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【政治】安保法案成立に際する私見

2015/09/19 21:48 投稿

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ちょっと慣れない政治関連の話を…


見出しの通り、今回投下する記事は今まで以上に賛否の分かれるものと思われます。


単なる一市民の一意見として、意見が合わないなぁ、という方は「こんな考え方の人間もいるんだな」程度に受け止めてくれると助かります。






まずは議会に参加した与党議員のみなさん、野党議員のみなさん、そして傍聴者として出席したみなさん、お疲れ様でした。

特に参議院では半ば乱闘と見えるほどに議会がヒートアップした場面がありましたが、一先ず終わることができて何よりです。

怪我をなさった議員の方の一日も早い快復をお祈りし致します。


安保法案の可決が言い渡され、日本は一つの大きな転機を迎えたと思います。
この転機が良いものか悪いものかは、今後の日本の行動によって示されるのでしょう。


この転機が日本にとって良いものであると信じ、そして良いものにしていこうとする者たちは最大限の努力を尽くした。

この転機が悪いものであると確信し、そしてそれを廃案にしようとする者たちも同様に最大限の努力を尽くした。


この転機が良かれ悪しかれ、時の政治家たちが全霊を込めて論争を行った結果である。
少なくともそのことに関しては、誠であると信じております。






もちろん残念なことが無かったわけではありません。


議会において実力行使を行った野党側の行為に対しては、失望すると同時に呆れてしまう部分が多々ありました。

特に「女」というジェンダーを盾にした行為とそれに関する発言は、あまりの矛盾と性差別に怒りを覚えてしまう程でした。



そして一連の流れを切り取り、あたかも与党側の暴力行為の如く放映するテレビ局。

自分は一部タイムシフト機能を使いながら国会の生中継を全て拝見しましたが、テレビ局が放送する安保法案関連のニュースと、その実物との乖離があまりにも大きくて唖然としてしまいました。



国会のルールを無視し、時間超過を行いながら平然とするどころか逆切れまでする民主党議員たちに常識と良識はあるのか。

これは同じ野党である維新の会及び共産党が、キッチリとルールに則り演説を行っていたために余計に目につきました。
同じ反対派の野党として手を取り合って与党と対峙していたのに、この差は一体なんなのか。




「武士の情けがないのか!」「武士の情けをかけろ!」などと大声で叫びながらルールを破る厚顔無恥な輩は、もはやジョークとしか思えません。

「武士の情け」とは、本来、「武士が相手の武士に対してかける最後の情け」です。
具体的に言えば、命を奪うべき相手に対し無用な苦しみを与えない、最後の言葉を相手の家族に伝える、死後の相手を丁寧に弔う、といった行為がそれに当たります。


殺し、殺されることに躊躇は無い。
だがその中においても、自身の名誉にかけて敵対する者の名誉を尊重する。

これは「和」の精神の延長として、名誉に生きる武士が、それを美徳とし貫いてきた故の行為なのです。
つまり「武士の情け」とは「相手の名誉を守る」ことがその本質にあります。


本当に「武士の情け」をかけるのであれば、それ以上相手の無様(この場合はルール違反)を晒させないよう、一息に演説を強制終了させるべきことになってしまいます。

単にルール違反を見逃す行為は「武士の情け」とは到底言うことができません。
何故ならば「ルール違反という不名誉」を見逃しては「相手の名誉を守ることができない」からです。


それを理解せず「武士の情けが無いのか!」などと言う国会での発言は、根本的に「武士の情け」というものをカン違いしているか、都合のよい解釈でそれを盾にしているかとしか思えませんでした。







山本太郎は論外です。

反対派から見ても、恥以外の何ものでもなかったことでしょう。





個人的な総括として、全議員が力を尽くしたのではあろうが、全体的に野党勢力の未成熟が目立ってしまった議会であったと思います。

歴代でもっとも長い審査を経て、その行き着く先が強行妨害となると、もう少しやりようがあったのではないか。



ヒゲの隊長こと佐藤氏も国会で言った通り、本来「国防」という議題においては「左派」も「右派」も無いはずです。

同時に「与党」も「野党」もなく、その方法や方向に違いはあれど、国会が一丸となって取り組むべしという点に関しては疑いようもなく真実です。



しかし反対派野党から出た演説・意見の殆どは、自民党の、とりわけ安倍首相に対する人格的、手法的問題の指摘、及び反対派の意見を無視するなという主張に留まりました。

また法案内容の指摘に関しても、自衛隊の被害拡大の懸念、アメリカ主導の戦争に関する発言ばかりで、肝心の「日本国を護るという点においてこの法案がどう問題であるのか」に対する指摘に乏しいままでした。


