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シンガーソングライター瀧川ありさのハロプロ愛が異常!「ハロー!」に救われた5つの時代

2015/07/27 12:30 投稿

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Filed under: カルチャー, 音楽, かわいい, 連載

音楽業界注目の新人シンガーソングライター、瀧川ありさ。今年3月にリリースされたデビューシングル『Season』が、いきなり人気テレビアニメ『七つの大罪』のエンディングテーマに抜擢されたことからも、その注目ぶりが伺われる。

そんな彼女がセカンドシングル『夏の花』のリリースを記念して、7月24日にあるイベントに出演した。ハロー!ショップ秋葉原店で行われたトークショー『ハロショ・デラックス第七回 2ndシングル「夏の花」発売記念スペシャル 瀧川ありさ「たどり着いた女戦士 〜ありささんいらっしゃい!〜」である。



実はかねてから各所でハロー!プロジェクトへの愛を語っていた瀧川ありさ。その情報をキャッチした関係者が声をかけて開催されることになったこのイベントには、およそ200名のファンが集結した。だがハロー!プロジェクトのファンにはうるさ方も多い。「どうせニワカだろ?」「ビジネスハロヲタなんじゃないの?」といぶかしむ向きもあったが、彼女のハロー!への気持ちの熱さと語られる歴史のマニアックさは、集まったファンが思わず「お、おぅ......」と口ごもるほど。恐ろしい濃度を持つハロヲタが、また一人、世に出てしまった。

というわけで本日は、このイベントで語られた瀧川ありさによる尋常ではないハロー!プロジェクトへの愛を、5つの時代に分けて紹介したい。ハロー!プロジェクトによって人生を運命づけられた彼女の魅力の一端が伝われば幸いである。


【1997年〜 モーヲタ小学生時代】

1991年5月生まれの瀧川ありさ。『ASAYAN』で行われたロックボーカリストオーディションの落選組がなぜかアイドルグループ・モーニング娘。を結成するという予想のできない展開に衝撃を受ける。このとき瀧川ありさ、6歳である。1999年に後藤真希が加入するとともに推しが決定。なおイベントではヲタとしての年表が紹介されたのだが、後藤真希のことを「ごっちん」ではなく「ごっつぁん」と表記する辺り、こじらせっぷりが滲み出ている。

2000年にはモーニング娘。のトレカを学校一集めるほどになり、発売されたものはほぼ全てコンプリート、放課後にはハロー!プロジェクトのオフィシャルショップに通い詰めるなど、スクスクとモーヲタの道を歩むことに。2001年には初現場も経験し、以降はツアーごとに現場参戦。モーニング娘。の映像をビデオがすり切れるほど繰り返し再生する日々を送っていた。


【2002年〜 キッズ忠誠時代】

2002年、瀧川ありさの人生を決定づける出来事が起きる。この年の3月から開催されたハロー!プロジェクト・キッズオーディション。後のBerryz工房や℃-uteを世に産み出すオーディションであった。年齢的には受験資格があった瀧川ありさ(※矢島舞美や嗣永桃子と同学年にあたる)だったが、校則で芸能活動が禁じられていたということもあり、受験を断念する。

キッズオーディションの合格発表が行われた『ハロー!モーニング。』は正座で視聴し号泣。このとき、合格した同年代の彼女たちを見て「神に選ばれし人々」として生涯忠誠を誓う。そして同時にこのとき、モーニング娘。に入りたい、あるいはアイドルになりたいという夢を捨て、ファンとしての道を生きることが決定づけられるのだった。


【2004年〜 ハワイ旅行時代】

2003年にはハロー!プロジェクトキッズたちがメンバーに加わったユニット、ZYXやあぁ!が結成。キッズヲタとして目頭を熱くする。松浦亜弥が当時出演していたテレビコマーシャルのシャンプーを普段使うなど、ハロー!プロジェクトに対する気持ちは日に日に増していった。

