グルーチョ・マルクスがいなければ、ウディ・アレンは存在していなかっただろう。マルクス兄弟の1人、グルーチョはニューヨークにおいてユダヤ人のユーモアを確立させた人物であり、第2次世界大戦後にはアメリカのコメディーを特徴づけた人物の1人だ。そしてその遺産は60年代に入るとウディ・アレンに受け継がれた。アレンは作品の中でマルクス兄弟の影響を時に明確に、そして時にそれとなく表現しており、自身のヒット映画『アニー・ホール』では冒頭のモノローグでグルーチョの名前を出している。
2人は1961年から友人関係にあったが、グルーチョがウディの出した手紙を返信し忘れたことから、不仲になった時期があったようだ。そして1967年にウディがグルーチョに対し、コミュニケーション不足によって傷ついたと書いた手紙を送ると、グルーチョは以下のようなユーモアに溢れた謝罪の手紙を送っている。
「1967年3月22日
ウディへ
君が何年か前に出してくれた手紙に対し私が返信し忘れていたことで、君が落胆している、むかついている、幸せな気分になっている、または飲みつぶれているらしいという話を聞いた。一応言っておくが、君も知っての通り、スイス銀行かマフィアからの手紙以外、手紙に現金は入っていないからね。君はセックスを含めて色々と忙しい日々を送っているだろうから、いつ返信をしてくれるのかわからない。だから渋々書かせてもらうよ。
私は4月の第1週、または第2週にニューヨークへ戻る予定だが、君の演劇はまだ上映されていることだろうね。君の作品は面白すぎるからそこまで長くは上演されないだろうと言っていた批評家たちにとっては、今も上演されているのだからさぞかし気分の悪い話だろう。私の息子がボブ・フィッシャーと一緒に作った演劇でもこういうことがあったよ。要するに、観客を笑わせるようなコメディーは作るなということだ。
(一部抜粋)」
この手紙はさまざまなことについて書かれているが、最後はお互い時間があるときにマンハッタンで会おうと締めくくられている。
この手紙の後、2人の友情は元に戻ったようで、ウディは1977年にグルーチョが亡くなった際、『TIME』誌の死亡記事が短いと同誌に怒りをぶつけている。
グルーチョからウディへの手紙(全文)はコチラからどうぞ(英語)。
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