己の主張を声高に演説するよりも、国防に際してこの法案がどのような問題を孕んでおり、またそれがどのような結果をもたらすのか、それを掘り下げてほしかった。

結局、全てが既に解説・納得済みの意見を蒸し返し続けるだけにとどまってしまった。


反対派野党がこの法案を廃止させたかったのなら、この納得済の人間の意見を覆すに足る、確たる根拠の元に「国防」という観点から反論を行ってほしかった。




今回の国会は、野党が打倒安倍政権・打倒自民党に固執し、本来の「国を護る」という議題の大前提を軽視した結果として、まるで茶番劇としか言いようのないものになってしまったのではないか。

そう思えてなりません。





今回の反対派の反論意見として目立つ「集団的自衛権は違憲であるのだから、まずは憲法を改憲してからの制定を」というものに関して思ったことを一つ。



これは聞く限りは最も理にかなった反論意見だと思います。

確かに、違憲であればまずは憲法の改正が先と言うのは、至極真っ当です。



そしてこれに対する与党側の反論が、「最高裁が合憲と判決を下している」という文句。

中国の脅威が増大しているのだから、時間のかかる改憲をしている暇などない、という主張は賛成派の方々からもよく聞きますが、主に自民党からはこのセリフをよく聞きました。


反対派の皆さんは元最高裁長官の山口氏の発言のもと、与党、安倍内閣の暴走であるとしてこれに反発しており、また与党もあくまでその姿勢のもとでそれ以上多くを語りません。

もちろん、説明はしていますが最終的には「最高裁の判断」という場所に落ち着きます。



どうもこういった事実を見ていくと、現在の反対派の主流として、この「違憲」という観点から与党を、ひいては安倍政権を打倒しようという流れが強く表れていると感じます。






が、ちょっと待ってください。





その主張が間違いであるとは言いません。

しかし、もしその主張を元に安倍政権、および安倍首相を非難したとしても、おそらく安倍首相は笑って「最高裁の判断です」と言い続けるでしょう。



日本は「三権分立」という国の制度を取っています。

これは簡単に言うと「立法権」「行政権」「司法権」をそれぞれ独立させ、それぞれが暴走しないように監視し合うシステムです。


「立法権」は国会、つまり法を定める権利を

「行政権」は内閣、つまり法を執行する権利を

「司法権」は裁判所、つまり法に基づく裁判を行う権利を持ちます。



これをもとに安保法案の流れを見ると、

1.「国会」の与党が安保法案を提出

2.「裁判所」が安保法案の合憲違憲を判断

3.「国会」で安保法案の審議、可決(or否決)

4.「内閣」が安保法案を執行

という形になるわけです。




そう。

安倍内閣に対し「違憲だ!」と非難し続けたところで、彼らにはそんなこと決める権利はないのです。

自民党に対し「違憲だ!」と非難し続けたところで、彼らにはそんなこと決める権利はないのです。




本当に「違憲」を根拠として安保法案の見直しを迫るのであれば、違憲か合憲かの判断を下す司法権の持ち主、すなわち「最高裁」に対してそれを主張しなければ意味がありません。

そして、既に合憲と判決を下している最高裁を覆すだけの根拠を提示しなければなりません。





自分が「打倒安倍内閣・打倒自民党に固執していた」と感じた最大の理由はこの部分であり、驚くことに今回国会で安保に関する演説を行った、ほぼ全ての反対派議員が「違憲」を根拠として安倍首相、安倍内閣、自民党を糾弾していました。

最高裁の判断が残念だと言及することはあっても、それを問題として焦点を合わせることなく安倍政権及び与党への非難に終始する…


一体どういうことなのでしょうか。


本当に対峙すべき相手が見えているのでしょうか。

安倍憎し、自民憎しで根本的な国の仕組みを忘れてしまったのでしょうか。



最高裁の判断を糾弾し、その決議を行いたいという主張のために「合憲判断非難」を持ち出すのならわかります。

が、それをスルーし続けるのであれば「違憲」を主張して与党の非難などできようはずがありません。


もしそれを脇に置いておくのであれば、「安保法案は合憲である」という認識の元、野党は与党へ対し法案の問題点を指摘していかなくてはなりませんでした。


しかし、「違憲主張」以外の論理的で妥当と言える反対意見は、今国会を見る限り全くの皆無に等しいと断言できます。


意図して最高裁への非難を避け、与党を糾弾するためだけにこの違憲主張を繰り返していたのだとすれば、野党議員として余りにも情けない行為でしょう。




安倍政権がまさに独裁政治を展開しているというのであれば、この主張も納得できます。

しかし現状で三権は正常に機能しており、その証拠に国会による過去最長の審議期間が設けられ、野党による反対意見も多く提出され、内閣が独断で法案を行使することは現状なく、また最高裁もその法案に対し明確な判断を下しています。

仮に安倍政権が司法機関を操っていると主張するのであれば、その根拠を提示できなければ話になりません。

与野党の議席システムを非難するのであれば、それは議席を獲得できない野党側の努力が足りず、また野党の主張に国民が賛同していない結果であると言わざるを得ません。

また、与党側が野党からも賛同者を獲得しているのに対し、野党側がそれができていないどころか同党内なかも離反者を出している点から、当選以降の与党側の主張・努力と比較して野党側のそれが劣っていたのは明白であると言えます。




