー』に一体化させていました。私の兄弟がレッド・ツェッペリンを大音量で流している一方で、私は部屋でピーター・ニーロやジョン・フィリップ・スーザを聴いていました。1970年代の普通の子どもではまったくなかったのです。

学校は好きでしたか?

素晴らしい生徒ではなかったです。午後3時が来るまで、ほとんどを時計を見て過ごしました。そして家に急いで帰り、『ディック・ヴァン・ダイク』や『特捜隊アダム12』を見て、それから映画を作るようになりました。宇宙船の浮かせ方や、ストップモーションムービーや実写映画、精巧な装置の作り方を見出そうとしていました。私の人生は映画製作に捧げていると言えます。その一部は、映画音楽への止むことのない熱意でした。また、操り人形師のジム・ヘンソンと彼の作ったマペットから大きな影響を受けました。タイミングやコメディ、そして音楽について学びました。彼らは、エルトン・ジョンのようなポップ歌手から1920年代の歌まで、あらゆるスタイルの音楽を披露しました。私はいつも何かを学んでいました。

いつ作曲をスタートしたのですか?

高校時代、私はミュージカルをしていました。たくさんの待ち時間があり、その時間はピアノを弾いていました。ピアノのレッスンを受けていたのですが、最も出来の悪い生徒でした。練習が嫌いだったのです。でもピアノで何か作曲させたら、何時間でも作曲し続けることが出来ました。それで作曲を始めました。初めての作曲は、私のお気に入りの本である『スリーピー・ホローの伝説』の一部からでした。その後、ニューヨークの映画学校(スクール・オブ・ビジュアル・アーツ)に進学し、映画において最も重要な要素は最適な音楽を見つけることだ、と認識しました。そして、そのためのクレイジーな過程が始まったのです。

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