「そりゃあ、たしかに(コント)55号とドリフ(ターズ)じゃあ、今は、月とスッポンかも知れない。だけどスッポンが月に勝てないと決まってるわけじゃない」
この言葉が土曜夜8時に長きにわたって繰り広げられた「土8戦争」の始まりを告げるものだった。『8時だョ!全員集合』の名プロデューサー・居作昌果が、ドリフターズ本人たちを目の前に言い放った台詞だ。いわゆる「月とスッポン事件」である。


『コント55号の世界は笑う!』が全盛を極めていた1969年の6月頃、『お笑い頭の体操』を途中から引き継ぎ立てなおしてヒットさせていた居作の元に、「土8」に視聴率を取れる番組を企画して欲しいという社命が下った。元々、TBSの「土8」枠は、『逃亡者』や『宇宙家族ロビンソン』などの海外ドラマを放送し人気を博してきた枠だった。しかし、視聴者から海外ドラマが飽きられると、国内ドラマを制作。思うように視聴率は伸びず低迷していた。そんな折、68年から始まったフジテレビの『コント55号の世界は笑う!』は革新的な笑いで大きな人気を呼んでいた。

居作はコント55号に対抗できるのは、ザ・ドリフターズをおいて他にいないと確信していた。
55号が得意とするのは、アドリブとハプニング的要素の強い笑い。対するドリフターズは、リーダーのいかりや長介を筆頭にアドリブは大の苦手分野だった。代わりに、じっくりとギャグを考え、作りこんでいく笑いを得意としていた。同じ笑いでは勝てない。だったら違う種類の笑いをやるしかない。ならば、アドリブ・ハプニングの笑いとは対局にあるドリフターズは適任だったのだ。

だが、いかりや長介をはじめ、ドリフのメンバーは、この居作が持ち込んだ新番組の企画に難色を示した。「今のコント55号は日の出の勢い。その裏でいくら俺たちが頑張っても、勝ち目はないんじゃないの。たいして視聴率も取れずに、結局、一番割りを食うのはドリフターズじゃないのかな」そんないかりやの言葉は確かに正論だった。視聴率が低ければ表舞台に立つドリフターズの責任になってしまう。だから勝ち目のないところでやるのはリスクが高過ぎる、と。

だが、居作はそんな後ろ向きな言葉に苛立った。そこで思わず出てしまったのが「月とスッポン」発言だ。確かに当時のコント55号を「月」に喩えるのは正しい。けれど、ドリフは「スッポン」と言われるほど落ちぶれていたわけではない。むしろお笑いグループとしてはすでにいくつかの番組を抱えた日本を代表するタレントの一組だった。そんなタレントを前にする発言としてはあまりに失礼な言葉だった。

しかし、逆にこの事件が、ザ・ドリフターズのプライドを刺激し、「土8戦争」勃発の大きな一因となったのだ。

(参考文献)『8時だョ!全員集合伝説』居作昌果:著/『だめだこりゃ』いかりや長介:著

■リンク
『8時だョ!全員集合』(TBSオンデマンド)
tod.tbs.co.jp/zeninshugou/

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