判断の権利を持たない相手に「違憲と認めろ!」と詰め寄ったところで、あしらわれるのは当然のことです。

もし法案を提出したのが安部だから安倍が全て悪いという主張をするのであれば、三権分立を真っ向から否定するだけであり、それはもはやただの言いがかりに過ぎません。







第二次大戦において、日本とアメリカは本来戦う必要のない相手同士でした。


しかし中国の利権に目が眩んだ米大統領が共産の内部工作に踊らされ。

日本はギリギリの状態で突きつけられた通告の裏に居た者を見抜けず。


結果両者は武力により衝突。

お互いにおびただしい流血の後、アメリカが勝利しましたが、その後の冷戦構造を見れば真の勝利者が誰であったかは明白でしょう。

「最初から対峙すべきはロシアだった。日本がアジアの防壁となっていたのだ。日本とは戦うべきではなかった」
当時の米高官の証言は余りにも有名です。






野党議員の方は「打倒」という言葉を多用し、これを闘争と位置付けているようです。

しかし、闘争において戦う相手を違えた場合、戦う自分たちにとっても、そして対峙する相手にとっても得られるものは不幸しかありません。

「安倍は辞めろ!」と主張する野党議員は多くいるようですが、そもそも安倍首相が辞めたところで違憲判決が覆らなくては安保法案は自民党が問題なく引き継いで行くでしょう。

「安倍憎し」のあまり周りが見えなくなっている、その証のような文句です。




反対とする主張そのものは非難されるべきものではないと思うし、自分も非難する気はありません。

日本は自由と民主主義の国です。

ともすれば、世界中でもっとも言論に対する規制が緩い国であるとも取れます。

だから「明確な根拠を伴う反対の意見」は、例え法案が可決された後であっても尊重されるべきであると思うのです。





しかしその方法と相手を間違えているというのであれば話は変わってきます。

何よりも、これによって対峙する相手は同じ日本人同士です。

つまり対峙する相手を間違えて不幸になるのは、どうあがいても日本人、そして日本という国になります。

日本という国のための行動が、日本という国を傷つけるだけの行動になる。
これほど虚しく、また悲しいことがあるでしょうか。





自分はこの安保法案の可決に喜ばしいと感じています。

間違いなく、戦後レジーム脱却の第一歩になると確信し、またその一歩としなければならないと思っています。

敢えて言うのなら完全に文句のつけようが無いように、憲法9条の改憲も並行してほしかったところです。
もっとも、それが困難であるという点も理解してるし、現状でも合憲判決が出ているという点で納得しています。




しかし、戦後レジームの脱却という一大事業が与党単独でできるとはとても思えません。

何故なら、健全な国会というものは日本を想う識者同士が、その方向性の違いをすり合わせること、問題を指摘し合いまた解決し合うことで成り立つものだと思っているからです。



そのためには健全な野党が必要です。

与党と意見は違えど、日本のために、身を捧げることのできる野党が。




暗黒時代と言われた民主党政権において、野党の重要性を強く認識した方も多いでしょう。
自分もその一人です。

日本は近年、間違いなく国が傾きました。
それを支えたのが、史上最強の野党と呼ばれた当時の野党勢力であったことに疑いの余地はありません。


その野党は確かに政権打倒を目標に掲げていたはずです。

しかし、日本のために、日本に尽くし、そして必要とあらば対立する与党への協力を惜しまなかったからこそ、傾いた国をギリギリで支えることができたのだと思っています。

だからこそ、自分は当時野党であった自民党を、今、支持しています。





政権打倒を掲げても、その誠は日本国にある。

「憎し」「打倒」「奪取」に拘り終始政権批判を行うだけで自ら破滅の道をたどるようでは、そこに野党の存在価値は無いと思います。

そして今回の国会を見ると、そうして自滅の道をたどる野党政党があまりにも多すぎるように感じるのです。


投票の際、国旗に一礼する野党議員のなんと少なかったことか。
小学校ですら子供が県旗と国旗に対し一礼をして登壇するのに、国会議員ともあろうものがなぜその程度の敬意を払うことができないのでしょうか。

「国民の声を聞け!」などと言いながら与党を非難する野党議員のなんと多かったことか。
民意とは国民全体の意見であり、決して自らの主張の盾ではない。
「賛成する国民の声」を無視し、都合よくデモ隊を利用し、国民を盾にして政権非難を行うなど言語道断ではないのでしょうか。





今後、日本は本当の意味で世界という荒波に対峙していくことになるでしょう。

経済問題、移民問題、災害問題、投資、外交、軍事、そして安保の運用。
やるべきことは山のように残っています。

その中で日本のトップの根っこが分裂しているのでは、先行きは不安であると言わざるを得ません。

方向性は違えど、日本が好きである、その一点において意識を共有できる野党こそ、今の日本に最も必要とされていると思うのです。






「野党」がほしい。

そう強く感じた今回の安保法案決議でした。

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