6月19日に放送されたNHK大河ドラマ『真田丸』第24話で、天下人・秀吉に攻め滅ぼされる形でアッサリと散っていった関東の雄・北条氏政。名門・後北条氏の4代目当主である氏政は、天下の名城・小田原を拠点としつつも、北条家を滅亡の道へと辿らせてしまった。本作を含め、とかく、名門一族を滅ばせてしまった暗愚な武将として描かれがちな彼だが、その生涯を見ていくと必ずしもそうしたイメージにとどまる人物ではないことが窺い知れる。
本作において氏政を演じているのは、高嶋政伸。戦国の北条家と、現代の芸能界の高嶋家。氏政も高嶋も、ともに"名門"として知られる一族の出身だ。滅亡を迎えた第24話では、氏政は、それまで気性に多少の難こそあれど、どこか気位の高い武人としての振る舞いを見せていた姿から一変、秀吉の大軍が押し迫る中、おもむろに蹴鞠に興じたり、公家のように顔を白塗りにしたり、ちまちまと汁かけ飯をすすったりと、独特な奇行を連発。そんな狂気の武将を高嶋が好演した。これを観た視聴者からは、磐石のものと思えた彼自身のアイデンティティが急速に崩れ落ちていく様が描かれていたと指摘する声もあり、"凡将"としての側面が色濃く描かれているようにも見られる。
しかし、結果として時代の趨勢(すうせい)を見誤り、自家を滅亡させてしまったとはいえ、氏政が周囲の武家の当主と比較して、その器量で劣っていたかと言えば、必ずしもそうであるとは言い難い部分があるのだ。
一介の浪人から大名へとのしあがった初代・早雲、その遺志を次いで北条家の礎を固めた氏綱、そして、関東一円をその支配下に収めるほどに活躍した父・氏康と、実力&カリスマ性ともに申し分のない父祖の後を受けて、永禄2(1559)年に、わずか21歳で家督を継いだ氏政は、隠居した父・氏康の指導を受けつつ、民意を重視しながら領国の運営体制を固め、北条家に抗う諸豪族たちを次々と支配下に収めた。ここに、"華"こそないものの、意外にもその辣腕を奮った当主であったことが見てとれる。
また、氏政は絶妙なバランス感覚を必要とされる諸大名との駆け引きにおいて、父と比べても遜色ない才能を発揮し、駿河の今川家や、甲斐の武田家とも牽制し合い、支配圏の維持につとめることにも成功した。さらに元亀3(1573)年に勃発した三方ヶ原の戦いにおいては織田・徳川連合軍に勝利するという、輝かしい武功もあるほどの人物であった。
そのため、彼が地道に続けた支配体制は、五十路を目前にした天正13(1585)年頃にはほぼ完成を迎え、実に240万石もの広大な領国を持つに至った。これは、秀吉が定めた豊臣家の直轄領の222万石をも越える巨大なものであり、氏政は、関東地方のみならず、天下屈指の大大名としてその名を轟かせるまでになったのである。
おそらく、こうした「我こそが天下人に近い人間である」と思うに至るほどに巨大化した領国と、強大な権力があったからこそ、氏政は、逆に時代を見誤ってしまい、秀吉に滅ぼされてしまったのだという見方もできるが、少しばかり視点を変えれば、そうしたある種の"見誤り"よりも、彼ならではの名門としての誇りや「天下人の座を渡すまじ」といった執念にも似た思いが、仇となってしまったのではないか、と見ることもできるだろう。
名門の跡取りとして生まれ、その看板を背負ったまま戦い、生涯を終える。北条氏政の一生を見ていくと、『真田丸』で描かれている狂気の側面だけではない、「氏政ならではの美学」が見え隠れするように思われてならない。
■参照リンク
『真田丸』公式サイト(NHK)
www.nhk.or.jp/sanadamaru/
『真田丸』Facebook
https://www.facebook.com/nhksanadamaru
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