「お前達は何に怯えている? お前達は『世間から白い目で見られたくない』そういうふうに怯えているのか? だから『そうなる原因になるかもしれないアイツを排除する』。そういうことなんだな?」
『明日、ママがいない』(日本テレビ)の第6話で、三上博史演じる「魔王」と呼ばれる施設長は、暴力事件を起こした仲間を追い出そうと主張する子どもたちに向かってそう語り始めた。『明日、ママがいない』はその内容にクレームがつき、スポンサーがCMの放送を取りやめる事態に発展。局側は抗議に対し内容の一部変更を約束するという騒動があった。
この脚本がいつの時点で書かれたかは不明だが、約7分にわたる「魔王」の長い"演説"はそんな状況に対する回答のようなものだった。
「臭い物に蓋をして『自分とは関係ない』。それで終わらせるつもりか?」
枕を持ってくるように指示した「魔王」はその枕を胸に抱くように子どもたちに言う。
「大人なら分かる。大人の中には価値観が固定され、自分が受け入れられないものを全て否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃して来る者もいる。それは......、胸にクッションを持たないからだ。そんな大人になったらおしまいだぞ。話し合いすらできないモンスターになる」。
そして、「魔王」は子どもたちに向かって「まだ間に合う」と言うのだ。「心に受け止めるクッションを、情緒を持ちなさい」と。
「お前達は可哀想か?」
子どもたちは親に捨てられた子たちである。このドラマへの抗議はそんな子どもたちに対する残酷な演出(あだ名や体罰、暴言)に対しても行われている。
「違うだろ? うんざりだろ? 上から目線で可哀想だなんて思われることに。何が分かるってんだ冗談じゃない。可哀想だと思う奴こそが可哀想なんだ」。
抗議を受け、局側は当初、「最後まで見て欲しい」と反論した。しかしあだ名にしろ、「魔王」の子どもたちに対する暴言なども、最後まで見るまでもなく、第1話の時点から、明らかに分かりやすい逆説だった。それが通じなかったのだ。
「つまらん偽善者になるな。つまらん大人になるな。つまらん人間になるな!」
この"演説"はドラマとしてあまりにもストレートすぎる。ドラマは本来、伝えたいものはフィクションを使って暗喩的に示されるものだ。けれど、このドラマは抗議を受けて内容の変更を約束したようにいわば、"ドラマ"に捨てられた。だから、親に捨てられたポスト(芦田愛菜)が「『捨てられた』んじゃなくて『捨てた』んだ」と言ったようにあえて"ドラマ"を捨てたかのように、むき出しのまま抗議に対し抗議したのかもしれない。
「世界に存在するあらゆる汚れや醜さから目を背けず、一度受け止めてみなさい。それができる人間は一方でこの世界の美しさ愛しさを知ることができるだろう」。
最後に「魔王」は子どもたちに優しく言った。
「お前たちは傷つけられたんじゃない。磨かれたんだ」。
文=てれびのスキマ(http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/)
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