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白崎一裕さんのFacebookからの転載、民主主義の前提条件とは?(1)

2017/11/13 07:34 投稿

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現在の選挙などを考える際にとても貴重な論考です。思想史の関曠野さんのメールから転載します。

   関曠野

今日の議会主義の問題を考えるうえでは、スイスの議会と政党の在り方と比較してみるのもいいでしょう。

1・スイスには連邦(政府)-カントンーコミューンという三つの統治単位があります。この三つに上下関係はなく、人口一万のコミューンにもカントンは干渉できません。
2・カントンは独自の憲法と議会をもつミニ主権国家で、治安、教育、医療など国政の大部分を管轄しています。
3・財政的にも主権者で課税権など独自の財源をもち予算も独自に編成します。連邦からの交付金も少額で連邦予算の17%程度、カントンからコミューンへの交付金もそんなものです。課税権では例えば、消費税は連邦に、自動車税はカントン 、ペットの税金はコミューンに属します。
4・カントンの枠を超える広域事業などにはカントンやカントンの大臣間の協議会で対処し、連邦が介入することはありません。カントン間のトラブルは連邦裁判所が処理します。
5・国政の大部分はカントンとコミューンがやってしまうので連邦には大してすることがない。スイスは三割自治ではなく三割国政です。カントンが国政の中心で、政府と議会は付けたりのような存在です。
6・連邦の政府と議会は外交や国防など限られた国家的案件を審議し、その予算を議会で審議のうえ決定します。また連邦と26のカントンの予算を統合するための「調和化」というスイス独自の財政措置があります。
7・選挙で一定の得票があった政党 はすべて入閣するので議会は与野党の政権争奪戦の舞台ではありません。
8・内閣は合議による決定を原則とします。大統領職は儀礼的なもので、また首相という権力がそこに集中するトップも存在しません。
9・また国会議員に高い報酬を払うと議員職が利権になるとして、それだけでは生活できないような報酬しか払っていません。
10・このほかカントンには独自の地域政党も多くあってカントンの政治に影響を与えています。

スイスの体制をみて分かることは、スイスでは議会は国家権力の装置ではないということです。
1・スイスでは人民主権は現実を糊塗するための美辞麗句ではありません。人民の主権(権力)はコミューンとカントンの自治権および国民投票制によって明確に制度化されています。
2・だから連邦の議会と政府に権力はない。議会と政府は外交国防など連邦の管轄事項とされる八つの事柄を審議し、そのための予算を決定するだけです。議会にはそれ以上の権限はないのだから、論戦はあっても与野党の政権争奪戦など起きようがありません。
3.ですから政党の課題は純然たる政策提言集団として議会でスイスの世論の多様性を代表す ることです。政党は権力の獲得を追求する徒党ではなく、自由な言論グループです。多様な世論を代表しているので、特定の利権をはっきり代表している党はありません。そして国会議員はとくに名誉ある地位ではなく、議員以外に生業をもっているのが普通です。大方の国政はコミューンとカントンが仕切っているので、国会議員は負担が重い仕事ではありません。
4・目下のスイス議会の最大の案件は移民問題ですが、移民は国際的な問題なので、連邦の管轄になります。

 ちなみに議会の議場には長らくスイス国旗が掲げられていませんでした。最近になって反移民党の要求で国旗を掲げるようになりましたが、これもスイスの統治がカントン中心であることを示しています。
スイスの憲法は人口数千人程度のコミューンにも不可侵の自治権を保障しています。これは国家を孤立した単位にバラバラに解体するためではありません。自治があってこそ相互の協力もありうる。スイス国家の原則は、統治は上からの命令や強制によるものであってはならず、あくまで人民の自発的協力に基づくということです。また連邦政府が重要な立法や法改正を行った場合には、連邦議会だけでなく各カントンの議会の承認も必要とされています。この二重の承認によって、中央が地方の上に立つことがないようにしています。
 日本には、市町村の意向を尊重したら高速道路の建設などではいろいろ揉めて支障が出る、経済発展のためには上意下達の中央集 権が望ましいという風潮があります。デモクラシーは経済の効率とは両立しないが、国民主権の建前があるので渋々妥協する場合もあるという立場です。

