僕は今、映画祭のためにベニスへ向かっているところだ。 ハーモニー・コリンと一緒に制作した『スプリング・ブレイカーズ (Spring Breakers) 』のプレミアがあるんだ。みんなに見てもらうのがとても楽しみだよ。この映画を作る前に、ハーモニーがいつも言っていたことだけど、この映画はブリトニー・スピアーズのビデオとギャスパー・ノエの映画を足したみたい、という表現が一番ぴったりなんだ。
ともかく、ニューヨークはとても楽しかった。君がブロードウェイで見た中で『ニュージーズ (Newsies) 』を気に入っているというのは面白いね。僕たちが見た、いろんな作品の中で一番気に入っているんだろ。僕も楽しんだことは認めるけど、同時にちょっと笑えるね-不況時代の服を着た新聞配達の可愛い少年たちが側転やバック転をやり始めたとき、僕が笑ったのを君は不思議がっていたね。良い意味でとてもブロードウェイ的だったからじゃないかな。誰もが持っているゲイの部分に訴えてくる、と言われているのはそういうことなんだろうね。『One Man, Two Guvnors』も良かったよね。あのジェームズ・コーデンはすごかった。とても魅力的だった。彼が客席からステージに呼び入れた人たちは、本物の観客だったんだ。毎回やるんだよ。観客をステージに上げて冗談を言って、彼らのお尻を叩く。観客の中にドナルド・トランプがいたときは、彼を引き上げてバシバシ叩いたんだ。ステージに引きずり上げられたらどうしようって君が怖がっていたのが可笑しかったな。僕たちは、演者はずっとステージにいて、観客はずっと暗がりにいるだけ、というのが当たり前だと思っているんだね。予想外だったのは、ある人が舞台にサンドイッチを投げたこと。あれには本当にジェームズも面食らってたよね。あれはウソでないリアルな瞬間だった。
『ピーターと星の守護団 (Peter and the Starcatcher) 』も見たよ。純粋なファンタジーだったけど、航海している様子や、シンプルなロープと支柱でボートを表現していたところ、それに音響が素晴らしかった。舞台版の『戦火の馬』のように、舞台装置の生み出す光景がすごかった。『アバター』や『アベンジャーズ』の世代にもきっとウケると思うんだ。みんなDIY的な手作りの美術も見たいんだ。舞台で見るものは決してコンピュータ時代の映画が打ち上げる花火とは比べ物にならない。でも、同じである必要は無いんだ。だってそれが演劇を見る理由ではないからね。そうだろ? 実際、新聞配達の少年たちが飛んだり跳ねたりするのは、スクリーンではばかばかしく見えるかもしれない。だけど舞台で実際に目の前で起こっているのを見れば面白いんだ。
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それから僕は今、ケネディ大統領暗殺に関するウォーレン委員会のレポートを読んでいる。構造とアプローチが魅力的なんだ。暗殺の裏の陰謀に関する本や映画があまりにもたくさんあるがために、題材には馴染みがあって、ほとんどこの話が古典小説であるような気さえする。登場人物は、リー・ハーヴェイ・オズワルド、ジャック・ルビー、ジョン・F・ケネディ、ジャッキー、秘密機関 (シークレットサービス)、ザプルーダーと彼のフィルム。場所は、教科書倉庫、グラシー・ノール (草の丘) 、射撃後の地下通路、病院、オズワルドが捕まった映画館。こういったことが、ディケンズの作品や 『白鯨』、『緋文字』 と同じくらいよく知られている。だけどウォーレン委員会のレポートでは何もかもが新鮮なんだ。調査は、陰謀説が神話のように持ち上がり、容疑者と共謀者のキャスティングが、アメリカと世界全体に拡大する前にさかのぼる。僕がこの本を読み始めたのは、ヴェルナー・ヘルツォーク (最近ではドキュメンタリーの『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』、『グリズリーマン』、『Into the Abyss』などで広く知られるドイツの偉大なニューウェーブの監督) が、年に一度、空港のホテルの会議室で教えている映画制作の強化クラスで学生にそれを読ませていると言っていたからなんだ。どんな犯罪小説にも劣らないほどよくできていて、彼が最初に読んだときは、毎晩家に帰ってこの本を読むのが待ち切れなかったと言っている。僕が彼の映画について思うのは、ウォーレン委員会レポートのように巨大な事件の裏に発生した事実と、ヘルツォーク自身が調査した死やミステリー、人間の葛藤の間に相関関係があるということだ。僕にとっての魅力は、題材に対するアプローチが非常に細やかなステップであることと、扱っている題材がものすごく大きいことのバランスなんだ。