そんな瀧川ありさが2004年に起こしたのが、ハワイ旅行事件だ。家族旅行でハワイに行くことを強要するという、この年代の女の子にとっては普通のエピソードに聞こえるが、その理由が「ハワイにあるハロー!プロジェクトのオフィシャルショップに行きたいから」というのが度を越している。海を超えた遠征。まさしくヲタの鑑だと言えるだろう。


【2007年〜 深夜にクリック時代】

2005年には自身がロックにのめり込んだ時期というのもあり、在宅化する。だがそれでもハロー!プロジェクトへの愛は一切変わることがなく、℃-uteの『まっさらブルージーンズ』のPVを観て衝撃を受けるなど、在宅ヲタ活動には余念がなかった。

当時ハロー!プロジェクトは動画サイト「Dohhh UP!」で映像を配信していた(※2006年11月にサービス開始)のだが、毎日24時になると更新ボタンを連打連打。誰よりも早くPVを観たかったというのがその理由なのだが、何月何日に映像が更新されるという情報は発表されていなかったため、その日に公開されるかどうかは分からない。それでも可能性に懸けて毎日クリックしていたのだ。ほぼ奇行と言えなくもないが、気持ちは分かる。理屈ではなく、やらなければいけないときが、人には確かにあるのだ。


【1991年〜 ハロー!プロジェクトが我が人生時代】

以上のように瀧川ありさの古参っぷり、気持ちの熱さ、知識や情報の多さは生半可なヲタのそれではない。だがそれよりも重要な点は、彼女自身が自らの人生をハロー!プロジェクトと重ね合わせているというところにある。

生きていれば、順風満帆というわけではない。高校生のころから本格的にバンド活動を始めた瀧川ありさだったが、そのまま評価されてメジャーデビュー、という道を歩むことは出来なかった。だがそれでも、ハロー!プロジェクトは、ハロー!プロジェクトだけは、いつも彼女のそばにいた。

2010年、音楽活動に迷走し、人生に挫折しかけていた彼女に一片の希望を与えてくれたのは℃-uteの『Danceでバコーン!』だった。バンドのメンバーが脱退して悲しみにくれている同じ時期、前田憂佳を見送ったスマイレージの和田彩花は逃げずに戦っていた。瀧川ありさはイベントでこう語っている。

「本当にハロー!のおかげですよ! (ハロー!がなかったら)本当に死んでたんで!」

自身が振り返って「沼の時期」と語る2012年も、道重さゆみ率いるモーニング娘。の快進撃に救われた。ハロー!プロジェクトが再び盛り上がりを見せる。それは瀧川ありさの背中を押した。そして2014年に行われたBerryz工房と℃-uteによる日本武道館公演。"ベリキュー"の12人が歌う『がんばっちゃえ!』が、彼女の「沼」をぶち壊した。「私の沼はバカだった。この子たちは毎日こんなに頑張ってきたのに」と瀧川ありさは気付かされる。あの日、「神に選ばれし人々」であるハロー!プロジェクトキッズに忠誠を誓ってから、12年が経っていた。

瀧川ありさがファーストシングル『Season』でデビューしたのは2015年3月4日。Berryz工房が無期限活動停止に入った、その翌日のことだ。本人曰く「Crazy 完全な入れ違い」だが、彼女はそのことを、Berryz工房からバトンを受け取った、と勝手に解釈する。そんなこと誰も言っていないのに。

だが何かを本当に好きであるということ、何かに本当に憧れるというのは、きっとそういうことだろう。そこには意味がある。勝手に自分が見つけたものだとしても。そしてその意味を自分の人生にどう活かすかは、自分次第だ。ハロー!プロジェクトから貰った数多くの素敵なものを、自分の人生でしっかりと返していくというのが瀧川ありさの選んだ道であり、それこそがハロヲタという生き方である。

瀧川ありさという超怪物級のハロヲタが世に出現したということを驚きとともに祝福しつつ、今後の彼女の活動から目が離せない。


<結論>
瀧川ありさのセカンドシングル『夏の花』は好評発売中です。

瀧川ありさ 『夏の花』Music Video(Short Ver.)
https://youtu.be/t9l0vNAAYL8


文・相沢直

■参照リンク
瀧川ありさ 公式サイト
http://www.takigawaalisa.com/

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