 しかしこういう風潮には根拠がありません。地方自治が徹底しているスイスは、毎年発表される各種報告でつねに国際競争力でトップの国と評価されています。私は国際競争力という言葉は嫌いですが、このことはデモクラシーが確立している国ほど均衡のとれた安定した経済を実現できていることを示しています。対照的に、東京一極集中の日本は経済的に自滅しつつあります。
 この国際競争力の一因はカントン間の競争にありそうです。スイス人は自分が住むカントンの統治に不満な場合、評価できる他のカントンに移住する傾向がある。 そこで各カントンは、州民に評価してもらえるように競い合うことになり、それが経済にも影響するとみることができます。
 とにかく東京を頂点とする日本の中央集権体制は、薩長が戊辰戦争で東日本を征服占領する軍事的必要から生じたものです。一度この体制ができてしまうとエリートがその維持に利権をもつようになった。経済的な効率や合理性などには無関係で、今や官僚主導の中央集権は日本を蝕む業病になっています。この日本に未来はありません。

一般の議会制国家とスイスの議会制国家はどこが違うのか。それは国家権力の構成原理の違いです。一般の国家の原理は集中であるのに対してスイスの原理は分散です。そして前者では議会制民主主義は、国民を人民主権の錯覚で欺いて国家に権力を集中させるための方便なのです。

 議会と政党の政治体制は18世紀の英国で産業革命と同時に生まれました。産業革命は自然に発生する過程ではない。工業化を推進するためには、従来の農業中心経済を力で上から変革する国家への権力の集中と大衆の動員が不可欠でした。それが議会制の課題だった。そして政党は、工業化が生み出す富を争いではなく大きな利権集団間の取引で分配するための組織でした。だから 議会政治の前提は工業経済のダイナミックな成長です。日本の自民と社会のいわゆる55年体制は、そういうものでした。だから低成長の時代には政党は存在する意義を失い、議会ごっこ、政党ごっこになってしまいます。そして成長の限界から生じるデフレ、少子高齢化、東京一極集中と地方の衰退といった問題に対処できません。
 これに対し、スイス国家の起源は、14世紀にウイーンの皇帝と戦うために三つのカントンの農民たちが結んだ同盟にあります。スイスの国家体制は、山国の民の古くからの仕来りや生活慣行が、近代国家にかたちを変えたものです。ですからここで肝心なのは、スイスの議会制は他国のような産業革命の推進とは関係がないことです。その原理は古来の村の自治です。に もかかわらず今のスイスは一流の工業国です。だから工業化のためには中央への権力の集権化が必要とする主張には根拠がありません。
一般の議会制国家とスイスの体制の違いは、価値観や政治文化の違いにもなる。
 ソ連の一党独裁の全体主義と異なり、リベラルな議会制民主主義は意見や価値観の多様性を保障し、市民の自由を尊重する体制だと言われます。これは嘘です。議会と政党の政治の前提は工業経済の成長です。だからここでは、経済成長なしには自由も福祉も平和もないことを認めなければ政治というゲームに参加することは許されない。政党が右翼左翼で争っても、この前提は共通しています。ただ右翼は市場を優先する「小さな国家」が、左翼は福祉を重視する「大きな国家」がよりうまく経済を成長させると言っているだけです。このように思想が一元的に統制されている点では、議会制民主主義もソ連の全体主義と変わりません。
 世の中には、もう経済は成長しないなら、のんびりスローライフでも食っていける社会をつくるべきだと考える人たちもいるでしょう。だかそう言う声は個人の寝言に終わり、政治的には黙殺されます。だから議会制国家はソフトな全体主義なのです。
 今の経済では、結局銀行の融資が庶民の雇用や所得を左右する。そして銀行は経済成長なしには成立しないビジネスです。だから経済成長を至上の課題とする経済全体主義が世間ではまかり通ってしまう。しかし経済が成長するための客観的条件は完全に消滅しています。それでも経済成長に固執する不条理が現代社会の混乱の根本原因です。 
 国会議員は庶民の代表のような顔をしていますが、彼らの実態は特殊な職業人、経済全体主義を前提に庶民をあの手この手で利益誘導する一種のブローカーです。だが低成長の時代にはブローカーは商売にならないので、政治家はそろって詐欺師に転職しました。
 以上に対し、スイス連邦の政治原則はコミュニティの自治です。自治に基づいて共同体の成員に権利と義務における平等を保障することです。この原則はどんな全体主義とも相いれません。そして自治が意見や価値観の多様性を保障しています。カントンは独自の憲法や議会をもつミニ主権国家です。ですから実情を調べてはいませんが、土地の気風によって、経済成長を重視するカントンもあれば、スローライフを目指すカントンもあるはずです。


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