陰謀論は別にして、この暗殺事件の魅力のひとつは、この事件がこれほどまでに社会の全く違った階層同士を組み合わせ、彼らの互いに異なる背景を引き合わせたことだ。このレポートを読むと、それぞれ違った方向で登場人物たちに近づくことができる。オズワルドがいちばん始めに紹介される。だから彼は最初の主人公、または主人公らしからぬ主人公 (反英雄) だ。一方、J.F.K.は地上の神のように扱われている。委員会には、大統領の個人史を調査する気はない (後で他の人々が調査したけれど)。その代わり、一章まるごと大統領が病院に運び込まれてからの医学的処置と、処置に当たった人々の詳細が書かれている。オズワルドの家族歴、家庭教育、学校で起こしたトラブル、精神鑑定、平均を上回る知能、従軍記録、ライフルの腕前、結婚上の問題、彼の奇妙な作り話で、彼しかメンバーがいなかったニューオリンズのキューバ支援グループのこと、教科書倉庫での仕事など、すべて文書化されている。こうした詳細と出来事はどれもフィクションの仕事をするときのものと同じ、登場人物のキャラクターを作り上げるために集められた材料だ。だけど、ここでの大きな違いは、いずれの情報も比喩的に脚色されていないということだ。「事実を述べただけでございます」というスタイルは、語り手の余談を含まず、事実を曲げてもいない。このアプローチだととてもドライな話になりそうだけど、2つの理由でとても面白く読めるようになっているんだ。扱う題材がとても壮大で強烈であること-取るに足らない1人の男が、国の最重要人物を撃ち落とした-そして、行間に読者が想像力を羽ばたかせる隙を残している。もちろんウォーレン委員会がそんなつもりじゃなかったことはわかっているよ。でも、文学的な装飾が無いおかげでミニマルなスタイルになっていて、読者が文学的な色をつけることができるんだ。
ちっぽけな人生が、時代を特徴づけるような事件と結びついたせいで、そしてアプローチのシンプルさのせいで、事実に基づいて詳細に語られるオズワルドの過去が魅力的な話になったのと同じように、大統領の医学的診査の詳細は、伝説の人物であるJ.F.K.の間近にまで読者を連れて行ってくれる。弾丸が彼の体に入った場所と出た場所。車のまわりに飛び散った彼の脳みそ。彼の心拍、そして、いつ死亡宣言がなされたか。僕たちは彼の処置にあたった医師の名前、その医師の専門、その医師が何をしたのかについても知る。一般大衆は演台の後ろか、テレビ画面の向こう側か、いずれにせよ以前は物理的に遠く離れてしか知ることができなかったこの男に、これほど近づけるなんて。それに、これは実際に起こったことだから、詳細はさらに具体的だ。こうした詳細は、謎の物語を裏づけるためにダシール・ハメットやCSIのライターが作り出したものじゃない。僕らの国の歴史上、最も大きくて最も有名な犯罪の1つを構成する部品なんだ。このつながりが、全てを興味深くしているんだ。彼の下着の色だって、こんな大事件につながっていると思えば興味深いさ。
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それから、ついに『タイニー・ファニチャー (Tiny Furniture)』を見た。君のことを思い出したよ。僕たちは一緒に『ガールズ (Girls)』を見ていたからね。『ガールズ (Girls)』の先行エピソードみたいだったけど、それでもとても良かった。僕はレナ・ダンハムの面倒くさい性格と、ロウアーイーストサイドやヴィレッジの雰囲気が大好で、もっと見たいと思ってしまうんだ。それから『Lola Versus』も見た。同じジャンルだと思う。恋愛関係に悩んでいて、頭はいいけど貧乏で、アーティストやライターで、風変わりでセクシーなニューヨークの人々。
(原文:The Search for the Real: Part 3)
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ジェームズ・フランコ
映画俳優、作家
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