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「けものフレンズ2」は何の2期なのか(けものフレンズを恨むのはもうやめる)

2019/04/10 22:21 投稿

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  • けものフレンズ2
私は「けものフレンズプロジェクト」の作品が大好きでした。
2017年の「たつき版けものフレンズ」のガイドブック付きの円盤はもちろん全巻持っています。ニコニコ動画の1話は数え切れないほど再生し、二次創作動画も未だに漁り続けています。


2019年。
「けものフレンズ2」は、多くのけもフレファンの心を壊していきました。
楽しく優しい世界であふれていたニコ動のけもフレ関連動画は呪詛と阿鼻叫喚で溢れ、私はその惨状に悲しみながらも、それらを一つひとつ再生しました。
誰かとこの感情を共有したかったからです。
愛していたコンテンツを恨み、作品を貶して暴言を吐く自分が嫌で、仲間がいることに安心したかったんだと思います。

その動画のコメントにこのようなものがありました。
結局、俺が好きだったのはけもフレじゃなくてたつき監督の作品だったんだな

この時、何かが肩から落ちたような気がしました。
きっと私もこのコメント主と同じだったのかもしれません。アプリからけもフレを愛していた人たちには怒られるかもしれませんが。


散々言われている通り、コンセプトデザイン・総監督などの肩書きを持つ吉崎観音先生は「損得勘定を度外視して、利害関係の外から遠慮なく意見や提案ができて、結果的にIPの質を保てる」著作者人格権を行使できる立場にあります。

「2」が制作され、放送された。
それはすなわち、吉崎先生があの「2」に対して「IPの質を貶めるものではない」と判断したということです。
私たちが「あんなのはけもフレじゃない」と考えているのにです。
続編でありながら設定を意味なく変更し、キャラクターの性格を捻じ曲げ、精神的に殺害し、動物を貶め命を軽く扱うような描写をしているのにです。


これはどういうことか、私が出した答えは一つでした。


私たちが愛した「たつき版けものフレンズ」こそ、吉崎観音が目指すものから逸脱した世界観だったということです。

これはとても悲しい仮定ですが、同時に私にとっては救いの考えでもありました。

最終回を見た後は、これが無印の地続きにある世界だということに絶望しました。
たつき版アニメとその「信者」をKFP(けものフレンズプロジェクト)から切り放そうという悪意、その悪意で生み出された作品があのたつき版の続きに存在するという現実を突きつけられ、精神がおかしくなりかけました。

しかし、前述した通りたつき版がKFPの方針から外れていたのだとしたら、方針通りに作られたはずの「2」と世界線が繋がっているわけがない。
なるほど、設定がねじ曲がっているわけです。


私はこう思うことにしました。


「けものフレンズ2」は「たつき監督がリライトする前の吉崎観音のプロット通りにストーリーが進んだ世界」の2期なのです。

「Fate/zero」が「Fate/Stay night」の本当の前日譚ではないのと同じような考えです。(多分)
「2」は単なる「似たような世界の続き」なのです。


かばんさんがサーバルを呼び捨てにすることも、ラッキービーストをモノのように扱うことも、キャラクターがギスギスし続けることも、その他全ての「たつき版の描写に対するアンチテーゼ」のように捉えられる全ての描写に説明がつきます。


私たちが愛した2017年の「けものフレンズ」は汚されていなかった。


たつき監督がKFPから降ろされたことで、サーバルとかばんちゃんとラッキーさん、そしてアライさんとフェネックの旅は終ぞ描かれることはありませんでしたが、この仮定が私の中にある以上、これからもあの世界は私の頭の中で続いていきます。




最近、たつき監督のアンチを続けていたアカウントが細谷Pの裏垢ではないかという疑惑が上がり、各所で大炎上しています。

真偽はわかりませんし、正直もう私にはどうでもいいことです。

KFPに限らず、悪意の権化のような人間はそこかしこにいます。
所構わず悪意を垂れ流し、人を傷つけます。
私もそのような人間の一人なんだと思う。

そういう世界を忘れて楽しめる世界が、あの「たつき版けものフレンズ」だったんだなと改めて思います。


その世界がKFPの望む世界ではなかったのだとしたら、
私は「けものフレンズプロジェクト」を愛するのはやめます。
もちろん恨むのも。


私が愛していたのは、たつき監督の描く世界だったのです。

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