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個人ブログにおける、エイプリルフール文化の終焉

2014/04/02 12:11 投稿

コメント:39

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昨日はエイプリルフール。


 誰かに嘘をつきましたか?
 誰かに嘘をつかれましたか?


 子どもの頃は、前日の夜から、「明日はどんな嘘ついてやろうかな、騙されないようにもしなくっちゃなあ」なんてワクワクしていたものですが、昨日、2014年4月1日は、まったく嘘をつきもしなかったし、嘘をつかれもしませんでした。
 いやまあそりゃね、仕事とかだと、「エイプリルフール」に相手がつきあってくれるかどうかなんて、わかりゃしませんしね。あえて、そんなリスクに賭けてみる必要もないわけで。


 大人は「エイプリルフール」は新年度初日で忙しいこともあり、スルーしてしまうのが一般的なのでしょうけど、ネットでは、けっこう「エイプリルフールネタ」が続いているというか、生き残っているというか。
 大手サイトや企業サイトでは、嘘(というかジョーク)の新製品や新しいサービスが公開されたり、嘘ニュースが配信されたりもしていました。
 

 しかし、今年あらためてあれこれ眺めてみると、個人のブログやサイトで「エイプリルフールだから」ということで、嘘をつくところって、ほとんどなくなりましたよね。
 以前は「閉鎖します」「結婚します」などの「定番エイプリルフールエントリ」がたくさんみられたのに。
 で、みている側は「あーまたこれか……」と飽き飽きしつつも、「閉鎖しないでください!」とかいうリアクションを「ファンの証」として贈るわけです。
 書いている側も、そのお約束のやりとりで、自分が必要とされていることを再確認し、満足する。
 

 こういう、4月1日における「ブログを書いている人と、読んでいる人とのお約束」あるいは「飲み会での部長の十八番へのリクエスト的」なエイプリルフールのやりとりが失われたことは、ある意味、ネットと一般社会とのフラット化の象徴でもあるのかな、と思うんですよ。
 一般社会、とくに大人の社会では「エイプリルフール」というのが「嘘だとわかりきっている嘘に付き合うのは面倒だし、嘘かどうかわからないような嘘をつかれるのは迷惑」という暗黙の了解のもとに「無視」されてきました。
 その一方で、ネットには、小学校の教室のような「馴れ合い文化」が、最近まで残っていたのです。
 それが、次第に廃れ、「ネットだからって、エイプリルフールみたいなめんどくさい習慣にオレを付き合わせるな」という空気が、個人ブログにもできあがってしまった。
 企業サイトなどでの「お金と手間をかけたジョーク」なら、まあ観てやってもいいけれど(リアクションしなくてもいいし)、お前の人気投票みたいな嘘エントリなんか知るか!と、多くの人が考えるようになってきました。
 だいたい、「最初から嘘だとわかっている嘘」ほど、面白くないものはないしね。


 昔の、ネットを使う人が少数派だった時代には「ネットをやっている人」「このサイトをみている人」の間に「共犯者意識」みたいなものがあったんですよ。
 ここにいるだけで「仲間」だと感じている人が多かった。
 でも、いまは違う。

 
 それは昔からのネットユーザーである僕にとっては「寂しいこと」ではあります。
 ただ、それと同時に、いちいち書いてあることの真贋を考えなくてもいい日が失わて「ラクになった」のも事実です。
 だいたいさ、なんで4月1日なんて、新年度初日のあわただしい日に、こんなことをやるようになったのか、疑問でもありますし。


コメント

アカギ
No.37 (2014/04/04 00:15)
STAPとかベートーベンで、今年は嘘に対してネガティブだからな。笑えない
ABC
No.38 (2014/04/04 00:52)
横山緑は一年中ウソついてるよ。しかも「ウソついてませーん」ってさらにウソを付く、ニコ生一の嘘つきだから
piza
No.39 (2014/09/18 11:14)
エイプリルなんとかとかそんな日本の文化がありましたかな?
某国にこんな謂れがありましてならよいが、なんでもかんでも真似するのが良いこととは思いません
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